第六章 彼岸淵の砂海 遭遇編

第六章 彼岸淵の砂海 遭遇編 1

 翌日、大の字で寝ていたら大砲の音で目が覚めた。多分大海原で海賊に扮した夢を見たせいだと思う。薄く目を開けると股のすぐ近くに何かが飛び込んで落ちてきた。人の顔と同等サイズの鳥の頭。目が合う。

「はぁっ!?」

 びっくりしてそのまま硬直した。

「おう、起きたか、ねぼすけ!」

 屋根の上からノウさんがぬっと顔を出す。それにもびっくりして肩を上げる。声が出せない。

「こんな忙しい朝によくもまぁ悠々と寝られるなー!」

 鳥の頭をぐしゃっと踏み潰すフウが呆れたように笑う。一体何がどうしたっていうんだよ。起き上がって見れば窓と入口が開放してあり風通しがいい。

業魔イルだよ。早朝すぐに突っ込んできたから迎え撃った」

 ノウさんが手早く説明し、屋根に戻っていく。フウが踏み潰したのはカモメのような顔の鳥の業魔イルで、すでに塵になっていこうとしていた。どうやら俺だけがグースカのんびり寝ていたらしく、外を見ればハチとキュウが得物で鳥を追いかけ回し、ハトさんが船の上から矢を射って撃ち落としている。大砲だと思ったのはノウさんとフウがぶっ放していた銃声だった。

「朝からそんなに動き回れるこいつらが怖い……」

 すっかり目が覚めたが、正気だけはまだ保っているのでまだまだ馴染めないなと痛感した。


 海鳥の業魔イルは砂海付近に出没するので定期的に警戒しておかなければならないらしい。

 俺も加勢して数分後、ようやく業魔イルの駆除が終わり、全員が船に戻った。

「腹減った……」

 キュウがバテて寝そべっている。汚い足を向けるな。

「はー、せっかく海にいるのに魚釣って食えないなんて生殺しもいいところ」

「砂まみれの魚食いたいのかよ」

 キュウの意味不明な落ち込みにすかさずツッコミを入れると、彼はごろんと寝転がってふてくされた。

「食える魚なぁ……この辺にはないな」

 ハチがのんびりと言う。真向かいに座って大太刀の手入れをしていた。キュウだけでなく俺もなんだかガッカリしてしまう。

「せっかくの遠征でも狩猟で賄えねぇじゃん」

 そう言いながら昔読んだ漫画を思い出した。山ごもりして狩猟飯を食べるだけの漫画。うまい食事に飢えていた頃なのでいつか自分も山ごもりしてイノシシを狩ろうと思ったことがあったっけ。小学校低学年の頃の話だ。

「そう言えば、外に出れば業魔イル、海に出ても業魔イルだらけなこの異界でまともな飯が出てくるのってどういうシステム? 普段何気なく食ってるけど、どこで生産してるの?」

 ハチに訊くと、キュウも興味を持ったのかゴロンと寝返りを打って俺たちの間に入ってきて言った。

「考えたことなかったなぁ」

 まぁ、考えたら死ぬ世界だからな、異界ここは。ポヤポヤしているキュウに生暖かい笑いを向け、ハチの答えを待つ。一方、ハチは「うーん」と困っていた。

「そりゃ妖怪の仕事だからな……」

 そうして首をかしげる。どうやらハチも知らないらしい。これはガチなやつだ。

「ノウさん、知ってますー? この世界、長いんですよねー?」

 他人に解答をぶん投げる有様だ。ノウさんは船の上で食料の缶詰を出していた。

「うむ、本部が管理してることだからなぁ。噂じゃ本部の地下に農場があるらしいが、見たことがない。都市伝説みたいなものだよ」

 そう言って缶詰を一個ずつ並べていく。

「ただ、こういう缶詰を作る工場はある。ほら、腸横丁あたりだ。あと酒造なんかは民家にあるぞ」

「へぇぇー!」

 異界の食料問題がようやくはっきりと輪郭を帯びた。ハチも感心げに目を瞬かせている。

「やっぱりなんでも知ってるなぁ、ノウさんは。頼りになる」

「むふ。確かにお前さんの言う通り、こっちにいる時間のほうが長いからな。とっくに長老だぜ」

 そう言ってノウさんは「むふ」と鼻息を豪快に飛ばして缶詰を並べた。長老にしては元気がありあまりすぎていると思うけど、年齢で言えばいくつなんだろうか。パッと見た目は五十代か、それより少し若いくらい。ハトさんも年齢不詳だ。彼女は今、屋根の上で何かをやっている。

「ようし、朝飯にしよう!」

 ドンと効果音がつきそうなくらいどっしりと座り込む長老、ノウさんが号令をかける。

 あらゆる種類の缶詰が整列し、フウがさっそく目当ての缶詰を手に取った。

「焼き鳥!」

 目をキラキラ輝かせて焼き鳥の缶詰を開けて甘辛いタレの匂いを嗅いでいる。

「坊主たちも好きなもん持ってけ! 白米はハトが炊いてくれているから握り飯にでもして食え!」

「はーい!」

 俺とキュウは揃って素直に返事した。

 なかなかバラエティ豊かな缶詰だが、俺は無難に鯖の味噌煮を選ぶ。キュウはイワシの甘露煮と鯖の水煮、鯖のオリーブオイル煮を選んだ。

「なんかいっぱい取ってる! ずるい!」

 すぐさま指摘すると、キュウはギクッとし、ノウさんを見た。にっこり笑うノウさんがおおらかに言う。

「いっぱい食え!」

「あざっす!」

 キュウは調子よくさらに二つ缶詰を取った。

「じゃあ俺も……」

 さっき魚の話をしたから魚ばかりになりそうだったが、よく見れば牛肉しぐれ煮やらコンビーフもある。桃缶まであった。とりあえずこの三つを追加した。

 すでに缶詰を選んだハチが屋根の上でハトさんの握り飯をもらっていた。俺たちも屋根によじ登る。ハチは黒いつぶつぶの缶詰を開けて、握り飯の上にたっぷりまぶしていた。

「なにそれ!」

「チョウザメの魚卵を塩漬けにしたもの……いわゆるキャビアだな」

「キャビアだと!? そんなものがあの中にあったのか!」

 ハチが涼しい顔で豪華な握り飯を食っているので、俺は悔しく屋根を叩いた。キャビアってあれだろ、世界三大珍味! なんでそんなもんがこの異界にゴロゴロあるんだよ。おかしいだろ。どうなってんだこの世界!

「ハチ先輩、おしゃれっすねー、見習いたい!」

 キュウがゴマを擦る。

「え、そう? これ好きだからいつもやっちゃうんだけど」

 ハチが調子に乗る。なんかまんざらでもない顔してるけど米粒が口にしっかりついてるからな。

「たまに明太子もあるぞ」

「マジっすか! えー、もうちょっとちゃんと見とくんだった! さすが大人の食い方は違うぜ」

 キュウが尊敬の眼差しで見るので俺は目を細めていた。

「ほら、さっさと食わないか」

 ハトさんがしびれを切らして握り飯を差し出してくる。でかい。手のひらよりもでかい。

 屋根から降りて船の中で缶詰を開けて握り飯と一緒に食べる。こんな場所だからか、普段のほかほかな食事ももちろんうまいのだが、また一味違う楽しさがあり、なんといっても絶妙な塩加減の握り飯と濃い味の缶詰が合わないはずがなかった。労働のあとの飯である。うまいに決まっている。

「都市伝説の農場かー。いつか見られるもんかねぇ」

 農場で作られるという食物を口に運ぶ。現世で食べていたものよりうまいし、腹持ちもいいし、何より無料で食えるのが最高だ。キュウもばくばく勢いよく食べており、箸が止まらないよう。

「工場とかは今度、討伐の時に見に行ってみようぜ」

「そうだなー、でもその前に現世に還らねぇとな」

 キュウが笑いながら言う。確かにそのとおりだ。

「あ、そうだ。都市伝説って言えば、蜘蛛の糸もそうなんだよな? キュウ」

 缶詰も半分ほど食べたところで俺はふいに話を振った。すると、キュウが鯖の水煮を缶の中に落とす。

「え」

「ん? 違ったっけ?」

 何気なく言う。しかし、食べ終わったノウさんとハチが同時にこちらを見たので俺はすぐに口を閉じた。二人の顔が引きつっている。

「……どうしたの」

「ん、いや……聞き間違いだったかな。なんでもねぇ」

 ハチが渇いた笑いを上げた。ノウさんも残った缶詰を風呂敷に包んで我関せずといった態度だ。しかしこの微妙に緊張が漂った空気を掻き乱す名人がいたことを忘れていた。

「なになにー? 蜘蛛の糸?」

 フウがのほほんと話に入ってくる。焼き鳥をもちゃもちゃ食べる彼女の表情はケロッと平常だ。ヤバいヤツに聞かれた。咄嗟にそう思う。

「あらら? 君たち、どっからそんな話聞いちゃったの?」

「………」

 キュウが眉をひそめて目をそらす。俺は首をかしげる。ただ、キュウから聞いたとは言わないでおこうと思った。そうして黙っていると、フウは何かを察したようにニヤリと笑う。

「あらあらあら、不良くんだねぇ? まぁいいわ。どうせ遅かれ早かれ噂は耳に入るっしょ」

「こら、フウ」

 ハチがたしなめる。しかしますます高揚するフウの口は止まらない。ハチが口を塞ごうとしたが、ひらりと躱して船のへりへ軽やかに飛び移る。

「それは現世から降りてくる業魔イルの中に潜む、白い業魔イルの糸。その糸を見つけた者は現世に戻ることができる──だから蜘蛛の糸。芥川龍之介の名作になぞらえた都市伝説ってわけよねぇ」

 それはキュウから聞いたものに肉付けされた話であり、俺は目を見開いた。キュウも食べる手を止めている。

生還希望者サバイバーにその話はダメだって言われてるだろ」

 ハチが頭を掻いた。ダメだと言う割には必死さが足りない。

「えー? だって知ってるならいいじゃーん。だいたい、そんなもんが本当にあってもこの子らじゃ無理っしょ」

「そうだけど」

 ハチが腕を組む。おい、今さらっとディスったぞ、こいつ。

「それって、やっぱり本当の話だからじゃないっすか?」

 キュウが静かに訊く。

「ハチさん、その話が生還希望者サバイバーにタブーって、そういうことですよね?」

 鋭い口調で訊くキュウの目は何かを見据えるようだった。ハチが口を閉じる。それに対し、フウがキョトンとして二人の顔を見比べた。

「ん? どったの? ケンカしちゃう感じ?」

「フウ、煽るな」

 ハチが素早く言うと、フウは「おー、こわいこわい」とおどけるようにその場から立ち去った。屋根の上にのぼっていく。場を掻き乱すフウがいなかったらいなかったで、この空間は一気に冷えきり、さきほどまでの和やかさを取り戻せそうにない。

 俺はなんだか責任を感じ、間に入った。

「キュウ、単なる噂話なんだろ。あんまりあてにすんなって」

「……あぁ、うん」

 キュウの背中を叩いてみれば、彼は警戒心を解いて朝食に目を向けた。一気に口へ押し込んで片付ける。

 次に俺はハチを見た。彼は気まずそうな顔をして首筋を掻くと見張りに戻っていった。籠の中は俺とキュウだけになった。

「……信用できねぇ」

 暗い声で言うキュウの言葉に俺はドキッとした。

「元生還希望者サバイバーなら絶対知ってるだろ、あれ。レイ、ハチのこと、なんにも知らないのか?」

「えっ……」

 矛先がこちらに向かい、目のやり場に困る。キュウはこちらを見ないが、俺を逃がそうという気はなさそうだ。

「……ごめん。俺はあんまり他人の過去とか、そういうの興味ないというか……触れたくない」

 そう言いつつ、本心ではどうしたらいいか分からなかった。他人の心に踏み込むのは怖い。というか、それはきっと自分が踏み込まれたくないからなんだ。

「そうか」

 キュウがさっぱりと返してくる。俺はいつの間にか俯いていたらしく、顔を上げた。いつものように屈託なく笑うキュウがいた。

「わりぃな。空気壊して」

「ううん、だってそりゃ俺たちは還りたいんだし、当然だよ」

 そうだ。俺たちはあの諦めた大人たちとは違う──そんな残酷な言葉が喉を飛び出しかけ、ぐっと抑えた。

「でも、その糸は本当にあるんだよ。レイ」

 キュウが笑った顔のまま言う。

「実際にいるんだって。一人だけ、その糸を辿って生還した人間が」

 都市伝説というからには、その伝説の元になった話があるはずだ。だからその話も信憑性はあるのだろう。俺はごくりとつばを飲んだ。キュウの話が続く。

「今回の任務の本当の目的、お前、知ってるか?」

「……砂海の探索だって聞いたけど、違うの?」

 バカ正直に訊いてみるとキュウはさらに声を低めた。

「巣の捜索」

「巣? なんの?」

「蜘蛛の」

 それって……

「都市伝説の蜘蛛の糸を出す白い業魔イル──そいつを探して殺すんだよ」

 いつもの笑顔を見せるキュウの顔に斜めの陰影がかかっていた。

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ロスト・チャイルド・サバイバー 小谷杏子 @kyoko

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