第3話 てんきゅう


 ゲリラ豪雨、とはよく言ったもんだ。

 局地的にで止む雨のことらしい。


 先程の豪雨が嘘のようだ。

 その代わり、湿度がグンと上がったのか、むわんと夏らしいニオイとベタつきが肌にまとわりついてくる。


 でも、そんなことは大した問題ではない。

 それよりも重要なのは――ことだ!



 ――相合傘、しようと思ったんだけどなぁ。



 彼女の横で車道側を歩きながら、僕は雲一つない空を恨めしく見上げた。


「ねぇ、鈴木くん」

「ん?」

「こんな時間だけど、まだ、外明るいね」


 今はもう6時くらいだろうか。

 意外にも雷雨は早く去ったので、あれから僕らはすぐに帰途につくことにした。


「うん、明るいね」


 僕の返事は、一歩遅い。


 道路沿いに咲き乱れる向日葵畑を横目に、たわいのない会話をしながら横並びで歩く僕ら。距離が近いから、ここぞとばかりに彼女に意識が向いてしまうんだ。


 彼女よりも頭一つ分くらい背が高い僕から見下ろす彼女の横顔は、気のせいでなければ、透きとおった頬が淡く染まっている。

 時折僕を見ては目を逸らして、たわいのない話を続ける彼女。

 向日葵畑を背景に見る彼女は、まるでキャンバスに描かれた天使のようだ。


 栗色の髪と瞳が、風に揺られてふわりと揺れる度に、花のように甘いシャンプーの香りが僕の鼻と胸をくすぐるから、僕の心は締め付けられるように切なくなる。


 頬が染まって見える彼女も、もしかして僕と同じ気持ちなのではないか、なぁんて淡い期待を抱く僕は、とんでもなく単純な思春期野郎だ。


「ねぇ、鈴木くん、賭けの話だけど……」


 と、進行方向を向きながら話し始めた彼女の言葉を遮るように、か細い声が聞こえてきた。




 ――――ウミャア……


 ――――――ウミャア……


「「猫⁉︎」」


 僕らは、顔を見合わせて驚いた。


「どこで鳴いてるんだろう、小さな声だからよくわからないね……」



 ――――ウミャア……


「――きっとあの、向日葵畑の中だ!」


 僕らは誰の土地かもわからない向日葵畑に無断で突っ込んでいった。あとでこっぴどく叱られるかもしれないけれど、今はそれどころじゃない。


 深緑の葉を掻き分けて、か細い声のする方へ向かってゆく。


「……いた……」


 おそらく、産まれて2ヶ月くらいしか経っていないであろう灰色の仔猫。

 母親親猫を呼んでいるのだろう。よく鳴き声を上げてくれたなと思えるほどに、雨にれて細い身体をしている。


「どうしよう、鈴木くん」

「……とりあえず、身体、あっためてやらないと」


 僕は、通学鞄にしまってあった汗拭きタオルでそっと仔猫を優しく包んでやった。

 汗拭きタオルでごめんだけど、背に腹はかえられないから。


 仔猫の身体は、軽いけれど雨にたくさん打たれたためか、予想よりは重かった。

 



 ――ポツリ、ポツリ……。

 

 ――パタパタパタパタ……。



 雲一つない空だというのに、パラパラと雨が降ってきた。向日葵の葉が弾いた雨粒が、横からも上からも降ってくる。



「雲一つないのに雨が降るの、そらが泣く――天泣てんきゅうって言うらしいんだ。まるで仔猫を想って、天が泣いているみたいだね」


 彼女は雨に打たれながら、フルリと身震いして空を見上げた。


 ――天泣、か……。


 近くに母猫や兄弟猫がいないことをかんがみれば、この仔猫は家族に見限られた可能性がある。このままだとおそらく、この仔猫は……。


 だけどみすみす、そんなことはさせない。


「大丈夫! 僕の母さんは無類の猫好きなんだ。安心して。僕が連れて帰るよ。それと、遅くなっちゃったし、仔猫のこともあるし、母さんに連絡して車出して、すぐに病院に連れて行ってもらうよ。その後になっちゃうかもしれないけれど、赤宮さんのことは、ちゃんとお家まで送っていくから、安心して」


「でも、それじゃ、迷惑が……」


 この上なく、困った顔をする彼女。

 少し垂れ気味の大きな栗色の瞳が、雨粒が入ってしまったかのように、潤んでいる。


「大丈夫だよ、心配しないで。だって僕ら……」




 ――そう、僕らはもう……。



「大切な、友達、だろ?」


 彼女の顔に、明るい向日葵の花がパアッと咲いた。


「嬉しい……。鈴木くんにとって私は、ただのクラスメイトだと思っていたから」


 そう言う彼女をまじまじとみた僕。

 目を合わせるのが照れ臭いのか、顔をそうっと背けた彼女の――頬には小さな擦り傷がたくさんできていた。ここに来るまでの過程で葉か何かで切ってしまったんだろう。


 思わず僕は、彼女の頬に手をそっと添わせる。


 いつも弱気な僕はどこへ行ったんだろう。

 普段の僕からは信じられないくらいのこの積極性は、きっと仔猫が後押ししてくれているからに違いない。


 身体が温まって少し元気が出たのか、先程よりも少しだけ元気にウミャア、と鳴く声が僕に力をくれている気がするんだ。


「ごめん、切り傷、たくさんつくらせちゃって」


「あああああの、全然ッ、そんなの、大丈夫なの。もともと私、肌、弱くって。それよりっ、それよりっ、その……ほっぺたに、手、手が……」


 狼狽うろたえる彼女。

 それでも僕は、彼女の頬に触れる手を離さない。



「あのさ……」

「う、うん……」



「僕が賭けに勝ったらさ、


 ――僕と――デート、してくれないかな」



 僕の心の、ドキドキは止まらない。

 だって目を潤ませる彼女の頬に手を添えて言うこのセリフってまるで、もう――じゃないか。



 ミィミィとなく仔猫と、

 ミーンミーンと鳴く蝉の声、

 そして、僕の高鳴る心臓の音だけの、

 向日葵畑の世界。



 ――肝心の彼女の返事は、と言うと。


 咲き乱れる向日葵畑の中、彼女はスクリと立ち上がって、目を細めて、そらを見上げた。


「あ、虹……!」


 そろそろ陽が傾き始める頃。

 遠くに見える僕達の校舎から半円を描く淡い虹が、薄らとそらを彩っている。


「虹、綺麗だね……。虹ってね、てんの弓って書いて――天弓てんきゅうとも言うんだって。てんきゅうって言葉、今日の私たちに、縁があるみたい」


 背を向けたまま、僕の申し出には答えない彼女。

 これは即ち、ノーってことか。


 仔猫も心なしか、力なくウミャアと鳴いている気がする。



 ――――――――――流れる沈黙――



 ――――――――――――。



 ――沈黙を破ったのは、彼女だった。



「鈴木くん!」


 彼女は急に、くるりと振り返った。

 両手は後ろ手に組んで、少し身体と顔も傾けて。

 顔は、真っ赤に染め上げて。



「鈴木くんが勝ったら……デート、しようね。約束だよッ!」


「――――! うん、約束……!」



 ウミャア、と僕の代わりに鳴いた仔猫。

 僕の喜びを、愛らしい笑顔で祝福してくれているみたいだ。

 


「さぁ、母さんに電話して帰ろう。病院のあと、送っていくよ」

「ありがとう、正一くん」

「あ、うん。ヒカリ……ちゃん」



 彼女と僕は、顔を見合わせてクスリと笑い合った。僕の腕の中の仔猫も、満足気に目を細めている。


「――決めた。

 今日から仔猫の名前は『てんきゅう』だ」

「……てんきゅう、よろしくね」 

 

 彼女は優しく、指の腹でてんきゅうを撫でた。

 なんだか、僕と彼女の距離がてんきゅうのおかげでグッと縮まった気がする。


 僕と彼女の間を取り持ってくれたてんきゅうには、後でちゃんとお礼をしなきゃいけないな。


「美味しいミルク買ってやるからな、てんきゅう」

「――ウミャア」

「ふふふ。優しいね、正一くん」

「そんなことないよ。――さぁ、帰ろう!」




 ――ちなみに。

 許可も得ていない状況で矢継ぎ早に決めてしまった僕。


 てんきゅうは飼えることになったとはいえ、「順序は守りなさい!」と、こっぴどく説教されたことは言うまでもない。


 ――でも、そんなふうに怒りながらも、てんきゅうをメロメロに可愛がってくれる母さんは、とっても優しい人なんだ。


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