第28話
「そんなんじゃ、僕には当たらないよ」
大楯の振り下ろしを、オレスはいとも容易く跳躍して躱す。
空中に舞う彼に、間髪入れず結晶の両腕が伸びる。が、彼は後退するどころか、木の幹を踏み台に、腕の方へ自ら飛んでいった。そして、二つの腕の間を、重力を感じさせない軽快な動きで、ぐんぐん進み。
「目元ががら空きだよ」
人型の腕から離れると、オレスは体を回転させながら、刃物を連続で飛ばしていく。なんと出鱈目な動き。それなのに、放たれる刃物は正確に人型の目玉を狙う。
それを傍観するサラは、目が点になっていた。
「なんだ、あの人間離れした動き…… 何より、怖くないのか? まだどんな攻撃が来るかわからないのに、あんな風に突っ込んでいくなんて……」
一歩間違えば、確実に死ぬ。普通なら、その恐怖は人間の行動を大幅に抑制させるというのに。オレスはそんな様子を一切見せない。
「あの男、一体何者…… ?」
「花のおっさん、すごい?」
「はい。少なくとも、私では太刀打ちできない程に……」
とは言うものの、未だ人型に決定打を与えられていない。
目玉は擬似的な目蓋に守られているし、結晶の鎧は一部剥がれ落ちてはいるが、その前には大楯が立ち塞がる。そして、徐々に進んでいく再生。
「やはり、一人では無理だ。私も加勢しないと」
サラは弓を構える。しかし、それをオレスが制止する。
「必要ないよ。もう準備は整ったから」
「準備?」
なんの準備だろう。
と、オレスは攻撃を中断し、こちらに向き直った。
「お集まりの紳士淑女の皆様、大変長らくお待たせいたしました。これより、オレスと人型冥獣による、ナイフ避けを開始いたします。迫り来る無数のナイフの雨を全て躱し、見事生還してみせましょう」
そう言うと、オレスは深くお辞儀をする。
すると、それを合図に、地面からいくつもの刃物が浮かび上がってきた。先程まで、人型に防がれ、下に落ちていたものだ。百本近くあるだろうか。その全ての刃先が一斉に冥獣に向いた。
「わあ」
「まさか、結晶を操っているのか!? それもあんな数を!?」
あり得ないことだ。
一つの結晶を操ることすら、高等な技術が必要で、頭の中で逐一結晶の動きをイメージしなければならない。求められるのは、正確な空間把握と、繊細な思考。そっちの方に気を取られ過ぎると、今度は主感情を生み出す工程がおざなりになり、途中で術が解けることもあり得る。それに、かなり強力な感情ーー 深緑の灯晶術では"恐怖"が必要なはずだ。
それを複数同時にこなしてしまうなんて。
「あんな芸当、隊長ですらできるかどうか。あの男、凡人なんかではない……」
エルピスの記録では、オレスが灯晶術を扱えるようになったのは、ほんの一ヶ月程前。そんな短期間で、あそこまで成長するなんて。ただの罪人だと思っていたが、とんでもない鬼才が誕生していたのかもしれない。
いくつもの刃物が、人型の周りを荒々しく乱舞する。その小さな標的に翻弄され、人型は攻撃するのもままならない。それらは大楯の間をすり抜け、結晶に覆われてない人型の外皮を徐々に削り落としていく。そのダメージは、人型の再生を上回る程。
「花のおっさん、全部避けてる」
「え…… ?」
リゼの言葉で、サラは違和感に気づく。
確かに、刃物は冥獣だけではなく、オレスにも向かっている。彼は軟体動物のように体をくねらせ、その全てを難なく避けているが。
あんな小さな灯晶術でも、人間に当たれば深傷になることは必至。なぜ、わざわざそんなリスクを冒しているのか。まさかふざけている訳ではあるまい。
「そうか…… ! 全ての結晶は、人型ではなく、あの男を狙っているんだ!」
ようやく合点がいった。
「一度飛ばした結晶を自分の下へ呼び寄せるのに、そこまで技術は必要ない。思考もかなり単純になる。なんなら、私にもできる…… はず」
イメージ的には、飛ばした結晶に紐を括り付けて、引っ張る感じだ。手元に上手く戻すのは少し難しいが、自分の方へ寄せるだけなら難易度はかなり下がる。
「それを高速で行うことで、自分
どれだけ肝が座っているのだ。
「となると、あれは自らを危険な状況下に置くことによって、死への恐怖を増長させる効果を兼ねているのか…… ? 深緑は恐怖を糧にする。確かに、単なる想像よりも、実際に何かしらの事象に対峙した時の方が、より強い感情が生まれるが……」
「一人で何言ってるの?」
リゼがポカンとこちらを見つめて言う。
「え!? あ、すみません。つい興奮してしまって……」
子どもに指摘されてしまうなんて。恥ずかしい。
サラは大人しく静観することに決めた。
人型は防御を止め、オレスの息を根を止めることに専念し始めていた。しかし、刃物と人型の攻撃、そのどちらも彼には当たらない。
「大変です! 人型冥獣さんの大きな体が祟って、全く避けられていません! このままでは、人型冥獣さんの身が危ない!」
オレスは熱っぽくそんな解説を加える。
そういえば、彼は収容される前まで、道化師として労働させられていた。それも、一部の物好きが集う、趣味の悪い見せ物の。内容が受け付けなくて、サラは一度も見に行ったことはないが。
「ほら、何してるの。ちゃんと避けないと。体がズタズタになっちゃうよ。頑張って」
このオレスの声には、まるで心から相手を心配しているような、そんな響きがあった。先程の解説とは全然違う。
やがて、人型はガクッと体勢を崩す。右膝が切断されたらしい。動きは急激に鈍くなり、一層刃の嵐に曝されることに。みるみる内に体が削り取られていき、ついに人型は地面に倒れ込んだ。
「すごい…… すごいのだが、これは子どもに見せて良いものではないだろう……」
今更になって気づいた。確かに、結晶の飛び交う様は美しいかもしれないが。
リゼも特に楽しんでいるようには見えない。
「あぁ、何ということでしょう! 人型冥獣さんは惜しくも、ナイフを躱し切ることができませんでした! ですが、まだ生きております!」
周りを舞っていた刃物がバラバラと落ちていく。
「さあ、今宵のフィナーレを飾るのは、こちらの演目です」
オレスが口を広げ上を向く。そして、口の中に手を突っ込むと、何かを引っ張り出した。
「剣…… ?」
それは長く大きな、一本の剣であった。オレスはそれを手際良く口から出すと、クルクルと回し始める。
「今宵生き残れるのは、二人の内、どちらか一人のみ! さあ、一体全体、幸運の女神はどちらに微笑むのでしょう!」
オレスは剣を天高く放り投げると、両手を広げ、運命の時を待つ。
本来ならば、第三者が剣を投げ、さらに多様なギミックを盛り込み、ランダム性を演出するのであろう。が、投げているのは彼自身なのだから、彼のさじ加減でどうとでもなる。女神もクソもない。
馬鹿らしくなると同時に、彼のセリフが持つ本来の意味に思い至り、サラは辟易した。
「リゼさん、やはりこういうのは見ない方が……」
サラがリゼの目を隠そうとした瞬間。サラは心臓が止まる思いがした。
「えっ……」
あの長い剣が、上を向くオレスに突き刺さったのだ。彼の開けた口に、
「う、嘘でしょ…… ?」
オレスの手がだらりと下がる。あまりに急な展開に、サラは息をするのも忘れてしまう。
「花のおっさん、動かないよ?」
リゼが不思議そうに尋ねる。
と、動かなくなったオレスの背後。虫の息となった人型が、卒然と動き出し、彼の元へすごい勢いで這いずり始めた。
「まずい…… !」
理解が追いつかないまま、とにかく人型を狙い矢を番える。
既に足は機能していない。狙うは頭部の目玉。だが、真正面からでは、十中八九あの目蓋に防がれる。側面に回り込む時間もない。どうする。
しかし、そんなサラの迷いは吹き飛ぶことになる。
「あっ」
人型の頭上から、高速で回転する何かが近づき、その頭部を貫いた。人型はその場で停止すると、オレスの真後ろで、力なく倒れていった。
「え、一体何が……」
呆気に取られていると、不意にオレスの手がピクリと動く。その手はゆっくりと口の方に伸び、柄を握ると、それを引き上げた。
サラは気づく。
「刃が付いてない…… ?」
柄の先には何も付いていない。それは細かな粒子となって、消えていった。
「何ということでしょう。残念ながら、運がなかったのは人型冥獣くんの方だったようです」
オレスが静かにそう言う。
「さあ、今宵活躍してくれた二人に盛大な拍手を」
肩に乗るリゼと丸い冥獣が、小さな拍手を送る。オレスは全てを出し切ったかのような、清々しい顔で一礼した。
サラは彼の下へ近づく。
「どうだったかな?」
「どうだったかな、ではない! こんな真面目な時に、何をしているんだ貴様は! 失敗でもしたのかと思って、心配ーー はしていないが!」
「へえ。心配してくれたんだ」
「は、はあ!? 貴様の聞き間違いだろう!?」
「酷い言い訳だ。こんな所で、お茶目アピールはやめてよ」
サラは何も言い返せなくなった。羞恥で顔が熱くなっているのがわかる。
「お嬢さんは、どうだった?」
「ふつう」
「おっと、これは手厳しいね。次までに、もっとすごいのを考えておくよ」
「わかった」
リゼとはだいぶ打ち解けたようだ。
「というか、さっきは別に、私が体を張る必要なかったのでは……」
「いや。あんな狭い場所じゃ、思うように動けなかった。何より、結晶の鎧が剥げてたから、僕の攻撃が通ったんだ。君のおかげだよ」
またまたサラは口をつぐむことになった。
自分のことを否定したり、褒めてみたり。なんだか憎めない奴だ。
「それより、早くあの冥獣から離れよう。また起き上がってこられたら面倒だ」
「念のため、核を破壊した方が良いのではないか?」
「あの巨体からピンポイントで核を見つけるのは時間がかかるし、もう僕に灯晶術はーー」
不意にオレスはふらついたかと思うと、そのまま前に倒れていく。サラはそれを咄嗟に手で支えた。
「大丈夫か?」
「ごめん。なんだか力が入らなくてさ……」
「灯晶術を一気に使ったせいで、感情を消耗し過ぎたんだ。一時的な虚脱状態に、灯晶術が使用できない状態。典型的な感情欠乏の初期症状だ。少し休まないと」
「ああ、これが…… カゴートさんに聞いたことがあったけど、意外と辛いね……」
虚ろな目で、うわごとのようにオレスは言う。
やはり、あれだけの術を行使すれば、その分反動も大きい。そこは彼も人並みなようだ。ちょっとだけ安心した。
リゼには肩から降りてもらい、サラはオレスに肩を貸す。
「あまり喋らない方がいい。その状態になると、知らぬうちに秘め事を口走る人もいる」
「それは困るね…… 僕、こう見えてたくさん隠してることがあるから……」
とにかくもう少し安全な場所で、オレスを休ませなければ。今冥獣に遭遇したら、たぶん勝ち目はない。
サラたちは歩き始める。
「花のおっさん、大丈夫?」
「安心してください。数時間安静にしていれば、いつもの面倒な彼に戻りますから」
「面倒? おっさんのこと嫌い?」
リゼが純真な眼差しで、そんなことを尋ねる。
答えづらい。
「あー、えっと、待ってください…… 別に嫌いという訳ではないですけど……」
「じゃあ、好き?」
「いいえ。それはないです。断言します」
「よくわかんない」
不満な顔をされたが、それで構わない。
サラたちは花畑に囲まれた道を渡りきると、塔の方を見やった。
「もう少し。灯晶塊に光さえ灯せれば、安全は確保される。急がないと」
「そんなに急がなくても良くないです?」
突如、どこからかかかる女の声。サラは慌てて声の発生源を探す。
いた。前方の半壊した二階建ての家の屋根。その端に足を投げ出して座る、足先まですっぽりとフードに包まれた人の姿。
「貴様は、広場にいた…… !」
「フヒっ。もうちょっと遊んでいってくださいよ」
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