十七、烏哭の黒方士



 その土地は草の一つも生えない陰の気に満ちた岩と土だけの枯れた土地で、その奥深くに見える先端が鋭い岩が幾重にも重なって、一つの山のように盛り上がっている場所が、伏魔殿ふくまでんのある晦冥崗かいめいこうである。


 晦冥かいめいの地に唯一存在する建造物で、太陽の光も届かない薄暗い雲が常に空を覆っているような場所である。


 伏魔殿の中は一層暗く、灯篭の灯りが所々になければ真の暗闇になってしまうだろうほどで、現に灯りがない場所は地面さえ大きな底なしの穴に見えてしまう。


 玉座の間の奥に置かれた、三人は座れそうな大きな石の玉座に、禍々しい鬼の顔のような紋様が掘られた彫刻が背凭れとして付いていて、ここに座る者の恐ろしさを現しているようにも思える。


「宗主、紅鏡こうきょうは都以外の土地もすべて完全に掌握しました。碧水へきすいに各一族の宗主たちが集結しているという情報もあり、あなたが欲している者も身を置いているようです」


 宗主の座する場所から少し離れた所に、漆黒の衣を纏う者たちが四人、片膝を付いて顔を伏せたまま横に並んでいる。報告している者だけは腕を前で囲って頭を下げ、揖しながら話している。


 四人の中でも宗主と言葉を交わせる地位にいるその者は、低くも高くもない心地の良い声音だが、冷たい石でできたこの建物の中によく響く声音であった。


「先手を打って、こちらから碧水へきすいを攻めますか?」


「必要ない。奴らは勝手にここに来るだろう。神子みこもまた動かざるを得ない状況だ。迎えに行かずとも、望んでこちらにやって来る」


 低く、すべてをひれ伏せさせるかのようなその声の圧に、四人は慣れているにもかかわらずいつも心臓が痛くなる。同じ漆黒を纏っているのに、宗主の周りにはそれ以上の闇が纏わりついているような錯覚さえ覚える。


「・・・宗主、」


 その闇を和らげるように、宗主の右隣に立っている細身で背の低い人物が、白い仮面で覆われた瞳の奥で静かに宗主に視線を送る。


 他の者たちと違い、顔は白い仮面で覆われているが、頭から黒衣を被っていない。膝の辺りまである髪の毛は白銀髪だが、よく整えられていて艶やかで美しく、少女なのか少年なのか、見た目や声では判別が付かない。


 落ち着いた声音で、この場には相応しくない優しい雰囲気を持つその者は、同じ漆黒を纏っているのに聖女のようだった。仮面に隠れていない唇は、いつも微笑んでいるように見える。


 何百年も宗主の傍に寄りそうその者は、まるで人形のようにいつも笑っているが、力は本物で、烏哭うこく黒方士こくほうしと呼ばれている。本当の名は四人は知らず、宗主だけが唯一その名を知っていた。


 切れ長の眼は深い黒で、体つきはすらりとしているが逞しく、秀麗な顔立ちが余計に冷淡さを帯びている。彫刻のように完璧な容姿を持つ宗主は、胸元を飾る銀の装飾以外はすべて漆黒であった。


「どうした?」


「お話があります。他の者には席を外してもらいたいのですが」


 目配せをして宗主に一礼をすると、黒方士こくほうしはそれ以上言葉を発しなかった。四人はそれを聞き、宗主がこちらに視線だけ送るのを察して、さらに深く一礼すると一歩後ろに下がってそのまま姿を消した。


 それを確認する前に、宗主は黒方士こくほうしの細い手首を掴んで引き寄せ、そのまま自分の膝の上に座らせた。


 特に驚くでもなく、黒方士こくほうしはそのままの状態で近づいた顔をじっと見つめた。薄く色づいている唇は紅を塗っているわけでもないのに潤いがあり、漆黒に映える。


「・・・黒曜こくよう神子みこがこちらの要望に応えるそうです。犠牲はやむを得ないと納得してくれました」


「そうか・・・これでやっと、」


 黒曜こくようと呼ばれた宗主は、膝の上に座らせた者に対して、愛しい者に向けるような柔らかい笑みを浮かべる。


 白銀髪のひと房を優しく掴み、自らの唇にそっと口付け、その髪を離して腰に右腕を回す。目を伏せて平たい胸に顔を埋めると、そのまま黒方士こくほうしの身体を抱きしめる。


「しかし、時間はあまりありません。邪神がいつ完全にあなたを侵蝕してもおかしくないのです。あなたがあなたでいられる内に、すべてを終わらせなければ・・・」


「解っている・・・俺は、これ以上、お前を傷付けたくない」


 時々、自分の意識が無くなることがあった。自分ではない別の何かが自分を支配し、大切な者を傷付ける。その間隔は少しずつ増えていき、この十数年は頻繁になっていた。


 この国が生まれてから千年以上、闇の中で生きている。この国の陰の気をその身に引き受ける役割を担っていた黒曜こくようは、いつの頃からか烏哭うこくという闇から生まれた者たちを従え、膨大な闇の集まりから生まれた邪神に心を蝕まれていた。


 その闇の狙いは、この国と、その光。


 意識が無くなっている間に邪神は霊獣を妖獣に変えたり、妖者に陰の気を注いで強化したり、邪神を拝む者に力を与えたりしていた。


 四人の烏哭うこくの四天は、黒曜こくようが自分たちを生み出したと信じているため、絶対の主として従っている。


 それ以外の邪神を崇拝している烏哭うこくの者たちは元々が術士で、邪神が惑わして作り出した、絶対的な信者だった。


 黒曜こくようの頭に手を置いて、そっと撫でる。細い指で何度も優しく撫でて、そして頬に触れる。黒方士こくほうしの冷たいその手は、まるで死人のようだった。


「私は、あなたの傍にいる。どんな姿になっても、傷付けられても、かまわない」


 身体中にある新しい傷も古い痕も、何も感じない。遠い昔に捨てたモノを取り戻したところで、今更遅い。けれどもそれによって目の前の者に安息が訪れるのならば、大勢を犠牲にしてもかまわないとさえ思う。


(変革の時を、もうひとりの私は望んでいないかもしれないけれど)


 はじまりを終わらせ、一からはじめるには、理を壊すしかない。


「愛している。ずっと、永遠に、」


 黒曜こくようは抱きしめていた腕を緩め、その手で自分がされているように黒方士こくほうしの頬を覆うと、氷のように冷たい唇に深く口付けをした。



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