十二、君の名前は・・・



 先に目を覚ましたのは黎明れいめいだった。横を見れば、幼子おさなご宵藍しょうらんに抱きついて眠っていた。


 小さな身体を丸めて離れないようにしがみついているその姿に、思うところがあった。身体を起こして、布団を几帳面に整える。


 この出会いは、偶然だったのか。それとも。


(今更、放っておくこともできない、か・・・いずれにしても、)


 宵藍しょうらんの頬に右手を伸ばしてそっと撫でる。額にかかった前髪を横に流して、それから横を向いて眠っている幼子おさなごの頭を撫でた。


「・・・もうちょっと、眠っていても、いい?」


「ああ。かまわない。どちらにしても出立は明日の朝だ。雪が降って来たから、しっかり準備をしてからの方がいい」


 そうだね、と微睡まどろんだ表情で頷く。雪も理由の一つだが、宵藍しょうらんを十分に休ませたいというのが本音でもあった。


 それから一刻いっときほど経ち、のろのろと宵藍しょうらんが起きる。


 そのずっと前に起きていた幼子おさなごが、傍で飽きもせずに寝顔を見つめていた。


 黎明れいめいはそんな幼子おさなごを横目で気にしながら、旅の支度を完了させる。


「・・・・私の顔になにか、ついてる?」


 じっと見下ろしてくる幼子おさなごの頬をぷにぷにと軽くつまんで、困ったような笑みを浮かべる。


 身体を起こし、先の方が少しうねっている長い髪の毛をすきながら、約束を思い出す。


「君の髪の毛も綺麗にしてあげないとね」


 疎らな長さの髪の毛をすいて、また眼を隠してしまう前髪を分ける。


「鋏は借りてきている」


「さすが黎明れいめい


 しかし、宵藍しょうらんに任せると可哀想なことになりかねないことを知っている黎明れいめいは、鋏を渡すことはない。


 しかし、自分だけではこの幼子おさなごが言うことを聞かないことも自覚している。なので、準備だけはしておいて、起きるのを待っていたのだ。


 自分の身支度を整えて、よし、と宵藍しょうらんは幼子を広げた布の上に座らせる。


黎明れいめいは器用で、私もいつも整えてもらってるんだよ?君も素敵な髪形にしてもらって」


 不服そうな顔で黎明れいめいを見上げてくる幼子おさなごだったが、やはり宵藍しょうらんの言うことには従うようだ。


 慣れた手つきで鋏を入れ、疎らだった髪の毛は見事に整えられる。


「私が結ってもいい?」


 自分の持ち物から赤い紐を取り出して、見上げてくる宵藍しょうらんに、無表情のまま黎明れいめいは「好きにするといい」と呟く。


 神子みこ華守はなもりとして出会った時、最初の仕事が髪を結う事だったのを思い出す。


 光架こうかの里を出た時は、いつも身の回りの世話をしてくれていた従者がしてくれたそうで、ひとりで髪を結ったことがなかったらしい。


 前の神子みこの時も、その前もずっと、華守はなもりにしてもらっていたと言っていた。


 あとは後ろの少し長い髪の毛を纏めて結うだけだったので、大丈夫だろうと思ったのだ。


 宵藍しょうらんは器用とは言えない手つきで紐を括り、最後に蝶の形に結んでよしと満足そうに笑った。


「どう?上手にできたかな?」


「・・・問題ない」


 仕上がりを確認し、黎明れいめいは頷く。同じ時間の中で黎明れいめい宵藍しょうらんの髪を結っていた。


 左右ひと房だけをそれぞれ赤い紐と一緒に結い、それをさらにひとつに後ろで括る。かなり手間のかかる結い方だが、もう何年もやっているので慣れたものだった。


「そうだ、一番大事なことを忘れてたっ」


 ぱんと両手を叩いて、宵藍しょうらん幼子おさなごの顔を覗き込む。その唐突な行動に、幼子おさなごはびっくりしたように肩を揺らした。


「君の名前!」


 宵藍しょうらんの提案で、黎明れいめいもいくつか名前の候補を考えさせられる。


 どの名前を誰が提案したかは伏せて、幼子おさなごに選んでもらおうという事らしい。


 仕方なく思い付いた名前を二つほど提案し、字は宵藍しょうらんが書いた。自分のものが間違っても選ばれないようにと無の境地でその状況を見守る黎明れいめいとは逆に、宵藍しょうらんは緊張の面持ちであった。


 四枚の紙に書かれた名前は『辰砂しんしゃ』『海瑠かいる』『逢魔おうま』『游莉ゆうり』であったが、幼子おさなごはじっと真剣にその名前たちを見つめている。


 そしてついにその小さな手が一枚の紙に伸びた。


「・・・・本当に、それにするのか?」


 思わず、黎明れいめいは訊ねる。違う名前の方がいいのでは?という意味での確認だった。


 なぜならそれは、自分が書いたものだったから。


 横を見れば、宵藍しょうらんががっくりと肩を落としてあからさまに落ち込んでいる。


 しかし幼子おさなごはその紙を片手で持ち、こちらに向けて強気で「これ!」と言わんばかりに突き付けてくる。


「うぅ・・・君が気に入ったのなら良かったよ、」


 顔を上げて、うんうんと頷く。ちなみに宵藍しょうらんが考えたのは『海瑠かいる』と『游莉ゆうり』であった。


「君の名前は今日から逢魔おうまだよ」

「・・・・・お、・・う、ま?」


 ふたりは思わず顔を見合わせる。今、確かに、幼子おさなごもとい、逢魔おうまの口から奏でられた音。


 それは、まだ舌足らずな可愛らしい声だった。


「うん、そうだよ。君は逢魔おうま。私は宵藍しょうらんで、こっちが黎明れいめい


「・・・しょ、らん・・・・・れ、めい」


「そうそう。これからいっぱいお話ししようねっ」


 よしよしと頭を撫でて、本当に嬉しそうに微笑む宵藍しょうらんを横で静かに見つめる黎明れいめいは、珍しく口元が緩んで見えた。



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