Chapter1-5 潜入

 そうして、作業服を渡され、翌日にまた同じ場所にやってきた。研修ビデオを見せられ、業務用の掃除機の使い方や、大型のカートのような押すタイプの清掃機具の使い方を教わった。

 それから数日、市ヶ谷の雑居ビルを転々とし、清掃に従事した。トイレは便座の内側から拭く、とか、きつい床の汚れは強く擦るより、液体洗剤をかけて少し時間を置くと簡単に綺麗にできる、など新しい発見があった。


「研修中悪いんだけど、明日欠員が出てさ。朝から出れる?」

 二つ返事で、はい、と答えると、翌朝には前に見たのと同じバンが待っていた。乗り込み、そのまま揺られること十五分。靖国通りから外苑通りを北上して少し、防衛省の薬王寺門にやってきた。ドライバーをする先輩が入場の許可証を貰い、そのまま敷地内に入っていく。


 心臓の鼓動がいつもより早い。落ち着け、焦るな。ここは敵陣のど真ん中。気をつけなければならない。それに、そう簡単におれの欲するものにありつけるとは限らない。

「ヒバリくん。悪いんだけど、今日の仕事に関しては他言無用で」

「……わかりました」

「あと、これ首からぶら下げておいて」


 ネックストラップで、通行許可F群と書かれたカードが入っていた。

今日は冬のくせに太陽が眩しい。作業帽を深く被り、清掃用具が入ったカゴを押して、敷地内を進む。入り口の他に、深緑の迷彩服に身を包んだ隊員が何人かいて、彼らは漏れなく大きいライフル銃を構えている。


そして彼らの視線は、隈なく監視しているようで、一瞬目があった。凄まじい気迫を感じ、すぐに目を伏せた。足がすくみ、冷や汗が流れ始める。何もバレていないはずだ。


「大丈夫、彼らも仕事だから」

 先輩はおれの背中を軽くさすった。

「俺も始めてきた時はヒバリくんみたいにビビり散らしたよ。大丈夫大丈夫、さっさと終わらせて帰ろう」

「……はい!」

「そうそう、今日の担当は、奥にあるF棟の地下だ」


 少し歩くと、ワッフルのようなカケアミの外観をしているF棟に辿り着いた。エレベーターに乗ると、階数は一階から七階までしかなかった。

「先輩、あの、地下って」

「まあ見てな」


 そういって通行証を、階のボタンの下のあたりのある、黒いパネルのような部分にタッチした。そのまま五階を押すと、エレベーターは下に降りていった。

 どんな世界が待っているのか。しかしそれは呆気なかった。雑居ビルのような、普通の通路だ。


 ドアを開けた部屋も、普通のオフィスのようにデスクが並んでいる。仕事内容は至って簡単だった。掃除機をかけ、部屋のゴミ箱からゴミを回収し、地上の指定された廃棄場に運ぶ。その繰り返しだった。

 同じように地下六階の各部屋も実施し、地下七階にやってきた。だが、ここは上の二つのフロアと違って、コンクリートむき出しの通路が続いているだけだった。


「悪いんだけど、俺はこっちのフロアやっから、ヒバリくんはあっちのフロアをよろしく。あと、情報室ってところに個人ロッカーがあるんで、その中身、全部廃棄処分でよろしく」

「あの、鍵はどうすれば」

「警備の人が渡してくれるらしいよ。終わったら車で待ってるから」


 先輩は頑張って、と言って自分の仕事に向かった。

 おれは、掃除用具が入ったカートを引きながら、おそるおそるコンクリートむき出しの通路を進んだ。吐く息が白くなるほどの寒さだ。ヒートテックを厚着してきてよかった。


 少しすると、ドアがあり、警備員が立っていた。ライフル銃を携行した自衛官ではなく、民間の警備会社の格好をしている。

「清掃の者です」

「お疲れ様です。こちら、鍵です」

「お、お疲れ様です」

 鍵を受け取り、「これどこにタッチしたらいいですか」と、通行証を指差した。

「ドアノブの黒いところがリーダーです」

 言われるがまま通行証をタッチすると、ピピッ、ガチャ、と解錠したみたいだ。

「ありがとうございます」


 おれは警備員に会釈し、通路を進んだ。あらかじめ指示されたのは、会議室A、会議室B、情報室の清掃だった。二つの会議室は学校の教室くらいの広さで、椅子と長椅子が折りたたまれ、隅に追いやられていた。掃除機をかけ、ゴミをまとめ、情報室に向かった。


「失礼します」

 情報室に入った。左手にロッカールームがあり、右手は窓がない事を除けば、パソコンが置いたデスクが並んでいる。やはり他の部屋と同じような感じだ。

 ゴミ箱から袋ごとゴミを回収して新しい袋を設置し、シュレッダーの紙くずも合わせて一つにまとめた。


 次にロッカーに向かった。一つの幅は三十cmくらい、ベージュ色で多分スチール製のありふれたロッカーが並んでいる。A10と書かれたタグがついた鍵を持って、同じ文字が書かれている者を探した。


 奥の方にあった。解錠し、戸を開く。裏側には長方形の鏡がついており、おれの顔を映し出した。下にあるフックには青のネクタイがかかっている。ロッカーの中は、下に革靴が一足あった。そして書類やちょっとした小物だろうか、紙袋に入っていた。そして上部にはハンガーには黒いジャケットがかけられていた。


 おれの仕事は、このロッカーの中身の廃棄だ。迷わずジャケットとネクタイをゴミ袋に押し込んだ。そして紙袋を取り出そうとすると、フレームに引っかかってしまった。つい、力を入れてそのまま取り出そうとしたら持ち手の部分がちぎれ、足元に書類が散らばってしまった。


 もういいや。紙束を掴みあげると、何かが二つ落ちた。とりあえず紙束をゴミ袋に放り込み、落ちた物を手に取った。一つはハードカバーの本くらいの大きさで、サーモンピンクのような、朝焼けを彷彿とさせる色をした革装丁の本のような物だった。確か、曙色と言うんだったかな。留め具に鍵穴があり、中身は確認できない。


 そしてもう一つは、東急ハンズなどで売っていそうな、よくある黒革の手帳だった。

 おれは、なんと無くこの手帳を捲ってしまった。最初のページは手書きで《S・HIBARI》と書かれていた。


 これは、親父なのか? 好奇心にはブレーキがかからなかった。何ページか見たが、止め跳ねしっかりし、綺麗にまとまった字で書き加えられていた。間違いない。学校に提出する時、名前や住所を書いて貰った時の筆跡と同じだ。

 手が震えてきた。これは、親父のだ。


 おれはすぐ、天井の方を振り向いた。監視カメラはあるが、ここは死角になっている。だが長居するとこの部屋の者たちが戻ってくるに違いない。

 予備のゴミ袋で革装丁の本と、手帳をまとめてゴミ袋の中に入れた。そして口は軽く縛り。部屋を後にした。


 コンクリートむき出しの通路は、さっき寒い気がする、まるで雪山にいるように全身に空気が刺さってくる。落ち着け。まっすぐ地上に上がるんだ。来た通りに戻ればいいだけだ。

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