第56話 善き人

 バルビエ家に仕え関所の管理に慣れたころ、ガストンはバルビエ領で結構な評判となっていた。


 大男のガストンが馬に乗り巡回すれば嫌でも人目につく。山地の小さな集落で噂になるのは自然なことだ。


「殿様は立派な方だと村でも大評判ですな。小僧こぞうどもが感謝しておるそうで――」


 ガストンの乗る馬を曳いて世辞を言うのは馬丁のイーヴ・サドルだ。

 20代半ほどの男だが背が低く、幼児のようにズボンの裾を踏んで歩く風災の悪い男である。生まれつき鼻が異常な形に潰れており、常に『ぴすー』と不思議な音を発するために周囲から『鳴り鼻』とわらわれている不憫な男だ。


 イーヴは馬の世話のためにレオンからつけられた従者であるので、ガストンを殿様と呼ぶのはおかしいのだが……この田舎者はやや頭もゆるいらしい。どれだけ注意をしても改めないのでガストンも半ば諦めていた。


「小僧どもとは誰じゃい?」

「あれ、あれ、アイツらです。教会に薪を納めた小僧どもです」

「ああ、あの兄弟か」


 イーヴのいう小僧らとは、たまたまガストンが知り合った村の年若い兄弟だ。たしか兄が11才だと聞き及んでいる。

 両親を亡くし、兄弟と祖母は助け合っていたが生活が苦しく、村の教会に納める進物が用意できないと嘆いていた。


 教会への寄進は強制ではないという建前だが、半ば税金である。

 田舎の村でコミュニティの中心となる教会に寄りつけなくなれば死活問題だからだ。


『それはいかん。親がおらんでも人並みのつき合いというのが村にはあるからのう。なあに、教会への寄進はやりようがあるわ』


 そこでガストンが知恵を授けた。

 関所の守備隊は盗賊らが隠れられぬように道沿いの藪や立ち木を伐採し見晴らしをよく保つ。

 兄弟にその作業を手伝わせ、木材にならない枝や木片を集めるのを黙認したのだ(もちろん手伝いの報酬として兄弟と祖母の食事も与えてはいる)。


 ものの役にも立たない木っ端でも干せば薪になる。

 教会でも煮炊きをするので量さえあれば『薪を物納』として立派な寄進となった。

 これは特別な知恵ではない。ガストンもきこりをしていたころは薪を教会に納めたものだ。


 妻のジョアナも「良いことをなさいましたね」とガストンの小さな親切を喜んでいた。新婚のことであるし、ガストンも頭を掻いて大照れである。


「俺も親父が早くに死んだからのう、村では苦労したわ」

「まあ、そうでしたか。私も領内の孤児には気をつけて見守ることにしましょう」


 何気ない日常のワンシーンである。

 ガストン自身が早くに父を亡くし苦労をしたため、似た境遇の兄弟に同情して一時の世話を焼いただけだった。


 それ以後の兄弟は関所でかわいがられ、雑用などをしながら隊商の仕事を手伝っているそうだ……ここからはガストンはあまり関わっていないのでよく分からない。


 だが、これを兄弟が正直に教会で告げたところで様子が変わる。

 教会を管理する中年の助祭がいたく感心をしたらしいのだ。

 どうも兄弟らに自活する方法を与えたことが助祭の琴線に触れたらしい。


『ジョアナ様の婿であるヴァロン様は村の孤児になさけをかけ、自活の方策を教えた。これは施しをするよりもなしがたい施行である。なんと思慮深く高徳の騎士であろうか』

『一日の食を乞わず、千日の食を得るために努力をした少年らの勤勉さは神の愛するところである。それを導いたヴァロン様はまことの信者である』


 これらに教会への支援者であるバルビエ家に対するリップサービスが含まれていたのは否めないが……前述の通り教会とは地域コミュニティの中心である。

 ことあるごとに助祭が努力して自立した兄弟を褒め、ガストンの高潔さを称えれば村人は『どうやら立派な人らしい』『えらく知恵者だそうな』『何やら体も大きく頼もしげだ』と勝手に尊敬をはじめた。


『善き人である』


 これがバルビエ領でのガストンの評価となったのだ。

 そうなれば領内を巡回するガストンを見かけた領民は用もないのに話したがり、何かにつけて相談ごとを持ちかけた。


 この『善き人』という概念は複雑であり『人格が優れている人』『頼みがいのある人』『頭の良い人』『信心深い人』といった意味合いを内包している。

 よって、雑談混じりにガストンへ寄せられる相談ごとというのも一貫性がなく奇妙なモノばかりであった。


「昨年は大きな戦がありましたが、今年はどうでしょうか?」

「春が遅いようですが、今年のものなり・・・・(農作物の収穫量)はどのくらいでしょうか?」

「隊商に出た息子の帰りが遅いのですが、いつごろに戻るでしょうか?」


 これらの質問に対してガストンは答えを持っていないが、このくらいは『まだまし』である。答えようのある質問だからだ。


「助祭様の言われる神の救いとは、どのようなものでしょうか?」

「息子のせきが止まりません。治しては貰えぬでしょうか?」

「母の形見の縫い針を失くしてしまいましたが、どこを探したものでしょうか?」


 中にはこうした相談ごとに頭を悩ませることも多々あった。

 ガストンは医者でも、まじない師でもないのだ。病魔退散や失せ物探しは門外漢である。


『しばらくは先の戦で転んだ領主らがこき使われるだろうが、よほどの大戦ならば話は別だわな。レオン様から戦の話を聞きつけたら教えてやるわ』

『涼しすぎるとものなり・・・・は悪いかも分からんぞ。今のうちに乙名衆で相談するがええ』

『隊商のことは詳しくねえからジゴーさんに聞いてやろう』

『神様のことは助祭さまに尋ねるがよかろう。助祭さまの話は難しいが……何というか、ためになるはずだわ』


 以前ならば『やかましい』と怒鳴りつけてしまいそうな相談ばかりだが、今やガストンも領主の身内である。

 女房のためだとばかりに顔を引きつらせながら穏やかに対応した。


 とはいえ、ガストンの回答はいつも『分かる者に聞け』これだけである。

 なにしろガストンは庶民派ですらなく庶民そのものである。

 領民たちと知識や感覚も近く、難しい話など何もできはしない。


 だが、領民たちからすれば相談ごとなどは問題の解決を期待していない。

 田舎の村は生活に変化が乏しく、とにかく娯楽に飢えている。

 なんとなく領民たちは『立派な騎士であるヴァロン様』に話を聞いてもらえるだけで満足し、喜んだ。

 騎士が親身になって自分の話を聞いてくれる、それは稀有なことなのだ。 


 彼らにとってガストン・ヴァロンは主君の姉婿であり、戦上手な騎士である。

 誰もガストンのことを庶民だとは考えていない。


 ガストンはこの地で『成り上がりの元樵ガストン』から『バルビエ家に仕える従騎士ヴァロン』へと脱皮を始めたともいえるだろう。


 現在のバルビエ領は横の国とは違いビゼー伯爵の武威が行き届いている。

 たまに盗賊退治や小さな陣触れはあるが、隣領の豪族と争うこともない。


 ガストンは馬術を稽古し、家来や兵士を鍛え、領民と親しんだ。

 妻のジョアナはガストンが『無愛想だが世話好き』だと思い込んで(お節介で城から救われた彼女が勘違いするのは無理からぬことではある)積極的に家臣や領民を関所に招いて食事をふるまった。


 この平和の中で数年が過ぎ、ガストンは27才を迎えることになる。

 初陣よりわずか10年。

 凄まじい密度で駆け抜けた10年はガストン自身にも立場にも大きな変化をもたらした。

 これは10年前の誰もが考えもつかないような立身出世なのだ。

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駆けろ雑兵〜ガストン卿出世譚 小倉ひろあき @ogura13

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