5-3 ノイマン家の異変

●本編「5-3-2 ノイマン家の異変」

https://kakuyomu.jp/works/16816927860525904739/episodes/16817139556789187048

の、改稿前バージョンがこちらです。




 屋敷の中は、静まり返っていた。広い玄関ホールの空気は淀んでいて、えたような臭いがする。もう何十年も空き家になっていたかのようだ。


 注意しろと身振りでランに伝え、玄関ホールを観察した。ホールの右側壁際に、二階へと上る階段がある。左側の壁際には、地下に下りる階段。ホールの先はそのまま廊下になっている。


 嫁として来たのなら、まずは一階の応接で家族や当の結婚相手と顔合わせをしたはず。その後は普通、自分の部屋として与えられた個室に案内されるだろう。嫁の個室であるなら、二階か三階の、いい部屋のはずだ。


 だがそれはもちろん、「通常なら」の話。入り込んでいたゴーレムが一体だけ、残りのノイマン家がまともならの話だ。


 だがどうだ。屋敷内が淀んでいるし、静かすぎる。ここ数十年ずっと勢力拡大を続ける貴族の屋敷なのに、活気が全く感じられない。


「この屋敷は、なにかがおかしい。嫌な気配だ」

「そうだねモーブ。私もそう思う」


 ランは不安げだ。きょろきょろとせわしなく周囲を見回している。


「マルグレーテちゃんが心配だよ。……どこから捜すの」

「普通なら階上だが、ここはどうやら普通ではなさそうだ。それに階上は居室だからな。ゴーレムがいるかもしれん。……まず一階を調べよう」

「そうだね。それで、この屋敷でどんな異変が起きているのか、わかるかもしれないし」


 最大限に警戒しつつ、一階を調べて回ることにした。


「最初はこの部屋からだ……」


 踏み込んだのは、広い応接だ。誰もいない。だがここに、マルグレーテの気配が残っていた。お気に入りでいつも身に着けていた香草袋の香りが、微かに漂っている。


「マルグレーテちゃん……」


 ランにもわかったのだろう。瞳がさみしげに陰った。


「おそらく到着後すぐ、ここに通されたんだ」

「だよね。なら今は上だよね」

「ああ。だが予定通り、一階調査だ。使用人の気配すらないとか、おかしすぎる」

「そうだね」


 応接の奥には、小部屋の扉が並んでいる。最初の扉は物置だった。掃除用具や作業着、草刈り道具などが収められている。メインの物置や食料品保管庫は地下だろうが、毎日使う分だけはここに収めているのだろう。


 その先の四つの小部屋は、使用人の居室だった。簡素な寝台にキャビネットくらいしかない。そのうちのひとつでは、二段ベッドがふたつ並んでいた。どの部屋にも使用人はいない。部屋はきちんと片付けられてはおらず、雑然としている。作業中にふとトイレに立ったままといった印象だ。


「みんな上の部屋で働いてるんじゃないのかな。それとも屋敷裏手の手入れでもしてるとか」

「かもしれんな。次行こう」

「うん」


 いちばん奥の部屋まで来た。ここは扉も大きく、観音開きになっている。多分厨房だ。マルグレーテの家も、似たような造りだったし。大量の料理を手際よく搬出するための出入り口って感じだから。


 扉に耳を着けて、中の音を探った。


「……どう。モーブ」


 小声で訊いてくる。


「いや、無音だ」

「やっぱりいないのかな」

「かもしれんが一応、気をつけろ。誰かいた場合、不審者としていきなり襲われる可能性がある」

「厨房ならナイフや包丁があるしね」

「そういうことだ」

「詠唱しておく?」


 俺は考えた。


「いや、やめとこう。相手側にも魔道士がいると、気配で感づかれる」

「わかった。……なら用心だけしておくね」

「頼む」


 三、二……と指でランにカウントを見せてから、扉を開けた。


 広い。ヘクトールの教室ふたつ分くらいは優にある。高そうな白い石張りの調理台が、ランプの光を反射している。さすが権勢上昇中の貴族の厨房だけある。


 薪がくべられた窯口では、炎が揺れている。調理台に、野菜がたくさん並んでいる。どれも皮を剝いたりざっくり切ってある。下ごしらえ中といった印象だ。


「モーブ……」

「ああ」


 ここには人がいた。料理人の制服らしきものをまとったおっさんが三人ほど。だが皆、凍りついたように動かない。小さなナイフで野菜の皮剥き途中の男、食材籠を抱え、調理台にまさに置こうとしている男。それに窯に向かい、手に持った薄い鍋に、油の瓶を傾けたままの男。瓶の油は全て鍋に注がれて溢れており、足元に油だまりができていた。


「さっきの侍従と同じだ。作業中の姿のまま、凝固してやがる」

「ならこの人達もゴーレムなのかな」

「だろうな」


 ランを離れさせると、長剣で籠のおっさんをつついてみた。


 どさっと音がして、籠が落ちた。おっさんは砂に戻り、籠の上に山となる。砂が舞って、ランプの光に白く輝いた。


「やっぱり……」


 残りのふたりも砂に還った。大きな音は立てたくないので、窯前のおっさんだけは、つつく前に鍋を取っておいたが。


「使用人が全部ゴーレム? ……ならノイマンさんや家族もゴーレムなのかな」

「それはどうかな……」


 俺は考えた。仮にノイマン家全体がゴーレムの巣だとして、なぜ嫁を欲しがる。ゴーレムは術者に操られるでくのぼうであって、もちろん恋愛感情などとは無縁だ。少なくともマルグレーテを望んだ野郎だけは、ゴーレムとは思えない。


「理由はわからんが、ゴーレムは機能を停止している。階上を探ろう」

「そうだね。……もしかしたらマルグレーテちゃんが、ゴーレムの使い手を倒したのかも。だからゴーレムが全部砂に戻ったんじゃないかな」

「かもな」


 ランに心配させたくないのでそうは答えたものの、疑問だ。もしそうなら、ノイマン家自体が罠だと、マルグレーテにもわかったはず。即座に逃げるだろう。だがスレイプニールはここに残っていた。ならマルグレーテもまだいるはず。


 理屈の通る筋で最悪の状況を想像するなら、ゴーレムを操っている野郎を倒したものの、怪我で動けないということだ。あるいは相討ちとか……。


 想像したくもないが、それなら辻褄自体は合う。嫌な予感に心が震えた。


「急ごうラン。次は二階だ」

「うん」


 二階を見て回った。ここも同様。全く無人だ。侍従姿のゴーレムが数人、かかしのように突っ立っているだけだった。


「三階に行こう」

「うん。ここには誰かいると思う。なんか音がしてるし」


 たしかに。どたどたと、足を踏み鳴らすような音がしている。


「ノイマン家の連中はおそらく、まともな人間ではない。属性として分類するなら、敵だろう。だから油断するな、ラン。なにかあれば、俺は躊躇なく殺す」

「わかってる」


 顔を引き締めたランが、階段を見上げた。


「気をつけてね、モーブ。そのときは、私も魔法を飛ばすから」

「頼りにしてるぞ」


 足音を殺す必要はない。階段に敷かれた絨毯が分厚いから。早足で三階まで進むと、部屋を次々見て回る。いずれも無人だ。ゴーレムすらいない。


 音のする部屋の前まで来た。またランに指でカウントして、そっと扉を開ける。


 ここには人がいた。目隠しとさるぐつわをされ、大きなテーブルの脚に荒縄で縛り付けられている。こいつが脚をばたばたさせて、音を出していたんだ。


 この野郎……。


 どす黒い怒りが、胸に渦を巻く。俺は剣を抜いた。


 こいつは……コルンバだ。


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