おまけ

「あ」

 少し離れた場所にあるベンチが目に入る。そこは初めてそうくんに電話をした場所だ。

 あの時、コンサートをどうしたらいいのか、凄く悩んだな。代わりのピアノ奏者が見つからなくて、でも夏希なつきからはコンサートをやめないでと言われるし、今思えばかなり追い詰められたっけ。

「私、そうくんのお母さんが学校に来た日、私と話をしたの、覚えてる?」

 ずっと気になってた。でも、なかなか自分から言い出せなくて、モヤモヤしてた。

「ああ、覚えてるよ。あの時は本当に母さんが——」

「違うの!」

 謝ろうとするそうくんの手を掴む。

 彼は足を止めて、軽く目を見張った。謝罪の言葉を止め、

「じゃあ、なに?」

 優しい微笑み。

 好きな彼の笑顔を見て、思わず頬を朱色に染める。首をブンブンと横に振って、理性を取り戻す。

 私はそっと手を離した。

「私、あの時『連絡先を消して』って言ったの、覚えてる?」

「あー、はいはい。それが?」

 特に気にしていた様子はないようだ。本当に覚えていたのかも怪しく見えてしまう程に。

「私の連絡先を本当に消したのかなって、思って」

 目を合わせづらい。

「四つ葉病院で私から電話を掛けた時、出てくれたでしょ? 知らない電話番号だったら……出ない、かなって」

 実は私の連絡先を消さなかったんじゃないかなって思った。もし私の予想が合っていたら、正直嬉しい。

 フッと笑うと、そうくんは歩き出した。私も合わせて歩く。

「しほりさんの連絡先、あの後にちゃんと消したよ」

「え! ええええ‼︎」

 あっけらかんとしている彼に、本当に連絡先を消されていたショックを受ける。

 まさか本当に連絡先を消していたとは……所詮、私の存在なんてそんなもんか。もういじけちゃうぞ。いじけちゃうんだぞ。

 そんな彼は口音に立てた人差し指を添えて、「病院の敷地内だから、一応静かにしなきゃね」と注意した。

「まあ、消したところで困らないし」

「ええ⁉︎ 困らないって、なにその言い方! 凄く寂しいじゃん!」

 じわりと目尻に涙が溜まった頃、そうくんは笑った。珍しく声を出して。

「ははっ。自分から連絡先を消してって言ったじゃないですか」

「言ったけど、言ったけどね〜……でも、なんか、その、寂しい、もん」

 イジイジ。

 するとそうくんは、肩で私の体を優しく小突いた。

「連絡先は消したけど、しほりさんの電話番号は覚えてたから、ね」

「! 嘘……」

「本当。そもそも本人が連絡先を消してってお願いするんだから、なにか理由があるんだろうし、消さないわけにはいかないでしょ」

「むぅ……じゃあ、どうして覚えていてくれたの?」

 そう尋ねると、そうくんは微かに驚いたような表情を浮かべた。しかしそれは瞬き一つで元に戻る。クールだなぁ。

「さあ、どうしてでしょうね」

「内緒⁉︎ 今更内緒にしないでよ!」

「はいはい」

 そんな他愛もない言葉を交わせるようになって、やっとそうくんの隣に立てた気がする。

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風のフルーティスト -Canary- 蒼乃悠生 @kadonashiao

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