第5話 火と水のワルツ
「それでは今日のニュースです。昨夜から今朝にかけて、浪間市全域で大規模な失踪事件が発生しました。失踪した人数は延べ三十人以上が確認されており、正確な数は今も調査中です。失踪した人たちに共通点はなく、いずれも急に歩き出してどこかへ行ったという証言が────」
昨日の戦いで通り魔事件こそ発生しなかったが、こんどは失踪事件が起こった。
これは間違いなく、俺が殺した敵に乗っ取られた人間も入っているだろう。市のあちこちで失踪しているということは敵が戦力を蓄えているということか。
「まったく、朝から飯の不味くなる話だ」
朝食を終え、イグニスと自分の部屋に戻る。今後の作戦会議が必要だ。これ以上敵の好き勝手にさせておけない。
「今回も敵の親玉が人間を乗っ取ってるなら、何とか先手を打って叩けないか? 敵が準備を整える前に頭だけ殺せばそれが一番いいだろ」
ベッドに腰かけ、同様に隣に座るイグニスに話す。
「残念だがそれは難しい。敵が取り込むのは人間だけとは限らんし、探す手段がこちらにはない。対面すれば分かるだろうが敵もそれは避けるだろう。ずっと隠れていられたらどうしようもないな」
「じゃあ、それじゃあいたちごっこじゃないか……! 前と同じように手先を潰していけばいいのか? だが、それだと被害が……」
「奴らの狙いは人間を殺すことじゃない、地球を喰いに来たんだ。人間を殺すのはやつらにとって意味のない行為だ。地球上全ての人間を殺すというのなら話は別だがな」
イグニスは背中を倒し、ベッドを半分に区切るように横たわる。
「それでも通り魔事件なんて起こるのは、こちらを挑発しているか誘っているんだよ。安心しろ、倒すべき敵は向こうからやってくる」
「……なるべく、一般人に被害の及ばない形で戦いたいんだが」
もし仮に敵から決闘の誘いが矢文として届いたりすれば、俺はそれに応えるだろう。必要以上の犠牲が出なくて済む。
だが奴らは俺たちが街の住人を守ることも考慮して街で戦闘をしているんだ。偽虹森は勝つために人質を取ることも厭わなかった。つまりは、そういう連中ということだ。
「新たな契約者が現れた──つまりは新たな上位者が派遣されてきたな? これは地球が敵の戦力評価を引き上げたということだ。気をつけろ、敵は今までより更に強くなっていくぞ」
「こっちの味方が増えるんだから楽になると思いたいけど、そういうわけにもいかないか」
昨夜にしても二人だけではマズい盤面だった。もしあの武者がいなければ、イグニスは連れ去られていたかもしれない。
もう一度会ったらゆっくり話をしてお礼を言わなければ。
「敵もこっちの数が増えたことには気づいたろう。ならば次に打つ手は短期決戦だ。上位者がこれ以上送られないうちに仕掛けてくる、早ければ今夜にも」
「なあ、もうはじめっから五十人ぐらい呼んでバーッと終わらせちゃ駄目なのか?」
RPGの勇者はどうして四人パーティなの? というような触れていいのかよく分からない問題を口にする。
「駄目だ。上位者を呼べば呼ぶほど人間の築いた文明に影響が出る。この人間の作り上げた世界はなるべく人間だけで治めるべきで、こうして力を貸すこと自体が既に特例なんだ」
さらに言えば、それに適合する契約者の数はそれほどいないとも付け加えられる。確かにそうかもしれないが……。
「それで力を出し渋って滅びちゃったらどうするんだ? 影響とか考えている場合なのか?」
「大丈夫だよ修二。地球は人間を信じている。キミたちが力を出し切れば、決して滅びることはない」
改めて、俺たちが人類存続を懸けた戦いをしていて、負ければそれは全人類の敗北を意味するのだという事実を認識する。
…………いや重くない? 俺、高校二年生だよ? 自分の将来も分からないのに人類の将来背負っちゃっていいんですか?
「では早速エネルギー供給といこう! “改良”にエネルギーを使ってしまったろう? 今夜までに補給と供給を済ませておかなくてはな」
イグニスは微笑み、寝っ転がっている向きを九十度曲げて正した後、座っている俺の腰を後ろから足でどつく。
どうやら一緒に寝ようということらしい。俺はそれに従い横に寝そべる。
「こっちを向け修二。ほら、こうしてしばらくしていれば十分に回復する」
あえて背中を見せていたのに、無理やり反転させられイグニスと向かい合う。そのまま抱きつかれなんかもう色々と柔らかい感触が身体を包む。
添い寝はいい。毎日やっているしもう慣れた。だが抱き着いてくるのはまずい。
イグニスが家に押しかけてきてからというもの、自分のベッドから薔薇の香りがする。
こうして発生源から抱き着かれるとその香りが至近距離から鼻孔に流れ込んできて、身体から伝わる温かく柔和な触感、視界に入る純金で形作られたような糸束を思わせる長髪と合わせ、五感のうち半分以上が彼女に支配される。
「な、なあ。こうしていればエネルギー供給は出来るかもしれんが、補給が出来てなくないか? お前にエネルギーがなければ意味ないんだろ?」
「私は修二と一緒にいるだけで満足しているからな。補給は問題ないぞ」
イグニスは笑顔をこっちに向ける。無敵か。そんな恥ずかしいセリフ、俺は絶対に言えない。というかそんなことを面と向かって言われると恥ずかしくて堪らない。
身体をよじり百八十度回転する。
「…………駄目だ! 正面は駄目だ、背中ならいい」
「さ、避けるな修二ー!」
浪間市郊外のとある研究機関の倉庫の一室に初老の男がいた。白衣を着たその男は壁に背を預けながら考え事をしている。
「流石は惑星の防衛機構だ。これほど文明が発展しているとなると、攻め落とすのも容易ではないな」
惑星には強さと言う概念がある。これは地球のような、知的生命体が存在する“生きている”惑星にしか適用されない概念だ。
知的生命体がその惑星上で繁栄し、文明を築いていくとそれは惑星の力になる。惑星の力が強いほど外敵に対する抵抗力も高まっていく。
地球という惑星の文明は外宇宙への進出にまで手が届き始め、この侵略者が喰らった中でも最も強大な力を有していた。
「やるだけはやってみるが……果たして、成功するか」
男は既に侵略者に乗っ取られていた。
侵略者は元々大きな一つであり、この男も虹森も同一の存在の分け身に過ぎない。死んだ分け身の記憶は大元に引き継がれ、この男も共有している。
「上手くいけばこれで終わりだ。最悪の場合でも時間は稼げる。後は頼むぞ」
男はひと月前に倉庫に運び込まれた巨大な岩石に向かって話しかけた。まるでそこに何かがいるように。
男は倉庫を出て、目的を果たすための準備を始める。
まだ午後一時、昼と言える時間であった。しかし真夜中の時間帯と変わらぬほどの深い霧が街を飲み込んでいる。
最近急に霧が出てきた街だが、昼にこれほど酷い霧になるのは初めてだった。
ずしん。
何か重いものが落ちてきて、道路を車ごと平らにした。人々は驚き怯え、何事かと正体を見定めようとする。しかし深い霧が邪魔をしてその全体像が見えない。
ずしん。
少し離れた所でまた何かが落ちた。近づいてみるとそれは黒い壁だった。非常に大きく、視界の端から端まで一面の黒い壁が空から落ちてきたのだ。
ずしん。
いやそれは壁ではないのだと、“脚”が持ち上がって人々はようやく気付く。
それは合わせて四本の脚なのだ。真っ黒い超巨大なプレス機のような印象を受けるが、壁は持ち上がり空を移動し、また地面を平らにする。
踏みつける場所を選んでいるわけではないのか、そこが道路だろうと店の上だろうとお構いなしに全てを均していく。
人々は叫び、それは怒号となって街を駆け巡る。通りを歩いていた人は全力で走り出し、車に乗っていた人は潰されるそれから間一髪で逃げ出す。
警察は避難誘導を開始するが、しかし安全な場所などどこにもない。人々はただ自分が潰されませんようにと祈ることが精一杯だった。
「──殉ずるは我が使命、我が責務」
「振るうは刀、掲ぐは正義、救うは衆生」
「仇名す悪一切彼岸へ送らん」
「変身──── 月断!」
逃げ惑う群衆の中で何かが光った。
そして、四本腕の甲冑を着込んだ武者が流れに逆らって飛び出す。四本の刀を腰の鞘から引き抜き壁のような脚に攻撃を仕掛けていく。
「でやああああ!」
四刀流の剣閃が巨大な象のような脚の一本を切り裂く。傷口から血のような黒い液体が噴き出るが深い傷にはなっていない。その外皮は武者の想像より厚く、硬かった。
だが急に攻撃を受けたためか、その歩みは止まった。
街の住民は何が起こったのか理解できていないが、これ幸いにと街からなるべく離れるための避難を進める。
「まだまだ────!?」
動かぬ脚に追撃をかけようと武者は刀を振り上げる。だがそれを振り下ろす前に、武者の身体が思いっきり右に吹っ飛ぶ。何か大きな鞭のようなものが空から伸びてきたのだ。
激しく叩き飛ばされた武者は宙を舞い、ゆっくりと回転しながら雑居ビルの二階の壁を突き破って止まった。全身を打ちつけたものの大事はない。
既に誰もいないオフィスの中心でむくりと起き上がり、突き破った壁から外を覗く。
真っ白なベールが視界を覆い、敵の姿は見えない。しかしそのベールの中からは巨大な触手がいくつも武者に向かって伸びてきていた。武者は刀を握り直す。
「やれやれ、今度の敵は随分と大きいみたいだな。だがいくら図体が大きかろうと俺は負けんぞ!」
床を蹴りだし、触手の根本の方目掛けてジャンプする。迎撃しようと伸びる触手をいくつか切り払うが、迂回して背中から伸びてきた触手にまた叩き飛ばされる。
武者は道路に身体をぶつけた後に転がり、放置されていた車と衝突する。
「大丈夫? あんまり無茶はしないでね」
武者が起き上がろうとすると、隣から呑気な女の声が聞こえた。ちょうど彼女の目の前に転がって来たらしい。
「九泉……! どうやら、前回のように簡単にはいかなさそうだ。何か気体のようなものが噴き出す音が聞こえるか? 恐らく、ヤツがこの霧を吐いているんだ」
人々の絶叫や何かが潰れる音が大きく、よく耳を澄ませないと聞き取れない。だが、確かに怪物の呼吸音のような空気が循環する音がしていた。
それに応じて街を包む霧はどんどん深くなっていく。今はもはや、すぐ隣にいるはずの九泉の姿すら武者には見えなかった。
「九泉は危ないからもっと離れているといい。俺がコイツをなんとかする!」
「急ぎ過ぎよ、ちょっと待ちなさい。────仲間が来たみたいだから、協力するといいわ」
何も見えない誰もいない街の中を、四人が走る。四人は二人組を二つ作り迷子にならぬようそれぞれ手を繋いでいた。
「霧が一段と深い……。これじゃあまともな戦闘になるかすら怪しいぞ」
「なんとか晴らせないものか……」
修二はイグニスと手を繋ぎ走る。消耗を避けるため変身はまだしていない。
不意打ちを受ければひとたまりもないが、周囲には巨大な何かが街を踏み潰す音以外敵の気配もなく、仮に奇襲を受けてもラピドゥスグラディウスが助けるだろう。
「こんな昼間から派手にやるねぇ。こうも前が見えないと、突進主体の私はかなり不利なんだけど」
「おや、いつもの突進は前が見えていたのかね? あまりに縦横無尽に暴れるものだから、実はよく見えてないんじゃないかと思ってたんだが」
「みーえーてーまーすー! 霧で前が見えないとどこまで踏み込めばいいか分からないのー!」
浅間はマーレと手を繋いでいる。既に変身しいつでも戦闘できるように備えているが、本人の言う通りラピドゥスグラディウスがこの霧の中戦うことは困難だ。
ずしん、と大きな音とともに風圧を感じる。どうやら敵はすぐそこらしい、と修二たちは理解した。
「修二、ちょうどいいじゃないか。この霧は“薄い”。きっと空は晴れているだろうよ。試運転には丁度いいとみた」
「────なるほど? ついでに霧も晴らしてしまおうってか。じゃあイグニスとマーレは離れていろ。浅間は俺が派手に霧を晴らすから、それから攻撃だ!」
アルゲンルプスは身体の各部位が損傷していたため、修復を兼ねて改良も行った。
他の契約者の変身体とは異なるアルゲンルプスの特徴、それが機械の身体であるということだ。それはつまり、戦闘の激化に応じて身体を改造し自身のスペックを向上させられることを意味する。
「──この身、この血を我が神に捧ぐ」
「鋼を纏い、爪を磨き、炉心に火を灯そう」
「我が祈りを以て今、敵を討つ牙を得ん」
「変身──── アルゲンルプス!」
光の中から、銀色の狼が誕生する。だがその容貌は以前と違い大きな翼が生えていた。
「とっ……べえぇぇ!」
背部の翼型大型スラスター二基が炎を噴く。脚部のスラスターと合わせ、短時間ではあるが飛行を可能としている。これは、先の虹森との戦いから空中戦にも対応したいという修二の要望から追加された。
霧の中を垂直に飛び上がり、隅まで靄のかかった視界から開けた青空に抜ける。
眼下には白い海に水没したような浪間の街が見えた。海の中に一つ、黒く大きな物体が動いているのが分かる。触手も伸びており海中に本体が沈んでいても丸見えだった。
「こいつで霧ごと吹き飛ばせるはず……! ミサイル発射!」
アルゲンルプスの両腿側面のフレームが展開し、小型五連装ミサイルポッドがせり出す。合わせて十発のミサイルを同時発射できるこの装備は、一対多数を想定しイグニスの提案で取り付けられた。
小型ながら出来るだけ多くの敵を巻き込めるよう爆発範囲を重視しているが、そのために味方を巻き込む危険性もあるためこうして離れて使用する必要がある。
放たれた小型ミサイル十発は、修二の意志に応じて海面の下の黒い巨体に誘導し命中する。爆風により霧が晴れ、街を踏み荒らす怪物の全容が明らかになる。
黒い球体のような胴体に四つ足がついており、頭はない。触手は胴体からうねうねと無数に生えており、胴体には同じくいくつもの丸い穴が閉じたり開いたりしている。
「すっごーい、これでよく見える! ……いやでかっ!?」
地上の浅間はその巨体を見上げる。目算に過ぎないが、その全高は四十mほどあるように思えた。頭のない姿や触手が蠢く気持ち悪さもあり酷く醜悪な形をしている。
「とにかく、まずは脚を叩く!」
浅間は突進し脚の一本を切り刻む。黒い血が飛び散りビルの壁や車を濡らす。きゅおおお、とやたらと高い鳴き声のような音が響く。
「効いてる効いてる!」
浅間がさらに攻撃を続けようとすると、視界が一気に白に染まった。
晴らした霧は胴体の穴から吐き出される霧により再展開される。霧の中では方向感覚も狂い、接近戦は攻撃を当てることすら難しい。
「は、早っ!?」
霧が晴れてからまた充満するまでおよそ十秒の感覚しかなかった。浅間の死角から触手が襲い掛かり、浅間は怪物の足元から吹き飛ばされる。
修二はビルの屋上から怪物に向かってビーム・マシンガンを撃っていた。飛行したままではエネルギーの消費が激しいので、こまめに着地する必要がある。
射撃ならば巨体の敵ゆえ見えなくとも当てられるが、当然敵はそれを許さない。
「────おっと!」
触手が何本もビルを襲いめちゃくちゃに叩き壊す。修二はそれを察知し、飛行して回避した。
しかしこのままでは依然不利だ。たとえすぐ元に戻ろうと、もう一度ミサイルを撃ち込み霧を晴らすべきだろうかと修二が考えたとき、四本腕の武者が飛び出す。
「脚は……そこかっ!」
野田にはある考えがあった。まずは脚の一本に取り付き、刀を次々と突き刺しながらその脚を登っていく。そうして胴体にまで辿り着いて噴霧口ごと胴の表面を次々と斬っていった。
斬られた噴霧口は機能しなくなり閉じていく。あっという間に胴体の大部分の噴霧口が封じられると、触手が武者を捕らえ周囲のビルに手当たり次第にぶつけていき、トドメとばかりに地面に放り投げられる。
「き、霧を晴らせ! もう一度だ────ぐああっ!」
放られた空中で叫ぶもすぐに地面にぶつかる。だが、その声は確かに修二に届いた。
「くそ、何が起こっている……? もう一度なんだな!? いくぞ!」
霧はあらゆる視覚情報をシャットアウトする。修二には何かが斬られる音とビルが崩れる音しか聞こえていなかったが、唯一聞こえたその声を信じた。
霧の層を突き破り高い太陽目掛け飛び上がる。触手が飛行中のアルゲンルプスを落とそうとするが、邪魔なものは全てビーム・クローで叩き切っていく。
触手も届かない遥か上空まで到達すると、ミサイルの軌道を計算し発射体制に入る。
「たっぷり喰らえ────! ミサイル一斉発射!」
十発のミサイルが怪物の巨体を包み込むように円形に軌道を描く。爆発により霧はまた晴れ、胴体の表面にクレーターができ触手もまとめていくつか吹き飛んでいく。
「今度は……霧を吐かない! いや、吐けないのか!」
野田が噴霧口を的確に潰したことで、再展開の速度が大幅に落ちていた。これはチャンスだと読んだ浅間が、瓦礫の影から姿を現す。
「よくもやってくれたね、好き勝手暴れちゃってさあ!」
視界はクリアだ。狙うべき巨大な脚との距離を測り、力を全身に込める。
「────ランケア・ウェルテクス!」
一陣の風、いや竜巻が街を吹き抜けた。
この霧を吐く怪物は四本の脚で体を支えている。ということは、その内二本を奪ってしまえば体を支えられずに体勢を崩すだろうと浅間は考え、それを一撃で実行した。
ちょうど怪物の前脚二本が並行に、障害物の少ない道路の上に並んだタイミングを見計らっていた。放たれた嵐の槍は一直線にその両脚を貫く。直径三m近い風穴が空き、黒い血が滝のように溢れ落ちる。
怪物は前脚を折り曲げ地面に膝をついた。
「うわ、ちょっと暴れすぎ!」
きゅおおおお、と怪物から高音が響き渡る。その痛みか怒りに呼応してか、胴体から伸びる触手が無軌道に振り回された。何の狙いもつけていないが、それが逆に修二たちの回避行動を困難にする。
触手の一本がビルの角のコンクリを突き崩し、大技の後の隙がある浅間に降りかかった。
「浅間!」
修二が飛行し浅間を助けようとする。だが間に合わない。コンクリだけビーム・マシンガンで破壊しようにも、飛行中の射撃は精度がぶれ浅間に当たる恐れがあった。
浅間は腕で身を守り目を閉じるが、コンクリがぶつかることはない。
キン、と金属音と共にコンクリは十文字に斬られ、破片は浅間を囲むように落下する。甲冑のボロボロになった四本腕の武者が立っていた。
「よくやってくれた! おかげでヤツの姿勢が低くなり、俺も十分に攻撃できそうだ!」
その声には戦いの疲労が感じられない。
硬い壁や地面に何度も叩きつけられ、全身に骨が折れているのではないかと思わせるほどの激痛が走っている。だがその痛みは、野田が戦いをやめる理由にはなっていなかった。
触手が同時に、多方向から修二たちを襲う。武者は触手を切り払いながら怪物に突進し、銀の狼は浅間を守るように光の爪を振るった。
見えている攻撃など互いの死角を庇いあえば届くことはない。
「怪物よ、街中で暴れたツケを払わせてやろう。────黄泉落とし!」
四本の刀が流れるような連続攻撃を繰り出す。胴体の厚い皮膚の防御も意味を成さず、するりと切り裂かれる。
そしてこの技は単なる攻撃ではない、真価はそのエネルギーを込めた斬撃の特性にあった。
刀から迸った斬撃は、刀から離れても怪物の胴体をなぞるように動いていく。怪物の胴体を何本もの斬撃が泳ぎ噴水のごとく出血させる。怪物はのたうつも、この技からは決して逃げることはできない。
「トドメ、喰らえぇ!」
空に飛びあがった修二は怪物に向かって急降下する。右肘のブースターを展開し、飛行の加速にも利用しながら怪物の胴体に深々と右腕を突き刺す。
「フルク・ルクス!」
怪物の体内で光が弾け、その腕を差し込んだ反対側が猛烈に吹き飛んだ。怪物は活動を停止し、触手もぱたりと倒れる。
「やった、ね」
最大出力で技を放った浅間も既に立ち直り、怪物の死を確認する。やれやれと野田も刀を鞘に納めた。
崩れ落ちたビルに隠れていた上位者たちが、それぞれの契約者の元へ歩いていく。
「イグニス、無事か?」
「ああ、何とか巻き込まれずに済んだ」
霧を吐く怪物は確かに死んだ。だが驚くべきことにその肉片はまだ活動している。細胞が組み変わり、新たな生命へと構成されていく。
「待て皆、どうもこの死体の様子がおかしいようだが……」
青い上位者が警告するも止めようはない。肉片が蠢き、黒い四つん這いの怪物へと姿が変わる。胴体でけでなく脚からも、切り落とされた触手からも生まれていく。
姿かたちは間違いなく昨夜現れた怪物そのもの、しかし数が桁違いに多い。
「こ、これは……! 百を超えている数だぞ!」
野田は素早く抜刀し再び戦闘態勢に入る。九泉は敵がまだいると見るやいなやすぐさま瓦礫に隠れた。浅間もマーレを逃がそうとするが、その前に怪物の群れが殺到する。
「このっ……!」
浅間は抵抗し反撃するが、突進して戦うことはできない。今マーレから離れれば、連れ去られる恐れがあるからだ。
ラピドゥスグラディウスの腕には魚のヒレを彷彿とさせる刃が付いている。本来は突進の補助として使われるものだが、これを至近距離用の武装として振り回す。
しかし数の差は圧倒的、個々が弱くともそう易々と覆せるものではない。四方八方から襲い掛かる触手を、自分の身だけでなく相方の身まで守りつつ捌くのは困難だ。
浅間は仕方ないとばかりに頭の剣に手を伸ばしたとき、背中に手を掛けられる。
「開けた所で戦うのはまずい! こっちの商店街の方まで逃げるぞ!」
「わ、わかった!」
「置いていくな湊!」
銀の狼が異形の手を取り怪物の群れから離脱する。異形は慌ててマーレも掴んで商店街まで離れていく。
商店街は霧を吐く怪物の被害をほとんど受けていなかったが、人は既に避難しているようだ。
ここは一本の大きな通りになっていて横道も少ない。敵の侵攻方向も一方に限られるため、先のように全方位からの攻撃で不利になることもないだろう。
「どうやら敵は我らに追いついていないようだ。準備を整えろ、すぐに来るぞ」
「ありがと緋山君……。おかげで────」
違和感に気付く。浅間は敵がまだいないこの商店街で、ハッキリとアルゲンルプスの姿を見た。なにかがおかしい。
このアルゲンルプスには翼がなかった。浅間は戦闘中チラっとしか見ていなかったが、修二から空を飛べるよう改良したことは聞いている。
どうしたのかと口を開こうとしたとき、どすり、と嫌な音がした。
「がっ……!」
マーレの腹に金属の腕が突き刺さり、背中まで貫通している。
「何──を────」
咄嗟に浅間が動こうとするが手足が言うことを聞かない。自分の身体ではなくなったような、まるで誰かに操られたかのような感覚。そのうちに思考も闇の中に蕩けていく。
上位者を貫く、血で染まった金属の腕が黒い液状に溶け出した。銀の狼を象った“殻”も溶けてドロドロになり、マーレの腹の穴に吸い込まれていくように消えていった。
「あああああああああああ!!」
頭部ユニットが友人の悲鳴を拾った。発信源は現在位置より北に百mほどの箇所からだ。
この声は間違いなく浅間のもので、ただならぬ事態が起こったのだと即座に理解する。
「イグニス、浅間の様子を見に行く! ついてきた方がいいぞ」
「ああ、そのようだ」
先ほどからラピドゥスグラディウスの姿が見えず心配していたところだった。周囲は敵の群れで囲まれているが、アルゲンルプスの火力ならば一瞬だけ包囲を突破し切り抜けることが可能だ。
この場にいる敵をあの武者一人に押し付ける形になるが、すぐに戻ってくれば問題はないだろう。
守るべき金髪の少女の手を取り、左腕だけで前に抱きかかえる。空いている右腕でビーム・クローを展開し眼前の触手と敵を薙ぎ払う。各部のスラスターを噴射し高速でジャンプをしながら包囲を抜けた。
悲鳴の元をたどると商店街に着く。
通りの中心に、血だらけのマーレとうずくまるラピドゥスグラディウスが見える。敵はいないが、二人の様子は明らかにおかしかった。
「大丈夫か浅間!?」
イグニスを降ろし二人に駈け寄る。浅間に怪我はないようだが応答がない。反対にマーレは腹部の出血が酷い。しかし傷口が見えなかった。既に治ったのだろうか。
彼の意識はあるようだが、こちらを見るだけで何も話さない。
「マーレ、どうした!? 何があった!?」
口角を吊り上げるマーレの肩を掴もうとするが、強烈な殺気を感じ思わずその場から飛びのく。ラピドゥスグラディウスがゆっくりと起き上がり、こちらを睨みつけて戦闘態勢をとる。
「お、おい……?」
「修二! これは──マズいぞ!」
瞬間、ラピドゥスグラディウスの姿が掻き消え突風がすぐ横を駆け抜ける。避けようとしたが反応が遅れ、脇腹に一筋の傷がつく。これは明らかな敵対行為だ。
「浅間、どうしたんだ!」
呼びかけにも応じず、剣を生やした異形は俺を狙って攻撃してくる。
イグニスの側で戦うわけにもいかないのでとにかく商店街の外に誘導するが、こうなった原因が分からない以上反撃もできない。
「ごめんっ────死んで! 緋山君!」
一体どうしたと言うんだ。浅間がお願いするような口調で俺の死を要求してくる。その剣閃は苛烈で、確実にこちらを殺す気だ。これはまるで、いやまさか────。
「イグニス! 何がどうなってる!?」
「…………敵だ! 敵がマーレを乗っ取り、契約の繋がりを介して契約者も操っている!」
目にもとまらぬ速さで俺を貫こうとする剣が何度も突き出される。突進で攻撃しつつ、俺の背後や死角に回り込んでまた攻撃を繋げてくる。防戦だけでは圧倒的に不利だ。
俺に、仲間に刃を向けろというのか……!
ギィン! という金属の叫びと共に俺の左腕の手甲が裂かれる。これ以上は持たない。こんなところで死ねるものか。渋りながらも武装を開放する。
「ビーム・クロー!」
「うわっと!」
右腕から放たれた五本の光刃が、舗装された道に傷跡をつけた。
浅間はバックステップで躱したが、これで容易に正面からの突進はできまい。光の刃と浅間の剣ではかち合うことはない。互いがぶつかればこちらの爪が剣ごと切り裂くだろう。
「いいねぇ、ようやく戦ってくれるんだ」
「……お前は操られてる。意識があるなら、なんとか抵抗できないか?」
目の前の異形はこちらをじっと見定めている。そして脚に力を込め、突進の準備をする。
「無理。悪いけど全力で殺しに行くから、よろしく」
バンと地面が脚の踏み込みだけで吹き飛んだ。浅間の突進は見てから避けられるものではない。音を聞いた瞬間にビーム・クローを前方に振りかぶる。
だが何も突っ込んではこなかった。浅間は俺にではなく、武装の死角となる俺の左のビルに向かい直進した。
ラピドゥスグラディウスの脚力ならば、突進でも多少上下に狙いをつけることができる。浅間はビルの二階目がけ突進し、その壁を中継に左斜め上空から俺に襲い掛かろうとしたのだ。
────だがそれは予測済みだ。浅間が正直に真正面から突っ込んでくるわけがない。
「そうはいくかよ!」
左腕の手甲は機能停止している。だが腕自体を思い切り振るだけでも攻撃としては十分だ。
俺の左側から来ることは予め想定していたお陰で、突っ込んでくる浅間に対し、左腕で叩き落すように振るうのが間に合った。
「あだぁっ!?」
突進を中断され真横に吹き飛ぶ浅間。突進中は防御態勢を取ることはできないので、ダメージは大きいはずだ。
だがこちらの腕も浅間の突進の衝撃を殺しつつ吹き飛ばしたことで、過剰に負荷がかかりフレームと関節が砕け、人間でいえば骨折したような状態になってしまった。
地面に転がっていった浅間もすぐに起き上がり、再び互いに睨み合う状況になる。
互いの攻撃は相手が変身体だとしても殺すに十分な火力がある。俺はビーム・クローを浅間に当てれば勝ちだし、浅間は頭の剣を俺に突き刺せば終わりだ。
もっとも俺にはまだ、浅間を殺す覚悟などなかった。
「甘いんじゃない、緋山君? ロクに追撃もしてこないし、そんなんじゃ死んじゃうよ。それとも私を殺したくない?」
「あったり前だ。俺は友達を殺す為に契約したわけじゃない」
「ああそう────。だからって手を抜くなら君が死ぬだけだよ。私をあんまり甘く見ないことだね」
浅間の言う通りだ。浅間はこちらが手加減して勝てるほど実力差のある相手じゃない。
既にこちらは左腕が動かない上に身体の各部に切り傷をつけられている。対して浅間は俺が食らわせたさっきの一撃以外無傷だ。どちらに勝機があるかは明白だった。
『修二、マーレから敵を引き剥がしてみるが他の手が必要だ。あの武者と契約した上位者がどこかにいるだろう。戦闘中すまんが、呼んできてくれ!』
イグニスから通信が入る。浅間と戦いつつ、どこにいるかも分からない上位者を探して事情を話せというのか。まったく無茶を言う。しかしそうするしか無いのなら、出来る出来ないじゃない。
「わかった。ちょっと待ってな……!」
異形が歩いて近づいてくる。余裕たっぷりな態度だ。
「あらら、敵が目の前にいるのに他の人とお話? ────舐めるなぁっ!」
なんの予備動作もなく急に最高速度まで加速し突っ込んできた。
俺は既に後方にジャンプし、翼型スラスターで飛行していたため当たらない。浅間との戦いでは常に行動を先読みして動かなければ対応できず死ぬだろう。
「すまん、もう加減はしない。手を抜くこともナシだ」
「へぇ?」
「俺は……お前を殺す気で戦う。だから、死んでくれるなよ」
空を飛べるのはこのアルゲンルプスだけだ。短時間とはいえ滞空できるというのは、飛べない相手との戦いで大きなアドバンテージとなる。念のためラピドゥスグラディウスの突進が届かない位置まで上昇する。
「ビーム・マシンガン!」
後ろに飛びながら五連装の砲を連射する。
浅間は自慢の速さで避け躱しながら地上を走りこちらとの距離を徐々に詰めていく。右腕だけの弾幕で当てられるとは考えていなかったが、足止めにすらなっていないようだ。
「あっはは! 殺す気なのに私に死んでほしくないって!? 言ってることおかしいって分かってる!?」
おまけに笑う余裕まであるらしい。
こちらも加速しているのだが、浅間を引き離すことが出来ない。地上は障害物が多い分単純な鬼ごっこならば空が有利だ。しかしラピドゥスグラディウスの身体能力は、直線の加速に特化していることでその差すら容易に埋めてくる。
浅間が俺の真下まで追い付いてくる。飛び道具のない彼女がどうするのかと思えば、足元の瓦礫を踏み台に近場のビルの壁まで飛び移り、壁を見事に走ってこちらと高度を合わせてきた。
「俺は信じてるだけだよ! お前が、俺に殺されるほど弱くないってな!」
ビルの壁面から距離を取り、高さの低い店が立ち並ぶ通りまで飛ぶ。同時に浅間が走る先の壁面に目がけビーム・マシンガンを放ち、足場を破壊する。
浅間はビルの壁の上でも高いジャンプを繰り出し、店の列の上を走りながらこちらを追いかけ続けてきた。
「しまった……!」
動き回る浅間にビーム・マシンガンを連射していたが、砲身がオーバーヒートを起こし緊急停止する。
本来は両腕を交互に使うか時間を置きながら使用すれば回避できるのだが、今は片腕しか機能していない上に、少しでも発射を止めれば向こうの突進を貰う恐れがあるために冷却できていなかった。
その無茶な連続稼働の対価として、弾幕が止んだことを察知した浅間が一瞬で喰らいつくように突進してくる。
「もらったぁ! ランケア・ウェルテクス!」
「うおおおおお!!」
翼や脚部に備え付けている姿勢制御用アポジモーターを噴射し、咄嗟に身体を半回転させる。
おかげで直撃は避けられたが、文字通り目と鼻の先を空中に向かって突進していった浅間が横切る。その突進が引き起こす嵐のような渦に巻き込まれ、飛行態勢が取れず落下していく。
コンクリの地面を抉り土を露出させながら墜落した身体が停止する。各部位の稼働率をチェックする。落下の衝撃で背部の翼型スラスターが損傷したが、まだ飛行は出来そうだ。
素早く身を起こす。俺はなにもあてなく飛んでいたわけではなく、霧を吐く怪物と戦った場所を目指していた。そしてその思惑通り、武者が一人、黒い怪物の群れの中刀を振るっていた。
「なんだ、どうした! 気が付いたら俺一人で戦っていたんだが、何があった!?」
怪物の群れを斬り飛ばし、武者が俺に駆け寄ってくる。全身が既に傷だらけだというのに武者の口調は変わらない。
というかこの声のデカさとテンション、よく知っているような気がする。
「緊急事態だ! 詳しい話をしている時間はないから、して欲しいことだけ伝える。まず、お前が契約した上位者を向こうの商店街に向かわせてくれ! 上位者の一人が敵に乗っ取られた!」
「じょ、上位者? まあいい、俺はどうする!」
「お前は……ここの怪物を頼む! 全部任せて悪い、すまん。手が足りないんだ!」
俺と共に浅間と戦え、とは頼まなかった。そうした方が有利になるということは理解している。だがなぜだろうか、俺は助けを求めない。
黒い怪物はその数を減らしている。それでも残り六十といったものだが、この武者一人で大丈夫だろうか。いや人の心配をしている場合ではない。俺は走り出し崩壊した街の中から浅間を探すことに専念する。
その時、空から二匹の怪物が飛び掛かって来た。
面倒だと片腕で薙ぎ払おうとすると、正面から浅間が駆けてくる。この怪物は飛び出してきたのではない、浅間に投げられたのだ。
俺が上から落ちてくる怪物に対処すれば正面から浅間が、浅間に対応しようとすると怪物の接近を許してしまう。
どんな想定外の状況になっても判断に掛けられる時間は一秒もない。人間の俺ではとてもこんなに早い判断はできないが、機械の身体であれば高性能な頭部ユニットで対処法の判断から演算処理まで行える。
脳内の計算により導き出した答えを、その通り現実で再現する。
まずは降りかかる二匹の怪物の内片方を掴み、もう片方は掴んだ怪物で跳ね飛ばす。そのまま勢いを殺さず浅間に怪物を投げ飛ばした。
浅間は咄嗟に横に跳ねて躱したが、野球ボールのように投げられた怪物は直進し、奥で様子をうかがう怪物の群れごと巻き込んで砕けた。
「いいねぇ! 楽しいよ!」
浅間が真っすぐ突っ込んでくる。
こちらの右手甲がオーバーヒートしているためまだ武装が展開できない。冷却にはもう少し時間が必要で、浅間もそれが分かっているのだろう、時間的な猶予を与えず攻撃を畳みかけてくる。
「楽しい? 何がだ!」
「こうして戦うことが、だよ! 緋山君もそうでしょ? じゃなきゃ、あえて一対一なんて選ばないもんね!」
「────────」
怪物を盾にしながら動くことで浅間の視線を切り突進を躱し続けていたが、浅間の一言で足が止まった。戦いの隙を嗅ぎつけられる闘魚はその一瞬を見逃さない。
「そこぉ!」
身体各部のスラスター出力を全開にして急上昇する。浅間の突進は目標に当たらず、そこに偶然いた怪物をまとめて貫いた。
なんとか空中に逃げられたが、次の一手をもたもたしていられない。素早い浅間には攻撃が当たりにくいのならばどうするか。答えは範囲攻撃だ。
腿のフレームを展開し、小型ミサイルをフルセット十発地表に叩き込む。
細かい狙いは不要だ。突進後の僅かな硬直を利用するため最速で撃ちだすと、激しい爆風と炎が地面を包み込み、群がっていた怪物も大勢巻き込む。肉片がいくつも宙を舞いその威力を示す。
黒煙でよく見えないが、浅間もこれは避けられないだろう。
「ランケア・ウェルテクス!」
竜巻が発生し、煙が吹き飛ぶ。真上に打ち上げられた槍は俺の背中を掠めスラスターを大破させた。損傷により飛行高度を上げられなかったことが災いし、彼女の射程内に入ってしまっていたらしい。
再びの墜落。脚部のスラスターで多少方向をコントロールし、狭い路地へと不時着を決める。
「くそ、いざ戦ってみると厄介な奴だな!」
追い詰められているにも関わらず、俺は内心笑っていた。
浅間の言う通りだ。俺はこうして浅間と戦うことを楽しんでいる。命を懸けたやりとりを笑って楽しむなんてどうかしてしまったのだろう。俺は路地の奥へと走っていく。
誰もいない商店街で、金髪の少女と青髪の青年が対峙していた。銀の狼に応援を頼んだすぐ後のことだ。
「……マーレ、お願いだ返事をしてくれ。もう意識がないのか?」
「無駄だよ。この男の意識は俺が完全に乗っ取った」
青年はかつての高貴な雰囲気をどこへ無くしたのか、今や禍々しいオーラすら纏っている。
「ああもう、お前じゃないか……敵に喰われるなと言ったのは」
イグニスは俯き、マーレの体内から侵略者を追いだす方法を考えていた。
敵の侵食はまだ完全ではない。浅間の悲鳴を聞いて駆けつけてそれほど時間が経っていないからだ。
「ふむ、この身体は存外不便だな。自ら能力を制限しているのか」
敵となった男は自分の力を確認している。侵略者は取り込んだ対象の情報を手に入れることができる。今までそうやってこの惑星の言語や常識を学び、完全に人間として擬態できるよう活動していた。
イグニスは考えた末、二つの答えを導いた。
一つ目はマーレを乗っ取った敵だけを殺す方法。
これは敵の侵食がまだ完全でないことを利用し、体内の敵だけを殺しマーレから切り離す方法だ。最大の問題点としてその実行方法を思いつかない。
二つ目はマーレごと殺してしまうこと。
通常、上位者は死なない。だが何らかの要因で狂ってしまった上位者を処分する手段はあった。これは上位者が万が一エラーを起こした場合、人間では対処ができないために存在する処置だ。このストッパー機能は当然同じ上位者であるイグニスも有している。
思考は一瞬であったし選ぶのもまた一瞬だった。イグニスは迷うことなく後者を選択、対上位者処理機能を開放する。
侵略者と戦うのは人間の役目だが、それが上位者を乗っ取ったというのなら上位者が直接介入することも許される事態だ。
「すまん、マーレ」
少女と青年はかつて同じ国を愛した仲だった。しかし、こうなっては致し方ない。上位者にとって最も優先すべきことは人間の繁栄、ひいては惑星の存続なのだ。
少女の周囲から一気に炎が噴き出す。
熱が上昇気流を生み出し、少女の輝く金髪と漆黒のドレスをふわりと持ち上げる。紅い瞳が橙色の明かりで照らされより一層美しさを増した。
「せめて苦しむ間もなく焼き焦がしてやろう!」
少女が両腕をかざすと青い炎の渦が青年に向かって迸った。
その温度は部分的に四千度まで達する超高温の炎だ。これでも権能を開放した少女にとっては、周囲への影響を考慮した生ぬるい熱という扱いになる。
しかし相手は上位者とはいえ人間の身、殺すには過剰とも思えた。
男は不敵に笑い避けようともしない。そのまま青炎の一撃が直撃したかに見えたが、如何なる手段で防御したのか炎が男を焼くことはなかった。
「うがっ……!?」
イグニスの脇腹を何か鋭いものが穿ち、炎の放出が中断される。傷口に手を当てると赤い血がべっとりと付いた。
「なるほど、こうやるのか。これはいい。あの契約者とやらも簡単に殺せそうだ」
無傷の男は周囲に小さな水の球体をいくつも浮かべている。マーレの所有する対上位者処理機能を不正にハックし解放したらしい。
先ほど炎から身を守れたのはこの水で膜を作っていたからだ。
「この肉体があればお前は要らない。バラバラになって死ぬがいい」
男が手を上げ、そして振り下ろす。それに合わせ水の球体から高圧になった水流が放たれる。少女の身体に穴を開けた攻撃の正体だ。
「この!」
イグニスはもう一度両手を合わせ前方に円形の炎の壁を作る。壁の中心は輝く白で、その周りは赤や橙で彩られている炎だ。
水圧のカッターはそれに触れると即座に蒸発し水蒸気へと変わった。
マーレが操る水はイグニスと同じくただの物質ではない。たとえ四千度の炎であろうと蒸発しない特別な水だったが、イグニスが展開したのはそれを超える六千度──太陽の表面温度に相当する盾だ。
瞬間的に、ごく狭い範囲のみに限定することで商店街ごと焼き尽くすことを抑える。
「……目くらましのつもりか?」
高温の水蒸気が商店街を包む。怪物の吐き出した霧のごとく視界を奪うが、男が気にしている様子はない。
「無駄だ」
水圧カッターで前方を真一文字に薙ぐ。通りの店ごと男の前方百八十度全てが真っ二つに寸断される。だがそこに少女の姿はなかった。
「灰も残さず消えろ」
「────────!!」
真上から炎の奔流が男に向かい叩きつけられる。
柱に飲まれた地面は何もかも蒸発した綺麗な黒円を描く。
人間を逸脱した瞬発力で男は飛び出し直撃を免れたが、左腕を丸ごと持っていかれた。傷口は焼かれているため出血はほとんどない、それでもかなりのダメージを負っている。
今の少女に個人的な感情というものはほとんど残っていない。ただ目の前のエラーを無慈悲に処理するプログラムだ。
乗っ取られたかつての同胞に追撃する準備をしながら、空中より着地する。
「っ……!」
だが次の攻撃への移行にワンテンポ遅れた。
着地の衝撃で穴の開いた脇腹から鮮血が零れ落ち、刺すような痛みが身体に走る。上位者は人間の身体を象って顕れている以上、その五感は人間に準拠し、血が流れれば痛いのは上位者とて同じことだ。
「やってくれたな、死ね!」
上位者に寄生する敵はその感覚を共有していない。宿主の左腕を灼け落とされたとしても、寄生虫が痛みを感じることはないのだ。
それにも関わらず余裕を無くした顔の男は残った右腕を突き出し、水の刃でイグニスを狙う。
これが二人きりの戦いであれば男の勝利だった。イグニスが炎の盾を展開しようとするも最早間に合わない。あと数瞬で刃は振り落とされ、少女は縦に裂かれる。
イグニスは最悪の事態を想定していた。想定したからこそ手を打っておいた。だからこそ純粋な一対一を避けたのだ。
これまではただ時間を稼いでいただけ。火を司る上位者は、初めから一人で勝つ気などなく。
────すとん。
見えぬほど速い刃が肉を断つ。男の右腕、肘関節から先がきれいに切り落とされた。
切断面から血が溢れだし、圧縮された水の弾は行きどころをなくし空気中に溶けていく。
「なっ────!」
男の隣には、いつの間にかバニーガール姿の女が立ってる。
どこからか取り出した刀を鞘に納め、手のひらを柄に当てると刀はスルスルとその手の中に消えていった。
形勢不利を察した男はすぐさま逃げようとする。
だがそうはさせまいと、九泉は男を羽交い絞めにした。男はもがくが傷だらけの身体では拘束を解けない。
「……来てくれたか。ありがとう、助かったぞ」
貫かれた腹を左手で抑えつつ、イグニスが男に向かって歩いていく。
「でも退いてくれ。私の炎がキミごと焼いてしまう」
イグニスがかざした右手からは炎が散っている。男はなお一層暴れるが、九泉に完全に押さえつけられていた。
「あら、殺す必要なんて無いわ」
「なに?」
空から甲冑を着込んだ武者が落ちてくる。武者が着地すると、その衝撃で地面にひびが入った。
時間を少し遡る。銀色のロボットに上位者を連れてきてくれと言われたが、野田は上位者が何を指すのか分からなかった。
だから野田がやったことはただ一つ、言われたことをそのまま九泉に伝えた。
「はぁ……なるほど。わかった、行くからあんたもそこの敵を適当に片付けたら付いて来なさい」
テンションの低い声でそう言うと九泉は瓦礫の影から出ていった。
「適当に? まだ大勢いるぞ」
相対す何十という数の敵、戦えるのは武者一人。銀のロボットはもうその場におらず仲間であったはずの異形と戦っていた。
「まあいい、全部片づけてしまおうか! ────厄払い!」
四本の刀を同時に振るうと、不用意に近づいてきた怪物が何匹と切り刻まれた。
「次!」
次から次へと出てくる怪物に刀を構え直す。だがその刀を振るう必要は無かった。
怪物の群れは、横合いから突っ込んできた何かによって粉砕された。
「なんだ……?」
見れば向こうの方から怪物が投げられたらしい。あまりに勢いよく投げられたのでそれが砲弾のような威力になっている。
怪物の群れは二分されていた。
武者一人で全てを請け負っていたのが、銀のロボットと異形の乱入により大部分がそちらへ群がっていく。だが二人はそれを意に介す様子もなく戦闘を続けている。
異形が突進するたびに怪物の四肢が吹き飛び、銀のロボットが空中から発射したミサイルで三十匹以上は死骸になっただろう。もう武者の元には一匹も怪物がいなかった。
「…………助けに行くべきか?」
武者は刀を鞘に納めた。
「いや、九泉に言われたことを優先しよう。商店街だったか」
「それで、俺は何をすればいい」
月断は商店街を見回す。通りは真っ二つに切断された店や真っ黒に焦げている地面、飛び散る血の跡など凄惨な様相を呈していた。
「あたしが捕まえてるこいつ、中の敵だけ斬り飛ばしてちょうだい」
「な、中の敵だけ、だと? 出来るだけやってみるが初めてだし、失敗するかもしれんぞ」
武者が腰の刀を一本だけ抜く。それを両手で持つと上段に構えた。
「そんなことができるのか!?」
九泉がさらっと話したことにイグニスが驚いて声を上げる。
「わからない。が、俺の中にそういうことができると確信がある。変身とは不思議なものだ」
武者は羽交い絞めされている敵を見据え集中する。
九泉は何も言わず、イグニスは息を吞む。ほんのわずかな間だが、誰も喋らず何の物音もしない静寂が訪れた。
「……このまま死ねるか!」
「──────水月」
怪物の血を吸った鋭く光る刀が振り下ろされる。
だが狙われた男は上半身を急激によじり反転し、背後の九泉と向きを入れ替えた。刀で斬られるのなら女を盾にして諸共斬られてやるとばかりに。
刃は止まらず女ごと男を袈裟懸けに斬る。
刀は確かに九泉の身体に入り、背中の右肩の上から左脇の下までを綺麗な線を描いて抜けていった。
月断はその面頬の奥の瞳を閉じたまま姿勢を崩さず、残心を忘れない。
「あ……? なん、で……」
九泉が羽交い絞めを解き、青髪の男は意識を失い倒れ込んだ。月断は後ろを向き刀を鞘に納める。
「水月とは水面に映る月のこと。この技は水面の月だけを────すなわち実体のないもの“だけ”を正確に斬る。残念ながら何を盾にしようと無意味ね」
既に相手には聞こえていない。
九泉は独り言をつぶやいた後、興味をなくしたように歩き近くの壁に寄りかかった。
「死んだ、みたいだな……。すごい、成功じゃないか」
イグニスが倒れたマーレをつついてみる。マーレの体内の敵は完全に死んでいた。
「こう狭い場所じゃ上手く戦えないんじゃないか?」
俺を追いかけてきた浅間に向かって言う。
この場において俺は手負いの獣、浅間はさしずめ狩人だろう。だが時には、手負いの獣が最も恐ろしい。
浅間は頭や肩から出血していた。ミサイルの爆撃は効果的だったらしい。
もっとも、ミサイルの残弾はエネルギーが不足しておりもう無いのだが。
この場は狭い裏路地。壁にはどこに繋がっているのか金属のパイプがいくつも這っており、薄暗くジメジメとしているのもまた不気味さを醸し出す。
俺と異形、人間でない者同士が向かい合い殺気をぶつけ合う。
「考えたってわけ? でも突進するだけが私じゃないんだよね」
浅間は正面から突っ込んでくる。しかし速度はだいぶ控えめだ。この細い路地で突進してしまえば頭の剣が壁に深く刺さることは請け合いだろう。
「はっ! せい!」
両腕の側面についているヒレ状の刃を双剣の如く振り回し、隙を埋めるように頭部の剣でこちらを牽制してくる。
洗練された流れるような動きは、一種の芸術のような美しさを持つ。紙一重で躱していくこちらから見ても感心してしまうほどだ。
「ビーム・クロー!」
「おわっと!」
なるべく予備動作を見せないようにいきなり右手を突き出す。既に右手甲のクールダウンは完了していた。
浅間が迫ってくるときにあえてマシンガンを撃たないことでまだ使えないのだと錯覚させ、至近距離でクローを放つ。奇襲であるためできればこれで決着を付けたかったのだが、そうもいかないらしい。
「あっぶない、ねぇ!」
流石の動体視力と言おうか身体の柔軟さを褒めるべきか、ほぼ完ぺきな奇襲であったにも関わらず浅間は瞬間的に身体を捻って回転させた。
光の刃はその熱でラピドゥスグラディウスの胴を真一文字に焼いたが、直撃ではないために戦闘不能の傷を負わせることはできなかった。
「おっりゃあ!」
お返しとばかりにラピドゥスグラディウスの右手の握り拳が、アルゲンルプスの金属の顔面を殴りぬく。大きなダメージではないものの身体のバランスを崩し、後ろによろける。背中は既に曲がり角の壁だ。
サンドバッグにするかのような容赦のない追撃が入れられる。浅間は両腕の刃で俺の上半身を何度も切りつけた後、トドメに頭の剣を構え突き刺そうとする。
俺は尾を隣の壁に張り付く鉄パイプに絡め、思い切り身体を引き寄せた。急に真横にスライドする予想外の動きに対応できず、浅間はその剣を壁に深く突き立ててしまう。
「便利だな、シッポってのは」
「このっ……!」
俺はこれまでの付き合いから浅間の性格を少しは理解している。浅間は自分が確実に得をするか、勝てる場面でしか勝負を賭けてこない。
逆を言えば、俺が隙を見せれば確実に咎めてくるし殺せると判断したなら大胆に攻めてくる。しかし勝ちを確信したときこそ油断が生じる。
この狭い通路で戦うことで浅間は突進を封じたが、それは避けられた時のリスクが大きいからだ。そう、万が一避けられてしまえば、こうして俺に無防備な背後を取られるから。だから“誘った”。
俺が攻撃を躱せないと判断“させ”、浅間は一番威力の高い攻撃をした。
俺が尾を使って避けるなんて浅間には予想がつかないことだ。自分にないパーツを利用した回避だし、何より今まで見せたことはない。
「────終わりだ」
浅間は頭の剣を即座に引き抜けない。
俺はビーム・クローを展開し、まずその両腕を落とそうとする。変身体で四肢を欠損したとしても変身解除すれば後遺症はない。しばらくは痛むだろうが、許してくれ。
「まだまだぁ!」
光の刃は虚空を斬る。
なんと、浅間は頭部の剣を切り離し即座に背後からの攻撃を避けた。同時に回し蹴りをカウンターとして俺に叩き込み、のけぞらせて距離を取る。
「なっ……!?」
「これが奥の手ってね!」
剣を分離させた浅間だが、頭から出血などしている訳ではない。
残された剣からは持ち手のような部分が見える。剣は身体の一部ではなく、備え付けられた武器だったのだ。それをこれまでは頭に持ち手を埋め込むような形で使用していた。
「死っねぇ!」
壁に刺さった剣を浅間が全力で引き抜き、その勢いのまま剣先をこちらに向ける。狙うは俺の首か、もしくは頭そのものか。唖然としている場合ではない。
防御──駄目だ、右腕を盾にしても剣は止まらないだろう。回避──これも駄目だ。この一撃を避けた所でその後の追撃まで避けきれない。
死の淵であるが、機械である俺は極めて合理的に生存方法を模索する。
「ふん!」
迫りくる切っ先を口で噛んで受け止めた。剣先が口内に入るが、それ以上押し込まれることはない。
「うっそ!」
浅間が剣を持つ手に力を込めるが、剣はビクとも動かない。狼の金属の牙は、さながら工業用のプレス機のような圧迫力がある。
浅間はスピードこそあるがパワーには乏しいため、純粋な力比べであれば両手と口の勝負であろうと俺が有利だ。
「うおおおおおおおお!!」
口で浅間ごと剣を持ち上げ、真上に放り投げる。
空中で無防備となる浅間に対し右腕で狙いをつける。後はビーム・マシンガンを発射するだけだが、その引き金が重い。
ここでビーム・マシンガンを撃てば浅間は本当に死ぬかもしれない。空中のラピドゥスグラディウスの手足だけを狙い打てるほど正確な射撃はできない。
だが、ここで撃たなければ死ぬのは俺だ。
いやそんなことはいい。俺が死んで、浅間が敵のまま無辜の人々を殺すことになるかもしれないという未来が、それが俺には何より許せない。
「────すまん、浅間。恨んでくれ」
ビーム発振器を稼働させ光が収縮する。
浅間は最期に、こちらに笑いかけたような気がした。
「うわああぁあっ!?」
「おっと!」
その刹那、光と共にラピドゥスグラディウスが私服の浅間へと姿を変える。
俺は発射寸前のビーム・マシンガンをすぐさま停止させ、落ちてくる浅間を受け止めた。左腕が使えないので右腕で抱き留める形になり、浅間をそっと地面に降ろす。
手を離そうとすると浅間がよろけたので、その右肩に手をまわして支えてやる。
「ああ……緋山君。ごめんね……」
苦しそうな顔で浅間が謝る。
「なんだ、正気に戻ったか?」
「うん、向こうの決着が付いたみたい。ずっと変身解除しようとしてたんだけど、やっと出来たよ」
俺の身体も光に包まれ、人間に戻る。こちらはエネルギー切れだ。足元が覚束なくなり、支えている浅間の方に自分が寄りかかってしまう。
「おっとっと。大丈夫……じゃなさそうだね。一緒に肩組んで行こっか」
俺が右手を、浅間が左手を互いの肩に回す。はたから見たら二人三脚でもしてるのかという姿だが、実際お互いに一人では歩けないほど痛みと疲労が激しい。
「お前が……散々やったんじゃないか。こりゃ当分動けそうにないぞ」
「いやーはは、ごめんごめん。でもその割に笑ってるし許してよぉ」
言われて初めて俺が笑っているのに気付く。俺も本気で浅間を責めてる訳ではないし、浅間と全力で力比べをするのは楽しかった。何だかスッキリして清々しささえ感じる。
「俺は左腕が全然動かないんだぞ。背中も滅茶苦茶痛いし、あーこりゃ入院が必要だわ。入院費と慰謝料要求しないとな」
「わ、私だって君に焼かれた胸のあたりが痛むし、ミサイルの爆発で全身痛いですー! これじゃしばらく泳げないんですけど、大会で優勝できなかったらどう責任取るんですかー!」
いつの間にか自分の怪我の方が重い選手権が始まった。俺たちはまるで小学生のように言い合い、笑いながらふらふらと歩いて行く。
ふと浅間と目が合い、俺が失わずに済んだその笑顔が視界に入る。
「…………でもありがと」
「何が?」
「緋山君が、私を殺そうとしてくれたこと。私、友達を──君を殺してまで生きたくはないからさ」
なんだか急に恥ずかしくなり、浅間から目線を逸らして前だけを向く。
俺と浅間が友人であることは間違いないが、面と向かって友達だと言われるとムズムズするのは俺の陰寄りの性格故か。
「あれ、なんで目を逸らすの? もしもーし?」
「な、何でもない。気にすんな……!」
二人揃っての千鳥足で商店街に近づくと、マーレを背負ったイグニスとやたら背の高いバニーガール姿の女性、そしてよく知ってる顔の男が俺たちを迎えに来ていた。
「修二ー! 無事だったか!」
イグニスが左手だけでマーレを支えながら右手で俺に抱き着いてくる。器用な奴だ。
それよりも俺は他の二人の方が気になっている。黒髪の女性の方は知らないが、隣の男は間違いない。俺の数少ない友人である野田弘人だ。
「お前……どうしてここに? まさか────」
「そのまさか、だな! そこのイグニスさん? から話は色々と聞いている! まさか緋山があの銀のロボットの正体だったとは!」
運動部特有の短い髪にでかいハキハキとした声、高身長にそしてこの笑顔。
あれだけの戦いをしてきたというのに、流石浪間高校トップクラスにモテる男だ。まだ余裕のありそうな堂々とした立ち姿をしている。
ニュースで見たあのやたら正義感に溢れた行動に、どこか知ってるような雰囲気。野田があの武者だったというのなら納得だ。
であれば、そこの女性は上位者なのか。しかしなぜバニーガールの格好を……。
「緋山君、知り合い? あーでも私も見たことあるかもこの人。サッカー部でしょ、いつも放課後の校庭使ってたもんね」
「む、そちらは浅間さんだな。俺は二年の野田弘人! これからよろしく頼む!」
浅間と野田が話している横で見慣れぬ女性を見ていると、目が合ってしまった。
この人、やけに背が高く目の隈がすごい。それらに無表情というか不機嫌そうな顔が相まって高圧的なオーラを放っているが、着ているのはバニースーツだ。どう反応したらいいんだろう。
「あ、よろしく……お願いします。イグニスの契約者の緋山修二です」
とりあえず恐る恐る頭を下げて挨拶する。女性の固く結ばれた口元が少し緩んだ後、しばらくして返事がされる。
「……どうも。九泉よ」
それだけ言ってまた黙った。きゅうせん? と一瞬戸惑ったがそれが彼女の名前なのだと気づく。
なんだろう、どことなく俺に近いタイプなのかもしれないと肌で感じ取る。このコミュニケーションの取りにくさとか。
「あっそうだ。マーレはどうなったの? 意識無いみたいだけど」
イグニスの背中で寝てる姿を見てる限りでも、まず両腕がない。そっちはそっちで大変な戦いがあったようだ。
「うーんむ、しばらくすれば目覚めると思うがな。浅間の家に置いて帰ろう」
「じゃ、先に私の家に寄ってくのね。帰ろ帰ろーっと」
イグニスは俺の左隣に立ち、右腕で支えてくる。三人並んで肩を組んで歩いているのはどう考えてもシュールな光景なのだが、幸いにもそれを見る人はいない。
「ではまたな緋山! 今度ゆっくりと話そう!」
後ろを見ると野田が手を上げている。俺はそれを返せないので、「おう」とだけ言ってその場を後にした。
廃墟のようになった街並みを歩く。潰れた車、ひび割れた道路、倒れたビル。人はどれだけ死んだのだろう。死んでないのならばいいが、それでも俺はこれで街を守れたと言えるだろうか。
曇りつつある空に、まだ続く戦いの気配を感じた。
ピンポーン。
一階でインターホンの鳴る音がし、母さんがそれを出迎える。来客は家に入り、階段を上がって真っすぐこちらに向って来た。
「やっほ、緋山君。調子はどうかな?」
浅間がノックもせず部屋の扉を開けるなり、ずかずかと入り込んでくる。
「いやあれからまだ一日しか経ってないだろ。どうかなって言っても、相変わらず腕が動かな────」
なんだこれ?
「見せたいものがあってさ、急にごめんね?」
浅間は、手を繋いでいた小さい男の子を持ち上げて見せた。長い青髪の十歳ぐらいの少年だ。ものすごく不満げな顔をしている。
「……えーっと、お子さんですか?」
「先日産まれましたー!」
ボケに返してくれるのは嬉しいが説明が欲しい。まさか、もしや、その少年は…………。
「はは、あっはっはっはっは! ふふふ、あはははは!」
隣で笑いを堪えていたイグニスが耐えきれないとばかりに声を上げる。声をかけても笑うばかりで反応がない。しかし子供の正体を確信するには十分だった。
「……降ろせ」
「はいはい、どーぞご挨拶してねぇ」
浅間の子供に話しかける口調にさらに不機嫌さを増す少年。だが何を言い返すでもなく俯くだけだ。
「マーレだ。昨日は……すまなかった。あのような醜態を……しかもこんな姿に……」
少年となったマーレは不機嫌な理由は、敵に乗っ取られたばかりではなくこの姿が恥ずかしいというのもあるようだ。いつも着ている高貴な服もちゃんと子供用のサイズになっている。
「あ、朝起きたらこんなことに……ふふ、なっててぇ」
浅間は既にマーレの方に顔を向けようとしない。が、震えているのと声の様子で笑いかけていることは明らかだ。
「……なんで子供になったんだ?」
思い切って本人に聞いてみる。
「敵に乗っ取られた時にな、乗っ取られた権能ごと切り落としたことでこうして中身の機能と共に外見も半分ほどになってしまった」
そんなことある? と言いたいところだが、実際こうなっている。上位者のことはよく分からないがそういうものか?
イグニスは変わらずベッドの上でひーひーと笑い転げている。
「イグニスに忠告などしておきながらこの様だ……。一歩間違えれば地球を殺すのは俺だった。この罪、俺が責任を取り消えるしか償えん……!」
「いやいや待て待て! そんな必要は無いって!」
マーレは本気だ。これまでになく萎れているし、放っておいたらマジで死ぬのではないだろうか。
「お前がいなくなったら浅間はどうするんだよ!? お前が責任取って死んだって、浅間が戦えなくなったらこっちは困るし、それは罪滅ぼしにならないぞ!?」
「むぅ……。緋山、お前は俺を許してくれるのか……」
落ち込んでるマーレをなんとか宥める。なんとか落ち着いてくれたようだ。
「ふふふ、いや、そうそう。私も気にしてないし、敵の罠にかかったのは同じだから……あははは!」
浅間も説得するが、笑ってしまっては逆効果ではないだろうか。
マーレの様子を窺うと、もう諦めたようにため息をつく。
「…………もう好きなだけ笑ってくれ」
俺は、彼の肩に手を置くことしかできなかった。
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