第五章 彼岸淵の砂海 探索編 4

 ともかく道が塞がれない限りただただまっすぐ北を目指す。ハチが持つ方位磁石を頼りに歩いた。しかしノウさんとハトさんの姿はまったく見えない。追いつくことは不可能なのだろう。だが、あの二人が先に道を作ってくれたおかげか、あの大蜂以外の業魔イルは小さいものばかりだった。蛇やカエル、カタツムリなんかがゆうらりとその場をよぎり、その度にハチが俺に討伐稼ぎをさせてくれた。

「ハチ、どこまで行くんだ?」

 ただあてもなく歩くのも飽きてきた。危険だと脅されていたのに拍子抜けしている。

「もうすぐ行けば拠点があるだろ。ノウさんたちが作ってくれたやつが……あぁ、ほら」

 ハチが指をさす方向を見る。タワーのような岩があり、その天辺の平らな部分に白いテントが張ってあった。登りやすくロープが張ってあり、岩をよじ登る。

「ある程度高さのある場所なら、鳥の業魔イル以外は寄り付かねぇ。そんで鳥はこの砂海底ではまだ発見されてないので今のところは安全圏だ」

 登り終え、平らで固い地面の感触になぜか安堵した。

「足が疲れてる」

 太ももからふくらはぎに重たいダルさがある。ほっといたら気づかないうちに治っていそうだが。

「砂浜より柔らかい砂地を二キロは歩いたからな……さすがにキツイか」

 俺が座る横にハチも座り込む。俺は着込んでいるから服の下の汗が気持ち悪い。ハチもシャツのボタンを開けて息をついた。額から汗を流しているので髪の毛がしっとり濡れていた。

「とにかくノウさんたちが目的地まで辿りつくのを待つ。合図があったら突撃か戻るかのどっちかだ」

「フウたちは何してんだろ」

 二人で地上でのんびり優雅に休んでいるのだろうか。キュウ、少しは元気になっていたらいいけど。

「フウたちは地上の鳥や羽虫対策だよ。別にサボってるわけじゃねぇ」

 俺の考えを見透かしたようにハチが静かに言う。

「むしろあの暴れ馬フウがサボるわけないだろー。今頃好き勝手にドンパチやってるだろうさ」

 キュウ、生き延びろよ……。

 彼の不憫さに泣けてきた。俺は砂面を見上げ、心のなかで敬礼した。

「レイ、お前は少し休んどけ」

 そう言って彼は俺のケープを奪い取る。

「え、ハチは?」

「俺は見張り。いいからガキは寝てろ。体力温存しとけ」

 そう言うとハチは俺をテントの中へ放り込んだ。濡れた前髪の隙間から覗く額に開いた穴はまだふさがっていなかった。

 見間違いだろうか。あの大蜂に遭ったときからすでに三十分以上は経っているはずだが。しかしテントの入り口を塞がれ、寝ろと言われたからには深入りすることはできなかった。

 テントの中は快適とは言えず、固い岩の上に薄い布が何枚か敷かれているだけ。ゴザを敷いた上に固いそば殻の枕が一つ置かれていた。一人が寝て一人が見張りをする前提で作られた拠点だ。

 荷物を置き、帯刀していた刀を脇に置く。ゴロンと寝転がって目をつむった。


 しばらくしてテントの隙間からふんわりとスパイシーな香りが漂ってきた。気絶したように眠っていたのか、寝覚めは良かった。数分しか寝ていないのにもう体の具合が良くなっている。しかし、腹が減った。

 テントから顔を覗かせると、ハチが振り返った。

「お、起きたか、くいしんぼう」

「何作ってんの?」

「やっぱキャンプと言ったらカレーだろ」

 そう言ってハチは上体を逸らして小さな鍋を見せてきた。起こした火の上でクツクツと煮立たせたカレーが空腹を刺激する。

「なんか、俺の知らないカレーのにおいがする」

 スパイシーなにおいの中にほのかな香ばしさを感じた。

「コーヒーを混ぜた。他にもいろいろスパイスを混ぜたからな、この強いニオイを業魔イル共は嫌うから」

「なるほど……」

 カレーとコーヒー、合うのかよ。半信半疑だ。

 ハチがバゲットを手で引きちぎる。銀製マグにカレーを注ぎ、バゲットと一緒に渡してきた。

「食おうぜ」

「うん」

 熱いカレーにバゲットを突っ込む。ドロっとしているのはほとんどペースト状のひき肉で煮込んでいるからだろう。あの喫茶暁鴉で食べたカレーライスとは比べ物にならないが、こんな辺境の海底で食べるカレーはなんだかよくすすんだ。ハチもバゲットにカレーをつけて食べる。

「うまい?」

「うまい。意外だな、ハチが料理できるなんて」

 熱々のカレーをパンにつけて何度も口に含む。パンを噛んで食べてしまわないようにカレーを掬ってすすった。ハチが静かに笑う。

「俺だって日がな一日適当に生きてるわけじゃねぇんだ。これくらい余裕さ」

「ふーん。やっぱりこういう生活が長いと、自然に身につくのかなぁ」

「そうだなぁ。俺は行きつけの飯屋があったからさ、その味がたまーに懐かしくなって、作ってみるかって思ってな。やる気がありゃなんとかなるもんだぜ」

 そう言って熱々のカレーを口に含むハチは舌を火傷したのか両目をつむって足をバタバタさせた。

「あっちぃ!」

「カッコつけてるからだろ」

 それにすぐ治るだろ。

 ハチは涙目になりながらも懲りずにカレーをすすった。

 しばらくは無言で食べる。いつもの食事より少ないものの腹持ちが良く、胃の中の気持ち悪さが収まった。スパイスのおかげで回復も早い。

「それじゃ、レイ。悪いけど俺は寝かせてもらうぜ。何もなければ二十分後に起こしてくれ」

 手早く片付けをし、ハチはテントの中へ吸い込まれるように素早く入っていった。

「何もなければって……何かあったら起こしていいのかよー」

 声をかけるも彼は返事をしない。

「寝付きがいいな」

 食ったばかりで寝ると牛になるぞ。本当に普段からだらしない大人だな。

「まぁいっか……」

 そう言えば、ハチが無防備に眠る姿を見たことがない。彼は寝ない生き物だと思っていたが、この遠征でその様子がやっと拝めるかもしれない。いつもいつも人を小馬鹿にしてからかって、俺の寝起きもガン見するし、一緒に行動していたら半殺しにしてくる鉄人みたいなヤツの寝顔──見たい。

 ほんの好奇心だった。カレーのスパイスで周囲は業魔イル避けできているし、ちょっとくらいいいだろ。

 そう思ってテントの中へ潜ってみる。ハチは静かに寝息を立てていた。本当に目をつむって寝ている。目を開けて寝てそうだと思っていたけど、割と普通な寝顔だ。

「つまんねぇ」

 さっさと退散しようと下がりかける。

「ん?」

 ハチの額の穴がまだふさがっていない。

「……ハチ?」

 おかしい。この世界の住人は怪我がすぐ治る、はずだ。

 でもこの傷はあの大鉢の針だ。業魔イルの針。それが刺さって開いた穴。ってことは、塞がらないのでは。いや、知らんけど。

 なんとなく気になって近くまで寄り、息をしているか耳を近づける。うん、生きてる。でも汗が引かないようだし、こころなしか顔色も悪い、ような。額に指先だけで触れてみる。

「あっつ!」

 熱が高い。え、ちょっとやばくないか。

 とにかく寝かせておこう。でも、ほっといたら死ぬんじゃないか? どうなんだろう。わかんない。どうしたらいいんだ。

「ん?」

 困惑しているうちにハチが目を覚ます。

「おわっ」

「おい、何してやがる。まだ二十分経ってねぇだろ」

 こいつの時間感覚、正確すぎるだろ。

 って、そんなことを考えている場合じゃない。

「ハチ、具合悪いの?」

「あ? お前に心配されるほどじゃねぇし」

 ハチはゴロンと寝返りを打つ。しかしすぐに俺の方を振り返ると、ため息をついた。

「大丈夫だって。寝たら治る。とにかくお前は見張りしてろ。業魔イルが出たらそれこそ二人まとめて死ぬぞ。お前のせいで俺を死なすな」

 そう言うと彼はポケットから丸薬のようなものを出して口に放り込み、今度こそ背を向けて寝た。


 ***


 見張り中、たまに砂が混じった風が吹き、顔にかかる。ケープにくるまり、刀を持ったままじっと一人で周囲を見渡していた。すると、岩の下からカリカリと硬いものを削る爪の音がし下を見た。

 無数の鉤爪を持った業魔イルの姿がある。見た目はなんだろ.....ダンゴムシを巨大化したようなやつ。

「出た!」

 つーか、どっから沸いてきやがった! ずっと見てたのに!

 驚きのあまり刀を抜く。しかし業魔イルは登ってこられないようだった。

「あ、そうだ」

 刀ではなく、こいつで殺っちまおう。

 腰に差した拳銃を抜き、安全装置を外してすぐさま引き金を引く。

 静寂の中に銃声が三発。空を裂く勢いで放たれた。業魔イルが驚き、砂の中へ潜っていく。

「逃がすかよ!」

 あと二発残った弾を惜しみなく使う。続けて発砲すればノーコンの俺でもデカい的に命中させることは出来た。

 金属がこすれたような悲鳴が轟き、砂の中から半分ほど出てきた状態で業魔イルが死ぬ。瘴気とともに塵と化していった。

「おい、何やってる。うるさくて寝れやしねえ」

 ハチが背後からゆっくり忍び寄って言った。

業魔イルがいた! 下から沸いてきた!」

「んなの、ほっときゃいいのに……あーあ、貴重な弾を無駄に使いやがって」

 ハチは面倒そうに言い、下で燻る大物を見た。

「なるほど、砂の中もまだ深いなこりゃ。あれに引きずり込まれたらおしまいか」

 そう言うハチの表情はなんだか楽しげでニヤリと笑うと、俺の頭に手を置いて立ち上がった。

「さて、次の拠点まで行くか」

「え、もう?」

「当たり前だろ。さっさと任務終わらせて帰ろうぜ。この調子ならに遭わずに済むかもだし」

 なんだか含みのある言い方をするハチは、荷物を持つとそのまま岩の下へ飛び降りていった。どうやら体調は戻っているようだった。


 しばらく歩くと小高い丘に入り、越えるといきなり枯れ林が目の前に現れた。時折吹く風が異様に冷たい。

「さみい」

 ハチが鼻をすする。ケープ燃えたからな、寒いよなそりゃ。

「陽が差さないのに木はあるんだな、変なの」

 思ったことを言うと、ハチが鼻で笑った。

「誰かが植えたのかもしれねえな」

「誰かって誰」

「うーん……」

 ハチは首を傾げた。いつものはぐらかしか。ほんと適当なことばかり言うんだから。

 そう思っていると、唐突に前方で小さな火が点った。

「……伏せろ!」

 ハチも火に気づいたらしく鋭く言う。

 瞬間、前方から火花が勢いよく真っ直ぐに俺たちへ向かって飛んできた。

 ハチから頭を掴まれ、強制的に地に伏せる。ハチに覆いかぶさられる形になった。火花が頭上をすり抜け飛んでいく。

「何!? 何が出た!? 業魔イルか!?」

「違う。あれは信号弾だ」

 ハチが冷静に答えた。

「ノウさんたちに追いついたな。ってことは、援護要請か」

 そう言うハチの表情が研ぎ澄まされた刃のように危なげに険しくなる。

「レイ、気を引き締めろ」

「うん……」

 何が待ち受けるのか分からないが、ともかく先へ向かうしかないのだろう。俺たちは枯れ林の中を走った。

 落ちている枝を踏み、走る。道と言えるような道ではなく、走りづらいことこの上ない。そうして林を行くこと数分、ノウさんとハトさんらしき銃声や金属が擦れ合う衝撃音が聞こえてきた。

「あっちだ」

 ハチがさらに先を行く。銃弾が弾け飛ぶ様が窺えたと同時に、彼らが何を相手にしているのかがあらわになった。

 それは、巨大な蟻だった。するどい顎は凶悪に黒光りしており、電柱ほどの脚が無数にそびえる。ノウさんとハトさんは枯れ木に潜みながら巨大蟻と交戦していた。

「来たか、ハチ!」

 ノウさんがニヤリと笑う。

「こんなもんが潜んでやがったとはな……」

 ハチはなんだか拍子抜けしていた。

「ま、とにかく殺るしかねえ。レイ、行くぞ」

 ハチが大太刀を抜く。その横顔は巨大蟻を睨みつけて笑っていた。

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