第6話 遥か遠くの宙より

 街はずれのとある大学の研究室には、誰もいなかった。つい昨日までは多くの学者が廊下を行きかい、ひと月前に落ちた隕石のことを調査していたのに。

 今や静寂だけがその場を支配し人間は一人もいない────人ではない、唯一廊下を歩く侵略者を除いて。


 隕石から突如現れた侵略者に手近に居た女性研究員が乗っ取られ、後は大学の研究室全域から人間が消えるのはほんの一瞬のことだった。


 侵略者の大元はついに目覚めた。

 宇宙空間をワープで移動するにしても、地球にたどり着くまでに五百年かかったのだ。侵略者は長い睡眠をとることでその時間を潰した。代わりに完全に目を覚ますまで時間を要したが、その余韻も終わりを迎える。


 かつかつかつ。


 白衣の女性研究員以外の足音はしない。

 女性の風貌は茶髪の長い髪を後ろでまとめるポニーテールで、化粧も薄く地味な容姿をしている。もっとも、侵略者にとっては“入れ物”の外見など至極どうでもいいことであったが。


 侵略者は自分の身体からいくつも分け身を作った。そして大元が眠っている間、偵察を兼ねてこの惑星で自由に暴れさせた。

 だが分け身の考えた地球捕食計画はいずれも失敗し、ここの研究室の教授であった分け身も帰ってこない。

 しかしその記憶は全て引き継がれ、偵察としての役割は十分だった。


 「さて、こちらも全力を出すとするか」


 これからやることは単純だ。侵略者はこれ以上惑星の防衛機構が働く前に一気に片を付けるつもりでいた。




 太陽が最も高い位置にある空を、翼をもつ爬虫類のような生物が群れを成して飛行していた。

 この怪物は数時間前から現れ街を襲い、人々は南の緊急避難所を目指して逃げた。住宅や商業ビルは既にもぬけの殻で、街は既に怪物の鳴き声しか聞こえない。


 空を悠々と飛行する怪物──ワイバーンの群れの一角を光の弾幕が削り取る。

 残りの仲間は何事かと鳴き声を上げ、攻撃してきたとみられる地表の人間に向って一斉に急降下していった。


 腕が翼になっているワイバーンが武器とするのは、その鋭い牙と脚の硬い爪だ。相手がただの人間であるなら、ワイバーンの群れが一斉に攻撃すれば見るも無残な肉塊へと変わるだろう。

 そう、本当に人間であるならば。


 角砂糖に集る蟻のように獲物を囲んだ翼竜だったが、荒れ狂う暴風のような獣の爪の反撃で纏めてその身を散らした。


 ワイバーンの黒い血を浴びて立っているのは人型のロボット、この惑星の上位者と契約した人間の変身体だ。側には黒いドレスの少女もいる。


 「修二、二時方向百m先からリザードが侵攻してきている。十一時方向上空には再びワイバーンの群れだ」


 リザードとは四足歩行の大柄の竜だ。ワイバーンと異なり翼を持たず、地上を這って行軍してくる。


 「そうか助かる。いきなり大攻勢って感じだな、まったく……」


 あの霧を吐く怪物を倒してから三日が経過したところでこの攻撃は始まった。

 敵の出現地域が広いため、三人の契約者はそれぞれ北、西、東と散開し迎撃に当たっている。


 三日ではアルゲンルプスの損傷回復は万全とはいかず、その上エネルギー管理をしながら長時間の戦闘を強いられていた。修二だけではない、他の二人も同様だ。心身ともに限界が見え始めている。


 「────なに!?」


 戦いに備え上位者がそれぞれ持った通信機から連絡が入った。少女は青髪の上位者の話を聞くと、思わず声を出し汗を一筋たらす。


 「どうしたイグニス」


 「まずいぞ、浅間がやられた。死んではいないが戦闘不能のようだ。防衛網の破れた西から敵がなだれ込んでくる!」


 狼の足が止まり、修二は考える。

 今すぐ西へ向かい浅間のフォローをしたいが、そうすればこちらはフリーになってしまう。野田は東を守っているがこちらと同じく手は空いていないだろう。西と北、どちらの敵を通しても避難所は襲われる。


 「浅間……! 怪我が酷いくせに倒れるまで無理しやがって……!」


 修二も完治していない体で戦っているが、本人に無茶をしている自覚はない。ただ気づいているイグニスだけが「お前が言うな」とばかりにその物言いに呆れている。


 「一時退却しよう。防衛線を避難所の前まで下げて、確実に避難所を守るんだ。住民の避難は既に完了しているだろうし、街で敵の目を惹きつけながら戦闘する必要は無い」


 イグニスも頷き真逆に方向転換しようとしたその時、空より一際大きなドラゴンが舞い降りてきた。


 全長およそ六mの、白い竜。全身に赤、青、紫、黄色など虹の構成色の線が文様のように刻まれ、ほのかに光っている。

 ワイバーンでもリザードでもない。大きな翼を持ちながら腕は別にあり、しかし四足歩行ではなく直立している。


 「やあやあ君が緋山修二君、だね?」


 若い女性の声。その主は白い竜の掌に腰かけていた。

 白衣を着た人間の姿をしているものの、その目の冷たさと頬が裂けるほどに口の端を吊り上げた表情は人間の物ではない。


 修二とイグニスは、こいつが侵略者の本体だと直感で理解した。

 それほどまでに、明らかに“違う”。


 「私はね、つい先月この惑星にやってきたばかりの侵略者さ。今までよく頑張って来たと思うけどそれももう終わり。残さず食べるから安心して死んでくれ」


 惑星の端末であるイグニスすら竦むような圧がかかる。それはドラゴンからではなく女からのものだった。


 「……なんだ、自己紹介はそれだけか? まだ名前も聞いてないんだが」


 人間は喋ることすら困難なほどに息が詰まる空気なのだが、機械の身体であるアルゲンルプスは声を絞り出す。軽口でも叩かなければ修二の精神が持ちそうにない。


 「名前? そういうのは持ってないなあ。だって、食べ終わった後は自分一人なんだから必要ないもんね。あははははは!」


 圧倒的な自信。事実この怪物が負けたことは一度もなかった。

 いくら惑星に抵抗されようとも最終的には全てを平らげる、宇宙を泳ぐ肉食ならぬ星食動物がこれなのだ。そのような生き方をする存在は類がなく、区別の必要なし。故に名は不要。


 「あーでもなんだっけ、私はつまり君たちが言うところの、世界に突然現れて全てを終わらせる存在──────」


 女から笑みが消え、仮面のような顔だけが残る。


 「デウス・エクス・マキナってやつなのかな」


 ドラゴンが銀の狼と少女に向って歩き始めた。一歩一歩踏み占めるように、まるでこの大地はすでに自分のものであるかのように、ゆっくりと。


 「私は別に機械仕掛けじゃないけどね! ……じゃ、全部終わらせる前に登場人物の顔も見納めたし、そろそろ幕を下ろそうか」


 地面がドラゴンを中心に割れる。竜と狼、力量差は明らかだった。だが修二は前に出て、隣の少女が巻き込まれないようにそっと押しのける。


 「悪いが劇の最後は大団円って決まってるんでな。あんたの出番はない」




 コンクリ剥き出しの大きな箱のような建物の中に浪間市の人々は保護されていた。

 地震や洪水対策で作られたこの緊急避難所は普段は物置として使われていたが、数年ぶりに人々を守るという本来の役目を果たしこれまでにかかった維持費は無駄ではなかったと証明している。


 この街には避難所がいくつかあるが、この緊急避難所が最も大きくそして堅い。一時は公民館などに避難していた人々も、戦闘規模の拡大に伴いこちらに移って来た。


 住人たちの不安混じりの声が響く避難所の中、家族で避難している藤音華は奇妙なものを見た。

 それは猫だ。ただしその毛色は深い紫一色であり、藤音はこのような猫を他に見たことがない。

 その避難所の壁際に座る奇妙な太った猫もまた藤音を見ていた。


 なんとなく呼ばれているような気がし、藤音は家族の元をそっと離れ猫のそばに寄る。視線を合わせるようにかがんでみると、少女には猫がにんまりと笑っているように思えた。


 「あんさぁ、ちょいと力を貸してくれないか」


 「ふぇっ!?」


 猫がいきなり人語を喋り始めたので少女は奇声を上げてしまう。

 避難所が騒々しいお陰であまり目立つことはなかったが、藤音は顔を少し赤くする。だが猫に対する興味を抑えられず話しかけてみる。


 「い、今喋った……?」


 「喋ったよ。それが何? そんなことより契約しないかいあんたさん」


 猫の声は物語の魔女のような、年を食った高い声だった。そして猫が喋ることがなにかおかしいのかというように藤音の疑問を断ち切る。


 「契約……? あなたは誰なの? 私のこと知ってるの? も、もしかしてUMAみたいな存在なの!?」


 好奇心を刺激されたオカルト好きは猫に質問攻めをする。この機を逃したらもう会えないかのように、知りたいことを一つでも多く訊く。


 猫はやれやれといった表情を作り、永遠に続きそうな質問を遮る。


 「ちょっといいかい、話してるのは私だよ。あんたさんが口にしていいのは契約するのかしないのか、それだけ。…………ま、軽い説明はしようかね」

 

 大きな欠伸をして、猫は藤音の目を見つめる。声のわりに猫の毛艶やヒゲの張りはよく、存外若い猫なのかもという印象を少女に与えた。


 「今、この街は襲われてるだろ? ウチと契約してもらえりゃあんたさんは力を手に入れて、敵を倒せるんだよ。あんたさんも、その家族も、ウチも助かる。どうだい契約したいだろう?」


 「力…………」


 藤音の脳裏にはいつかの事件が蘇った。落ちていく自分、受け止めてくれる銀のロボット。

 嗚呼あの時、もし自分に力があったら。彼もあんなに傷つくことはなかったろうに。


 「そ、それってニュースとかでやってたような、怪物を倒すヒーローになれる……ってこと?」


 浪間市を襲い続ける怪物とそれと戦う存在。これは今や全国区で有名で、銀のロボットと泳ぐ剣、四本腕の武者の正体を知ろうと記者はやっきになっている。

 藤音も当然興味津々だがまったく手がかりが掴めないでいた。


 「ニュース? ウチは来たばかりだからねぇ、よく分からないけどたぶんそうだよ。ヒーロー、まさにその通りだ」


 「そう、じゃあ皆契約してああなったんだ……」


 藤音は考え込む。信じやすい性格だからか、喋る猫の言葉は全て真実として受け止めている。


 疑問なのは、果たして自分が戦えるのかということ。街を襲う化物と対面してしまえば恐怖で体が動かないのではないかと。また持病が再発して、自分の身を守るだけで精いっぱいになるのではないかと。


 「やっぱり無理、無理だよ。私、才能なんて無いし……。ほんと何やっても駄目で……」


 「そんなのわかんないだろ? あんたさん今までヒーローやったことあるの?」


 「ないけど、無理だよ! 運動できないし勉強できないし、皆を失望させるだけで……。そんな私に誰かを守ったりするなんて、とても……」


 ドォン! と爆発音と共に避難所が揺れた。住人はどよめき、子供は泣き出す。

 西から進軍してきたリザードが避難所まで到達し、その口から戦車の主砲のような火球を吐き出したのだ。避難所の厚い壁もそうは持たない。既に大きく損傷しヒビが入っている。


 「あ、あ、あ────」


 藤音は腰を抜かし座り込む。

 もう外に奴らが迫ってきているのだと理解し、思考が出来ず真っ白になる。身体が震え足は動かない。ただ頭を抱えることしか出来なかった。


 「ほら、早く契約するんだよ。死にたくないだろう?」


 その声すらも既に聞こえていない。少女はすっかり、以前の彼女に戻ってしまっていた。自分を守る為に他の誰とも関わらない、外の世界全てを怖がる少女に。


 グラグラと避難所は揺れ続ける。中の住人にこれ以上の逃げ場はない。あと一分もしないうちに壁は破壊され、人間は残さず喰われるだろう。

 藤音がいくら目を閉じ耳を塞いでも、意味はない。


 「あーあ。こりゃ見込み違いかね」


 上位者は呆れ、一人閉じこもる少女を見放す。


 猫の体を活かし今の内にどこかに逃げようかと考えると、壁が予想より早く吹き飛んだ。何かが避難所に向け放り投げられ、それが壁を破壊し突っ込んできたのだ。


 「ぐ、あ……!」


 全身から火花を散らす銀色のロボットが倒れている。人々はそれを見て、この街のヒーローすら勝てないのだと察し、これから自分たちは死ぬのだと確信する。


 泣き声叫び声の合唱の中、崩れた壁の向こうから大型のトカゲのような怪物が近づいてくる。


 「はぁ──はぁ──はぁ────!」


 その光景をすぐ隣で目の当たりにする少女。

 アルゲンルプスの衝突で飛んできた壁の破片が彼女を掠め死の恐怖を刻み込む。上手く息ができなくなり、喘ぐような呼吸で命を繋ごうとする。


 少女が壁の外を見ると、乗用車程のサイズの地竜が抜け殻となった街を闊歩し、空を悪魔のような翼を持つ生き物が隊列を組み飛んでいた。

 遠くの方では白い竜が浮き上がり、翼の膜の七色の光が目を刺す。


 それはまるで世界の終わりのような光景で、彼女が暮らしていた街はもうそこにはない。


 「ふじ、ね────? 駄目だ、逃げ……ろ」


 傷だらけの狼が顔だけ起こし、少女の身を案ずる。不意に自分の名前を呼ばれ、少女は深い諦観と絶望から目を醒ます。


 この人どうして私の名前を知っているんだろう、という疑問もあったがそれはすぐに失われた。

 狼の声はかすれている上に機械的なノイズが入っている、しかし少女はその呼びかけを以前どこかで聞いたことがあるような確信があった。


 藤音華は理解した。生きるための道を、ここですべきことを。

 自分が今、ここで契約をしなければ皆死ぬ。足りないものはただ一つ、怪物と戦う勇気だけだった。


 「勇気なんてない────でも」


 リザードが二人に迫る。人間の女が一人立ち上がり道を塞いだが、こんなものは敵にならないと侮り歩を進める。


 「私、もう逃げたくない。契約する。するから、力を頂戴」


 「……ああ、いいよ」


 藤音の様子に何かを感じた上位者は一連の様子をじっと見守っていた。深紫色の猫は契約者の足元にすり寄るとその力を受け渡す。


 種は芽吹き蕾はついた。少女は自ら変化を望み、大いなる星の意志はそれに応える。


 眩い光が、その場にいる誰もの視界を白く塗り潰した。



 「──道は選んだ、迷いはなく」


 「闇を抜け我が望むは革新の芽吹き」


 「なれば今こそ、この身を咲かせ!」


 「変身──── オペィクブロッサム!」



 巨大な蕾が、壁の穴を塞ぐように出現した。


 全高四mほどのその蕾だけの植物を警戒し、集まった五匹の地竜は一斉に炎球を吐きつける。

 火球は着弾と同時に拡散し、粘着質な液体が火をつけたまま周囲を焼く。ナパーム弾とも呼称されるその攻撃を蕾はそのまま受け止め、炎の一片も避難所内部への侵入を許さない。


 炎上したまま閉じた花弁が開いていく。この程度の熱は変身した藤音にとって痛みすら感じるものではない。

 五枚の花弁を完全に開き終わると、その花の中心には上半身だけの白い女性のような形をしたものが鎮座していた。その顔に目はなく、鼻も形だけ。口が開かなければ、彫刻かなにかと勘違いするのも仕方がないだろう。


 突然、五匹の地竜は空中を飛ぶ。


 そして何が起こったか理解も出来ぬまま大きな放物線を描き、ビルや道路に衝突し黒い血飛沫を上げ死んだ。

 地面に咲く花の根元から棘付きのツタがいくつも伸びていく。リザードはそのうちのいくつかのツタに持ち上げられ、放り投げられたのだ。


 決意を固めた少女は現実を──地獄のような街を見据える。


 敵は主に西と北から侵攻してきており、東側ではまだ誰かが戦っているようだった。

 オベィクブロッサムは変身した箇所から動けない特異な変身体であったが、地中に根を張ることで振動を感知し、敵がどれほどの距離からどれぐらいの数が迫ってきているかは把握できる。


 「すごい、これが変身……」


 白い人型の周囲に七本の、同じく白い、緩やかな曲線を持つ柱のようなものが生えてくる。


 「私でもきっと────!」


 七本の太い花糸からそれぞれ光が放たれる。

 光は直進し、空を舞う竜を残らず撃ち落とした。次に目に見える範囲の地竜が殺され、ビルに阻まれ見えないところにいた遠くの敵もビルごと撃ち抜かれて死んだ。


 絶望的であった戦況は誰にとっても予想外な援軍により一気にひっくり返り、侵略者の手先は逃げることもできずに鏖殺される。


 光線は白い竜の掌の上で戦況を見下ろしていた女も狙ったが、それは竜の跳ね除けるように振るわれた左腕に弾かれ消えていった。

 女は地に咲き誇る紫色の花を観察すると、小さくため息をついた。


 「いいさ、また明日、今度こそ完全に終わらせに来るとしよう! 人類最後の夜を精々楽しんでおくことだ!」


 白衣をはためかせ女は叫ぶ。白竜は翼を動かし煙幕を発生させると、それに紛れて女ごと消えていった。


 敵が完全に去っていったことを確認し、藤音は変身を解く。変身したことに実感が持てず、しばらくの間放心していた。


目の前で少女が巨大な花に変化し敵を倒したのを見た人々は、これは一体何事なんだと口々に騒ぎ出す。

 だが少女に付き添った猫が一瞥すると記憶の改竄が行われ、彼らは自分が何を見て話していたのかを忘却し急に静かになり、今度はただ敵がいなくなり助かったことを喜び始めた。


 「なんだい。あるじゃないか、才能。それもとびっきりに」


 猫が三日月のような口で笑う。



 しばらくして、契約者たちはそれぞれ避難所へ帰って来た。この緊急避難所には彼らの家族も待っている。


 だが再会を喜ぶ間もなく、避難所の仕切られた一角で明日の作戦会議が始まる。

 折り畳み式のテーブルが設置され、上には浪間市の地図が広げられていた。


 その周りを男女と猫合わせ七人と一匹が取り囲む。初めて変身した少女も含め全員の顔には疲労の色があった。


 「しかし、藤音が契約者になるなんてな……」


 体の細い少年が呟く。新たな仲間のことは既に紹介が終わっていた。だがそれでも、この少年にとっては意外なことだったらしい。


 「わ、私も戦いたいから……。よろ、よろしくお願いします!」


 「こっちこそ改めてよろしく。いきなり助けられちまったな」


 少女は大人数の注目を浴びて緊張していた。クラスメイトが二人も契約者であったことに驚いてもいるが、今は挨拶だけするのが精一杯だった。


 「藤音さん、俺も助かった! あのままでは避難所は襲われ、俺も死んでいた。ありがとう!」


 疲れていても声の大きい少年に少女は委縮する。

 同じクラスではあるがこれまで二人の間に交友はない。野田は相手が誰であろうと気にしないが、藤音は人見知りであるために苦手意識を持っている。


 「大きな変身体だったな。ああいうケースもあるのか」


 「変身体の能力は個人差が大きいようだ」


 「あたしよく見えなかったんだけど、触手みたいなの出してた?」


 この場には藤音の全く知らない人物もいる。

 金髪の少女のことは以前学校で見たが、青い髪の青年はおらず代わりに同じ髪色の子供が、バニーガール姿の怪しい女性のことは本当に知らない。


 名前だけは既に教えあっているので、藤音は顔と名前を一致させることに専念した。彼女の猫はテーブルの上で笑っているだけで何も言わない。


 「浅間、大丈夫か? さっきから何も話してないが」


 修二は壁に背中を預け座る、ぐったりとしたボーイッシュの女の子に問いかける。


 「うんまあ、大丈夫だよ。今日はちょっとしくじっちゃったけど、明日はやれるから」


 「見栄を張るな、どこも大丈夫ではない。危うく死ぬところだったではないか」


 「うっさい、平気だって」


 正直な上位者の言葉を否定するが、浅間が強がりを言っていることは誰の目にも明らかだった。汗をかいているし。顔からは血の気が引き白くなっている。


 「…………明日は決戦だ。浅間には休んでいて欲しいが、そうもいかないだろうな。でも無理だけはしないでくれ」


 修二の気遣いを浅間は天井を見ながら受け取る。


 「布陣を決めよう。明日、敵が何時攻めてくるかは分からないが、始まったらすぐに決めた配置につくんだ」


 誰が決めたわけでもないが、暫定的にイグニスが作戦会議を仕切る。


 「ここは南端だ。敵は今日と同じく、東西北から来るだろう。数はおそらく比にならない程多いが臆するな。こっちは敵の親玉さえ倒せれば勝ちなんだ」


 少女の華奢な指先が卓上の地図の上をすべるように動く。


 浪間市は三角州の狭間にあたる場所にある。

 そのためこの南端の避難所よりさらに南は海であり、敵がそちらから攻めてくるとはイグニスは考えていない。そんな奇襲をかけずとも、圧倒的な物量があるならばそれを押し付けるだけで敵は勝てるからだ。


 「それで契約者の配置だが……どうしようか」


 「ではまず、それぞれ役割から決めるのはどうだろう」


 青髪の少年が挙手をし発言する。見た目こそ幼いが、その頭脳は以前と変わってはいない。


 「まず避難所を襲う敵に対処するための守備側、敵の本体を叩くための攻撃側が必要だ。それぞれ希望はあるか?」


 藤音がおずおずと手を上げる。


 「わ、私は動けないので……守備ですよね」


 「ひひひ、そうだねぇ。あんたさんは攻撃範囲も広いし、ここの前で居座っていればいいさ」


 猫がどこからか取り出したチェスの駒を咥え、避難所の前に置く。黒のクイーンだ。


 「じゃあ俺は攻撃側だ。あの敵は俺が倒したい」


 修二が手を上げると、猫は黒のナイトを避難所から北に進んだところに置いた。


 「背中は頼んだぞ藤音、お前ならやれるさ」


 「かか、過大評価だって……! あんまり期待しないで……」


 慣れない信頼の言葉に顔を赤く染め俯く藤音。


 「残りの二人はどうする? 浅間は怪我をしているそうだし、負担の少ない防衛側に置くか?」


 「ふむ。どうだ湊、“こちら”でいいか?」


 上位者たちが浅間を見る。


 「やだ。緋山君と一緒に攻撃側に行きまーす」


 「……本人の意見を尊重するが、それでいいんだな?」


 イグニスが念を押す。今度こそ死んでしまうかもしれないぞ、と暗に言っている。


 「ま、いいんじゃないか? 緋山と一番連携が取れているのは浅間だし、戦いやすいだろう! それに怪我のことを心配するなら俺も緋山も既に怪我人だ。互いにカバーし合った方がいい!」


 「わかった。では修二と浅間が攻撃側か。キミはどっちだ?」


 黒のナイトの隣にルークが置かれる。野田は少し考えた後答えを出す。


 「俺は守備に回ろう! 戦闘経験の浅い藤音を一人にはしておけん!」


 猫が笑い、ビショップはクイーンの少し前に配置される。


 「決まりだな。守備側は守備が不要な戦況と判断したら攻撃に転じるように。あの白いドラゴンは相当に強い、全員の協力がなければ勝てないだろう。では解散!」


 作戦会議は終わり、契約者たちはそれぞれの家族の元へと向かう。


 これが家族と迎えられる最後の夜になるかもしれないと分かっていた。思い残すことがないように、話したいことやりたいことをする。


 そうして夜は更けていく。




 屋上への扉に手をかける。施錠されていたが「特別だぞ」とイグニスが鍵穴だけを融かしてくれた。


 長い階段を上り満天の星空の下に出る。


 「それで、屋上に行きたいなんていきなりどうしたんだ?」


 少女が屋上を踊るように回転しながら転落防止の柵まで移動する。

 月明かりが彼女の金髪を照らし出し、文字通り輝くその踊りはまるで物語の舞踏会、そのワンシーンのようだった。


 「……最後に、お前と二人きりで話したかったんだよ」


 俺は歩いてイグニスの後をついて行く。

 避難所の中では二人だけで話すことはできないし、落ち着かない。誰も来ないような静かな場所が欲しかった。


 柵に手をかけ、イグニスと並んで誰もいない街を眺める。

 避難所は他の住宅よりも頭が高いため見下ろす形になり、平地である浪間市を一望できる。既に廃墟のような崩れ落ちた街並みは音一つせず静かで、また何の明かりもついていない。


 ただ夜空だけが俺たちの明かりだ。地上からの光が消えたことで、空がより一層美しく輝いて見える。

 現代でこんな光景を見れることはそうそうないだろう。星がこんなに綺麗だということに、今初めて気づいたかもしれない。


 「これで、この戦いで全部終わりなんだよな」


 「ああ。あの侵略者はほぼ間違いなく本体で、アレを倒せば全て解決だ」


 隣を向いて、人形のような少女の横顔を見る。彼女は見つめられていることに気付き、こちらと目を合わせて少しだけ笑った。


 「なあイグニス、教えてくれ。地球は人間にどうなって欲しいんだ? 何をして欲しい?」


 イグニスの話によれば、上位者は人類に対し特別に手をかけ育てた。


 そこまでする理由は一体なんだ?

 地球が危ないから俺たちと協力する、というのは分かる。だが、彼女たちは極力俺たちの世界を壊さないように気を使っている。単に地球を守りたいだけなら、もっと手段があるだろう。


 少女はその細く白い腕を星空へ伸ばした。星に触ろうとするように、手を開いて。


 「キミたちにはこの宙へ飛び立って欲しいんだ。親に頼らず、母なる惑星より旅立ち、遠い遠い無限の海へその船を漕ぎ出せ」


 「それが、どうして地球の望みなんだ?」


 「人間が宇宙で他の、誰もいない惑星を見つけそこに移住するとする。キミたちは移住のために惑星を開発し文明を築く。そうすると、その惑星には新たな概念が生まれるんだ」


 俺も夜空を見上げる。

 今はまだ人類にそこまでの技術はない。だが遠い未来、いずれそうなる日も来るのだろう。宇宙旅行が当たり前になり、人類が月や火星、もしくはもっと遠くの星へ住み始めるような日々が。イグニスはきっとそういう話をしている。


 「地球から産まれたキミたちが住む星は、同じく第二、第三の地球と言う概念を帯びる。いずれその惑星には意識が生まれ、本当の地球の子供となるだろう。それは花が種子を飛ばし遠く離れた地に同じ花を咲かせるように、地球なりの繁殖方法なんだ。つまるところ私たちの願いはキミたちと同様、子孫繁栄だよ」


 星も生物も、その存在目的は変わらないということか。イグニスは続ける。


 「だから勝て。私たちの──キミたちの未来を守る為、無法なる侵略者と戦い打ち勝て」


 「……未来、ねぇ」


 思えばイグニスと出会った最初からこういう話をされたんだ。だが今と前じゃ実感が全く違う。

 以前は──ほんのひと月も前のことではないが──こんな話を信じてやいなかった。自分とは関係ないことだと思っていた。


 「正直そんな先の話、今でも分からん。俺はただこの日常を守りたい、いや取り戻したいだけなんだ。でもそれが、未来のための戦いって言うのかな」


 「そうだ。それでいい。修二の願いも明日、叶うさ」


 無音。

 しばらくの間、風の音だけが耳に入る。俺もイグニスも喋らないがそれは気まずい雰囲気にはならない。ただ傍にいるだけでよかった。


 「帰るんだろ、お前」


 「ん?」


 あまり言いたくはなかった。彼女の口からも聞きたくはなかったが、それでも確認せずにはいられなかった。


 「だからさ、全部終わったらだ。敵がいなくなればお前がいる意味もない。そしたらまた地球のどこかに帰るんだろ?」


 「──────そうなるな」


 イグニスは真顔のまま表情を変えない。何でもないかのように答えているが、その心の中でどう思っているかはきっと俺と同じだ。


 「俺が欲しいのは、お前のいる日常なんだよ。朝起きたらお前が隣でよだれたらしながら寝てて、一緒に朝食を食べて、お前と遊んで馬鹿を言い合って、髪の手入れをやらされて…………」


 途中でなぜだか泣きたくなってきた。もう分かっているんだ、そんな日々はこないって。この戦いで侵略者を倒したらもう全てが元に戻ってしまうんだって。


 「ああ、そうはならない。全ては元に戻り、私は再び眠りにつく。今度はもう目覚めることもないだろう」


 「……………………わかった」


 もう我慢が出来ない。俺は隣の少女を抱き寄せ、強く身体を合わせた。

 黒いドレスが飾る肩に顔を沈める。温かく、ほんのりと薔薇の香りがする。


 「そういやお前、心が読めるんだったな」


 彼女の柔らかい体を確かめるように両腕で締め付けるが、拒否されることはなかった。

 イグニスはその腕を俺と同じように、俺の背中に回す。深いハグだ。

 見た目は自分とそう変わらない年なのに、母親か祖母に抱かれているような強い安心感が込み上げる。


 「なんの話だ修二。私は万能ではない、心なんて読めないし読んだこともないぞ」


 「え?」


 そんなはずはない。ついさっきも俺の心を読んだような答えをしたし、浅間やマーレと初めて会った夜だって確かそういったことをしたはずだ。


 「ただ────そうだな、キミの言いたい事ぐらい分かる。修二には私が心を読んだように感じたか? ふふ」


 なんだか拍子抜けした。

 そんなことだったのか。狙ったわけではないが気が抜けて、おかげでより身体の緊張がほぐれていった。


 「恐れているな。死ぬかもしれないというのが怖いか、修二」


 抱き合うことで身体が震えていることに気付かれたようだ。だが少しだけだ。それももう収まる。


 「俺は……死んでもいい。皆を護る為に死ぬのならそれでいいんだ」


 「どうして?」


 「お前と出会うまで、俺は大したこともせずこのまま人生を終えるんだと思っていた。だけど、お前が俺に力をくれたんだ。何もできない俺が、何かをするための力を」


 自分の本心なんて、恥ずかしくて親にも話せない。だがなぜだろう。イグニスには全て打ち明けてしまう。


 全くの他人のようでいて自分自身のような存在だから、だろうか。


 「ただ意味もなく生きる俺が、この命を誰かの為に使えるなら。これほど嬉しいことはないさ。俺が本当に怖いことは、俺がその誰かを護り切れずに死ぬこと。俺が死んでしまえばイグニス、お前を危険に晒すことになる。それが一番怖い」


 目を閉じ腕の中の温かさをただ感じる。

 嗚呼、そうか。俺は皆の為に戦うと言いながら本当は…………。


 小さい手が俺の背中をさする。それはまるで子供をあやすように。ゆっくりと、どこまでも優しく。


 「私の信じた契約者に負けはない」


 そう言うと、くっつけた上半身を離し互いに顔を合わせる。


 至近距離で彼女の宝石のような赤い瞳が光った。俺は全てが始まったあの路地裏の夜を思い出す。

 吸い込まれるような深紅の瞳は、俺をとらえて離さない。


 もちろん、瞳以外もこの世のものではないような美しさだ。

 その月明かりで青みがかった前髪、完璧な黄金比であろう端正な顔は、人間が本来見ることのできない芸術品そのもの。


 ふと、潤った唇に目を惹かれる。


 「いい顔だな。決心のついた英雄の顔だ。何人も見てきた私が言おう、キミは大丈夫だ」


 小さく笑うイグニス。

 なるほど、古代の人々はこれを神だと崇めるわけだ。彼女は、あまりにも美しい。


 「……ありがとう。じゃあもう寝るか。明日に備えて、少しでも身体を休めよう」


 絡み合った身体を引き離す。傍らの温かいものを感じなくなり、夜の寒風が吹き抜ける。

 だがもう十分だ。心の熱はもう冷めないほどに、身体まで焼いていく。不安も恐怖も無くなった。


 いざ、決戦の明日を迎えよう。




 翌朝十時。


 外には霧が立ち込め、何かが移動する地響きが聞こえてきた。契約者たちはついに来たかと避難所を飛び出し配置につく。


 「この霧……前に倒した怪物のか? 面倒だ。真っ先に潰すぞ」


 「ま、待って! まだ行かないで!」


 変身し飛び出そうとする修二を藤音が引き留めた。


 「一回だけでいいから霧を晴らしてくれる? 昨日のうちに今まで戦った敵のことは教えてもらったから大丈夫。黒い四つ脚の怪物だよね」


 藤音は避難所の前の道路に位置どると口上を告げる。



 「──道は選んだ、迷いはなく」


 「闇を抜け我が望むは革新の芽吹き」


 「なれば今こそ、この身を咲かせ!」


 「変身──── オペィクブロッサム!」



 巨大な花が修二の眼前に出現すると、柔らかな優しい香りが周囲に漂う。

 地球上のどの植物の放つ匂いでもない、藤音の心を体現した香りだ。


 「おおー。藤音は随分大きいんだな……。俺はちょっと身長伸びるだけだからちょっとうらやましいぞ」


 「ひ、緋山君も早く変身してよ!?」


 「じゃ、一瞬だけ霧を吹き飛ばすからな」


 修二は走り出し、始まりの言葉を唱える。



 「──この身、この血を我が神に捧ぐ」


 「鋼を纏い、爪を磨き、炉心に火を灯そう」


 「我が祈りを以て今、敵を討つ牙を得ん」


 「変身──── アルゲンルプス!」



 霧の海から一筋の光が飛び出す。霧を雲に見立てれば、ロケットの発射シーンにも見えるだろう。

 以前と同じく空からは霧を吐く怪物の位置が丸わかりだったが、その数は四つと四倍に増えていた。そしてそれだけではない。


 「おいおいマジかよ────」


 雲の上を浮く飛行船が四隻。その黒い甲殻とトンボを模した羽根は、あの超巨大甲殻虫そのものだ。

 その周囲には、護衛のようにワイバーンが大隊を組んで飛行している。


 「まずは霧から飛ばす! ミサイル一斉発射!」


 左右合わせ十発の小型ミサイルが霧の海に着弾し、大きな穴を開ける。


 地上の藤音たちにその怪物群の姿が見えるのはほんの一瞬だ。前回の四倍以上の速度で新たな霧がその穴を埋め始める。


 「──────見えた!」


 藤音には、少しでも位置が分かればそれでよかった。

 花から四本の光の筋が飛び出しそれぞれが霧を吐く怪物を撃ち抜く。

 身体に風穴を開けられた怪物は倒れ、その死骸を新たな怪物へと再構築する。


 「すっごいねー藤音さん。霧が晴れればこっちのもん! 緋山君、行くよ!」


 浅間が白い靄の薄くなった街を走りながら変身する。その行く手を遮るように、蜘蛛や百足の巨大昆虫が道に所狭しと溢れ出す。



 「──速く、速く、より速く、さらに向こうへ」


 「我は水を識る者、泉の守護者」


 「渦を巻くこの一撃が、あらゆる敵を穿ち貫く」


 「変身──── ラピドゥスグラディウス!」



 光と同時に竜巻のような突風が道路を一直線に駆け抜ける。

 蟲がいくら集まろうとこの一陣の風は止められない。目指すは真っすぐ先の駅前、そこに上から見下ろすように飛んでいる白い竜だ。



 「なるほど、あれが空飛ぶ蟲か。話には聞いていたが凄い大きさだな!」


 四匹の超巨大甲殻虫は親に直進する狼と梶木を無視し、野田と藤音がいる避難所に向ってきている。

 内部には多数の巨大昆虫や弾丸蜂を格納しており、この飛行船団はまさしく物量の脅威だ。


 本来は分け身である男の制御が必要なのだが、この超巨大甲殻虫は簡易型で、機能を落とした代わりに自立した行動が可能となっている。


 「藤音さん、右側の二匹頼めるか? 俺は左の方を墜とす」


 「はいっ……!」



 「──殉ずるは我が使命、我が責務」


 「振るうは刀、掲ぐは正義、救うは衆生」


 「仇名す悪一切彼岸へ送らん」


 「変身──── 月断!」



 変身と共に野田は手近なビルの上に降り立った。まだ空を泳ぐ超巨大甲殻虫との距離があるが、腰の刀を全て抜き構えを取る。


 「──────魂斬り」


 何度も刀を素振りすると、その度に斬撃が飛び出し真空刃のごとく空飛ぶ蟲まで到達する。不可視の刃は蟲の翅を片っ端から切り落とし飛行のバランスを削いでいく。そのうちに限界を超え、超巨大甲殻虫は墜落した。


 大きな地響きとともに蟲が不時着する。

 翅を失ったからといって死んだわけではなく、今度はその多脚を使い蟲は地を這い始めた。


 「逃がさん!」


 蟲の目の前に四本腕の武者が立ちふさがる。大きさの差は歴然で、蟲がこのまま進めば武者は簡単に喰われてしまうだろう。

 しかし超巨大甲殻虫は眼前の敵に恐怖を感じていた。瞬時に体内の巨大蟲を口から吐き出し原因の排除を試みる。


 「悪しき侵略者よ、何度来ようと無駄だ! ────黄泉落とし!」


 百足の牙も蟻の顎も武者には届かない。

 それより先に、奔る斬撃が兵士の体を伝い超巨大甲殻虫に伝播し、斬撃は厚い甲殻を避けその腹を裂きながら駆け巡る。


 二百m弱の巨体ですら、この黄泉落としの前では障害にならない。


 崩れ落ちた死骸の体内から、まだ残っていた巨大蟲が蛆のように湧き出す。

 護衛であった飛竜もまた空から敵を攻撃しようとするが、だがいくら出てきても無駄な抵抗で、野田はその全てを斬って払い二匹目の超巨大甲殻虫も同様に処理をする。


 「ふぅ……。どうやら、藤音さんの方も大丈夫なようだ」


 四匹いた蟲はもう一匹も空にいない。ただ灰色の雲の天井が街を覆い尽くすのみだ。


 次なる敵を探そうとする武者に、背後から巨大な手が掴みかかる。


 「ぐっ……!?」


 身体を握りしめられ持ち上げられる。

 手の伸びている元を辿ると、そこには黒い巨人がいた。いや、巨人と言うには各部が人ではない。


 手は人間に近いが、胴はなんの起伏もないのっぺりとした黒一色。脚は二本伸びているものの、指がない。象のような────霧を吐く怪物を思わせる脚だった。


 何より目立つのはその頭。人型を大きく逸脱した恐竜のような頭だ。

 白い牙が黒一色の中に光り、並んだ歯をより凶悪に見せる。巨大な目が掴んだ獲物に対して向けられた。


 「────貴様らはなぜ戦う。既に勝機などない」


 「そんなの……やってみなけりゃわからんだろ!」


 獣の顔からは意外にも人の言葉が漏れ出てきた。野田は臆することもなく即答する。


 「わからんのか、我らの本体は目覚めた。これより際限なく生まれる兵士がこの街を蹂躙する。もし我らの先兵を多少仕留めたぐらいで勝てる気になっているのなら、それは愚かな考えだ。貴様らに残された未来は一つ。我らに喰われ同化するのみ」


 巨人は淡々と言葉を並べる。感情の起伏のない、まるで機械のような発声だった。


 その黒い脚から突如細い触手がいくつも伸びだし、ビルの陰にいた九泉を捕えようと襲い掛かる。


 「させるか!」


 月断の四本腕が消えたように見えるほどの速度で動き、瞬く間に掴んでいた巨人の指をバラバラに切断する。

 素早く地面に降り立ち触手を全て落とすと、九泉を護るように戦闘態勢を取った。


 「弘人、気を付けた方がいいわ。このでかいの、侵略者の欠片そのものよ」


 普段はのんびりとしている九泉が汗をかいている。今までにない強敵であることを悟った野田はより一層警戒を強めた。


 もしこの巨人をここから逃せば避難所など砂の城を崩すように簡単に壊されるだろう。藤音からの援護が欲しかったが一向にその動きがないことを気に掛けつつ、野田は巨人に刀を向ける。


 「俺たちにそんな絶望の未来はない! 俺たちが求めるのは侵略者を滅ぼした後の平和な明日のみ! 悪はとく去るがいい!」


 武者は巨人との距離を詰め飛び上がると、巨人の全身から触手が突き出てくる。


 「厄払い!」


 四本の刀を同時に振り払い触手の網を切り裂くと、巨人の胴体にも斬撃が届き四筋の傷をつける。

 黒い血が噴き出すがそれを気にする様子もなく、巨人は強烈な右フックを空中の月断に命中させる。


 幸いにも吹き飛んだ先に建物はなく、道路に何度か打ちつけられるだけで済んだ。しかし攻撃自体が非常に重く甲冑にもヒビが入る。

 よろめきながら上半身を起こすと、破壊の使者がゆっくりと近づいてきていた。


 先ほど斬り飛ばしたはずの指は再生していた。胴体に付けた傷も見当たらず、触手も切断面から新たな先端が成長している。


 「我らは物を取り込むことで成長する生命体だ。そして、人間を取り込み分かったことがある」


 野田は起き上がり、再び構えを取る。

 昨日からの戦いで全身の傷が痛むが、泣き言を言っている場合ではないと痛覚の信号を無視する。


 「人間はすぐ物事の善悪をはっきりとつけたがる。そも我らは悪ではない。ただ食事をしにこの惑星にやって来ただけであり、即ち自然の摂理そのもの。これに善悪をつけるとはおかしなことだと思わないか? もし善悪を定義するとするならばそれは、喰う強者が善であり喰われる力なき弱者が悪だろう」


 走り出した野田に巨人の片脚が切断される。だが分かたれた箇所が瞬時に再生することで、ダメージはおろか何の妨害行為にもなっていない。


 素早く動く野田を巨人の拳は正確に捉え、地面に押し付けるように振り落とす。

 拳と道路との間に月断が挟まれ、道路が円形にヒビ割れる。ゴキリ、と月断の身体から異音がした。


 巨人は拳を離し今度はその脚で完全に押しつぶそうとするが、野田はすんでのところで横に転がって回避した。


 「お前の言うことはっ……間違っている!」


 面頬の隙間から血を吐きながらも野田はもう一度立ち上がる。


 「この街を壊し焼いたのはお前たちの仕業だ! これまでにどれほどの人間が死んで住む家を失ったことか! お前たちは明らかに人間にとっての悪であり、俺はその悪性を殺すためにここにいる!」


 月断の身体から砕かれた甲冑がボロボロと剥がれ落ちていく。肩を守る大袖が取れ、各部位の最低限の防具を残し重厚な鎧姿から軽装な姿に変わる。


 「今、俺が正義を成そう! ────月天へ至る!」


 月断の動きが急激に加速する。巨人の拳も触手もその動きに追いつくことができない。

 何もない道路に対し振り下ろされた拳を利用し、月断は巨人の腕を駆け上りその頸に刀を振るう。


 野田は考えていた。この巨人は圧倒的な再生力を持つが、弱点が何かあるはずだと。しかし誰かと相談する時間も敵の動きを分析する暇もない。


 ならば、と手当たり次第に試してみる。


 「黄泉落とし!」


 四刀は巨人の頸を確かに斬った。

 放たれた四本の斬撃は頸だけに留まらず、その胴を経由し腕と脚の四肢をも刻む。螺旋状に切り裂くことで攻撃面を増やし、再生に要する時間を伸ばそうとするも巨人は無駄な努力だと嗤う。


 斬ったはずの頸は先ほどの脚と同様瞬時に接合し、両手両脚の傷も癒えるには一秒と掛からない。


 しかしそれこそが野田の狙いだった。たとえほんの僅かでも隙を生み出せればそこに攻撃を入れられる。急所は頸ではなかった。だとすれば次は────。


 「厄払い!」


 月断は巨人の肩から飛び降り、すれ違いざまにその左胸の人体ならば心臓の位置する箇所に攻撃した。一点を中心に四本の刀がⅩ字に切れ込みを入れる。

 完璧な、流れるような一撃だが、残念ながらこれすら致命傷には至らず再生する。巨人は人型であるが、その急所は人と同じくしていないのだ。


 「だから愚かだと言ったんだ」


 「──────ッ!」


 黒い触手が月断の脚を絡めとる。

 完全な死角、巨人の足裏より伸びた触手は地中を進み、月断の真下から飛び出し空中に獲物の身体を固定した。


 巨人の右腕が大きく振りかぶり、月断を殴りつける。一撃で終わりではない。左腕も続いて無防備な武者を殴ると、再び右腕がストレートを叩き込む。

 三発目の攻撃で触手が耐え切れず千切れ、月断はビルを幾つも突き抜けて大型の商業施設の壁にぶつかって止まった。


 野田の意識が薄れゆく。

 脳内で九泉が何度も呼びかけるが既に聞こえていない。


 月断は甲冑を脱ぎ捨てることで素早い移動が可能になるが、代償として防御力が低下している。その状態で山すら突き崩せる巨人の一撃を何度も喰らえば、死んだとしても何ら不思議はない。




 ごおごお。


 燃えている。


 ごおごおごお。


 家が、燃えている。


 夜七時頃、まだ幼い野田弘人は一人で夕食を採った後、うとうとして二階の部屋で寝た。

 しばらくして異変に気付き起き上がると、階段の下の一階が火の海になっていたのだ。


 両親はいなかった。二人とも働きに出ていて、家には野田一人しかいない。

 火元はキチンと閉じていたはずなのに出火している理由が、この男の子には分からなかった。


 この時の野田は知る由もないことだが、後に火元はショートしたトースターの電源が原因であることが判明している。


 「あ、あ────」


 燃え盛る床を見て自分の部屋へ引き返す野田。

 だが逃げ場はない。このままでは自分も炎に巻かれて死んでしまう。


 怯え、助けを求めて窓を開ける。既に近隣の住民が集まって来ていたが、誰もこの少年を救うことはできなかった。

 こうなればもう飛び降りるしかないのだろうかと野田が泣きながら考えた時、消防車のサイレンが聞こえた。


 赤い車が家の前に止まり銀の衣を纏った隊員が一人飛び出して、まっすぐ炎の牢獄と化した古い木造建築の一軒家に突入する。

 そこには一片の恐怖もなく、あるのはただ目の前の子供を助けようと言う純粋で力強い意志だけだった。その隊員はすぐに家の階段を上り野田を見つけて抱えると、泣きじゃくる子供の口元にタオルを当てながら炎の中を走り抜ける。


 今でも野田はこのことをよく覚えている。この時、野田は自分ではどうにもできない事が起こった不安と、誰かに助けられる安心感の二つを同時に胸に刻み込んだ。


 以来、浪間市に引っ越してきた彼は、人助けを何よりの信条とし学校で一番の正義漢ともてはやされた。


 ──────あの日助けてくれた、あの隊員のようになるために。




 「………………と! …………弘人!!」


 誰かが俺の名を呼ぶ。


 これは、そうだ。九泉だ。底のない穴へと落ちそうな意識が覚醒し始める。懐かしい夢を見ていた気がする。


 目を開く。焦点が定まらないが、巨大な黒いものが近づいてくるのが分かった。手足の感覚を確かめ、刀を握り直す。


 「弘人、大丈夫!?」


 「……まだ戦えるな、九泉」


 「あたしはまだ大丈夫、だけど────」


 脳内に響く声に返事をする。

 エネルギーさえあれば問題ない。俺の身体はとうに限界近い、いや超えてすらいるかもしれないがそれがどうしたというのだ。


 自分の心配をして正義を成せるものか。あの日を思い出せ。


 「いくら抵抗しても無駄だ。お前の刃では決して、我を滅ぼすことはできない」


 「いいや……! 正義が負けることなど、ありえないっ……!」


 刀を地面に突き刺し、身体を支えながら起き上がる。口から溢れる血が止まらない、しかしこの程度で寝ていられるか。


 巨人が俺の眼の前に立ち、その拳を振り下ろす。

 俺はそれが何もかもを潰す前に、脚に力を込め巨人の股下を潜り抜けると一直線に走って振り返る。


 「逃げる気か? 今更────」


 「もう“斬った”」


 そう、斬撃が通用しないことはもう十分承知した。斬ったものは奴の肉体ではなく、それは攻撃ですらない。


 「ぐおっ!」


 巨人の足場が崩れ落ちていく。下半身が穴にはまり、地表から上半身だけが見える。

 俺がぶつかったものは大型の商業施設。当然、地下駐車場は存在する。それを利用し、地面を──駐車場の天井を斬り落とすことで簡易的な落とし穴を形成した。

 少しでも奴の位置を固定できればいい。


 俺は胸の前で両腕を交差させ刀を構える。背中から生えるもう二本の腕は、それを上下に反転させるように頭の上で組む。腕と四本の刀が円形に近い形を描く。円の中心に青い光が収束する。

 狙う先はもちろん巨人だ。


 「く……無防備だ、死ぬがいい!」


 巨人の上半身からいくつも触手が伸び、防御できない俺の身体に突き刺さった。腕に、腹に、心臓に鋭い痛みが走る。しかし何をされようとこの構えは解かない。


 「馬鹿な、なぜ生きている!?」


 「言っただろ。俺が正義を成すと────!!」


 俺が刀で形作った円は、月だ。青白い光が最大まで輝きそのエネルギーを一気に放出する。


 「月輪!!」


 解放された月光は巨人を淡く照らし出す。

 噴き出すエネルギーが地下に埋まった下半身諸共すべてを飲み込み、肉片一つ残さず光の中にかき消していく。無駄な被害は出さない。


 残ったのは巨人のいた箇所だけ抉れて陥没した道路だけだった。


 身体から光が拡散し武者から人間に戻る。

 力を使い切った俺は瓦礫の一つに背を預けた。未だこの街は戦場であり、皆が戦う音がする。加勢しに行きたいのは山々なのだが身体が動かない。


 空だけを眺めていると急に黒い兎の耳が視界に入る。


 「……お疲れさま。今は休みなさい」


 九泉は瓦礫を背にする俺を引き寄せ、自分の膝の上に倒した。


 「九泉……無事か?」


 「おかげさまでね。よくやったわ、ほんと」


 「俺は、行かなくては…………!」


 身体を起こそうとするが、重い痛みが全身に走る。再び動くには時間が必要そうだ。


 「あんたのやるべきことはもう大体終わったろうし休みなさいって。後は仲間を信じるだけよ」


 九泉は俺の頭をなでる。


 遠くからドラゴンの叫び声が聞こえた。────負けるなよ、緋山。

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