陸.私の唯一の読者様

 どのくらい待ったのかはわからない。

 暗闇から少しずつ黒い影がこちらに向かってきている。

 すっと首の周りをチクチクする何かが巻かれた。

 痛いというよりかゆい。

 こんな変な攻撃にも負けじと黒い影を見つめる。


 影からは少しずつ白いものが出てきた。

 鼻に口、目の順にゆっくりと見えるようになった。

 白い肌には血管のような無数の黒い線があり、鼻は折れ曲がり、口は……口は……への字のように固く閉じていた。

 目はどこまでが瞳なのかわからないほど真っ黒だが、悲しそうな目をしており、そのせいで目の周りの赤いのは泣いた後のように見える。

 それは、長い髪にボロボロの黒いワンピースの姿で私の目の前に現れた。

 しかし、いつになっても傍に寄ってこない。

 いつ来るのかと見ているとやつはゆっくり私の首元を指差した。


(あれ……指差す⁇)


 確か、小説では首の周りにまとわりついているのは、岩みたいな手ではなかったかと首元を見る。

 そこには編み込まれた髪の束があった。

「はっ……⁇」

 一瞬何が起きたのか分からずやつを見ると、不気味な笑顔を浮かべていた。

「……毛、痒いし……まだ季節的に……早くね⁇」

 そう言うと、先ほどまで浮かべていた不気味な笑顔がいつもの悲しそうな顔に変わった。

「さっきの……おび……⁇……ありがとう」

 混乱しつつ何となく言ったのだが、やつはまた不気味な笑顔を浮かべて消えていったのだ。

 毛マフラーだけを残して。


「……と言うわけなんですよ」

「はぁ、お疲れ様です」

 山田との打ち合わせの日、私は山田にこれまでの出来事を説明したのだが、山田は真剣に話を聞かない。

「山田さんは私の心配をしないんですか⁇」

 不機嫌な顔をしながら山田を睨むも、山田は私の後ろの方を見ている。

 本当にこいつは人の話を聞かないやつなのだと落胆した。

「まぁ、今回は海藤さんに問題なさそうなので、良かったじゃないですか。というか、その幽霊のプレゼントを身に着けてくるのはどうかと思いますよ」

 私が家から外に出る際、やつは目の前に何度も毛マフラーを落としてきた。

 やつを見るたびに切ない目をしていたので、仕方なしに寒くもないのにマフラーをする羽目になったのだが、着けたら不気味な笑顔で消えていった。

 そんな経緯があるというのに、本当に山田は冷たいやつだ。

 ただ、今回は小説の話が現実世界で起きている。


 ……多分。


 ……夢でなければの話だが。


 現実ならば山田に頼る事だってできるはずなのに、こんなに冷たいやつでは役に立たなそうだ。

 まぁ、言ってみてどう反応するかで決めようと思った。

「……山田さん、あのですね」

「はいっはぁーい。お待たせしましたぁー!!森山キラッキラカフェっでーす!!」

 私の声を遮るように大きな声で私達が座る席にグイっと人が飛び出してきた。

 思わず後ずさってしまったが正解だ。

 この声はあの電話のチャラ男だ。

 イメージ通りの茶髪にピアスが沢山ついていて……イケメンだ。

 あまりの恐怖に全速力で逃げるように片づけて去ろうとした時、ふと思いだした。

「あっ、山田さん」

「はい、なんでしょう」

 相変わらず冷めたやつだが、これだけ言っておかなければならない。

「少しの間になるとは思いますが、身の回りに気を付けてくださいね」

 山田のはっと言う冷たい声を後ろに私は出版社を颯爽さっそうと逃げ出した。


 この前の友人に山田が会う事があったら、もれなくボコボコにされると思ったからだ。

 あの海で久々に会った彼女は、曲がった事が大嫌いで特に男には厳しかった。

 そして、近々彼女に会う可能性があると考えると、山田と出くわす確率が高いので、念のために警告した。


 出版社を出た時、目の前にやつがいた。

 こちらを見ながら不気味な笑みを浮かべていた。

 これは、何か嫌な予感がすると思った時、突然手を引っ張られた。

「見つけた!!」

 本当に勘弁してほしいと振り返ると、そこには息を切らしながらもこちらを見つめる男性がいた。

 黒髪のショートヘアで、清潔感のある服装の平凡な男性だ。

 とうとう私に運命の人が現れたのかとときめきが始まる瞬間だった。

「この前、海にいた人ですよね⁉」

 彼は、ゆうくんだったのだ。


 場所を変えて、喫茶店に入った。

 勿論もちろん、アイスミルク一択で。

「で、ゆうくんは何かありましたか⁇」

「えっ、ゆうく……⁇あっはい、実はあの後から怪奇現象が多発していて……」

 内心やっべぇと思ったが、ゆうくん本人も流してくれたので、そのまま話を続行した。

「あなたにもあの女の幽霊が襲いかかっているのではないかと思い、必死に探していたんです!!」

 ゆうくんの身の回りでは、やつは暴れているようだ。

 だが、私の方では襲い掛かるような事は何も起きていないので何も言えない。

 ゆうくんをじっくりと観察すると確かに擦り傷や切り傷、膝辺りが汚れているのが分かる。

「どうすれば、彼女を止められるのか……このままでは愛佳と僕、そしてあなたも死んでしまう!!」

 まだそんなに日数も経っていないのに、切羽詰まりすぎではないかと思い、何をしたんだとやつを見る。

 やつは先ほどまで不気味な笑みでこちらを見ていたのに、私に見られた途端、そっぽ向いて姿を消した。

「やつを止める方法は分かるけど……」

「本当ですか!!……もしかして作者さんの知り合いですか⁉」

 私の言葉にゆうくんは喰らいついてきた。

 こんなに驚かれるのも不思議だが、なぜ作者が出てきたのだろうか。

 小説では、ただの噂話だったのに。

「いや、あれを書いたのは私なので」

「えっ⁉」

 ゆうくんは驚いた顔でこちらを見つめる。

「あっ……あの!!」

「はい」

 よくわからないが、ゆうくんは好意的な目線を送ってきていた。

 そういう好意的な目線には慣れていないので、緊張が走る。

「愛佳が……あなたの小説のファンなんです。僕もたまたま同じ小説を読んでいて、それで大学で小説の話で意気投合して付き合い始めたんです!!」

 衝撃的な話に私は声が出なくなった。

 あの忌々しい作品を読んで、カップル成立とはどのような呪いにかかったのだろうかと。

「それで、一周年記念に作者さんの小説の場所を探して聖地巡礼しようって話をして、あそこに二人で行ったんです!!」

 あいたんとゆうくんの世界では、私の作品は神格化しているのであろうか。

 私の作品をこんなに愛してくれている読者がいる事に涙を流し始めた。

 すると、ゆうくんは焦り始めた。

「すっ、すみません!!自分達の話ばかりして……作者様はこんな話を聞きたくないでしょうに……」

 悲しそうに俯くゆうくんの肩を叩き、涙ながらに答えた。

「違う……嬉しくて……私の読者のあいたんは……⁇」

 そう言うと、ゆうくんははっとした顔をした。

「そうだ、愛佳が危ないんです!!僕が交通事故に遭いそうなのを庇って怪我してしまって……今病院で治療を受けているんです!!」

「えっ⁉」

「愛佳が事故に遭った時に『サイゴ』って言われたんだそうです!!だから、あなたも危ないと思って、探していたんです……」

 確か二日くらい猶予があるはずなのに、最後ってどういう事だろう。

 彼らは九死に一生の事件ばかり起きてそうなのに、私はヒロイン死などというぬるま湯な事件だった。

 私の大切な読者のためにも、私は頑張らねばならない。

 私はゆうくんの肩を叩いて強く頷いた。

「今から彼女を除霊しに行こう」

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