参.恋は一瞬にして

「美乃利さんっていうんですね」

 とても素敵な声で私の名前を呼ぶ男性がいる。

 私は先ほどまでの死んだ顔が嘘のように、乙女のような顔になっていた。

 なぜなら、夢に見たようなイケメンが目の前にいるから。

 私の名前を呼ぶのだから。


「……はい」

 私は精一杯の可愛い声で相手に返事した。

「僕の事は、コウって呼んでください。でもよかった……美乃利さんがいてくれて」

 コウさんは私と同じで、いつの間にか樹海にいたそうだ。

 周りは木々ばかりで、暗かったのでこのお花畑から離れられなかったそうだ。

「こっ、コウさん……」

 私は腹の底から絞り出すように声を出した。

 このまま天国に行ってもいい気がする。

 それほど今までの中で一番素敵な呪いなのだ。

「そんな感じの花束で良いんじゃないですか⁇」

 そう言うとコウさんは私の手の方に視線を向けた。

 私の手には、まるで花屋で作ったような花束が出来上がっていた。

 野花がまるで、自生された花のように綺麗に並び、生き生きして輝いている。


「そう、ですね!!」

 頭の中では結婚式で投げるようなブーケをイメージしていたが、そこまでのクオリティにはならなかった。

 だが、気持ちはそれほどだ。

 もう、これは運命なのだ。

 このまま樹海から出れたら、二人で教会に走っていかねばならない。

 妄想がどんどん膨れ上がっているが、言葉にしたらドン引かれるかもしれない。

 言葉を心に秘めて、笑顔で相手を見つめた。

「じゃあ、行きましょうか」

 そう言うと、コウさんは立ち上がった。

 そして、座っている私に手を差し伸べてきた。

 今の状況を抜粋すれば、私の人生は薔薇色だと言える。


 あのるみたんよりも幸せだろう。

 私は漫画のヒロインのように頬を赤くするだけはできないので、顔を真っ赤にしながら手を掴んだ。

 コウさんは掴んだ反対の手で背中を支えてくれていた。

 立ち上がった私は、どこぞの姫のような気分だった。

「はい。頑張って抜け出しましょう」

 私は今一番の笑顔をコウさんに向けた。


 ここからは特段何も無かった。

 暗い木々に蛇や大きな蜘蛛の巣、木の枝が棘のように道を覆っているくらいだった。

 何かしら目の前に立ち塞がる度に、コウさんは『美乃利さん』と呼んで待つように言うのだ。

 そして、私が通れる道を作る、もしくは見つけて手を引いてくれるのだ。

 こんな素敵な人は、世界にコウさんだけだと思う。

「コウさん、怪我はしてませんか⁇」

 ドラマの主人公のようなセリフを言っている気がする。

 ドラマの主人公は基本的に、真っ白で綺麗なキャンパスの心を持っている。

 今の私なら、ホラー小説なんて言葉を聞いたら泣いてしまうくらい心が真っ白なのだ。

 もし突然泣いても、慰めてもらえるだろう。

「大丈夫です。それより、道はこっちで大丈夫でしょうか⁇」

 いつの間にか繋がれた手に、私は心臓がドキドキとしていた。

 これまでの人生で、良い事が起きそうな時ほど落ちがついてきた気がする。

 だが、今回はそんな事はない。

「コウさん……もし、樹海から出れたら……」

 そう言って私は言葉が詰まってしまった。

 もし、樹海から出れたら手を叩き落とされて、彼女の元に行ってしまうかもしれない。

 そこまで聞いていないが、こんな素敵な男性だ。

 絶対に相手がいるに違いない。


「樹海を出れたら……日を改めて遊びに行きませんか⁇」

 そう言いながらコウさんは立ち止まり、私を見つめてきた。

 優しい微笑みに私は心臓が爆発しそうだった。

「はっ……はい!!!!」

 こんなに幸せでいいのだろうか。

 いや、良いのだろう。

 今までがあんな感じだった……やっと幸せが訪れてきたのだ。

 これってデートですかって聞きたいけど、そんな事を聞いて今の良い雰囲気を壊したくない。

「……なんか照れますね」

 そう言うと、コウさんは前を向いて再び歩き始めた。

 どうしたのだろうと見つめていると、コウさんの耳が徐々に赤くなっていった。

「いや……女性と遊びに行く約束なんて、初めてなので」

 その言葉に、私も釣られて顔が赤くなってしまった。

 今度、遊ぶ時はデートだと言っても問題ないのかもしれないそう思うと嬉しくなり、私は自然と微笑んでしまった。

 こんな真っ暗で木々が生い茂った場所も、まるでメルヘンの世界を歩いているような気分だ。

 覆う木がまるで祝福をしてくれているように、キラキラと輝いて見えるのだ。


「あっ!!」

 コウさんが声を上げた。

 私はコウさんから目を離して、前を見ると道路が見えた。

「あっ出れた!!」

 私とコウさんは樹海から脱出できたのだ。

 もしかしたら、山田は恋のキューピットで、私に旦那を見つけるためにこの花束を作らせたのかもしれない。

 私は手に持っている花束を見つめて微笑んでいた。

「良かったですね。やっと出れて」

 私は花束に鼻を近づけて、嗅いでみた。

 今までならそんな事を思わなかったが、こんな事をするのも良いだろう。本当にヒロインになった気がして嬉しくなっていた。


「……コウさん⁇」

 ふと、コウさんから返事が無い事に気付いて、彼を探した。

 コウさんは何かをじっと見ていた。

 私はその視線の先に、ゆっくりと視線を合わせる。


 もし、そこに彼女が居たりしたら、私はいつも通り発狂してしまう。


 どうしようかと思っていると、そこには電柱があるだけだった。

 私は誰もいなかった事に安堵あんどした。

「……美乃利さん、ありがとう」

 突然、コウさんが私にお礼を言ってきた。

「えっ⁇」

 何に対してのお礼かわからずに戸惑う私を余所に、コウさんは話を続けた。

「僕、今までずっと家の為に仕事ばかりで、何も思い出が無かったんです」

 寂しそうな顔をするコウさんに思わず私は涙を流しそうになった。

に……素敵な思い出をありがとうございます」

 そう言うとコウさんは、私に頭を下げて身体を抱き寄せたのだ。


 とは何だろうか。


 抱きしめられたはずなのに、コウさんから温かみを感じない気がするのだが、気のせいだろうか。

 そう言えば、手を繋いだ時も温もりとかそんなものを感じた気がしない。

「その花束のおかげで、導かれたんですね……やっと戻れた。これで、帰る事ができます」

 そう言うと、コウさんは私から離れて電柱の方に向かった。

 戸惑う私の目の前で、コウさんは電柱に入っていくように消えた。


 どのくらい電柱を見つめていたのかわからない。

 だが、もうここにいても意味はないと思った。

 私は電柱に近づき、花束を置いた。

 そして、静かに手を合わせるのだった。

「……帰るか」

 私は立ち上がり、ゆっくりと家に向かって歩き始めた。

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