第7話 星を喰らうもの

 怪物が跋扈する街を駆け抜ける。

 浪間市は今や、住人より怪物の数の方が多いんじゃないかというほどだった。


 巨大な蜘蛛や蟻が埋め尽くす通りを強引に押し通り、横合いから噛みついてくるリザードを拳で殴り飛ばす。


 空を行けば楽だろうが、それはエネルギー消費が激しい。あのドラゴンに勝つためには温存する必要がある。


 隣の浅間の様子を横目で窺う。

 自慢の剣で敵を手当たり次第に貫いている。大怪我をしたのはつい昨日のことだ。完全回復しているわけがないが、それでも負傷を感じさせないほどには動いていた。


 「緋山君、上!」


 「おう!」


 ワイバーンが急降下して襲い掛かってくる。

 死角からくると面倒なのだが今は二人だ。奇襲をさせずに正面から捉えてしまえば脅威度は低い。


 五匹まとめて滑空してくるが数など些細な問題だ。

 攻撃を避けすれ違いざまにそのうちの一匹の足首を掴み、武器として乱暴に振るう。使い終わったら偶然目の前にいたリザードの頭にワイバーンの固い爪先を突き刺す。


 「けっこう殺したんだがなあ、全然減らねぇ」


 「敵がこっちに引き付けられてるっていうなら、避難所の方は手薄なはず。守備側の彼らもきっと助けに来てくれるよ」


 開けた交差点に出る。

 周囲からは蟲や竜に加え、黒い四つん這いの怪物まで出てきた。霧を吐く怪物の死骸から生まれてきたのだろう。


 敵はすぐに飛び掛かってくるかと思いきや、こちらを包囲するだけで手出しをしてこない。


 疑問に思うと、空から何かが降りてきた。


 「こんにちは、これから死ぬ人間の諸君。ご機嫌いかが? よく眠れた? ────そう、それはよかった!」


 七色の線を体に刻み込む白い竜が、さながら宗教画の天使が降臨するシーンのように道路に降り立った。

 その右手には昨日と同じく白衣の女が腰かけている。


 「私は今日という日が楽しみで愉しみで眠れなかったなぁ! こんなに素敵で美味しそうな惑星、他に見たことない! ゆっくり食べて終わりにしようかぁ!」


 女は両腕を大袈裟に振りかぶり喜びを表現している。

 口調と対照的に、その顔は能面のごとく無感情の笑いを張り付けていた。


 「地球は終わらない。人間も滅びない。俺たちはまだ進み続ける」


 「んー、威勢がいいね。昨日あれだけ一方的にやられておいてよくそんなことが言えるもんだ。学んでないの? 脳味噌詰まってない?」


 女はこちらを挑発するようにねっとりと喋る。


 確かに昨日は酷くやられた。主な原因としては、連戦続きであったためのエネルギー不足だ。

 だが今日はまだエネルギー十分、そして少しだが対策も考えてきている。


 「お前こそそんな小さなドラゴンでどうやって地球を滅ぼすつもりだ? それともそれは飾りで、ただのお前のペットなのか?」


 白竜の大きさは立ち上がっていても六mほど。

 これまで戦ってきた全長二百m弱の超巨大甲殻虫や。十五m前後ある霧の怪物と比べれば遥かに小さいサイズだ。


 ……秘めている力がそれらの比ではないことを、既に知っているが。


 「知りたい? そりゃあ知りたいよね、自分がどうやって死ぬのか!」


 掌の上に立ち腕を広げる。女の白衣や髪が風にあおられはためく。


 「この子は何でも食べるんだ。この地球上にあるもなら、文字通りなんでも。そうして大きくなって強くなって……、最終的にはこの惑星と同じサイズ、全長千三百kmまで成長したらこの惑星を丸かじり!」


 「…………はぁ?」


 隣の異形が信じられないというように首をかしげる。


 「このドラゴンはね、君たちが空想する恐怖の存在そのものなんだよ。私たちは人間を食べ、その思想や文化を同時に取り込んだ。君たちの想像が実体化して君たちを滅ぼすなんて、皮肉だよねぇ!」


 「ああ、そうか。よく分かった」


 俺はドラゴンに対し歩き始めると、翼を点火し青白い炎を噴射した。


 「つまり最も小さい今のうちに倒せばいいんだよなぁ?」


 急激に加速し女目掛けて蹴りを放つ。ドラゴンが動き躱されるがそれは想定内。


 すかさずビーム・マシンガンをまた女を狙って発射する。

 ドラゴンは左腕で女を庇おうとするも間に合わず、光弾の一部が命中した。


 「おーお見事。当たってる当たってる」


 ビームが少し掠っただけでも人体を破壊するには過剰な威力だ。女の半身は吹き飛び、熱で傷口が焼け焦げている。

 それでも人の形をした侵略者は、半分になった顔でゆっくりと笑った。


 「でも残念、私の意識は既にこの子と結合済みだ。つまりこの体はもぬけの殻、用済みでーす」


 ぐしゃり。


 「な────」


 なんとドラゴンが右手を握り、女は潰される。指の合間から赤い血が流れ落ち、その白い手を赤く染めた。

 ドラゴンはそのまま右手を口元まで運び、潰した“もの”を呑みこむ。


 「さてどこまで足掻いてくれるかな? 君も食べて栄養にしてあげよう!」


 「ちっ……!」


 女の声がドラゴンから聞こえる。


 相手も翼を使い離陸し、互いに空中での戦闘に移行する。周囲で待機していた兵士は親を助けようと動き始めた。


 「浅間、周りの敵を頼んだ!」


 「任せといて!」


 戦友に背中を任せよう。俺はただ、この侵略者を倒すことだけに集中すべきだ。


 「ビーム・マシンガン!」


 「無駄なこと!」


 五連装の焼却装置が熱を吐き出すが敵の白い体表には瑕一つ付けられない。


 ドラゴンは両手の爪でこちらを引き裂こうと腕を振り回す。それをなんとか避けながら、相棒と通信する。


 「イグニス、ついてきてるな!?」


 『ああ、少し離れた所にいる。戦闘の余波は気にするな』


 エネルギー供給の効率を考えると、イグニスとマーレも攻撃側の二人について行った方がいい。

 しかし彼女たちを背負いながら戦うわけにもいかないので、俺たちが敵を片付けた道を後から来てもらうことにした。


 「出力を上げてくれ! 一割────いいや二割だ!」


 『了解した!』


 前回俺と白竜が戦った時は今のように、こちらの攻撃が全く通じないのに向こう側の攻撃は致命傷になるという圧倒的不利な戦いを強いられた。


 こちらの攻撃を通すにはどうするか。分かりやすい急所でも白竜にあれば楽だったが、やはりそう簡単にはいかない。

 一日もない時間ではアルゲンルプスの改良もできない。ならば単純に、こちらがより強い攻撃を仕掛けるしか突破法はないだろう。

 なので、アルゲンルプスの出力を上昇させることで暫定的な対策を取った。


 「ぶんぶん飛んで、まるで蚊みたいだねぇ。ほーら死んじゃいな!」


 「なんだこれ……うおっ!?」


 ドラゴンの口部が虹色に光り始めた途端、頭部ユニットが異常な数値を計測する。

 光の温度が数千度からマイナス二百度近くまで乱高下しなにか異常なものがあると知らせた。


 吐き出された息が俺の真横を通り抜けていく。

 七つの色が混ざり合った液体、いや気体のような何かは無人の街を上から覆い隠す。

 瞬間、街が燃え──凍り──帯電し──溶け始めた。自分は今、一体何を見ているんだろう。燃える氷、物を溶かす電気などこの世にあっていいのか。


 「外れかー。よし、次いってみよう!」


 再び光が収束する。もし被弾すれば確実に死ぬし、向こうは狙ってすらいないが浅間の方に撃たれたらどうしようもない。


 「させるかよ! ミサイル!」


 誘導弾の十連撃を喰らわせる。ダメージを与えるためではなく、その爆風で視界を奪うことが目的だった。


 煙の中を飛行しビーム・クローを展開する。出力を二割増ししたことで威力はもちろん、さらに通常よりも刀身が伸びている。


 が、色とりどりに輝く光線群が煙の中を突っ切り、こちらに誘導してくる。


 こちらを追うビームの総量は二十発。振り切る為に加速と急旋回を織り交ぜ変則飛行を行う。地面スレスレを飛行し、途中で翼のスラスターを前方に噴射することでバックブーストをかける。

 追って来たビームは動きについてこれずそのまま地面に衝突し爆発した。


 「ぐっ……おおお!」


 アポジモーターを利用した緊急旋回は身体に掛かる負荷も大きい。


 そもそもアルゲンルプスは最初から飛行を考慮した身体ではなく、後から追加した大型スラスターの推力にまかせ飛行しているに過ぎない。

 ただでさえ不安定な飛行に想定外の急激な回避行動を加えれば、身体に高度のGが掛かり各部位が軋み始めるのも無理はない。


 だが動きを止めるわけにはいかない。そのまま加速し、狙うは敵の喉元。煙が晴れ迎撃しようとするがもう遅い。


 「ビーム・クロー!」


 熱で構成された刃が白いドラゴンの皮膚を焼き切る。五本の線がその首元を横断し、黒い血を滝のように噴き出しながらドラゴンは落下していく。

 一見すればもう終わりだろう。確かに仕留めた手ごたえはあったがまだ油断はできない。


 ドラゴンはビル街に墜落しその体を伏せこちらに背を向けている。俺は右腕のブースターを展開し、確実にトドメを刺そうと急降下する。


 だが攻撃の直前、敵の様子がどこかおかしいことに気付いた。これは動いて────いや、ビルを“食べて”いる!


 「ぐあっ!?」


 振り払われる巨大な腕にぶつかり吹き飛ばされる。


 目の前にいたはずのドラゴンはみるみる大きくなり、その全長は二倍以上の十五mといったところまで達した。

 向こうと同じく地面に立ち上がることでその大きさの差はハッキリし、こちらが完全に見上げる形になる。


 「おい、成長速すぎだろ!」


 「まだまだ成長期だもんね。ほらどうしたの、早く倒さないともっと大きくなっちゃうよー? あっははははは!」


 「この……!」


 俺は飛び上がり敵の様子を窺う。確かに大きくはなったが、その形状は変わりない。つまりは戦い方も変わらず先ほどのようにビーム・クローを急所に当てていけばいいはずだ。


 だがしかし、その白竜に先ほど当てたはずの喉元の傷跡は既に無い。


 「再生してるのかよ、面倒くせえ!」


 「覚醒したんだ、君たち人類では相手にならないよ!」


 ドラゴンは体と共に巨大化したその腕を振るう。その速度は比べ物にならぬほど向上し避けきるだけが精一杯で攻撃のチャンスを得られない。


 「なっ!?」


 その爪の一撃は完全に避けた────はずだった。

 誤算は、紙一重で避けることを許さぬ風圧の存在だ。高速で振り下ろされる爪に透明な暴風が付随する。不可視の追撃により全身を打たれバランスを失い、飛行できなくなる。


 なんとかビルの屋上に着地するも敵の攻撃は終わらない。


 「あっはっはっはっは! ぐちゃぐちゃに引き裂かれてミンチになっちゃえ……っての!」


 ドラゴンの両爪が何度もビルを砕く。突風と衝撃、更に吹き飛ぶ瓦礫に押し出され俺は落下する。

 受け身を取ることもできずに道路に転がると、ドラゴンは口を開き、道路を下顎でめくりあげながらこちらに向ってきた。


 「喰われてやるかよぉ!」


 ビーム・マシンガンを迫りくる顔面に連射する。出力の上がった兵器は竜の目や口内を焼くもすぐに再生してしまい、動きを止めることはできない。


 道路であったコンクリの破片が暗い穴へ運ばれ消えていく。全てを喰らう滅びの竜が、死を告げにやってくる。


 「終わりだよ。呑まれて、我らの一部と成れ!」




 「よーし、墜とした! これで全部かな?」


 空に浮いていた巨大な蟲を撃ち抜き、ついでに飛竜もいくつか迎撃した。敵は増え続ける一方だが、空を飛んでいる敵は倒しやすい。

 野田さんも宣言通り、左の蟲を二匹やったようだ。


 近くの地上の敵もある程度片付けたし、今度は皆の支援に回ろう。私のこの“花”は、長距離からの攻撃に向いているようで、前線で戦う皆を助けるにはぴったりだ。


 「久しぶりだねぇー藤音君」


 「──────っ!?」


 ぶぅん、と不快な羽音とともにそいつは現れた。


 「ウソ、そんな……」


 真上から降りてきたその巨大蟲は、頭から兜虫のような角を生やし、両腕が鎌、下半身が百足といういくつもの蟲を切り貼りしたような姿をしていた。


 でも私が驚いたのはその姿ではない。その声だ。


 「君が戦う決意をするなんて予想外だったよ。大人しく隅っこで死を待って震えていればいいものを、自ら首を差し出してくるとは」


 「先生、なの? でも倒されたはずじゃ……」


 事情は既に知っていた。あの時の先生は侵略者とやらに乗っ取られていて、それを緋山君たちが倒したことを。私自身もその場で見届けた。


 だからありえない、こんなことは……!


 「我らは本体の一部に過ぎない。死んだらまた分けてもらえばいいのさ。一回死んだぐらいで滅びる人間なんかと同じにされちゃ困るね」


 蟲は嗤う。人間のような口ではないためキチキチとその牙が音を立てるだけだが、それでこちらを見下していることは十分伝わる。


 「あ、そうそう。今度は生かして人質にしたりはしないからさ。────まあ邪魔なんだ。死んでくれ」


 銀色の小さな蜂が目の前の蟲を囲むように浮遊し、こちらに狙いを定めた。見たことがある。これは前に緋山君たちが戦っていた蟲だ。


 「きゃあっ!」


 咄嗟に花弁を閉じる。蕾のような姿となることで放たれた弾丸は阻まれ、こちらまで届かない。

 この花弁はただの巨大な植物ではなく、強度や柔軟性が飛びぬけており身を守るにはうってつけだ。


 「弾丸蜂は無駄か。じゃあこいつはどうかなぁ!?」


 鋭いもので花弁の表面に傷がつけられた。

 私から見えることはないが、恐らくこれは敵の鎌が私を襲っているのだ。一撃で切り裂かれないとはいえすぐに突破されるだろう。


 閉じこもり続けるのは悪手だと、まだ冷静な部分の私が考える。


 「う、うわあああ!」


 叫び、周囲に絡めておいたツタを正面の敵に向かって叩きつける。

 正確な場所が分からずとも互いに巨大だ。攻撃方向から位置は分かるし、手当たり次第に振るっても牽制にはなる。


 しかし駄目だ。ツタが裁断されていく。末端にあたるツタがいくら斬られたところで私自身に影響はないとはいえ、攻撃がいなされる焦りは私を追い詰める。


 「この……喰らえ!」


 花弁を開き、七本の花糸を正面に向け同時に光を放つ。奇襲したつもりであったがそれは簡単に読まれていたようだ。


 蟲は軽く身をいなして避けると逆に防御態勢を解いたこちらに詰め寄ってくる。


 「ざぁんねんでした。お前の攻撃なんぞ児戯に等しいお笑いものだ。動きが固いしお粗末すぎる、向いてないんだよ戦いに」


 「あっ────」


 小さな棘が刃にいくつもついた、凶悪な鎌が花柱と一体化した私に振り下ろされた。

 至近距離では花弁を閉じて防御ができない。動けもせず、全くの無防備な状態だ。遠距離戦が出来る反面、近距離での戦いには私の変身は致命的に向いていない。


 「それそれ! 植物だってのに血は出るもんなんだなぁ!」


 鎌が何度も私を斬りつける。

 必死に両腕を構えて防御するも意味を成さない。刃が私を真っ二つに切り落とそうと、お腹をごりごりと鋸の様に削っていく。


 「どうだよく斬れるだろ? この体こそまさしく蟲の王だ。選りすぐった究極の体なんだよ、そう思うよな?」


 「あ、あ、あ────」


 自分が斬られていくのがよく見える。白い体から赤い血が噴き出し零れていく。


 変身しているからか痛みは気絶するほどではないものの、それでもすごく痛いし視覚的な恐怖も私を攻め立てる。

 もう止めて、という言葉も出せず視界が、思考が黒く落ちていく。


 痛い、痛い、痛い、痛い、痛い────!


 こいつはわざとやっている。やろうと思えば首からだって斬り落とせるのに、この蟲はあえて腹を斬るところを私に見せつけていたぶり愉しんでいるんだ。

 一方的に嬲られる恐怖で考えがまとまらない。どうしていいかも分からない。意識は段々と沈んでいき、暗い海の底へと引きずり込まれる。




 「これ、お前の?」


 夕焼けが校内を照らし出す放課後、私は不意に話しかけられた。


 中学校二年生の頃の古い記憶だ。私は相変わらずクラスに馴染めず一人きりで、その日も一緒に帰る友達もおらず図書室にでも寄って帰ろうかと考えていた。


 ただその前に私はあることに気付いた。持っていた本を失くしてしまったのだ。

 落としたのだろうか、だとすると大変困る。中身はオカルト関連のものではなく、誰にも見られたくないものだったのだ。


 教室を探しても見つからない、廊下に出て辺りを見回すがやはりない。下手すると職員室とかに届けられているのではないかと恐怖すると、彼が話しかけてきた。


 同じクラスの緋山修二君。短髪だが特に部活動に所属もしておらず気だるげ、私が言うのもなんだがクラスでは地味な存在だ。

 互いに今まで話したことはないので、この会話がファーストコンタクトだった。


 「あ、あ、うん、私の……です」


 我ながら最悪の反応だ。話しかけられるなんて思ってもおらず、驚きと緊張が相まってカタコトの外国人のような話し方をしている。

 特に、異性と会話するのは父親を除けば年に数回というものなのでどう話せばいいのかも分からない。


 「落ちてから拾った。返す」


 「あり、ありがと」


 簡潔な会話。


 私はおずおずと差し出された本を受け取る。薄めの単行本で本屋のカバーをしてある。


 用は済んだというのに彼はその場を去らず私を見つめてきた。私は人と顔を合わせることなんてできないので、本を抱えて俯いたままだ。

 早く図書室に行けばいいのに、見られていると動けない。変な緊張感が彼との間に漂う。


 「あー……」


 緋山君は何かを迷っているような顔で頭の後ろに手をやる。


 これはまずい。この微妙な反応は、間違いなく中を読まれた。恥ずかしさで顔が紅潮しますます前を向けない。

 無理無理無理、耐えられない。やっぱり学校に持ってくるんじゃなかったと後悔。しかしとうに遅い。


 「すまん、確認のために中を見た。藤音……さんってそんな本読むんだな」


 「あひゅっ!」


 もしかしたら中身を見ていないのではないか、という淡い希望は打ち砕かれる。変な声を出してしまったのも恥ずかしくて汗が止まらない。


 私が探していたのはドキドキ☆ハーレム大作戦の四巻────通称ドキハレの最新刊だった。ハーレムを欲する男の子の少し刺激的な内容の本のため、これだけは非常に他人に知られたくなかった。


 子供というのは残酷だ。

 小学生の頃、一人でオカルト本を読んでいた私は、変な本を読んでいるというだけで散々からかわれた。どうも陰気で弱そうなのもそうされる原因だろう。

 いじめというほどではないが、その無邪気な行いは私を存分に傷つけその陰気さを重症化させた。


 中学生ともなればそのようなからかいは収まる。が、こんな本を読んでいたぞと彼に取り上げられ、クラス中に本を回されれば私は笑いもの待ったなしでもう学校には行けなくなるだろう。


 ああ憂鬱だ。どうして落としてしまったのか、しかも先に人に拾われてしまったのか。


 彼がこれから口にする言葉の全てが、私に対する死刑宣告に成り得る。


 「お、俺も知ってるんだけどさそれ。今度アニメやるよなーって……」


 「────へ?」


 聞こえたのは私を嘲笑する声でも揶揄する声でもない。まさかの同調する言葉だった。


 「ひひ、緋山君も、知ってるの……?」


 「まあそれなりに。全巻初版で揃えてるぜ」


 「……最新刊、よ、読んだ? だ、誰が一番す、好き?」


 「おう。主人公が自分ちの風呂に穴開ける話だろ? ああ読んでる途中なら深くは話さない方がいいな。好きなキャラは……そうだな、やはり王道の幼馴染……いや隣のお姉さんの……違う、やっぱり帰国子女のあの娘が……」


 驚きのあまり口が半開きのまま固まる。


 彼の決断力のなさではなく、本当に同学年にこの作品を知っている人がいることに。そもそもライトノベルを読んでいる人自体が少ないこともあって、これまでドキハレを知っている人というのには出会ったことがなかった。


 「……訂正する。俺の本命はコンビニでばったり出くわした探偵の────」


 彼の話が止まる。


 「あ、すまん! ちょっと俺だけ話し過ぎたな、はは。いやまさか同じ本読んでる人がいるとは思わなくてさ、つい調子に……」


 「だだだ、大丈夫だよ。聞いて、るから。わ、私もドキハレ好きで、えっと」


 彼が謝ることはない。私が何も言わないから気を使ったのだろう。私はあわてふためきながらもなんとか言葉を絞り出す。


 「…………私と、は、話してくれ、る?」


 「おう。もちろん」


 立ち話もなんだしと教室に戻り、黄金色に染まる机に向かい合い二人でドキハレについて話し合う。


 少しの間だけど、それは私の知らないとても素敵な時間だった。




 あれは今から四年前の、私が初めて友達──しかも異性──を作った日。


 どうして今この記憶が出てきたのだろう。まるで走馬灯のように脳裏を駆け巡るのは、彼との記憶。かけがえのない私の友人。


 『背中は頼んだぞ藤音、お前ならやれるさ』


 昨夜言われたことが反芻されてこだまする。


 ああそうか────私が本当に恐れていることは、痛みでも死でもない。彼の、緋山君の期待を裏切ることだったんだ。


 私は今までほとんど期待というものをされてこなかった。

 頭もよくないし運動もできない。これといって夢もなければ特技もない。親はこんな私をどう思っているのだろう。

 中学生の頃はレベルの高い高校受験の話なんてしていたが、高校生になってからはそういう話はない。もう偏差値の高い大学へ行かせようなんて考えていないんだ。


 私が“駄目”だって分かったから。


 緋山君にとっては私なんて、数いる友達の一人なんだろうけど。でも私にとっては特別なんだ。

 だからこそその期待を裏切れない。失望されたくない。こいつは使えない能無しなんだって、思われたくない。

 唯一の友達にそんなことを思われるのは死ぬより辛いことだ。


 彼には今まで二度私を救ってもらった。一度目は四年前、私の暗い学校生活を。二度目は先日、私の命そのものを。


 だからこそ私は力を得るために契約したんだ。全ては、彼に報いるため。



 「ッ……あああああ!」


 「おおっと、まだ戦意があったのか」


 ツタを目の前の蟲の王に絡ませようと背後から襲わせる。

 一部が百足の脚にひっかかるも力が足りない。容易に振りほどかれ、残りのツタも鎌で切断された。


 「この! このぉ!」


 狙いもつけず花糸から光を撃つ。


 蟲の瞬発力はすさまじく、至近距離の発射でも全弾避けられる。しかし距離を取らせることには成功しこのまま殺されることは免れた。


 腹の傷は深く、既に半分ほど抉られ赤い液体が溢れ出す。

 ああ変身体でよかった。この身体は私そのものではなく精神が発露したものらしい。変身体がどれほど傷つこうとも、本当の私の肉体から血が出ているわけではないと思えば多少は気が楽だ。


 「無駄な抵抗は諦めろ。どうせ人間は皆死ぬんだから、だったら楽な死に方がいいだろ? なぁ」


 教師の声で喋る蟲はブンブンと飛び回る。こちらの攻撃はその速さに躱されどれも当たらない。


 このままでは為す術無く死んでしまう。だけれども死を間近にしているというのに、私はいつになく落ち着いていた。

 もう、すべきことは分かっている。


 「隙だらけなんだよぉ! 遅い、鈍い、拙い!」


 私が放った光を避け迎撃するツタも切り裂きながら、蟲はこちらに急速接近してくる。さっきと同じく、懐に入り込んで決着を付けようということだろう。

 花に誘われたとも知らずに。


 「もう……逃がさない」


 「あぁ……!?」


 至近距離では花弁の防御が効かない。だが、閉じることはできる。


 そう、こちらの攻撃が避けられるなら閉じ込めてしまえばいいんだ。花弁に包まれた密閉空間に私と蟲だけが相対する。


 「────そういうことかよ、ちっとは考えるもんだな」


 敵も私の意図に気付いたようだ。しかしそれを理解してなお、キチキチと音を立てて嗤う。


 「だが駄目だ。だってな────俺がお前の首を落とす方が速いもんだからさぁ!」


 蟲の両腕の鎌が左右から閉じるように振るわれる。変身体といえども首を斬られてはどうなるか分からない。

 だがそれは、逆に言えば首以外が斬られようとかまわないということだ。


 「うあああああああ!!」


 「てめっ……!」


 血が噴き出す。それは首からではなく、私の両腕から。

 私は自分の首を細い両腕でもって必死に守った。手首のあたりから先は鎌で切断されるも、おかげで首は半分ほど鎌が食い込んだだけで済む。


 「無駄だ! このまま押し込んでその首────」


 それは遅い。


 既に私の花糸は光を溜め込み、蟲の気持ち悪い体表を白く照らしている。この距離ではどうやっても避けられないだろう。


 「私は、変わるんだ……!! もう恐怖だけして自分の世界を閉ざしたりはしない! だからお前は、消えてなくなれ……!」


 「な、馬鹿な……」


 光を一気に照射すると共に、花弁を開放し光のエネルギーを外へと逃がす。


 最高出力を直撃させられた蟲の体は紙を火で焦がすように消えていき、最後には何も残らなかった。




 「終わりだよ。呑まれて、我らの一部と成れ!」


 喰われる直前、ドラゴンの顔面を横から光の奔流が叩きつける。光は爆発し、ドラゴンは大きくよろめく。


 どうやらこの攻撃はビルを貫通し避難所の方から放たれたようだ。俺はこれが藤音の援護であると確信し、千載一遇のチャンスを活かす。


 「今だ、ミサイル発射!」


 「小癪……!」


 激しい爆発が竜の脚を掬い、体勢を崩すことに成功する。ミサイルのダメージは外皮で防げても。その着弾と爆発の衝撃までは殺しきれない。

 横倒しになったドラゴンにビーム・クローを突き立てるため上昇し、空中から今度こそその頸を切り落としてやろうとする。


 「隙が出来たとでも!?」


 「ぐっ!」


 竜の全身からカラフルなビームが発射される。ざっと計測して五十発、巨大化前より三十発も増えているビームは同じように誘導しこちらを狙う。


 「があああああ!!」


 弾数が増え避けきれなくなり、ビームをいくつも被弾し墜落を余儀なくされる。損傷が大きい。身体の各部位の稼働率が急激に低下していく。


 「向こうのお花はもう死にかけか。じゃ、これでさよなら」


 起き上がったドラゴンは、その虹色の翼膜を持つ翼を大きくはためかせる。鱗粉のような光る粒子が、避難所の前に鎮座する藤音の元まで飛んでいくのが見えた。


 「きゃあああああ!?」


 粒子が爆発し炎が視界を遮る。悲鳴が聞こえた、ような気がする。


 ドラゴンは手元のビルを根元から千切ると、さらに追撃として藤音の方に放り投げた。火の海に、逆さまになったビルが突き刺さる異様な光景が広がる。


 藤音は────避難所はどうなった? 誰も応えてはくれない。


 白い巨体がこちらに目を向ける。

 目に痛いほどに輝く虹色の粒子を纏うその姿は、世界を終わらせるものとしてはあまりに幻想的だった。


 竜はこちらに近づいてくるが、俺はまだ諦めてはいない。


 「イグニス、無事か? 戦闘に巻き込まれてやしないだろうな」


 『…………こっちも大変だ、もう巻き込まれない場所なんてどこにもないぞ。でも安心しろ、私もマーレも死んではいない』


 ノイズ交じりの通信をかけるとなんとか通じたようで、綺麗な声が脳内に響いてくる。


 「出力が下がってきている、また二割増しまで戻してくれ。今度こそ一気に畳みかける」


 『わかった。ただ注意点が二つ。戦闘による損傷で、もうアルゲンルプスが高出力に耐えきれない可能性が有る。あと私のエネルギーも少なくなってきているためできるだけ時間をかけずに決着を頼む』


 「オーライ。元よりそのつもりだ」


 出力を上げるということはエネルギーの消費を増やすということだ。当然稼働時間が犠牲になり、時間内に敵を倒しきれなければ変身が解け、こちらが死ぬ。


 「自慢のブレスでぜーんぶ飲み込んでしまおうか! ほら最期だよ、狼!」


 ドラゴンは口にエネルギーを集中させる。またあの滅茶苦茶な原理の息が飛んでくるのか。

 もちろん喰らうわけにはいかない、吐かれる前に攻撃を仕掛けなければ。


 「ってなんだ────?」


 俺が先手を打つ前にドラゴンの体がぐらりと揺れる。


 見ればその白い脚に何かを擦ったような傷が一本、真っすぐに伸びていた。


 「奇襲成功! 油断し過ぎなんじゃないのコイツー!」


 高速で動き回った結果竜巻のように見える連続攻撃。かまいたちという言葉も連想させるそれは速すぎてまともに視界に映らないが、この声の主は間違いなく浅間だ。


 このドラゴンとの戦いに集中していたため気づかなかったが、周囲を見渡すと既に取り巻きの雑魚はあらかた消えてなくなっていた。


 「────合わせる! このまま川まで押し出すぞ!」


 少しの時間も無駄にはできない。思考を最小限に、効果が最大限の攻撃を考え俺は飛び上がった。

 浅間がドラゴンの下半身をその突進で押し、俺が上半身を殴打する。優先すべきはダメージより衝撃、なるべく避難所から遠ざけると共に向こうの川を目指す。


 「なっ、この……!」


 浅間による初撃の奇襲から主導権を奪い返され、俺たちの息もつかせぬ連続攻撃で白竜はよろめきながら後退する。


 そして、相撲の土俵際のように引かれた川の淵まで足がかかった。

 浪間市は大きな川に挟まれた三角形の都市だ。街のどこからでも、川まで行くのは近い。


 「そらよっ!」


 右肘のブースターを利用したスマッシュが竜の胸を思い切り打ちつける。竜はその脚が浮くほどの衝撃を受け、川に飛び込み全身を沈めていく。


 「浅間!」


 「もちろん!」


 戦場を川に移したのはこのためだ。水場でこそラピドゥスグラディウスはその性能を十分に発揮する。


 全力の浅間と俺で今、決着を付ける。




 冷たい水が身体を包み込む。この飛び込む瞬間の、違う世界に来たような感覚がなんとも愛おしい。

 水中は私の領域、誰も追いつくことはできない。人間では出すことのできない速度で水中を進む感触がなにより気持ちいいのだ。


 川から起き上がろうと藻掻く竜がよく見える。


 二度と地上に返すものか。私は加速し、渦を巻く一つの銛となる。そしてまずは竜の両脚を抉り貫き、次に左掌、脇腹をドリルの様に体内を掘り進んでいく。


 「それそれそれそれぇ!」


 「調子に乗って……!」


 地上を焼き空を支配する竜も、水中では満足に動けない。その一挙手一投足が遅いに過ぎる。


 地上では一方向への突進となるが、水中では勢いを殺さぬままカーブや回転も自由自在だ。完全に動ける私をその爪が捕らえることは不可能。


 「マーレ、全力で行くよ!」


 『ああ、こちらは問題ない。見せてやれ湊、お前の力を』


 全身に力を込めるとずきりと痛む。連戦の疲労を無視した対価だ。恐らくこれが私の放てる最後の大技だろう。


 敵を見据える。


 竜の各部位は再生を始めていたが、即座に回復するほど速くはない。こちらの攻撃が相手の再生を上回っている。

 ここに大きな一撃を与えれば再生が完全に追い付かなくなり、文字通りバラバラにしてやれるのではないだろうか。


 「ランケア・ウェルテクス────!!」


 水中に大渦を生み出す。先ほどからの攻撃とは比較にならないほどの、川を塞ぐようなサイズの渦巻を。

 両足で水中を蹴りだし、私の剣を中心とした螺旋の一撃を弾丸のように加速させる。


 「いっけええええぇぇえ!」


 川中の水が一気に私の渦に味方する。竜は渦の方へ集う水流に抵抗できず、回避どころか吸われて向こうからこちらに近づいてきた。

 命中は確実、後は竜の全身を内側からくまなく四散させるだけだ。


 「──────なーんて、甘い夢でも見た?」


 一瞬竜が白く点滅したかと思うと、私の身体全体が大きく跳ね骨まで軋むような衝撃が奔る。


 痛い、苦しい、何も聞こえない、前が見えない────。


 何が起きたのかすら理解できず、私は解けた渦の流れに飲まれ暗い水の奥へ消えていく────。




 俺は川辺のビルの上から浅間とドラゴンの戦いを見ていた。

 下手に手を出せば邪魔になることが分かっていたし、見た所浅間が優勢のようだった。


 しばらくして川全体が大きく揺れ始め、縦になった渦が水中に出現する。渦はそのまま鋭い槍となりドラゴンを穿とうとする。


 「なっ……!?」


 決着の瞬間、激しい青白い光と轟音がその白竜から発せられた。正体はあまりにも強力な電撃だ。

 水中で放射された稲光が地を伝い、ビルの上の俺の足元まで微弱ながらも流れてくる。


 「浅間! 浅間ぁー!」


 マズい、電撃まで扱えるとは想定外だ。こんなものを至近距離、しかも水中で喰らってしまえば浅間は────!


 水面の様子がさらに変化する。大きくゆらめき茹った川に新たな渦が出来る。こんどは水中ではなく水面にだ。


 ごく、ごく、ごく。


 水がものすごい勢いで流れ込む音がする。例えるなら大雨が降った日、路上の排水溝に注がれる滝のような雨水の音が。

 川の水は川上から続々と流れてくるため際限はない。それでも一時的に水位が下がったように見えるほど渦の中心に飲み込まれていく。


 「星の終わりの刻が来た。わかるだろ? 君たちの抵抗は全て無意味だ。君たちに許されているのは、膝をつき手を合わせ、どこにもいない神に祈ることだけだ」


 川の中から侵略者が起き上がる。遥かに大きく、強く成長しながら。

 全長三十mまで達したその竜は、もはや川に収まる大きさではなくなっていた。この残酷なまでに美しき威容を見れば誰でも理解できるだろう。


 もうこの惑星は終わるんだ、と────。


 「そん、な…………」


 俺はただ立ち尽くしているだけだった。

 目の前に顕現したその神のごとき圧は、人の心を簡単に折ることができる。絶対的な力、覆らぬ敗北、確実な死の運命。これぞまさしく、終末の舞台装置。


 『修二! しっかりしろ!』


 誰かの声が聞こえる。


 『マーレから連絡が来た。浅間は無事だ! 死んではいない、らしい』


 よかった、と喜ぶことも難しい。何せ今生きていようが、これから死んでしまうのだから。


 「イグニス……。俺にはやっぱり、地球は救えなかったみたいだ」


 『なっ……! 何を言ってるんだ修二! 諦めるんじゃない!』


 少女の叱咤に対し、怒った声も可愛いよな、なんて場違いな感想を抱く。

 今すぐここから、滑稽な現実という劇から逃げてしまいたかった。


 「これはもう終わりだ。アイツが小さいうちに仕留めきれなかった。俺にはもう、アイツに傷を負わせること自体できない。それほどまでに差があるんだよ」


 『駄目だ、戦え! 諦めることは許されない! キミが諦めてしまったら、後は誰がこの星を救うというんだ……!』


 そうか、俺が……最後なのか。

 浅間は戦闘できるものじゃない。藤音はビルの下敷きで、野田は分からないが、近くにいないということは浅間と同じく戦闘が難しい状態なんだろう。


 白き竜、星を喰らうものがこちらに顔を向けた。口元からは七色の光が漏れている。


 勝てるとは思えない。だが、ただ座して死を待つというのも気に喰わなくなってきた。

 せめて、せめて最期まで抗って死のう────。背中のスラスターを全力で吹かし、敵の攻撃範囲から逃れようとする。


 「宇宙の摂理に呑まれて消えろ……! 狼!!」


 竜から放出される吐息は、体の巨大化に伴い攻撃範囲を著しく拡大している。

 浪間市全域を覆い尽くそうかという虹の波から急加速をもって逃れようとするが、少しだけ速さが足りず追い付かれた。


 「っ……!」


 左半身が冷凍され固まり空から落ちていく。

 即座に身体から高熱を放ち機能を回復させようと試みるも、この隙は致命的だった。


 「これで終わり!」


 ドラゴンが爪を振るうと、その衝撃が真空刃となり地面を引き裂きながらこちらに向ってくる。ただ腕を薙いだだけでこの威力。

 車は小石のように巻き上げられ道路は紙をハサミで切るように柔らかく切断されていく。


 俺は動けない。解凍に時間が掛かり、半身は動くも翼の稼働はまだだ。

 走って避けられるような規模の攻撃でもなく、俺はここで死ぬという運命を悟る。


 やはり何をしても無駄だ。俺は逃げて生き延びることすらできなかった。人間に──地球にこの侵略者を倒す力はない。


 初めから俺たちは、ただのこいつらのエサに過ぎなかったのだ。


 「──────はあああああ!!」


 何かが俺と死の刃の間に割って入った。ギィン、と大きく金属音が鳴る。


 すると透明な刃は真っ二つになり、角度を変え俺の左右を通り過ぎていく。


 風圧を踏ん張って耐えると、目の前には見るも無残な姿の月断が背中を見せていた。全身から血が噴き出し、その兜や胴当ては深い傷が入っている。

 四本の腕に持つ刀の一つが、竜の力を受け止めた代償か刀身がボロボロと崩れ落ち、武者自身も今にも倒れて死にそうな有様だ。


 「緋山! 俺はまだ戦える、共に行くぞ!」


 「野田、お前…………」


 いくらなんでもそれは無茶だ。やせ我慢だ。誰がどう見たって限界だ。


 ────なのに、目の前の男は余裕だというように声を張り上げている。


 「勝てないんだ、野田。俺の攻撃もお前の攻撃も、アイツには届かない」


 「諦めるのか? 君らしくもない」


 「俺……らしく?」


 武者はこちらに向き直る。


 「俺はな、緋山の諦めない精神を尊敬している。お前は何かに絶望することはあっても決して諦めるような男じゃない。そうだろ」


 …………なんて奴だ。この男はまだ前を向いている。まだあの竜に勝つ気でいるし、負けるとか諦めるとかそういうことをこれっぽちも考えていない。


 俺が諦めるような男じゃない? 過大評価も甚だしいしそれはお前のことだろ。


 竜はまたもや力を溜め、あのブレスを吐く気でいるらしい。先ほどの攻撃は浪間市の北半分を悉く喰らい尽くした。今度はもう半分、避難所も攻撃範囲に入っている。


 「よし、俺は全力であの攻撃を止める! だから緋山、君はあいつが攻撃している隙をついて一発かましてやれ!」


 「へ? いや待て、勝手に決めるんじゃ────」


 「来るぞ! 後は任せた!」


  ドラゴンの口部が開かれ、世界を滅ぼす攻撃だとは思えないほど綺麗な虹が俺たちに直撃するコースで突き進んでくる。


 武者は一人立ち向かい、その三本の刀と刀身の崩れた一本の刀を持ち構えた。


 「九泉、最後の力を貸してくれ……! ────月輪!!」


 歪んだ円形に構えられた刀の中央に眩い光が蓄えられる。そして月光が地上を優しく照らすように、柔らかな輝きが放たれ虹とぶつかり合う。

 互いの攻撃は押し合い、一時の拮抗を作り出す。


 俺もやらなければ。死を受け入れている場合ではない、戦い続けるこの男の期待に応えるため、せめて一撃アイツに喰らわせなくてはならない。


 「イグニス! 俺も最後の一発だ、残っているエネルギーを全て回せ!」


 『……! わかった!』


 背部の大型スラスターはもう使用可能だ。蒼炎を噴き空へと昇り、虹の奔流を避けながら白い高層ビルのような竜の巨体にひたすら飛んでいく。

 懐に入ってしまえば、竜はこちらにブレスの照準を合わせることはできない。そして竜が俺を迎撃しようという動きもなかった。


 『こんな怪物でも決して不死身じゃない。サーモを使え、一番高温の場所に重要な器官があるはずだ。そこを破壊しろ』


 言われた通りに頭部ユニットの機能を使用する。竜は全体的に高温だったが、一際反応が大きい箇所が胸にあった。


 「だが……再生されるんじゃないか? 俺たちが与えた傷は全て消えてしまっている」


 『それは攻撃箇所の問題だ。手足など単純な構造の所を破壊しても再生はすぐだろう。しかし複雑で重要な器官が集まる、人間でいう心臓か脳にあたる部分を攻撃すればおそらくすぐに再生できない。一撃で殺せるかどうかは怪しいが、動きを止めたり能力の一時低下は期待できるぞ』


 端的に分かりやすい解説を脳内で聞きながら、俺は無事にドラゴンの胸部の前に到達した。


 地表から爆発音が響き、ドラゴンのブレス放射が止まる。

 振り返って友の安否を確認する余裕はない。ここが本当に最後のチャンスで、これを逃せばもう打つ手なしだ。


 恐怖はある。逃げたい気持ちもある。


 ──────だが、この選択に後悔はない。


 ほんの一瞬の逡巡の後、俺は両肘のブースターを展開した。杭打機と化した両腕をドラゴンの胸部へ打ち込む。


 「ビス・フルク・ルクス!!」


 アルゲンルプスのエネルギーが腕を、指を通じドラゴンの体内へ。文字通り爆発するかのようなエネルギーの奔出はあらゆるものを融かし蒸発させる。


 「がっ……があああああああああああああああああああ!!」


 竜の絶叫が俺の頭を揺さぶりながら、杭打ちの衝撃で竜は黒い血を噴き出しその上半身を大きく後ろにのけぞらせた。

 出力を上げた一撃は、竜の胸部を貫通はしなかったものの大きく抉り取る。


 だがこちらも無傷ではない。イグニスが前に言った通り、戦闘で損傷したアルゲンルプスは己の攻撃に耐えることができなかった。


 俺は、肘関節から先が吹き飛んだ両腕を見る。

 駄目だ。これでは追撃が出来ない。敵はまだ死んでいない、これから追撃をかけ本当にトドメを刺す必要がある。


 だというのに俺の────アルゲンルプスの身体は持たなかった。


 「クソ、俺は……まだ…………」


 さらに悪いことに、エネルギー切れだ。俺が力を出し過ぎた余りに、ビス・フルク・ルクスに全エネルギーを注いでしまった。

 エネルギーを使わなければ破壊できないから仕方ないところもあるが、動けなくなるほどに使ってしまったのはミスだ。


 飛行もできない。蒼炎は止まり、俺は真っ逆さまに地面に落ちていく。

 薄れゆく意識の中、胸を黒い血で染めた白竜の上半身が起き上がるのを見た。こちらを忌々しい目で睨みつけた後、竜はその右腕を俺に振りかぶる。


 ぐしゃ、という音が聞こえ俺は──────。




 「修二! 修二! 修二……!」


 蠅のように叩き落された狼に、少女が駈け寄った。


 返事は無い。彼女の契約者は全ての力を出し切り眠っていた。少女が彼を抱きかかえると、変身も解除される。


 「返事をしてくれ修二……」


 「────は、星の端末か」


 宇宙からの侵略者は二人に軽く目をやると鼻で笑った。


 勝敗は決した。戦闘能力を持たない二人に侵略者がこれ以上攻撃する理由はないし、そんな時間もない。

 この場にいる地球の戦力を殲滅した今、時間をかければ地球が新たな上位者を次々に送り込んでくることは予想がつく。そうなる前に侵略者は星を喰らうため成長する必要があった。


 必要があったのだが、終わりを告げる神は少しだけ余計なことを考えた。

 本来ならばこんなことはしない、ただの憂さ晴らし。中々癒えない胸の傷が痛むのが頭にきたというだけ。


 侵略者はその翼を軽く動かすと、光る粒子を二人に飛ばした。少女はそれに気づくと少年を庇いながら爆発の中に消える。

 光の中でビルも砕け土煙が舞い二人の姿は見えなくなったが、侵略者はそれ以上興味を持たずまずは周囲の物を手当たり次第に食べ始めた。



 「う……あ…………」


 契約者が目を開けると、そこは地獄だった。白き竜が街も何もかも全てを喰らい尽くす、現実という劇の後片付けの真っ最中。


 竜の吐息により燃え盛りながら凍てつく街で、少年の目の前にはただ泣き崩れる少女が一人。

 見ればその黒いドレスは所々が破れ、金の髪は端々が黒く焦げてしまっている。


 「イグ……ニス……」


 その姿を見て半ば反射的に名前を口にする。


 寝ころんでいた身体を、激痛の中無理やり叩き起こし座り込む少女の元へ行く。


 「あぁ、うぅ……、修二…………」


 仲間の上位者とは通信機で連絡を取っていたのだが、それも先の爆発で砕け散った。

 もう誰の安否も知ることができず少女は一人少年を抱え、彼だけは助けようと食事に夢中な竜から少し離れた場所までやって来たのだ。


 避難所に近い所だったが、この辺りは比較的あのブレスによる被害が薄い。月断が南に向けられたブレスの大部分を相殺してくれたお陰だ。


 尤もその武者も最終的には虹に押しつぶされ、今は生死不明なのだが。


 「すまん、すまん。私はキミの世界を救うことができなかった……」


 少女は涙を流しながら懺悔の言葉を漏らす。少年は気にせず、震える少女を抱きしめた。


 「あ…………」


 少年は何も言わない。ただ腕を相手の背に回し、身体をくっつけ合うだけで少女の恐怖は消えると知っていたから。

 二人の抱擁を、燃える炎の明かりとそれを反射する氷とが照らし出す。黒煙で空は塞がれ、まるで深夜に逢瀬する男女の一面だ。


 「修二……?」


 「イグニス」


 相手が落ち着いたのを確認すると、緋山修二はイグニスを強く抱き寄せ、その唇に自分の唇を重ねた。


 「んっ…………!?」


 突然の行為に少女は驚いたが、抵抗はしなかった。少しだけ互いを味わった後、唇は離れていく。


 「…………すまん、いきなり。でも俺はやらなきゃいけないんだ。そうだろ?」


 彼の内には既に火が点いている。一度は消えかけ酷くやられたか細い光。

 しかし泣いている少女を見て再び、灰の中から燃え上がった。


 「まだ終わっちゃいない。俺がここに生きている限り、まだ」


 立ち上がろうとする男の手を引き、少女が引き留める。


 「ま、待て! ……変身する気か? その身体で? もうこの手の感覚すらあるまい、だというのにまだ…………」


 「ああ、戦う」


 「止めろ……! もう傷つく必要は無い……。修二は十分頑張った。最期ぐらい穏やかに迎えたっていいだろう……?」


 ふ、と男は少し笑った。彼女の主張が今や真逆だったからだ。諦めるなと言っていた彼女が、もう戦うことはないと、安らかな終わりにしようと誘う。


 金髪の乙女は何も厭わず泣きじゃくっていた。人形のような顔を歪ませ、その紅い瞳から大粒の涙を溢れさせる。

 これ以上見たくはなかった。大好きな、愛する人間がその命を戦いの中で散らそうとすることを。


 「心配すんなって。これは無駄な特攻じゃない、ちゃんと勝算がある…………っ!」


 涙を指で拭ってやりたかったが、指が動かなかったので男は声をかけるだけに留めた。

 男が変身するために力を込めると、身体は悲鳴を上げる。外傷こそないものの、蓄積されたダメージは既に限界だ。


 「修二……! もう誰もキミを責めない! だから──だから────」


 「まだ……だあっ!!」


 男は自分自身に言い聞かせるように叫び立ち上がった。脚が折れているかのような痛みを脳に伝えるも、それは無視される。


 「あっ……」


 ふらつき倒れそうになる男を、少女も立ち上がり支える。今度は少女が男の身体を抱きしめ、また密着する形になった。


 「…………行かせてくれ。俺は契約者、地球を──君を侵略者から守る兵士だ」


 「修二……。まったくキミというやつは、本当に…………」


 泣きながら、しかし彼女は聖母の様に優しく微笑んだ。それは我が子の成長を目の当たりにした親のような、嬉しく、だが自分から離れていくことに気付いた悲しみも孕んだ笑顔だ。


 「──────そうか。人間はもうとっくに、自分の脚で歩けるんだな」


 子供が親の元を離れる時、それはいつか来たる決別の時だ。

 それは成長であり子が親から独立した、ただ一人の存在を得るということ。イグニスは一度、西暦四百七十六年の古代ローマ滅亡の時にそれを経験している。


 だが子離れは親にとっても辛いもの、彼女は不安をずっと引きずっていた。

 そして二度目にしてイグニスは今、目の前の人間を我が子ではなく一人の男として見えた。

 全て杞憂だった。人間はもう、親がなくとも生きていけるのだとようやく理解した。


 「修二、もう止めはしない。キミの覚悟を見届ける勇気が私にはなかったんだ。でも……もう大丈夫だ。私も協力しよう」


 少女は男と互いの顔を近づけた。男の決意の目と少女の涙で潤んだ瞳がその視線をぶつけ合う。


 「エネルギーが要るだろ? 持っていけ、私の全てを」


 そのまま顔は接触し、今度は深く長いキスをする。

 唾液を交換し舌を絡め、これまでにない量と速度でエネルギーの譲渡が行われていく。


 つい先ほどまで少女の中にエネルギーはほとんど残っていなかった。けれども男からキスを受けたことで著しく補充されて行き、再びの行為は少女にこれ以上ないほどの幸福を与えている。

 精神エネルギーは少女に補充される傍から男に流れ込み、その総量はこの戦闘が始まる以前の状態をゆうに越えた。




 滅びを迎え始めた街の中心で、その白竜は何かを察知した。


 正体は分からない、しかし何か危険が差し迫っているという本能の叫びに応じて辺りを見回す。

 南の避難所側の公園に光るものを見る。あれだ、あれがマズいと体の奥底の生存本能が伝達している。


 天敵のいない侵略者にとってこれは前代未聞の感覚だった。人間が恐怖と呼ぶそれを、侵略者は経験がないためになんとも表現できない。しかし不快であることは確かに感じた。


 虹を司る竜の器は既に六十mを超える大きさになっている。ビルや地面を飲み込むことで短時間の内に急成長することが出来た。

 狼が最後に残した胸の傷がまだ痛んでいるのが癪に障るのだが、いずれは収まることと飲み込む。


 公園の二人は動かない。


 この巨体で潰してしまえば一瞬だ、と侵略者は喰い尽くした大地を歩いてまだ食事の残る方へ動き出す。

 その一歩一歩が地震のような巨大な地響きを引き起こし、避難所に残る人々はついにその命の終わりを知る。


 全てを仕舞い込む神は、まず二人の運命を閉ざそうとその腕を振り上げたが──────。


 「ッ…………何だ!」


 突如として、七本の光の束が竜の左目を焼いた。


 神にとっても全くの予想外で避けることも防御も出来なかった。攻撃の方を見れば、ビルで押しつぶしたはずの小さな花が咲いている。

 花はそのツタでビルをどけ、最後の力でもって一矢報いたらしい。それ以上は動かず光と共に消えていった。


 「クソ、しぶとい奴だ……!」


 反撃はしない。ネズミに噛まれたような一撃は神の神経を逆なでしたが、本能の鐘は相変わらず公園の二人の危険を鳴らして知らせてくるからだ。


 「ひや…………くん、私、出来たかな────」


 枯れていく花の弱弱しい呟きを、隣にいた猫だけが拾った。




 「──この身、この血を我が神に捧ぐ」


 「鋼を纏い、爪を磨き、炉心に火を灯そう」


 「我が祈りを以て今、敵を討つ牙を得ん」


 「変身──── アルゲンルプス!」



 光と共に大気が震え、銀の狼が再び顕現した。

 失った両腕は復元され、迸るエネルギーが青い雷となって各部に帯電する。


 「…………藤音、ありがとう」


 光だけで誰が助けてくれたのかは分かる。危ういところを助けてくれた友に狼は感謝した。


 「イグニス、アイツに見せてやろうぜ。────お前の大好きな人間の姿ってやつを、さ!」


 「ああ、そうだな……!」


 金髪の乙女の涙が、炎の明かりに煌めく。それは悲しみのものではない。


 「アルゲンルプスの出力を十割上げてくれ。そうでもしないとアイツは倒せない。やってくれるか?」


 「…………わかった。覚悟はできていると思うが、一応言っておくぞ。下手すれば死ぬから丁寧に使えよ」


 「おうよ、俺だって死にたかない」


 キスによるエネルギー補給により狼は溢れるほどに力に満ちていた。だがそれでもまだ、あの機械仕掛けの神を倒すには不足だ。


 アルゲンルプスの出力自体は契約者である男自身にも操作できるが、エネルギーの供給元である上位者と合わせなければ供給不足ですぐに落ちる。

 蓄えられたエネルギーの消費量と順次供給されるエネルギー量、つまりは二人の呼吸を合わせなければこの十割という強烈な出力上昇は成しえないのだ。


 「これは──────!」


 あるはずのない心臓が、機械の身体の内でドクンと鳴った気がした。過剰なエネルギー量により身体の温度が急上昇していく。

 そしてその超高熱でアルゲンルプスを構成する銀色の金属は変色し、狼は赤く染まっていった。


 「させるかぁっ!」


 竜の爪が振るわれ、風を断ち大地を裂く真空刃を飛ばす。

 片目が潰されているといえどもこの巨体この距離で攻撃を外す道理はない。刃は正確に、無慈悲に直撃した。土埃が大きく舞い上がる。


 「………………なんだ、これ」


 違和感。もしも二人が攻撃を受け消し飛んだのなら、刃はそのまま直進し地形を川ごと両断するはずだ。しかし刃は二人に当たったところで止まった。


 何かがおかしい。


 煙が晴れ、中から深紅のアルゲンルプスが現れる。腕を組み、不動の姿勢で立っていた。その背中に守るべき少女を置きながら。


 「受け止めたというの……? なんなのいきなり……!」


 本来感情を持たない侵略者も、この時ばかりは動揺する。瀕死まで追い込んだはずの雑魚があり得ない力を持って蘇って来たのだ。


 「ふざけるな、死ね!」


 白き竜の全身から光が放たれる。

 正確には数千を超える光の線が重なり、竜そのものが光ったように見えた。ビームはそれぞれが誘導し地上の一点に集中して降りかかる。


 「ギガ・ライトニングスピア!」


 本体と同様に赤くなった尾が、流星のごとく輝く光条の雨を振り払うように動く。超高圧の電流を蓄えたそれは、片端から光を拡散させただの一つも通すことはない。

 弾かれた光により、赤銀の狼と金髪の少女が立っている以外の周辺地域一体が融けて溶岩でも流れたかのような光景になる。


 「なんだこれ、なんだこれ、なんだこれ…………! 誰だっ! お前は……一体何者だ!!」


 自分の更なる攻撃を完全に防がれ、うろたえる侵略者に狼は自らの名を告げる。


 「────言うなれば、アルゲンルプス・オーバーロード。絶望の底から目覚め、守るべきものの為に立ち上がった、この惑星の守護者だ!!」


 侵略者はいつだって終わらせる側だった。

 これまでに数多の星を喰らい力をつけてきた。中には地球のような知的生命体の住む星もあったが、抵抗虚しく全てがこの侵略者に滅ぼされた。


 だからこんなものは見たことがない。自分という絶対的捕食者を前にして動じず、自分の攻撃を腕を組みながら一歩も動かず捌き切る存在など。


 「今度はこちらから行くぞ、神を気取った化物め」


 激しい炎とともに狼は空を飛ぶ。


 実のところ、残された時間は殆ど無かった。あまりにも高すぎる出力は全快状態のアルゲンルプスでも持ちこたえられない。

 持って三分、それを過ぎれば自壊は免れないだろう。


 「調子に、乗るなあぁぁっ!」


 白竜の嵐を巻き起こす右腕が真っすぐ突っ込んでくる狼を叩こうとする。


 「メガ・ビーム・クロー!」


 通常の何十倍にも拡張された光の刃が、竜の腕を切り落とした。


 本来ならばこんな攻撃など、切断面を瞬時に接着し再生することでほとんどノーダメージで受けきれる。しかし胸の傷が未だ痛む。

 接着もままならず、再生に手間取っている間に腕は地面に落ちてしまう。


 左腕での攻撃は間に合わず、赤い流星が竜の顔面の高度まで上昇してきた。ならば、と竜はその大口を開き一飲みにしようとする。


 「メガ・ビーム・マシンガン!」


 「っがあ!」


 熱のスコールを左目に浴びせられ竜の視界が全て奪われる。

 右目の修復を後回しにして胸の再生に集中していた隙を突かれ、侵略者は一瞬後悔するももう遅い。


 急速に両目の再生を終えると、狼は遥か上空まで飛び上がっていた。


 「勝てるわけないんだから、諦めなよぉ!」


 虹を溜めた口部を空に向ける。翼と全身にも力を込め、今自分が持てる最大限の力で脅威を排除しようとする。


 余裕はない。命の危機を感じたことなどそれこそ産まれたばかりの何千万年という昔のことで、生きるために全力を尽くそうとしたのも同じくらいに久しいことだった。


 緋山修二は眼下の竜を見下ろす。


 その身体は既に自壊が始まっており、翼のスラスターが分解を始める。互いに危機的状況だったが、惑星の守護者は冷静を保ち続けている。

 墜落まであと五秒の猶予があるとの計算は終えていた。それは、全てを終えるには十分な時間だろう。


 赤銀の狼は自らの胸に手を突き刺すとその装甲を剥いだ。心臓部のコアが外部に露出し、その放射熱との温度差で発生した白い煙が一気に風に流れていく。


 コアはアルゲンルプスの動力炉にあたるパーツで、ここからイグニスから受け取ったエネルギーを全身に回している。

 出力を二倍にまで上げたことでコアは暴走、内部のエネルギーの圧力に耐えきれず外殻にヒビが入っていく。


 修二はどうやってこの敵を滅ぼすか考えた末、一つの結論を導き出した。それはこの制御しきれぬ胸の炎で、侵略者が再生せぬよう一片も残さず焼き尽すことだった。


 「カロル・フィーニス──────!!」


 両腕を侵略者に向けて突き出すと、それを攻撃方向を決めるバレル代わりにする。

 コアから直に放出されたエネルギーが、地球ごと撃ち抜くかのような勢いで、ドラゴンの全身を飲み込んだ。


 攻撃範囲はイグニスを巻き込まぬよう最小限に。しかしドラゴンを確実に融かし切る直径五百m。狼を頂上にした光の柱が聳え立つ。


 「これが地球の──人間の──俺とイグニスの力だあああああああああっ!!」


 竜の体は止めどないエネルギーの奔流の中、その形を保てなくなる。

 エネルギーを取り込んで逆に力に変えようともしたが、そのような時間も隙もなく、蠟燭が如く頭から融け落ちて行く。


 そして同時に、ぐしゃり、と何か嫌な音が頭に響いた。




 「人間なんて矮小なスケールの存在に、私が、そんな──────」


 「そんな存在に、お前は負けるんだよ」


 霧散していく意識の中、時間が緩やかになり、どこからともなく声が響く。


 「人間という生命は実に不思議なものでな。その身の丈に合わぬ強い意志を持つ」


 「お前────」


 「特に、困難を乗り越えた人間は素晴らしい。肉体的な、あるいは精神的な死の恐怖を克服し、諦めに勝利し、己の弱さを認め、絶望を超克し、悲しみを飲み込む。それができるのは人間のみ、そう人間の格別な意志こそがそれを成す」


 反響する声は嬉々として語りを続ける。まるで何かを自慢するかのような麗らかな調子で。


 「外から来たお前に人間とは何か教えてやろうか。人間とはな、意志と連続の存在だ。人の意志は時に闇の中に光を生み、不可能を可能にもする。そして人は一人ではなく、多くの人間が協力し噛み合わさることで何でもできるんだよ。文字通り、それは時も場所も超えて」


 「地球の意志か……! 勝ったからといい気になるなよ。お前の大事な人間もいつかは滅びる……! この世界に永遠は存在しない。精々今の繁栄期を楽しんでおくんだな!」


 「確かに永遠の繁栄というものはない。だがな、人間は種だ。お前という個とは違い一つの死が終わりではない、言ったろう人は連続すると。人類は何百万年という月日をかけここまで生きて来た。その過程はいくつもの生と死の繰り返しだ。たとえ一つの文明が終わろうと、また新たな文明が興るだろうよ」


 消えゆく宇宙からの来訪者は既に言葉を返すこともできない。


 「それに、修二のような真なる人間の魂を持つ者もいる。それが人の内にある限り、どんな艱難辛苦にも希望を見い出せるとも。──────お前がこうなったように、な」




 光の柱が役目を終え閉じていく。後には何一つ残らず、ただ力を失った銀の狼が落下するのみ。


 灼熱の大地から白い煙が昇る中、一人の少女は真下でそれを受け止めた。


 狼は全てのエネルギーを使い切り、その動力炉は機能を停止している。そのため狼を構成する金属からは熱の赤色が引き元の銀色に戻っているが、それでも触れれば人間の皮膚など一瞬にして焦がせる高温だ。


 だが素手で受け止める少女に苦難の顔はない。

 少女はこの惑星の熱、火という概念を持って生まれた星の端末だ。故に狼の炎が作り出したこの熱圏での活動にはなんの防護服も要らないし、愛する者を抱きしめることもできる。


 「修二……起きろ…………」


 眠る狼に呼びかける。動力炉が過負荷により損傷しているため動くことはない。


 心臓を失った人間が生きていけないように、金属の身体には熱を伝える炉心が必要だ。

 それを壊したということは、つまり──────。


 「本当に手のかかる奴だ。自分で死にたくないと言っておきながら、よくも無茶をする」


 そう独り言ち、少女は自分の胸に手を当てた。何か温かい光を放つものが取り出される。

 少女が光を持つ手をそのまま狼の胸へと押し当てると、それは動力炉の奥まで吸い込まれて消えていった。


 しばらくすると、炉心に火が灯り再び動き始める。


 狼の無事を確認した少女は、直接接触によるエネルギー供給を一時的に断ち変身を解除させた。狼は人間へと変わり、息をし始める。


 もし落下する狼を少女が受け止めていなかったら、身体にエネルギーを残していない狼は動力炉を停止させたままその変身を解き、緋山修二が二度と目覚めることはなかっただろう。

 少女はエネルギー不足で変身が解ける前に自分から僅かでも直接供給することで変身解除を先延ばしにし、その間に動力炉に代わりになるものを入れたのだ。


 「よいしょっと……。さ、帰ろう」


 少女は男を背負って歩き出す。人間ではないとはいえ彼女も限界だった。だが倒れるのは修二を無事に送ってからだと少女は自分の身体に鞭を打つ。



 空を覆う暗雲が晴れていく。爽やかな日の光が荒廃した地上を照らし、人類の勝利を祝福する。

 避難所から生き残った人々が外の様子を窺い、滅びの竜がいないことを確認して恐る恐る足を踏み出す。


 人々はまたしても命を救ってくれた、名も知らぬ英雄に感謝した。


 浪間市を襲った一連の怪物事件はこれで幕を下ろすことになるが、その爪痕は大きい。

 だが今はただ生きている喜びを分かち合い、もう一度明日を迎えられることをこれ以上ないほどに祝おう。


 失われた日常が少しずつ始まった──────。

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