伍.人の感じる幸せはすべての人が幸せとは限らない

 家に入ってすぐ床にへたり込んでしまった。

 さっさと風呂に入ろうと思っていたのだが、スマホ以外持っていなかった私に、玄関に入る術がなかった。

「……今回、酷くないか⁇」

 仕方なく大家さんの家の前で六時になるのを待っていた。

 私が住む今にも幽霊が出そうな小さなマンションは大家さんが全室のマスターキーを持っていて、殺人や死亡事故、夜逃げ等合った場合に即対応できるらしい。

 そう説明を受けていたのだが、今思うとかなり物騒な場所な気もする。

 だが、今回ばかりは助かった。

 六時頃になると大家さんが犬の散歩に外に出てくるので、それを待ち伏せしているとまだ時間ではないのに出てきたのだ。

 犬ではなく、ほうきを持って。


「おぉっ、美乃利ちゃんかい」

「大家さん、おはようございます……」

 家に入れなくなった旨を伝えるとすぐに鍵を持ってきてくれて、玄関を開けてくれた。

「いやー、最近お化けやら不審者やらの話があったから、とうとうここにも出たのかと思ったよー」

 にこにこと優しい笑顔の大家さんだが、パシパシと音を立てている箒が凶器にしか見えずに怖かった。

 こうして家に入れたわけだが、一昨日からの疲れがどっと出たようだ……眠いのだ。

 ただ、せめてお風呂に入ろうと重たい身体を無理やり動かして、風呂場まで行った。

 お風呂の準備をしている時、視線を感じたのだ。


 振り返るが……何もない。

 気のせいかと思い、風呂に入るがまた視線を感じるのだ。

「これは……」

 見えない何かの視線、それは今回の物語で呪いが成功した時に起きる現象だが、まさか成功したのだろうか……。

 だが、後ろを振り返ったところで何も出ないのは分かっている。

 そう、私はこの視線を送るやつの居場所をなんとなく予想できている。

 無言で風呂を出て、そそくさと着替えてドライヤーをしている時もずっと視線を感じる。

 私は鏡越しに先ほどまで入っていた風呂場に視線をずらす。


「っっっ!!」

 一瞬、ドライヤーを落としそうになったが必死に掴んで続ける。

 お風呂場のドアは閉めたはずなのに、少しだけ空いているのだ。

 そこから覗いているのだ……真っ黒い目が。

 やはり呪いは成功していた。

 しかし、何故私のところに来ているのだろうか……もしかしたら、儀式の邪魔をしたせいだろうか。

「大丈夫、まだ攻撃されない……まだその時ではない……」

 産まれたての小鹿のようにガクブルしながらお風呂場を後にして、キッチンまで早足で歩いた。

 落ち着こうと冷蔵庫から水を出し、勢いよく飲み始める。


(気のせい、気のせい、気のせい……)


 ふと、冷蔵庫と壁の隙間に目をやると、そこにまた真っ黒い目が見えた。

 驚きのあまり、水を噴いてしまった。

「……やばっ」

 噴いた水は真っ黒い目の方に直撃してしまった。

 何が起こるかわからない状況に全身が凍り付いてしまった。

 だが、予想と反して真っ黒い目は悲しそうな目をしながら消えたのだ。

「……えっ、除霊⁇」

 幽霊の姿が消えて、ほっとして部屋に戻り布団に転がる。


 目の前に真っ黒い目に水浸しの長い髪を垂らす女がいた。

 確か小説ではいつも不気味な笑顔を向けてくるはずなのに、今にも泣きだしそうな顔でこちらを見ている。

 まるで何かを訴えるかのような悲しい目を他所に、私は布団を被って震えながら眠りについた。


 起きたのは夕方頃だった。

 お腹がすいたので買い出しに出ようと準備をしていた。

 その時も後ろからの視線が痛いほど刺さっていたが、気にしないようにした。

 穴の開いていないジャージに着替えて外に出ようとすると、後ろからため息が聞こえた気がした。

 一瞬振り返りそうになったが、怖いのでそのまま外に出た。

 信号待ち、踏切、危険運転の車や自転車、あらゆるものに気を付けながらスーパーに向かうがおかしな事に何も起こらないのだ。

 ずっと後ろから視線は感じるし、来ると構えていたのだが何も起こらないのだ。


「ギャッ!!」

 そんな事を考えていたら、突然背中を押された。

 運が良いのか悪いのか目の前の人にぶつかり、何とか体制を立て直せた。

「す……すみません」

 ぶつけられた相手はゆっくりと振り返ってきた。

 近場の高校の制服を着ているので、金髪のイケメン高校生なのだろう。

「……大丈夫っすか」

「ひっ、いえ、だ……大丈夫ですすみませんっっっ!!」

 勢いよく頭を下げてそそくさと逃げだした。

 あまりのイケメンぶりに鼻血を出して死ぬかと思った。

「はっ!!まさか……」

 立ち止まり、幽霊の方に振り返る。

 私には普通の事故に遭うより、恥ずかしい死に方をさせたいのかと幽霊を睨む。

 幽霊はまたも悲しそうな目をしながら消えていった。


 その後も奇妙な事ばかりだった。

 道を尋ねてくるイケメンの外国人やボールを取ってくださいと駆け寄ってくるイケメン小学生など、すべて私好みのイケメンが寄ってくるのだ。

 その度、必死に逃げているのだが、幽霊が何をしたいのかわからなかった。

 やっとの思いでスーパーに辿り着き、卵とショウガのチューブ、長ネギを買い物かごに詰め込んだ。

 後はひき肉を取ろうと手を伸ばすと、反対から手が出てきた。

 いい加減イケメン地獄には慣れたので、強気に相手を見る。

 相手は高身長でかなりの筋肉質、今にも誰かを消してやると言わんばかりの強面なお顔にスキンヘッド……白目を剥きそうになった。

「あっ……どうぞ、お嬢さん」

 見た目に似合わず透き通るようなイケメンボイスだった。


 買い出しも終わり、自宅への帰路を魂が抜けた状態で歩いてた。

 確かにイケメンとの出会いは最高だが、現実で起きるのは地獄でしかない。

 こういうのは免疫のあるヒロインにお願いしたい。

 もう少しで家に入るという時、自転車のひったくりが勢いよく私のカバンを盗った。

 地面に転がる私、そして私の横に突如として現れた野球少年。

 その野球少年が投げたボールはひったくりの頭に当たり、自転車ごと倒れたのだ。

 そしてひったくり犯を誰かが抑えている間に野球少年は私のカバンを持ってきてくれた。

「お姉さん、大丈夫ですか⁇荷物、取り返しましたよ!!はい」

 キラキラ輝く野球少年のイケメンに渡されたカバンには、グシャグシャの長ねぎだったものに、袋からはじけ飛んだひき肉、割れに割れた卵が入っていた。

 ショウガのチューブに至っては、物自体が無くなっていた。

「……なっ」

「えっ⁇」

「ふっざけんなよマジでこのくそ野郎がぁぁぁぁぁぁっ!!!!」

 その場で大泣きしながら叫んでしまった。

 野球少年は引き気味ながら私を落ち着かせてくれていた……本当に悪い事をしたと思う。

 元凶の幽霊は私が大泣きしている辺りから姿を消した事から、逃げたのだと思われる。


 家に帰って泣きながら布団に入ったのだが、そのまま寝てしまった。

 ふと目覚めると外は真っ暗で、もう冬なのかというくらい寒い。

 布団を引っ張って包まるがそれでも寒い。


(これは……あれか……)


 泣き腫らした目は思った以上に開かないが、そんな事を言っている場合ではない。

 私は布団からゆっくりと起き上がった。

 小説の中では主人公が襲われる恐怖のシーンだが、私はここでやつと戦ってやるつもりだ。

 食べ物の恨みは怖いのだと思い知らせてやる。

 こんな嫌がらせをしてやつになんの得になるかわからないが、やられた以上はどんな事をしてでも勝ってみせる。

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