第21話
それから三日間、ラードーンによる移動が続いた。一日に大体十時間ほど飛び、その途中途中、徒歩で周辺に町らしきものがないか探した。だが、広く入り組んだ森林の中、町の痕跡を見つけるのは容易ではなく、結局今までに何も見つかっていない。さらに、地上は危険が多く、冥獣に襲われることも多々あった。
最初の好スタートから一転して、サラやペイルからは焦りの色が見えてくる。それに伴い、徐々に減っていく口数。初日の夕食の時のような活気は、なくなっていた。
唯一の収穫と言えば、リゼの力のことだ。
どうやら、彼女にはアドニスの不幸体質を和らげる能力があるらしい。彼女自身、感覚でその能力を使っているようで、どういう仕組みなのかわからないとのこと。
だが、実際に彼女を背負っていると、紋様が光る頻度が減るような気がする。能力を使える回数や時間に制限があるようではあるが。詳しいことは、今後の戦闘等で解明していく予定だ。
そして、四日目。
「ねえ。やっぱり、通り過ぎちゃったんじゃないかな?」
ラードーンでの移動中、ペイルが珍しく意見をする。
「ですが、導灯盤は反応を示していません。今から引き返して、もしその見解が間違っていたら。取り返しのつかないことになります」
サラは前進あるのみという姿勢だ。普通なら、ここでペイルがあっさり引き下がったはずだが、今日は違った。
「で、でもさ! これだけ進んでも、村すら見つからないって、やっぱりおかしいよ!」
「ですが、もう少し前に進んでみるべきです!」
「でも、実践でそれ使うのは初めてじゃないか!」
なんだか険悪な雰囲気になってきた。こんな風になるのは初めてだ。
「お互い確証があるわけじゃないのに。これじゃあ、ただの水掛け論だ」
一人呑気そうに、オレスが話しかけてくる。
「俺は何かするべきか?」
「どうかな。でも、君が仲間の一人して認められているなら、君の意見でとりあえずは落ち着くかもね」
自分の意見と言っても、アドニス自身もどうしていいかわからない。
「ママ頑張れ」
肩に乗るリゼの激励を受け、アドニスは立ち上がった。「おい」と呼びかけると、サラたちが振り向く。
「後半日だけ進んで、それでも何もないなら、引き返そう」
二人はしばらく黙考していたが。
「わかったよ。じゃあそうしよう」
「アドニスさんがそう言うのなら」
と、案外すぐに話がついた。どちらも釈然としない顔つきのままではあったが。
そんな議論の答えは、意外とすぐに出た。突然、真下に見えていた高い木々が姿を消したのだ。森林地帯を脱したらしい。
しかし、地形把握のために地面に降りてみると、そこは単なる平地ではなかった。
簡単に表現すると、いくつもの巨大な岩が、凸凹と激しく浮き沈みしてできたような地形。アドニスたちが降り立った位置は、岩が飛び出している部分らしく、周囲には高さが不揃いの岩がいくつも目に入る。
しかし、そこから数歩進むと、急に足場が途絶える。下を除くと、そこは懸崖となっていて、視界の奥には暗い闇が
「うわ、落ちたら絶対死ぬ……」
ペイルはビクビクしながら下を覗く。
「導灯盤に反応はありませんが、森林を抜けたということは、私の説が正しそうですね」
「ぐっ…… 確かに、そうかも…… ていうか、そのドヤ顔やめて」
ペイルの指摘を受けてからも、しばらくサラは得意げな表情のままでいた。
「これなら、冥獣に低空飛行させて、地上を探索できるな」
アドニスが言う。
そして、ラードーンの元へ戻ろうとした時。
「なんだろう、あれ……」
ふいに、ペイルの不思議そうな声が聞こえ、皆が集まる。
「あそこの岩なんだけど。なんか不自然な削れ方をしてるというか」
ペイルの見ている直方体の岩。それは確かに、周りがネズミにでも齧られたようにボコボコになっていた。
いや、それだけではない。
「何か潜んでいるのかもしれません。とにかく、地上に長居するのは危険です。冥獣に乗りましょう」
「待て、動くな」
突然、アドニスが小さな声で指示する。
「ど、どうしたんですか?」
「音も立てるな。とにかく、姿勢を低くしてじっとしていろ」
アドニスが地べたに腹這いになると、皆もそれに倣った。彼の物々しい雰囲気を感じ取ったらしく、皆一言も発さない。ラードーンは早々に危機を察知したらしく、身じろぎ一つしていない。
その内、遠くの方で聞こえ始めたのは、鉄板でも引っ掻いているかのような、高い不気味な音。その音は共鳴するように周囲に広がっていき、耳を塞ぎたくなる程の大合唱へと変わった。
「これは何の音?」
すぐ隣にいるオレスが、吐息のような声で質問してくる。
「死の楽団。マヴロカミキリの威嚇音だ」
「それも君のお父さんが名付けたの? キノコと違って、気合入ってるね」
「静かにしてろ。奴らは目が悪いが、耳はいい」
迂闊であった。
マヴロカミキリは岩場を住処にしており、集団で狩をする獰猛な虫だ。あの岩場の削り後は、カミキリの成虫が齧った跡であり、他にも小さな穴が無数に空いていて、そちらは幼虫の住処になっている。
数体であれば、簡単に叩き落とせるが、おそらく数万は居ると見て間違いない。アドニス自身、滅多に遭遇することはなく、巣も見たことがなかったので、完全に失念していた。岩場に降り立った時点で襲われなかったのは、ギリギリテリトリー外だったからだろう。
とにかく、今はカミキリの警戒を解かなくては。だが、既に警戒レベルは最大。岩の側面から、黒い点がぞろぞろと出てくるのが見える。
「遅かったか」
「う、上…… ! 上見て…… !」
急にペイルが声を抑えて叫ぶ。
見てみると、大きな鳥型の冥獣がこちらに向かって来ていた。アドニスたちを恰好の獲物と認識したらしい。
だが、これはチャンスだ。
「気にするな。それより、あれに気を取られ始めたら、冥獣に乗って一気に逃げるぞ」
「どういうこと…… ?」
「見ていればわかる」
言っている間に、鳥型はもうすぐそこ。
と、そこへ前方の岩群の切れ間から、黒いガスのようなものが勢い良く噴き出し、鳥型に向かっていった。いや、目を凝らしてみると、触覚や羽がいくつも見える。それは羽音を立てて飛ぶ小さな虫の群れだったのだ。
「なにあれ…… !?」
「今だ、走るぞ」
アドニスの合図で、皆が一斉に立ち上がる。そして、無我夢中でラードーンの背に乗った。
「早く飛べ。とにかく奴らから距離を取れ」
言われなくてもわかっていると、ラードーンはさっさと飛び立って、来た道を引き返そうとする。
そのすぐ横に何かが落下する。岩場に落下していたのは、巨大な鳥の形をした骨だ。
「骨…… ? まさかさっきの冥獣が…… !?」
「す、すごい…… あんな綺麗な骨格標本が!」
ペイルは何を言っているのか。
「もう食い終わったか。次は俺たちの番だ」
空中に暗雲の如く
「や、やばいよ! こっちに来た!」
「応戦します!」
サラが群れの真ん中に矢を放つ。しかし、その光の筋は、群れを透過し、空へと消えていってしまった。
「なっ!?」
「足止めにもなってないね」
オレスの言う通りだ。
「あの量を相手にするのは無理だ。せめて、広範囲に爆発でも起こせないと」
「広範囲に…… サラならできるんじゃない!?」
ペイルから状況を打開できそうな一言。期待のこもった視線がサラに集まる。
「本当か?」
「あ、あの…… いえ、私には無理です……」
徐々に語気が弱まり、ついにはサラは顔を伏せる。どうしたのだろう。
「え? あれ、でも……」
「だそうだよ。無理なものは無理。それより、早く他の手を考えないと、追いつかれちゃう」
オレスの言葉に答えるように、後方から甲高い鳴き声と鈍い羽音の不協和音が迫ってくる。
「そうだ、こいつの毒霧なら……」
「ラードーンの? 確かに、それなら広範囲に撒き散らせるかも。でも、冥獣に毒って効くのかな?」
「わからない」
「そのためには、まずこの子の顔を死の楽団に向けないとね。今毒を吐かれたら、真っ先に僕たちが死んじゃう。とんだ喜劇だよ」
つまり、一度停止する必要がある。効果がなければ、待ち受けているのは死。
「だが、他に策はない」
やるしかない。
念のために、アドニスは一番危険な先頭に移動し、リゼを後方へと退避させた。これは万一、数匹だけ通り抜けて来た場合の盾役であるが、毒霧が失敗すれば何の意味もなさない。
いや、方法は一つある。不確かな方法だが。
着実に縮まっていく、カミキリとの距離。もう数秒後には、あの波に飲み込まれてしまうだろう。
「今だ! 毒霧を吐け!」
ペイルが命令を出す。
ラードーンは空中で半円を描くと、大きく口を開いた。そこから大量に出てくる毒霧。それは瞬時に前方に広がる。
そして、猛毒の網に無数のマヴロカミキリが突っ込んでいく。しかし。
「そんな! 効いてない!」
あっという間であった。
マヴロカミキリの群れが、次々にアドニスの体にまとわりついていく。結晶化した大顎の前では、彼の頑丈な皮膚など、紙切れ同然だ。
「離れろ……」
右手をめちゃくちゃに振り回すと、数十匹が潰れるが、それを上回る数が絶え間なく押し寄せる。やがて、体が重くなっていき、視界が黒で埋め尽くされる。
「ママ!」
「リゼ、お前だけでも……」
喋ると同時に、口にもカミキリが侵入してくる。鼓膜のすぐそばでガサガサと蠢く音。硬い物が砕ける音がして、右耳が全く聞こえなくなった。
「そんな、アドニスさん…… !」
「サラ、危ない!」
辛うじてわかる、外の状況。誰かが倒れた。
「ああぁぁぁぁ!」
ペイルの苦痛に満ちた叫び声。
(頼む……)
アドニスは心の中で、呼びかける。
(今まで、散々好き勝手にさせてやっただろ…… 一度くらい俺の言うことを聞け……)
右手を強く握りしめる。
「ペイルっ! くそっ、この害虫め! ペイルから離れろ!」
「無理だ。彼から離れて」
「そんなことできない! ペイルは私を庇ったせいで!」
「虫は二人に夢中になってる。今なら、逃げられるかもしれない」
「でも!」
もう時間がない。
(早く…… 俺を不幸にしろ…… それがお前の望みなんだろ…… ?)
その時、右手の甲に違和感を覚えた。指が優しく這っていくような感覚。そして、空耳だろうか、左耳から誰かが微笑む声がしたような。
蝶の紋様が光ったのだと、確信した。
アドニスは最後の力を振り絞り、前へ飛んだ。足の感覚が消失し、体が上を、下を向く。
「君、何をーー」
「アドニスさんっ!」
二人の声が上の方で聞こえる。どうやら、無事に落下しているらしい。
「ママ! ママ! 置いていかないで!」
(リゼ、俺はお前のママに……)
やがて、音は完全に消え、体が硬い何かに激しく打ち付けられた。
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