第五章 彼岸淵の砂海 探索編 5

 行くぞ!って威勢よく言うけど、百戦錬磨のノウさんとハトさんでも手こずる相手に俺なんかが出て行っても足でまといだろ。

 そう思っているうちに巨大蟻が顎を激しくガシャガシャ鳴らして威嚇した。どうも蟻を覆う表皮が甲殻類のそれと等しく硬質のようで、ノウさんの長銃やハトさんの弓矢はまったく歯が立たない。

 ハチが大太刀を振るう。鋭利な風が巨大蟻の脚を切り裂く。バランスを崩した蟻は悲鳴を上げて砂に崩れた。しかし脚一本を斬ったところで致命傷を与えられるわけはなくむしろ怒らせるだけだった。

 脚を踏み鳴らし、砂を撒き散らしていく。尻から真っ黒な体液を飛ばした。俺から見て前方の木に当たる。異臭を放ち枯れ木を溶かした。

「はははっ! ひっさしぶりにヤバいやつが出たなぁ!」

 ハチが凶悪な笑みを浮かべながら言った。その表情顔はいつものダウナーなイメージから一変して戦闘狂そのもの。

「レイ! ぼさっとすんな! 食われちまうぞ!」

 跳躍し、幹に降り立つハチは目を光らせ、巨大蟻を見つめる。

「俺は今、お前を守る余裕がねぇからな!」

「なんか人が変わった感じがするの気のせいかな!?」

 こんな楽しそうに大太刀を振り回すハチを見たことがない。足にバネでもついてるのかと思うほど木から木へ飛び移り、蟻の背へ回って大太刀を振るう。

 そんな激しい銃声と剣戟が飛び交う中、ハトさんが指笛で俺を呼ぶ。ハトさんは木の上で矢を射っていた。ロープをくくりつけた矢が蟻ではなく、木の幹へ刺さる。意図は分からない。

「レイ少年! 君はハチのように飛べるか?」

 唐突に切れ味鋭い声でハトさんが言う。

「足場があればできなくはないけど、ハチほどでは……」

「このやわな砂じゃ無理ということだな」

 もたもたする俺の言葉をあっさり拾い上げる。察しがいい。彼女はキビキビと木に矢を放った。

「ロープを足場にしろ! そんなところにいたら踏み潰されて終いだ! 伸びてる間に食われるぞ!」

 その言葉通り、ハチが斬った蟻の触覚が頭上に落ちてきた。慌てて飛び退く。すぐさまハトさんの言う通りロープを足場にして木に飛び移った。思ったより軽く飛ぶことができて自分でも驚く。ハトさんはさらに矢を放ち、デタラメにロープの足場が出来上がっていく。それをうまく使いながらハチが上空を飛ぶ。

 それを追いかける蟻の無数の目。大きな目だと思っていたそれは無数の粒が連なっており、その一つ一つに景色が映されていた。あれが全部目なのか。真っ黒な目玉のすべてがハチを見て追いかけている。

 ハチは大太刀を振るうが、砂をかけられてはうまく狙いを定めることが出来ずにいた。

 その時、砂塵が舞う白い空間で、突如ノウさんが放つ長銃の音が変わる。重たい轟音が蟻の腹部を貫いた。

「はーっはっはっは!」

 吠えるような大笑いが立ち、見るとノウさんはいつの間にかバズーカに切り替えていた。こんな状況で笑える三人の異常さに気後れする自分がいる。とにかく足手まといにならないよう逃げ回ることしかできなかった。

 ハチの大太刀がついに蟻の首を狙う。ハトさんが固唾を飲むように手を止める。ノウさんはすでに自制がきかないようで好き勝手にバズーカを打っている。

 大太刀が首に刺さった。しかし蟻が大きくのたうつように立ち上がり、硬い頭に当たったハチの体が上空へ弾け飛んだ。

「ハチ!」

 蟻の脚がハトさんのロープに絡まるも、バランスを崩す勢いでロープが引きちぎれた。ロープを飛んで移動していたハトさんが慌てて木に飛び移るも、砂の上に落ちた。

「ハチ! ハト!」

 ノウさんが二人に気づき、蟻から目を離す。その時、蟻の脚がノウさんの体にめり込んだ。暴れる蟻の脚が砂を撒き散らす。辺り一面砂塵が舞い、誰がどこにいるのか分からなくなった。蟻の恐ろしい悲鳴が響き渡る。手負いの化物を止める術がない。

 やばい。無理だ……。

「──レイ! 生きてるか!」

 唖然とする俺に喝を入れるように、どこかからかハチの声がする。

「生きてる! ハチ、どこ!?」

 木の幹に身を隠していた俺は、ハチの姿を探して周囲を見渡す。

「クソッ、砂埃が邪魔で何も見えねぇ」

 その時、後ろから肩を掴まれて俺はバランスを崩した。振り返る。そこにはハチがいた。瞬間、蟻の長い脚が木をなぎ倒した。ハチが俺を掴んだおかげで間一髪で避けられ、暗い林の奥へ一旦退く。

「てっきり死んだかと思ったぜ、レイ」

「ハチこそよく生きてたな」

「一回死んだけどな」

 ハチは目をギラつかせたままそう言った。よく見れば顎と目に血がついていた。おそらくぶつけて怪我したんだろう。治ってはいるが血が飛んだままだ。

「食われるよかマシだ」

「ただ、俺の大太刀がな」

 わずかに困った言い方をするハチが蟻の方向を指す。見れば、蟻の首に大太刀が刺さったままになっており、俺は愕然とした。

「どうすんの」

「もう一回体制を立て直して奪い取るしかない」

 なんかとんでもないことを言い出した。

「本当にそれしか方法はないのか?」

 いくらなんでもリスクが高いだろう。

「ない」

「ないかぁ……」

 俺はがっくりと肩を落とした。

「じゃ、やるしかないよな……」

 顔を上げる。やられっぱなしは癪だし、俺はまだ何もしていない。でも怖い。相変わらず巨大蟻の顎がガシャガシャ鳴り響く空間にいては、耳がどうにかなってしまいそう。まるで黒板をひっかくような嫌な音が背筋を震わせる。

「ビビってんじゃねーよ。情けねぇーな」

 ハチが俺の背中を思い切り叩く。その強さに鋭くビリビリとした痺れが走った。だが、そのおかげで背中が熱を取り戻した。

「いいか、関節を狙って徐々に削げ。いきなり急所を潰そうとすんな」

 暴れる蟻の脚を指して言うハチ。

「でもさっさとやっちゃったほうが」

「そんなことしたら楽しくねぇだろ」

 俺の言葉の上からかぶせるようにハチがバッサリ言う。ダメだ、一回死んだせいか、強力な獲物に遭ったからか常軌を逸している。呆れて目を細めていると、ハチは俺の肩に手を置いて耳元で言った。

「上からでも下からでもいい。とにかくお前のやりやすい方法でヤツの脚を落とせ。いいな」

「うん……」

「よし! それじゃあ第二ラウンドといこう」

 そう静かに言うハチの手をチラリと見る。指先に黒いクモの巣状の痣があるように見えた。しかしすぐに見えなくなった。

 ハチが生身のまま飛び出していく。懐の短剣を出し、開きかけの背を刺した。蟻が体を逸らして暴れる。

「行け! レイ!」

 その声を合図に俺も飛び出す。俺はハチみたいなセンスはないし、度胸も技術もない。それでも毎日体に刻みつけた稽古の成果を──今、ここで……!

 光る刀身を風に乗せて振る。繊細に剣戟が鳴る。歯を食いしばり、蟻の脚を斬った。しかし歯が立たない。何度も打ち付けるようにして斬りつけなければ──いや、一振りでやらなくては。

 すぐさま後方へ飛び、別の脚を狙うべく走る。蟻は俺を見ていない。ハチだけを見ている。チャンスは今しかない。大きく太い脚に向かって勢いよく振りかぶる。関節は実にわかりやすく、まるで切り取り線のようだった。一振りで斬る。斬撃の軌道が光を帯びた。手応えを感じる。そして、蟻はバランスを崩した。

「よし!」

 すぐに木の幹まで走り、次の一手を狙う。その際、ハチが蟻の背にしがみついているのが見えた。

「ハチ!」

 短剣で背を刺し、どうにか首に刺さった大太刀の場所まで移動しようと試みているが、滑ってうまく動けないようだった。いや、俺が彼を助けるなんてそんなうぬぼれたことは考えるな。

「少年! よくやった!」

 いつの間にか薙刀に切り替えたハトさんが走ってきて、一緒に蟻の脚を切り刻む。ノウさんも血まみれなままでバズーカの狙いを定めていた。

 俺もまた刀の柄を握り直し、飛び出す。ハチが遠心力で蟻の背に戻る。俺たちは蟻の足元で前足を狙って斬っていく。そうすると蟻は徐々に前傾姿勢となる。

 ハチが背中を伝って滑り降り、首に刺さった大太刀を掴んでそのまま下へ飛び降りてくる。

「よっしゃ! 仕上げといこうぜ」

 ハチの目が光る。大太刀を構え、後方に飛び、木の幹を蹴ってさらに跳躍する。そしてもう一度蟻の首に大太刀を振るった。

「くっそ! こんにゃろー……どんだけ硬いんだ!」

 ハチは笑いながらも悔しげに言う。

「ハチ! そいつは全員で仕留めよう!」

 ノウさんがバズーカを打ち込み、蟻の頭部を破壊した。目をやられた蟻は頭を振り乱す。砂の中へ潜ろうとし始めた。

「まずい!」

 ハトさんが木の幹に向かって軽やかに飛ぶ。俺も一緒についていく。真向かいの木にはハチもおり、全員が目で合図した。蟻の首が見える。噴き出す瘴気の下にある黒い塊を視界に捉えた瞬間、全員が飛び出した。

 それぞれの刃が一気に降り注ぎ、蟻の首を落とす。ほとばしる蟻の体液と瘴気、それらが俺たちの体をすべて飲み込もうとしても構わず刃を振り落とせば、首がごとりと砂の上に落ちた。しかし顎はしばらくガシャガシャ動き、暴れる。だがそれも徐々に収まり、辺りは急にしんと張り詰めた冷静さに包まれた。

 各々の息遣いが耳に届くはずだが、俺の耳はあまりうまく機能していない。心臓の音がうるさい。立っているのも不思議なのに、その場で座り込むこともできずただただ全身が放心していた。

 それは全員同じなのか、ハチもハトさん、ノウさんも肩で息をするばかりでしばらくその場から動かなかった。

「……レイ」

 ハチが俺を見る。その目はいつもの気だるげな濁った目だった。そんな彼を見たら急に力が抜けてしまい、蟻の背中から滑り落ちた。

「うわ!」

 しかし、ハチが俺の手を掴んだので助かった。手を握り返せば、彼の血管を流れる速い血の巡りを感じた。鼻で笑うハチの顔はいつもとは少し違い、どうやら俺は彼に認められたのだと無性にそう思った。


 ***


「ずるい!」

 船に戻れば、すかさずフウがふてくされていた。

「ずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるい!」

「うるせえ!」

 ハチがフウにデコピンする。

「ったはあ!」

 フウが大きく仰け反り、額を抑えてもんどり打つ。誰も同情しなかった。

「とりあえず今日はもう休もう。食って飲んで寝る! また明日だ!」

 ノウさんが酒瓶を片手にご機嫌な笑いを上げる。ハトさんは静かに酒を飲み、ハチと俺とキュウは持ってきていた食べ物で作った夕飯を貪った。肉を焼いて煮込んだ汁物は色んな野菜がごった返していて、なんだかよく分からない。しかしダシが効いていて、ほっとする味わいだった。

「ずるいよ! みんなで楽しく大物狩り! フウちゃんも一緒に遊びたかったー!」

 フウはまだご機嫌ななめだ。俺たちがボロボロで帰還してからずっとこの調子である。

「船はどうだったんだ?」

 汁物を食うキュウに問う。するとキュウは椀で口元を隠しながら言った。

「フウが片っ端から鳥の業魔イルを狙うし、勝手に船を動かすし……まあおかげでノウさんの信号弾にすぐ気づけたからいいものの」

 ノウさんは砂面に向けた信号弾を送っていたらしい。どうりですぐ巨大蟻退治現場から引き上げが早く済んだわけだ。

 あの現場から脱出するため、木に登って信号弾を放てばすぐにロープが降りてきたのだが、近くの砂面を漂っていたらしい。まさかフウが好き勝手に動かしたことが功を奏すとはこの場の誰もが思いつかなかったことだろう。

 ていうか、フウもなんだかんだ楽しく一人で狩りをしてたんじゃねえか。

「オレもなんとか頑張ったさ。フウから殺されないように」

 キュウは疲労感と悲壮感を浮かべた声音で言った。かわいそうに。

 それから俺たちはノウさんとハチが「寝ろ!」と言うまで大勢での夕飯を楽しんだ。そう言えばこうして誰かとわいわい食事するのは随分と久しぶりな気がする。何かを成したあとの達成感は初めて感じることであり、現世にいた頃よりも充実している気さえした。

 ノウさんとハチが交代で見張りをするらしく、フウとハトさんがいつの間にか眠ってしまったので俺とキュウもその場でウトウトと寝転がって寝た。

 気温の変わらない生ぬるい風が肌を撫でる。船の窓を両方開放しており、ここが異界でなければ春の夜に原っぱで眠っているような錯覚をした。

 沈む意識の中、ノウさんとハチの声がぼんやりと聞こえてくる。ふたりとも屋根の上にいるらしい。

「──いつもよりキレが悪かったな、ハチ。どうかしたのか?」

 ノウさんが不思議そうに訊ねた。

「え? あぁ……まぁ、そうっすね」

 ハチは歯切れ悪く言った。

「えーっと、蜂に刺されて」

「ダジャレか?」

「つまんねぇダジャレですね」

 ビシッとツッコミを入れるハチにノウさんが愉快そうに笑う。

 俺は目をつむった。あの人達も他愛ない雑談するんだな。忍び笑いしつつ、どんどん意識が落ちていく。

「生前の体質はそのまんま残ってるもんですねぇ。アナフィラキシー怖い」

 そう笑い混じりに言うハチの声を最後に眠った。

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