十、楽しみなこと



 宿に戻ると、店主と幼子おさなごが出迎えてくれた。朝餉には早い時間帯だったので、幼子おさなごの今後についての話をして、自分たちが責任をもって引き取ると約束した。


 その上で、身なりを整えるべく、まずは風呂に入れてやろうということになった。


 店主が自慢していた温泉は、竹を縦に隙間なく括って作られた囲いの中にある露天風呂で、周りを囲む歪な石は黒っぽく、乳白色の温泉が特徴的だった。


 頭や身体を洗ってやり、汚れをしっかり落としてあげると、ぼさぼさで固くなっていた髪の毛も、なんとか通常の柔らかさを取り戻した。


「よし、いい感じになったよ」


 幼子おさなご宵藍しょうらんはそれぞれ低い木の椅子に座り、前を向いて並んでいる。


 今は大人しく洗われているが、最初は恥ずかしがってイヤイヤと首を振っていた。


 そのこともあって、すっかり綺麗になった幼子おさなごの姿に思わず嬉しくなったようだ。


 宵藍しょうらんは後ろに立つ黎明れいめいの方をそのまま見上げて、満足げに笑みを浮かべた。


 単衣ひとえぎぬの腕を捲り、紐で括って落ちないようにしているが、所々飛沫しぶきで濡れていた。


 髪の毛もいつもはひと房しか結んでいないが、今は頭の天辺で赤い紐で結び、さらにお団子にして纏めていた。


 その姿だけ見れば、幼子おさなごを風呂に入れる若い母親のようだ。


 黎明れいめいはそのまま後ろにひっくり返らないように、見守っている。


「衣は店主の息子の子供のお下がりがあるそうだから、都に着くまではそれを纏うといい、」


 どうやらこの宿の料理を任されているのが、店主の息子だったらしい。


 怪異も治まったので、都の実家に戻している息子の嫁と子供たちや、暇を出していた者たちを近いうちに呼び戻すと言っていた。


 脱衣所で身体を拭き、用意してくれていた臙脂色の衣を着付ける。膝を付いて幼子おさなごの髪の毛を布で拭きながら、優しい笑みを浮かべた。


「あとで整えてあげるね?」


 首を傾げて、幼子おさなごはぱちぱちと瞬きをする。前髪がかなり長く、鼻の辺りまであり、後ろや横の長さも疎らだった。


黎明れいめい、この子に先に朝餉を食べさせてくれるように店主に頼んでくれる?」


「すでに手配している」


 抑揚のない声でふたりを見下ろして返答する。


「ありがとう。じゃあ綺麗になった君を見てもらいに行こうか、」


 立ち上がり、長い前髪に触れてとりあえず真ん中で分け、耳に掛けてあげる。小さな手を握って、宵藍しょうらんは奥の方へ歩いて行った。


 黎明れいめいはその後ろ姿を静かに見守りながら、ついて行く。


(・・・神子みこは家族をもてないから、その反動だろうか)


 歴代の神子みこは伴侶をもつことはなく、子供を作ることもなかったそうだ。それは作らないのではなく、作れないのだという。


 女の身体に生まれても、男の身体に生まれても同様らしい。呪いみたいなものだと言っていた。


「これはこれは。見違えましたよ。十年後が楽しみですね」


 姿も衣も綺麗になった幼子おさなごの頭を皺くちゃの大きな手で撫でて、店主は笑う。


 食堂の一角の机に用意した朝餉の前に誘導し、後はふたりでゆっくりどうぞと促す。


「じゃあまた後でね、」


 手を振って食堂を後にすると、再び露天風呂の方へと足を向ける。渡り廊下を歩きながら、黎明れいめいの左腕に自分の腕を絡めて、ふふっと笑った。


「・・・・楽しそうだな、」


「うん!楽しみっ」


「?」


 黎明れいめいは思っていた反応と違っていたため、首を傾げる。幼子おさなごとの時間に対して、言ったつもりだったが、なぜか現在進行形である。


「君とふたりで温泉なんて、楽しみしかないよっ」


 弾むように歩き出した宵藍しょうらんに、黎明れいめいは胸の辺りがどくんと高鳴るのを感じた。


 表情に出てしまうほどのその感情の騒めきに、口元を覆いながら、バレないように横を向いた。


(・・・不意打ちだ)


 それは自分だけに向けられたもの。


 気付かぬうちに、幼子おさなごに少なからず嫉妬していたのだ。子供みたいなその独占欲が恥ずかしい。


 けれども、どこまでも愛おしいと思った。



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