第29話
最悪だ。まさか、このタイミングでフード姿と鉢合わせするなんて。いや、もしかすると、サラたちが出てくるのをずっと待っていたのかもしれない。
彼女はリゼを自分の背中の方に隠した。
「…… 貴様に一つ問いたい」
「なんです? なんでも答えてあげますよ? 時間はあるし、僕は優しいので」
「貴様は私たちの敵という認識でいいのだな?」
顔色の窺えないそのフードの下で、突然大きな笑い声が上がった。
「フヒっ、フヒヒっ、そんなの確認するまでもないじゃないですか! 僕はあなたたち人類の敵ですよ!」
「人類の敵って…… 貴様だって、同じ人間ではないのか!?」
「あ〜、全然違います。僕は
「ピトスの災厄…… ?」
聞いたことのない単語に、サラは眉を
「あれ、知らないです? おかしいですね〜、昔はすっごく有名だったんですよ? 人間って結構忘れっぽいです? 脳みそ腐ってます?」
「だが、あの時、自分は人間だと……」
「嘘に決まってるじゃないですか。僕、人を騙すのが大大だ〜い好きなんです」
悪びれた様子もないアパテーの物言いに、苛立ちが募っていく。このまま話を続けていると、相手のペースに呑まれそうだ。
サラは弓矢を生成すると、弦を目一杯引き絞った。
「悪いが、貴様に構っている暇はない。そこを退かないのなら、貴様の頭を撃ち抜く」
「もう、せっかちちゃんですね。もっと色々知りたくないです? アパテーちゃんのこととか、この世界がどうしてこの霧に呑まれちゃったのかとか」
「その程度知っている。当時の勇者を含む、魔王討伐部隊が魔王に敗北を喫した結果だ」
再びケタケタと笑い出すアパテー。
「何が可笑しい?」
「フヒヒっ、そうですか。人間側では、そういう解釈になっているんですね」
「何か間違っているとでも?」
「フヒっ、知りたいです?」
サラはこくりと頷く。
知的好奇心が、警戒心を上回ってしまった。歴史書の内容が間違っているとでもいうのか。
「じゃあ…… 『可愛いアパテーちゃん、どうかおバカな私に教えてください』って、逆立ちしながら懇願してください」
「は…… ?」
「ほら、早く」
「そ、そんなことできる訳ないだろう!」
サラは思わず叫んだ。
「そもそも、なぜ逆立ちなのだ! それに何の意味がある!」
「そんなこともしてくれないんですか。あーあ、つまんない。アパテーちゃんは失望しました」
急に声のトーンが落ちる。
と、アパテーがゆっくりと手を伸ばす。袖の隙間から覗く彼女の腕には、小さな黒い結晶が疎らに生えていた。何か仕掛けてくる気か。
だが、こちらは既に弓を構えている状態。攻撃はこちらの方が早い。サラは引き絞った弦から指を離した。
しかし、予想外のことが起こる。
「矢が…… !」
発射された矢。それはアパテーに当たる寸前、突然塵となって消えていった。続いて、弓も同じように霧散する。それだけではない。
「灯晶術が使えない…… どうして……」
新たな矢が生成できない。感情にはまだ余裕があるはずなのに。こんな現象初めてだ。
困惑する中、サラはふと右手の甲に黒い何かを見つけた。
「紋様…… ?」
ある一点を中心に、放射状に広がる長細い粒の集まり。タンポポの花のようにも見える。
ついさっきまで、こんな紋様はなかったはずだ。
「まさか、貴様が…… !?」
「さて、もうあなたには興味ゼロですし。"物語"が始まるまで、少しは楽しい余興をお願いしますね?」
アパテーは答えず、ひらひらと手を振る。
すると、彼女のいる家屋の影から、二体の巨大なムカデが躍り出てきた。それらは真っ直ぐこちらに向かってくる。
「やはりあの女、冥獣を従えている!」
「それじゃあ、可愛いリゼちゃんも頑張ってください」
なぜリゼの名前が。
いや、それは後回しだ。
「リゼさん! 走れますか!?」
「うん」
「では、私から離れないでください!」
サラはオレスを背負うと、横の家々が建ち並ぶ方へと駆け出した。太い根が複雑に絡み合っていて、小さな人間が逃げるには最適だ。
真後ろから奇怪な無数の足音が、着実に近づいてくる。これまでの疲労に加え、オレスを担いでいることも相まって、どんなに急いでもリゼと並走するのが精一杯。
「くそっ、この男意外と重い…… !」
もし生きて帰れたら、文句を言ってやらねば。
そんなことを考えている内に、居住区はもうすぐそこ。サラは路地を断ち切る木の根をなんとか越えると、まごついているリゼを一息に引き上げた。
「追いつかれちゃう」
「大丈夫です! さあ、あの家に!」
サラが示したのは、比較的劣化の少ない家。ぱっと見では、ムカデが侵入できそうな穴は見当たらない。
彼女はその玄関を、勢いのまま体当たりして突き破った。中に転がり込むと、後からリゼも中に入る。
「急いで奥へ!」
サラはリゼの手を取り、室内を進んでいく。
と、玄関戸へ、ムカデが頭から突っ込んできた。
「わっ」
鎌のような
「そんな…… リゼさん!」
「大丈夫。ミロが守ってくれた」
リゼの言う通り、丸い冥獣の体が半分以上抉れているが、彼女自身に怪我はないようだ。その冥獣も、ゆっくりと再生を始めている。
ムカデはこれ以上体が入らないとわかると、体をくねらせながら、外の方へ後退していった。だが、家の周りを完全に包囲されたらしい。壁を叩くような音が、そこかしこから聞こえる。
サラはオレスを寝かせると、急いで一階の窓を棚などで塞いだ。
「あの女は来てない……」
息を整えつつ、慎重に小窓に近づき外の様子を確認するが、アパテーの姿は見えない。
「一体どういうつもりなんだ…… ?」
「これからどうする?」
「どうにかあの塔にたどり着き、灯晶に光を灯すことができればいいのですが……」
窓の近くを大量の蠢く脚の影が通り、サラは慌てて頭を下げた。
彼女は再び弓矢の形を頭に浮かべる。しかし、その思考が頭から飛び出し、彼女の手に現れることはない。
「くっ、なぜ灯晶術が……」
やはり、手の紋様と関係があるのだろうか。今のところ、これを消し去る方法はわからない。
「そういえば、リゼさんはあの女と知り合いなのですか? 名前を呼ばれていましたが」
「うん。さっき会った」
突如明かされる衝撃の事実。
「ええ!? さっきって、何もされませんでしたか!?」
「鍵もらった」
「え、それだけ…… ですか?」
「うん」
サラはそれとなくリゼの顔色を窺う。しかし、元々表情の変化が乏しいリゼからは、何の情報も読み取れない。
本当にそれだけなのだろうか。なぜ彼女には協力的だったのか。
と、二階の方で窓が割れる音。直後、あの気色の悪い足音が、すぐ上を這いずり始めた。
「もう侵入されたのか!」
どうする。家から飛び出したところで、すぐに追いつかれてしまう。灯晶術が使えれば、選択の幅が増えるのだが。
「諦めるな…… ! まだ何か策はあるはずだ…… !」
悩んでいると、不意に足元から何かがよじ登ってくる。
「ひゃっ!? ーーって、リゼさん? 何を?」
「登りづらい。動かないで」
注意されたので、サラは直立のまま固まった。リゼはやがて肩にたどり着いた。
「あの、リゼさん?」
「リゼが『いいよ』って言ったら、弓出してみて」
「…… わ、わかりました」
理由を尋ねるのは野暮だと思われたし、英雄であるリゼなら、何か策があるのではないかという根拠のない期待が胸にあった。
彼女は別段何かするでもなく、ただ背中でじっとしている。一体何をしているのだろうか。
「いいよ」
リゼの声が聞こえるや否や、サラは弓矢を思い浮かべる。
すると、うんともすんとも言わなかった灯晶が、にわかに淡い光を発した。手には、弓と矢が乗る。
「本当に出た…… でも、どうして?」
「それ、ママのと似てる。でも、もうできない。疲れた」
似てるとは、この紋様のことだろうか。
確かに、リゼが『いいよ』と言った瞬間、紋様の色が少しだけ薄らいだような気がする。今は元通りだが。
「リゼ、役に立った?」
「ええ、もちろんです」
リゼの言葉通りで、次の矢を生成できる感じはしない。この一本が、窮地を切り抜けるための唯一の鍵。逆に、使い方を誤れば、今度こそ死の淵へと真っ逆さまだ。
「これを攻撃に使った所で、一体倒せるかどうかもわからない。普通の使い方ではだめだ。何か機転を利かせないと」
考えている間にも、硬い足音は二階の部屋を隅々まで移動していく。奥にある階段を降りてくるのも時間の問題だ。
「何か…… 何かないのか…… 皆のような凄い発想が……」
これまで共に旅をした仲間の顔が浮かぶ。そして、その記憶がサラに力を貸してくれた。
「冥獣は生前の習性を受け継いでいる…… そうだ、あれはただの大きなムカデ。虫だ。確か、虫は触角で匂いや熱を感知する。そこまで頭も良くないはず」
よくペイルと二人で話す機会があったが、その際彼は専ら生物に関する知識を披露していたので、虫のこともおぼろげに覚えていたのだ。
サラは自分の着ていた白い外套を脱ぎ捨てた。数日間着っぱなしだったから、だいぶ匂いが染み付いているはず。実際に嗅ぎはしなかったが。
シャツ一枚となった彼女は、矢に外套を括りつける。
「大丈夫。このくらい私にもできる」
自分に言い聞かせる。サラたちはテーブルの下に隠れた。
間もなく、足音が階段を降ってくる。一メートルはある長い触角がいくつも現れた。それらは全く別個の生物のように、好き勝手に獲物を探して回る。
「……」
彼女はその動きを確認しながら、音を立てずに矢を番えた。
そして、触角の一本が、こちらの部屋に入ったその時。サラは窓に向かって矢を放った。矢についた外套は、触角の真横を掠め、そのまま窓を突き破って外へ飛んでいく。
その方向へ、一斉に触角が動いた。次の瞬間、ムカデの巨躯が勢い良く一階に降りてきて、濁流の如く轟々と周囲を蹴散らし、矢を追っていった。
もう一体は外で待機していたらしく、屋根の方で物凄い騒音が横切っていった。
「行った?」
リゼの声で、ようやくサラは我に返る。
「え、ええ、たぶん……」
あまりの迫力に、まだ生きた心地がしない。
室内はたった数秒の間に、破壊の限りが尽くされていた。もう少し部屋の中央に寄っていたら、今頃ミンチになっていただろう。
「すごいね、矢のおばちゃん」
「おばっ…… それって、私のことですか?」
「うん」
初めて個体識別してもらった。それだけのことで、サラは胸がいっぱいになった。
「ありがとうございます…… !」
ムカデがいない内に、サラたちは塔の方へと向かった。オレスを置いていくか迷ったが、どこが安全とも知れないので、結局担いでいくことにした。
入り組んだ居住区を走り続けること十分程。
「見えてきた!」
高い塔はもう目前。近くで見ると、すぐ隣に
導灯盤を確認する。光虫は異常な程に、塔の方へ向かおうとしていた。微かに羽音が聞こえる程だ。
「すごいピカピカ」
「はい。あの塔で間違いないようです……」
サラは建物から顔を出し、用心深く周りを見る。
「待ち伏せはなさそうだが……」
灯晶塊まで、もう少し。胸の高鳴りを抑えるため、サラは一度深呼吸をする。
「安全を確認してきますので、リゼさんはこの男と一緒に、少し待っていてください」
「わかった」
サラは一人、広場を進む。干上がった溝を眼下に、石橋を渡る。そして、拍子抜けする程あっさり、塔の入り口へ到着した。少しホッとする。
入り口に扉はなく、ぽっかりと口を開けている。
「一応、中の様子も確認しておこう……」
サラは塔の中へ一歩踏み入れた。
中は、中央が頂上付近まで吹き抜けになっていて、壁に沿って遥か上まで螺旋階段が続いている。木製の階段で、所々が抜け落ちているが、まだ登れそうだ。
「あの上に灯晶塊が…… !」
とにかく、一度リゼを連れてこよう。そう思って振り向く。
「あれ…… ?」
おかしい。入り口が何かで塞がれている。
サラは慌てて引き返し、その何かに触れた。暗くてよくわからないが、指から伝わる感触は、まるで木の皮のよう。
試しに押してみるが、それはびくともしない。
「まさか、閉じ込められた…… ?」
心臓が激しく波打つ。
サラは数歩下がってから、力任せに体当たりした。
「だめだ…… 全然動かない……」
まさか敵の罠だろうか。
「リゼさん! そちらは大丈夫ですか!?」
呼んでみるが、一切反応はない。
状況が飲み込めない。心細さのあまり、急に周囲の壁が迫ってくるような、恐ろしい圧迫感に襲われる。否、それは錯覚などではなかった。
「壁が…… !」
壁が徐々に狭まってくる。正確には、どこから現れた木の根が、サラを絞め殺そうととぐろを巻いていたのだ。
「は、早く上に……」
サラは無我夢中で階段を登り始める。下の方からは、どんどん根が迫ってくる。
「大丈夫…… 上にたどり着いて、灯晶塊に光を灯せば、全て終わる。私にもそれくらいーー」
その時、にわかに足元の感覚が消えた。階段の一部が抜けてしまったのだ。
「えっ……」
上に行かなければ。
しかし、体は蟻地獄のような根の中へと落ちていく。
「フヒヒっ…… 結構楽しいですね。あなたの希望が潰える瞬間を見るのは」
どこからか聞こえるアパテーの声。
「ま、精々足掻いてくださいね。凡人ちゃん」
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