4-6 マルグレーテの不在

●本編「4-5-2 エリク家使者の道」

https://kakuyomu.jp/works/16816927860525904739/episodes/16817139556210687714

の、改稿前バージョンがこちらです。




「……マルグレーテ」


 夢のような一夜が過ぎると、朝の光が遠慮がちに客間に忍び寄ってきた。


「朝だ。もう部屋に戻らないと……」


 抱き寄せようとした俺の腕は、虚しく空を切った。


「マルグレーテ?」


 いない。


「なんだ。もう戻ったのか」


 安心した。こんなとこで情事バレしたら、家族仲はめちゃくちゃになる。もちろん監視されるだろうから、マルグレーテとの約束どおり今晩三人で逃げるのが難しくなるに決まってるし。


 裸のまま窓に寄り、緞帳どんちょうを全部開いた。暴力的なまでの七月の朝日が部屋を蹂躙する。


「ふわーあ……」


 まさに夢の一夜だった。女の子の体って、あんなに気持ちいいんだな。ひとりで処理するのと違って、一回一回体を動かすだけで全然感覚が違うし、それに動く度に反応があるから、どえらく興奮する。しかも放出も全然違う。ひとつひとつ、しっかり受け止められている実感があるから、とてつもなく充実感があって。ものすごく感動したわ。


 それに体の関係って、心も強く繋がるんだな。なんというか、これまでよりずっとマルグレーテを愛しく感じた。破瓜の痛みに顔を歪め涙を流しながらも、俺の唇を求めるマルグレーテが。俺の動きに小鳥が啼くような声を出し、夢中でしがみついてくるマルグレーテが。放出を受けると体をのけぞらせ、俺の名前を呟いたマルグレーテが……。


「いかん。思い出しただけで、どんどん愛しくなってきた」


 俺、ランもいるしな。ランだって俺が求めれば応えてくれるはず。こんなかわいい娘ふたりに慕われて俺、幸せ者だわ。


 ばふんと寝台にダイブした。マルグレーテのいい香りが漂っている。かすかな汗の匂いと共に。


「……」


 ブランケットをめくると、寝台にマルグレーテの形がなんとなく残っていた。ブローニッドさんにバレないように、シーツを隅々までならす。


「なんだ……」


 枕の下に、なにかを感じた。取り出してみると、小さな紙だ。マルグレーテの筆跡で、「思い出をありがとう」――と書いてある。


「マルグレーテ……」


 嫌な予感がする。


 そういや昨日、なんで例の赤い光が起動しなかった。ふたりで一線を超えた。これ以上ないくらいのR18フラグだ。なのにフラグが立たなかったのは、なぜだ。……それはここで、マルグレーテが俺の物語から退場するからじゃないのか、ゲーム的には。


 急いで服を着ると、マルグレーテの部屋をノックする。返事はない。どんどんと強く叩くと、誰かが近づいてくる気配があり、扉が開いた。


「モーブ……おはよう」


 ランだ。うーんと体を伸ばしている。


「マルグレーテは」

「いないよ」


 ランは室内を振り返った。


「もう起きたんじゃないかな。あんなことがあって、昨日は早くに部屋に入ったから。ねえモーブ、マルグレーテちゃんを救う手段なんだけど――」

「ちょっといいか」

「あっモーブ」


 部屋に踏み込んだ。たしかに誰もいない。寝台は乱れていたが、ランの寝台と異なり、マルグレーテの寝台は冷たい。


「服はどこだ」

「ここだよ」


 クローゼットらしき扉を、ランが開けた。


「あれ……。マルグレーテちゃんの服、いくつか無いね」

「くそっ!」


 廊下に飛び出し、階下に駆け下りた。


 マルグレーテ、昨日のあれは、家を捨てる決意のためじゃなかったのか。


 そうではなく、自分を捨てると決めて、最後に俺に気持ちを伝えたかったのか。牢獄のような貴族の嫁暮らしを一生我慢するための、思い出を作りたかったのか。こうすることが、家族を救い俺にも迷惑を掛けずに済む、唯一の解決策だってのか。自分さえ……自分さえ人生を諦めればいいと……。


 そう言えば深夜ふたり繋がるとき、自分の心は永遠に俺だけのものだと口にしていた。あれはそういうことなのか。心だけは永遠に俺と共にある――そういう意味なのか、マルグレーテ。


 ああ……マルグレーテ。お前、なんて馬鹿なんだ。なんで自分をないがしろにする。俺やランが、それで喜ぶとでも思ってるのか。


 マルグレーテの笑顔が頭に浮かんだ。初めて会ったときの、睨みつけるような瞳。俺にからかわれ、赤くなった頬に手を当てる仕草。ランとふたり手を繋いで楽しそうに語り合う口元。そして生まれたままの姿で俺の腕に抱かれ、清らかな涙をこぼしていた昨日の夜の思い出。


 すべてが愛おしい――。


「誰かいないか、誰か……。あっ!」


 玄関ホールに、ブローニッドさんがいた。所在無げに佇み、窓から外を眺めている。


「マルグレーテは」

「モーブ様……」


 振り返ると、難しそうな顔になった。


「お嬢様はひとり、明け方にお立ちになりました。お止めしたのですが、ご決意お堅く」

「そんな……」

「モーブ様に伝言を承っております。これまでありがとう――と。わたくしのことは忘れて――と」

「馬鹿な……」

「やだっ!」


 慌てて俺の後を追ってきたのだろう。階段を下り切ったところで、ランが叫んだ。


「マルグレーテちゃん、いなくなっちゃったの? 昨日ふたりで、どうやって対処するか、ずっと話し合ったのに……」


 いや、俺は認めない。なぜならこれは、マルグレーテが望んじゃことじゃないからな。俺は絶対にマルグレーテとランを守ってみせる。ならやることは、たったひとつだ。


「待ってろよマルグレーテ。お前を絶対に救ってやるからな」


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