第25話 今年もよろしゅうおたのもうします(完)

 そして三日、やっと親戚一同が帰って、無事本家の六人だけに戻った。ほっとひと息だ。


 家族六人で三嶋大社に初詣に行く。


 三嶋大社とは三島駅から徒歩十分の距離にある長い歴史をもった大きな神社である。静岡県の伊豆地方では最大の神社だ。平安時代からの縁起があり、古くは源頼朝が手を合わせたという言い伝えが残っていて、宝物殿には北条政子が寄進したという化粧箱などが納められている。


 正月の三嶋大社は例年伊豆半島の人間が全員集まるのかというほどの大にぎわいだ。専用の駐車場はこれを見越して閉鎖されている。近隣のコインパーキングも全部埋まってしまい、三島市の中心部全体にすさまじい渋滞が発生する。そういう状況を鑑みて、池谷家は沼津駅周辺のコインパーキングに車を止め、三島駅まで電車で移動し、駅から歩いた。


 三島の街は美しい。街中を網の目状に清流が流れていて、空気がひんやりしていて澄んでいるように思われる。神社と川の街三島――何か清浄な世界なのかもしれない。駅から神社へ通じる道は整備されていて、ゆかりのある歌人や文豪の言葉の刻まれている石碑が並んでおり、左手には水が流れていた。鴨がゆったりと泳いでいる。


 今日もこの辺は暖かい。空は晴れて太陽がぎらぎらと照りつけていた。実質的な気温はおそらく10℃と少しだろうが、体感気温が高くて、厚着しているのでじんわり汗をかく。


 辿り着いた三嶋大社は鳥居の周辺からひとつ目の門までびっしりと縁日の屋台が並んでいた。父と兄が今からフライングして「俺チキンステーキ食べたい」「俺はドネルケバブ」などと話し合っている。祖母が「はいはい、お参りが済んだらね」とあしらう。


「やっぱり」


 母が厄年を警告する看板を見て溜息をつく。


「やっと大樹が後厄抜けたと思ったら椿が前厄だよ。きちんと厄除けのお祓いしてもらわなきゃ」


 兄は能天気な顔で「別に厄年感じなかったけど」と言う。疫病神も裸足で逃げ出す男なのである。


「ここで厄除けしてもらったからよかったのよ」

「へえへえ」


 信心深い椿が「お祓いしてもらう」と困った顔をする。父が「俺も商売繁盛で祝詞を上げてもらうから一緒に並ぼうぜ」と言う。椿が二度三度頷いた。


「とりあえずお賽銭投げてからだな」


 一同で門をくぐる。神楽の舞台の向こう側に人だかりが見える。手を合わせる参拝客が作った行列である。奥、拝殿の手前に、普通の賽銭箱では間に合わないのか青いビニールシートで覆われた巨大な箱が置かれていた。

 この行列が長い。一同は並びながら適当に新年の抱負などを語らった。母が、体脂肪率20%、などとのたまう。気合の入ったアラフィフだ。兄はTOEICのスコアなどを口にするが、何にも考えていない父と向日葵は話すことがない。笑って「そんなこと言ってプレッシャーになったら不健康だから」と言ったら、祖母に「若者が何の目的もなく生きるのはもったいない」と言われてしまった。


「毎日一時間四キロ歩く」


 そう宣言した椿が称賛された。いいことだ。


「じゃあ、一ヵ月に五冊本を読むとかにしようかな」

「おっ、いいねいいね。教養教養」

「俺は一ヵ月に五本映画を見るとかにしようかな」

「とっくに身についていることをいまさら」

「まあまあ維持すると言うならいいでしょ。教養教養」


 そうこうしているうちに最前列に来た。

 まず祖母と両親が手を合わせる。母が何を頼み込んでいるのか父と祖母より長い時間頭を下げている。

 三人が退くと、兄、向日葵、椿が並んだ。

 五円玉を投げた。

 二礼、二拍手、一礼。そして、祈る。


 椿が健康でいられますように。


 健康でさえいてくれれば、ずっと一緒にいられる自信があった。入院しない限りは、三百六十五日一緒にいられる自信があった。


 どうか神様、わたしから椿くんを奪わないでください。


 毎日元気で。ご飯を食べて、お風呂に入って、寝て。時々愛し合って。笑って、笑って、笑って、たまに泣いて。

 それだけで、きっと幸せ。


 おまけに他の家族の健康も祈っておく。特にやんちゃな兄が交通事故などを起こしませんようにと願う。ついでに自分自身も大過なく過ごせますように。


 目を開けると右隣にいたはずの兄の姿はすでになかった。左隣では椿が目を閉じて何かを一心不乱に祈っている。

 後ろにいる人たちの邪魔にならないよう、人の流れに沿って二、三歩右にずれた。

 向日葵が完全に人の流れを外れてから、椿が目を開けて向日葵を探してきょろきょろする。手招くと歩み寄ってきた。向日葵はにこりと微笑んで「お守り買いに行こうか」と言った。


「何をそんなに熱心に祈ってたの?」


 問いかけると、椿もにっこり笑って答えた。


「自分の健康。元気でいられたらひいさんと一緒にいられるとおもてるし」


 思わず声を上げて笑った。


「わたしも。わたしも椿くんの健康を祈った」

「ほな叶うな。今年一年は入院しない」

「よしよし。それだけで十分だ」


 歩きながらそう言って、はっとする。


「椿くん」


 立ち止まった向日葵に気づかずに一歩踏み出していた椿が、一歩下がって戻ってきた。


「なに?」

「わたしね」


 ぎゅっと、拳を握り締める。


「去年の十二月、いっぱい考えた。どうするのが椿くんの幸せなのかな、って。わたし、椿くんがだいすきすぎて、過保護にしてないかな、って。豪には母性とか言われちゃうし、椿くんのママになってたらやだな、って思ったんだよ。椿くん窮屈じゃないかな。でもわたしは椿くんをいっぱい甘やかしたい」


 そんなことを告白すると、ようやく胸のつかえが取れた。

 そう、椿も来月二十三歳の成人で、そこに上下関係があってはいけないのだ。

 対等であるということが、夫婦であるということではないのか。

 どうもうまくいっていない気がして不安だった。

 どうするのが一番いいのか、椿本人に聞くのが一番手っ取り早い。


 真剣な目で椿を見つめていたら、椿も真剣な目で向日葵を見つめ返した。


「なんや、そんなこと考えて悩んでたんか。ストレートに言ってくれればええのに。聞いてくれれば答えるのに」

「今聞く。椿くんはわたしがどうしたら幸せかな?」


 すると椿は真顔で答えた。


「誰とも口を利かないでほしい。誰とも目を合わせないでほしい。永遠に僕のことだけ見ててほしい。二人きりになるために世界中の人間を排除したい」


 とんでもないヤンデレだった。鳥肌が立った。

 椿が手を伸ばし、向日葵の手を握る。


「できひんやろ」

「うん……」

「僕もわかってる。そやから僕も大人にならんとあかん」


 向日葵の額に額を寄せた。


「ええやん。いっぱい甘やかしてもろて毎日気楽に暮らしてる。そもそもどんな感情であれひいさんの気持ちが僕に向いてるんやったら僕は幸せやし」


 ほっとして、椿の唇に唇を寄せた。


「なんだ。じゃあ無理して変わらなくていいんだね」

「そう。無理して変わらんでええんやで」


 前方から声をかけられた。


「ちょっと、ひま、椿! あんたたちこんなところで何してんの!」


 母の言葉で我に返った。周囲を見渡せばいつの間にか人が自分たちを避けて歩いている。こんな混雑した中たいへん申し訳なかった。

 二人で歩き出す。手は握ったままだ。


「今年もよろしくお願いします」

「こちらこそ、どうぞよろしゅうおたのもうします」


 空は晴れた底抜けに青い空だった。気温はこれからまだまだ上がりそうだ。



<完>

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太平洋は今日も晴れ ~ホワイトクリスマスなんて都市伝説です~ 日崎アユム/丹羽夏子 @shahexorshid

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