第28話 しゅわしゅわ

 赤黒い光が屋敷の窓ガラスを貫いた。ヴァルターが仕掛けたらしい。

「始まったな」

 誰よりも早く反応したのはエーミールだ。腰には剣、背中にはジーク入りのリュックサック。軽やかに馬から飛び降りるやいなや、抜いた剣の一振りで首領の元へ駆けつけようとする番兵を二人まとめて殴り倒す。

 周りの小屋からも、「灰枯の狼」たちが飛び出してきた。十人、二十人――いや、もっと。

「お嬢が出るんだ、俺たちしもべも露払いくらいしねえとな! 行くぜ、ジーク!」

「任せたまえ!」

 リュックからジークがひょっこり身(主根)を乗り出した。

 ふたりへ向かって多数の敵が殺到する。エーミールは真っ先にひとり蹴倒し、次いで右から来る敵の頭を剣の柄で痛打しつつ旋回、勢いを駆って左の敵の胴を打った。流れるような剣さばき、しかし剣は斬るためでなくもっぱら打撃に使っている。

「命は取らねえでおいてやるよ! お前らただでさえ短い命だからな!」

 次々に敵を撃退しながら、百年生きる騎士が吠えた。生まれてたかだか二、三十年のごろつきとは年季が違うのだ。

 それでも多勢に無勢は否めない。敵が続々と集りはじめ、徐々に敵に包囲される。

 と、何を思ったかエーミールは空高く剣を放り投げた。

「ジーク!」

 相棒の名を呼ぶと同時に、空いた両手で耳をふさぐ。

「ぎぃょえええええぃやぁぁぁぁぁあああああーーーーー!!!!!!!!!!」

 背中のジークが突如絶叫した。まともにその声を聞いた敵たちがばたばたと倒れていく。落ちてくる剣をエーミールがつかんだときには、全員地面に這いつくばっていた。

「ハッハッハ、死なない程度に加減したから安心したまえ。……しかし、最初から私が叫べばよかったのではないか?」

「まあそう言うなよ。俺も久しぶりにいい汗かいた気分だぜ」

 涼しい顔でエーミールが言う。実際は、一度死んでからは汗をかかない。

「さてどうする、私たちも行くかい?」

「いや、ここで待とう。あとはゾルマにおまかせだ」

 今しがた相手にした敵たちは、魔力を持たない雑魚ばかりだった。ヴァルターが言う「魔力持ち」は、おそらく屋敷の中に詰めているはずだ。さすがのエーミールでも分が悪そうだ。ジークの絶叫戦法も、味方が全員同時に両耳をふさげるよう意思疎通できないと使えない。

 エーミールは荷台に戻って腰かけ、用意してきた水筒を開けた。喉を過ぎる水が美味い。別に飲み食いしなくても死なないが、それはそれ、楽しみは満喫したいものである。

 リュックからもぞもぞ這い出したジークが、びょこんと肩に飛び乗る。エーミールは水筒の蓋に少しだけ水を汲んでやった。根っこには口も喉もないはずだが、どういうわけか飲み下す音がこきゅこきゅと聞こえた。

「なあエーミール、全部片付いた暁には、みなで祝杯というのはどうだい?」 

「いいねえ。俺はしゅわしゅわする安い酒が飲みたいが、貴族の坊っちゃん方は付き合ってくれるかねえ?」

「子どもたちにはジュースをあげよう。私は新鮮な冷水を所望だ!」

 ふたりのしもべは、ゾルマの勝利を信じて疑わない。


***


 屋敷の中では、浮遊する老婆が足下の人間たちを睥睨していた。

「何だ、お前は……?」

 ダミアンは眉を歪め、不機嫌さをあらわにする。見上げるハインリヒも、彼女が何者なのかを知らない。

「お父様、あれはゾルマよ。……きっともう、大丈夫」

 レーダが言う。ハインリヒの知る娘レーダは、利発ゆえに大人をたやすく信頼しなかった。そのレーダが、尊敬と親愛の眼差しを向けている。

「フン、クズに名乗ってやる名はないよ。消えな」

 にべもなくゾルマは吐き捨てた。掲げた手に黄金の光がわだかまる。それが巨大な火球へと変じるや否や、ダミアンの返答を待たぬ速さで放たれた。

 ハインリヒは痛みも忘れて、子どもたちと昏倒しているヴァルターをかばった。爆音、次いで爆風。壁が吹き飛んだ。天井が吹き飛んだ。床がえぐれ屋敷に穴が空く。

 圧倒的な魔力、容赦ない攻撃。こんなものをまともに食らった人間は、塵すら残るはずがない。

 あっけなく片は付いたかのように思えた。――だが。

「フフフフフ……ハハハハハハ……」

 不敵な笑い声が、砂塵で閉ざされた視界の向こうから轟く。黒い影が寄ってくる。

 ハインリヒは己が耳目を疑った。

「面白い……! 俺と同等の魔力持ちが、まさかこの世に存在していたとはな!」

 なんと、ダミアンには傷ひとつついていなかったのである。

「フン……」

 ゾルマは表情ひとつ変えなかった。

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