第31話 夏祭り

 湿った夜風が、遠い日の記憶を運んできた。

 ゾルマがマンドラゴラを引っこ抜いて死のうとしたあの日のことだ。命を捨ててまで自分を守ってくれたエーミールに、彼女は泣きながらすべてを打ち明けた。

 エーミールは一度死んで、すぐにジークのエキスでよみがえった。実はゾルマも、すでに一度死んだことがあったのだ。

 死ぬ前のゾルマは、ゾルマではなく優里ゆうりという名前だった。日本という名の、ヤーパンによく似ているがもっと科学技術の進んだ国に住んでいた。

 優里は幸せな娘ではなかった。陰気な性格で友達もおらず、学校に行ってもいつもひとり。両親の離婚で、仲良しだった弟とも離れ離れになってしまった。大好きなのは花と本。それが優里のすべてだった。

 自ら死のうと思ったわけではない。学校からの帰り道、飲酒運転の自動車にはねられたのは単なる偶然だった。痛みもほとんどなかったし、むしろこれで死ねるなんてラッキーだと思った。

 それなのに、気がついたときには優里はルドルフとともに世界征服を目論む「全能の魔女」ゾルマになっていた。

 強大な力を自在に操り、身体へ物理的に傷をつけることもできない、絶対無敵の存在。それを優里の国では「チート」と呼んでいた。「卑怯」という意味だ。

「チートになれたら、きっと人生何もかもが思い通りになって楽しいだろうなって思ってた。でも……違った。魔力や武力で世界中の人たちを屈服させるなんて、そんなこと絶対にしちゃいけないと思ったの」

 ゾルマに転生してから一年あまり、どうにかルドルフに世界征服を諦めさせる方法はないかと考え続けた。けれども、ルドルフの意志はあまりに強固だった。着々と争いの準備を整えるこちらの世界の弟を前に、結局ゾルマは彼を殺す以外の道を見つけることはできなかった。

 その罪深さに耐えられず、ゾルマは二度目の死を選ぼうとしたのだ。

「ルドルフを殺したうえに、あなたまで巻き添えにしてしまった。本当に、もうどうしていいのかわからない……」

「……決まってるだろ、生きるんだよ」

 それまで黙って聞いてくれていたエーミールが口を開いた。

「たとえ中身が違っても、君は俺がずっと守ってきた大事なお嬢様だ。死ぬなんて二度と言うな。どんなに『灰枯』が長くても、『百花』は必ず巡ってくる。生きてれば、生きててよかったなって思える瞬間がきっと来るさ。そのときまで、俺が君を守るから」

 ゾルマが再びエーミールにすがりついてきた。相手が悪党でも女でも百戦錬磨のエーミールだったが、ゾルマ嬢だけは別格だ。こわごわ抱きしめ返して、軽く背を叩くしかできない。

「ありがとう、エーミール……」

「いいこと言うな、エーミールとやら。気に入ったぞ! 私の名前はジークムント、君たちについて行こう!」

 隣でジークがしみじみとうなずいていた。ちなみにマンドラゴラがなぜしゃべって動いているのかは、百年経ってもよく分からない。

 以来ゾルマは、ジークとともにこの森へ住み着いた。食糧を仕入れてくるエーミール以外の人間が近づかないように結界を張り、森を季節問わずいつでも「灰枯」の状態に見えるよう魔法をかけた。「常灰の森」の誕生である。

 それでも人間が近寄ってきたら、魔法と森に住む魔女らしい意地悪な話し方で追い払った。いまではすっかり染みついている。

 やがて常灰の森には、誰も近寄らなくなったのだ――いかにも訳ありの、貴族の姉弟がやってくるまでは。


***


 射的にお面、金魚すくい。焼きイカ、ラムネ、りんご飴。

 夜空に炸裂する打ち上げ花火に歓声を上げた後は、ハゼランに似た線香花火を楽しんだ。姉弟にとってはじめての「夏祭り」は、忘れられない思い出になりそうだ。

「ねえゾルマ。気になったものがあるんですけれど」

 旅館に戻ったレーダは、まだ明かりをつけて本を読んでいる。この国の本屋で買った植物事典だ。ヤーパン語の文字は読めないが、絵が豊富なのでなんとなく意味が分かる。

「この『ジャガイモ』というのは、食べられるんですの?」

「ジャガイモも知らないのかい? 花や実を食べるんじゃなくて、地面に埋まった茎を食べるんだ」

「この絵」レーダが指さす。「茎が枯れているのに、収穫していますわ」

「そうだよ。ジャガイモってのはそういうもんだ。それがどうし……」

 言いかけて、ゾルマもレーダもはっとした。

「もしかして、『灰枯』に収穫できる食べ物、ってことでは……? わたくし、すぐヴァルターさんに手紙を書きますわ!」

「ああ、そうしてやりな」

 フリーゼ王国の食糧難を救う大発見かもしれない。興奮して机に向かうレーダを眺めながら、ゾルマは窓際で風に当たっている。風鈴がチリンチリンと音を立てた。

「ああ、くたびれた」

 ふとしたつぶやきに、アレックスが驚いた顔をした。

「ゾルマでもくたびれることってあるの?」

「フン、当たり前だろ? 私は百二十二歳の年寄りだよ。湿布と薬草が友達さね」

 自分の肩に手をあてがうゾルマを見て、アレックスが命令されてもいないのにこう言った。

「僕がもんであげるよ!」

 癒しの力を持つアレックスの肩もみは極上だった。思わずうっとりした表情になるゾルマに、ジークを抱えたエーミールが寄って来た。

「こんな幸せそうなゾルマは初めてだ。私も嬉しいな、ハッハッハ!」

「どうだゾルマ、生きててよかっただろ?」

「……フン」

 ゾルマは答えない。

 長かった「灰枯」は過ぎ。いま「百花」のとき。

 遠い夜空に目をやるゾルマの、口元だけが確かに緩んだ。

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灰枯と百花のゾルマ 泡野瑤子 @yokoawano

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