お嬢様大好き侍女は「推し活」を理解できない ~転生聖女は推し活初心者!番外編~

綾束 乙@4/25書籍2冊同時発売!

お嬢様大好き侍女は「推し活」を理解できない


「光神アルスデウス様、私をこの世界に生まれさせてくださって本当にありがとうございます……っ! 今日も存分に推し活に励みます……っ! そして今日も麗しのレイシェルト様が、どうか健やかに過ごされてらっしゃいますように……っ!」


 毎食のことながら、わたくしにはどうにも理解しかねる謎の熱心さで食前の祈りを捧げられたエリシアお嬢様に、テーブルにスープの入った器を置いたわたくしは、足早に歩み寄りました。


「お待ちくださいませ。お食事の邪魔になりましょう。御髪おぐしを軽く束ねます」


 ポケットからリボンを取り出し、お嬢様の長く艶やかな黒髪をひとつに纏めます。今日のお嬢様は、珍しく横の髪を少し結っただけで、黒髪を下ろされているのです。


 かつて、世界を闇に閉ざしたという邪神ディアブルガの色とされる黒色はひどく忌まれており、黒い髪と瞳を持つお嬢様は「邪神の娘」といわれのない誹謗ひぼうを受けられていますが、とんでもない。


 わたくしが毎日丁寧にくしけずり、お手入れをしている黒髪は、まるで夜空を映した絹糸のよう。


 宮廷画家のロブセル様がお嬢様を描きたいと申し出た気持ちもわからなくはありません。


 二年前、成人の儀で王城へ登城したお嬢様が帰ってきた後、王太子殿下であるレイシェルト殿下の肖像画をロブセル様に依頼するため、身分を偽って町人街で働くと言い出した時には、自分で名を出したのを棚に上げて恨みそうになりましたが……。


 さすが宮廷画家。優れた審美眼です。見る目があるという点で評価してさしあげましょう。


 いえ、見る目があると真っ先に言うべきは――。


「マルゲ? どうしたの、一緒に食べましょうよ?」


 お嬢様のお声に、心の中に暗雲を立ち込めさせかけていたわたくしは、はっと我に返りました。


「いえ、わたくしは……」


 サランレッド公爵家の離れで二人きりで暮らしているからでしょう。お優しいお嬢様はいつも、侍女であるわたくしも同じテーブルで一緒に食事することを許してくださいます。


 ですが、本日のお嬢様は昼食の後、レイシェルト様とともにロブセル様のお屋敷に向かわれるご予定。


 「推し様」であるレイシェルト様にお会いする時のお嬢様は、非常に気合いが入ってらっしゃいます。


 ならば、大事なお嬢様が万全の準備を整えられるよう、我が身は二の次にしてお仕えするのがわたくしの役目。


 テーブルの上には、わたくしが調理した料理の皿が並んでいます。


 色あざやかなサラダに具だくさんのあたたかいスープ。干し葡萄ぶどうとクルミ入りのパンに、キノコと一緒にソテーした鶏肉とつけあわせの温野菜。白身魚のマリネを少々。


 どれもこれも、町人街でレストランを営む兄のヒルデンから調理方法を教えてもらったお嬢様の好物をとりそろえた『推し活に励むお嬢様の健康増進メニュー』です。もちろん、栄養のバランスにもしっかり気を遣っています。


「全力で推し活に励むためには健康第一! よく寝て栄養のあるものをバランスよくしっかり食べないとね! それでこそ、推し様がお与えくださる心の栄養もしっかり受け取れるんだもの!」


 とは、お嬢様のお言葉。


 正直、後半は理解しかねますが、前半はまったくもってその通りです!


 エリシアお嬢様の健康はわたくしの手にゆだねられているのです! 責任重大です!


「マルゲ、そんな遠慮をしないでちょうだい」


 遠慮するわたくしを見上げ、お嬢様が哀しげに眉を寄せます。


「マルゲのごはんは世界一おいしいけれど……」


 そんなことはありません。


 有力貴族サランレッド公爵家の令嬢でありながら邪悪の娘とうとまれ、屋敷の離れに押し込められたお嬢様をお支えするため精進してきたわたくしは、並の侍女より有能だという自信がございます。


 ですが、それはあくまでも、侍女としてはできることが手広いだけ。


 料理の腕もヒルデン兄さんのように、本職の料理人にかなうわけではありません。


 だというのに。


「いくら世界一おいしいごはんでも、ひとりきりで食べるごはんは寂しいわ。大好きな人と一緒に食べるごはんが一番おいしいもの! 一緒に食べましょうよ」


 信頼と愛情に満ちた笑顔に、きゅんっ! と胸が高鳴ります。


 お嬢様に「大好き」と言っていただけるなんて……っ! 侍女冥利みょうりに尽きますっ!


 もうっ、お嬢様は本当にお可愛らしくていらっしゃるのですから……っ! あまり愛らしさを振りまかないよう、もうちょっと自覚してくださいませっ!


 きっとレイシェルト殿下にもこんな風に無自覚に微笑まれているに違いません。


 レイシェルト殿下のことを考えると、言いようのない複雑な気持ちに駆られます。



 エリシアお嬢様の「推し様」であるレイシェルト殿下。


 お嬢様は幼い頃から聞きわけがよく、邪悪の娘と蔑まれ、屋敷の離れに追いやられても冷静でいらっしゃいました。


 年に似合わぬ大人びたお嬢様のふるまいに感嘆しつつも、わたくしは心の内でずっと心配していたのです。


 お嬢様は早くも人生を諦め、望みもなく、淡々と日々を過ごすことを受け入れているのではないかと。


 そんなお嬢様が変わったのは、二年前、初めてレイシェルト殿下にお会いしてから。


 王城から帰って来るなり、


「マルゲぇ~っ! 私、推し様を見つけたのっ! 私……っ、これからは全身全霊で推し活に励むわっ!」


 と、謎の宣言をなされたお嬢様は、長年お仕えするわたくしですら初めて見る輝くような笑顔をしてらして……。


 「推し様」も「推し活」も理解できなくとも、大切なお嬢様が幸せにお過ごしくださるのなら、全力でお支えしようと決意したのです。


 お嬢様の心からの笑顔をもたらしてくださったレイシェルト殿下には感謝しております。


 実の家族はおろか、貴族達からも邪悪の娘と呼ばれ、蔑まれているお嬢様を、偏見のない目で接してくださるところも、さすが人の上に立つ御方と尊敬申しあげるべき点です。


 ですが……。


「マルゲ? どうしたの?」


「いえ、何でもございません。お嬢様にご一緒にと言っていただけたのが嬉しくて……。すぐにわたくしの分も持ってまいります」


 思惑しわくの海に沈みかけていたわたくしは、お嬢様のお声にはっと我に返ると、あわてて一礼して、台所へと向かいます。


 自分の分の料理を盆に載せて戻ってくると、なぜかお嬢様がテーブルのそばに立ってらっしゃいました。


「どうなさったのですか?」


「ううん。その……」

 盆をテーブルに置いたわたくしの手を、お嬢様が両手でそっと握られます。


「マルゲ。いつも本当にありがとう」


 瞬間。霧が吹き払われるように、わたくしの心の中に巣食っていたもやもやが晴れます。


 代わりにあふれてくるのは、お嬢様への抑えきれない愛おしさ……。


 お嬢様ったらお心が清らかなだけでなく、笑顔が可愛すぎます!


「さあ、ごはんを食べましょ」

「はい、お嬢様」


 お嬢様の笑顔に応え、わたくしも笑顔で頷きます。


 そうです。レイシェルト殿下と親しくなさることでお嬢様がさらにお幸せになられるのなら、それは侍女としても喜ばしい事態に他なりません。


 一度だけ、直接お会いしたレイシェルト殿下は、人となりも悪くない御方でしたし……。


 いくらお嬢様がお可愛らしいからといって、ぐいぐいと迫るはいかがなものかと思いますが。


 ですが、お嬢様は今のところ、「推し様」以上の感情をレイシェルト殿下にお持ちでないようですし……。


 もうしばらく、見守らせていただくことにいたしましょう。



 ……もし、お嬢様を泣かせたりしたら決して許しませんけれど。



 どうか、大切なお嬢様がこれからも健やかでお幸せでありますように。


 食前の祈りを捧げ、わたくしはにこにことソテーを口に運ばれるお嬢様に続き、フォークとナイフを手にしたのでした。


                         おわり



 推し活一直線な転生聖女のエリシアが語り手を務めるコメディ風味な恋愛ファンタジー、


「転生聖女は推し活初心者! ~聖女なのに邪悪の娘と蔑まれる公爵令嬢は推し活に励み過ぎて王子の溺愛に気づかない~」

 https://kakuyomu.jp/works/16816927860485619096


 は3月末で完結いたしました~! もちろんマルゲも出てまいります!


 もし興味をお持ちくださいましたら、ぜひぜひのぞいてくださいませ~!


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