第29話 揃える

 ダミアンが「水鉄砲」を放った。

 いや、もはやそれは鉄砲ではなかった。先にヴァルターを痛めつけたそれよりも遥かに大きい、拳大の水の砲弾がゾルマへ向かって立て続けに飛ぶ。ゾルマは両手を前に突き出し、魔力を盾にして応じた。光り輝く透明の障壁が現れ、砲弾が直撃するたびに激しく明滅する。

 ゾルマの眉間の皺が深くなっていく。ダミアンに押されている。

 アレックスは不安になった。ヴァルターの傷を治すために手を伸ばしたが、うまく集中できないせいか効き目がない。

 そのうえぞろぞろと「灰枯の狼」たちが部屋へ入ってきた。いわばダミアンのしもべたちだ。ヴァルターが光線を撃つときと同じように、彼らはゾルマに向かって右手をかざす。

 ダミアンは余裕の表情だ。まだまだ本気を出してはいまい。攻撃の手をいったん休め、うやうやしい口調で恐怖に震えるアレックスに呼びかけた。

「さあて、どうです? アレックス王子。私の強さをご覧になりましたかな? あなた様さえ私とともに来てくだされば、他の皆さんは無事に帰してさしあげますよ?」

 それはアレックスの耳に、あたかも最適解であるかのように響いた。

 ゾルマがダミアンに敵わないのなら、他に方法はない。自分さえ我慢すれば、みんな助かるのだ。もしかしたら王子扱いなどされず、ただ無惨に殺されるのかもしれないが、それでもここにいる皆が殺されるよりはずっとましなのではないか。

 意を決してアレックスが立ち上がろうとしたそのとき。

「……だめよ」

 レーダの言葉が、アレックスの耳朶を打った。

「こんな男の言うことを信じてはだめ。どっちにしたって私たちを皆殺しにするつもりに決まってる」

「レーダの言う通りだ。従うな」

 ハインリヒも娘に続いた。

「でも……」

 言葉の代わりに、アレックスの手首をつかんだ手もあった。傷ついたヴァルターが、朦朧とする意識の中でアレックスを引き留めようとしている。

「ひとつ、聞かせてもらおうか」

 ゾルマは依然強気な態度を保っていた。

「あんたはその魔力を使って、何がしたい?」

「何って? 決まってるじゃないか」

 ダミアンは両目をぎらつかせながら答えた。

「俺が世界の王になるのさ! 富も地位も名誉も女も、欲しいものは全部手に入れてやるんだ。せっかく力を得て生まれてきたんだ、パーッとひと花咲かせないともったいないだろ? 手始めにこの国を支配する。アレックス王子はそのための道具だ」

 下品で傲慢な野望を、ダミアンは恥ずかしげもなく揚々と語る。やはりこの男は、王家への忠誠心などはじめから欠片も持ち合わせていなかった。

「フン」

 ゾルマが鼻で笑った。

「どうしようもないクソガキだね」

「あ?」

 得意満面だったダミアンが、一気に顔をしかめた。

「どれだけ力があってもね、自分のやることに責任を持てないやつはクソガキなんだよ。ひと花咲かす? フン、百億年早いよ馬鹿。あんたみたいなやつは、一生灰枯の世界でのた打ってるのがお似合いさ」

「うるせえクソババア。そのしわしわの口が一生開かないようにしてやるよ!」

 汚い言葉とともに、ダミアンが己の魔力を解き放った。冷たい風が厳しく通り過ぎた。次は水ではない、巨大な氷柱だ。ダミアンの頭上、天井を失ったその空間に、彼の身長の何倍もある氷の槍が生まれた。

「死ねえ!」

 ダミアンが手を振り下ろす。

 それは、確かにゾルマの胸を刺し貫き、背中へと突き抜けた。姉弟が悲鳴を上げる。

 が。

 突き刺さった氷が、ゾルマの身体に近い部分からみるみる溶けて蒸発していく。

「……何だ……これは……⁉」

 ダミアンの顔が驚愕で青ざめていく。やがて氷の槍は途中で砕け、主たるダミアンに向かって刃の雨となって降り注いだ。ダミアンは魔力ではじき返そうとしたが、何しろ自分自身が本気の魔力で作り上げた物質である。とっさに防げるはずもなく、ダミアンはその身にいくつもの傷を受けた。ちょうど彼がヴァルターに与えたのと、同じくらいの傷を。

「痛え! 痛えッ! ……おいお前ら、何ぼうっとしてやがる! とっととそのババアを殺せ!」

 ダミアンはしもべたちに向かってわめきちらした。今度はしもべたちが放つ無数の光線が、ゾルマの身体を貫通する。しかし、ゾルマはびくともしない。

「悪いね。私の身体はこの通り、傷つけられないのさ。だからいくら頭数揃えてこようと無駄だよ」

 戦うための魔力を持たないアレックスにも分かるほど、ゾルマに力がみなぎっているのが分かる。最初にダミアンを攻撃したときより、もっと、ずっと、比べものにならないほどの波動が屋敷を空気ごと揺らす。本気でなかったのは、ゾルマも同じだったのだ。

 あまりの恐怖にダミアンが尻餅をついた。足をじたばたさせながら、なんとか逃れようと後ずさりする。

「こ、こんなの……ひ、ひ、ひ、卑怯だ。強すぎる」

「あんたの言う通りさ。私は卑怯チートだ」

 また、アレックスの知らない言葉だ。――チートって、何?

「あひっ」

 ダミアンが甲高い悲鳴をあげた。目がぱっちりと開かれ、口角が不自然に吊り上がる。急に笑っているかのような表情で、壊れたように口走る。

「ぞ、ぞぞぞぞゾルマ、ゾルマ様……」

 ゾルマが何を仕掛けたのか、姉弟には分かった。

「魔女ゾルマがしもべダミアンに命じる――」

 魔女の呪いが、ダミアンを呑み込んだのだ。

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