第19話

「ペイルか?」

「うわ、なんでそんな喰われ方してるの……」


 呆れたようにペイルが言う。


「色々お前の情報と違うようだが、どうなってる?」

「知らないよ! 文句なら、『現地の方から学ぶ アホでもできる討伐指南 巨大生物編3』に言って!」


 なんだか胡散臭いタイトルだ。そんなものに今まで従っていたのか。

 だが、その手の知識が豊富なペイルが来たということは、何か策があってのことに違いない。


「そ、それで、僕は何をすればいい?」

「ん? 何か策があって来たんじゃないのか?」

「え、別に何もないけど」


 と、その時、ラードーンが真上を向いて勢いよく上昇を始めた。進行方向上にある木の枝が次々にへし折れていくのがわかる。


「いやぁぁぁぁ!」

「ペイル! 何を考えているんですか! 危ないから離れてください!」


 サラが必死に呼ぶ声が聞こえる。


「いや、無理無理無理! もうこんな高い所まで来てるし! た、助けて!」


 助けを乞いたいのはこっちの方なのだが。


「お前、何もできないのにわざわざ来たのか?」

「う、うるさいな! もう少し言い方があるでしょうが! はっ、高い! ちびる! ちびった!」

「なぜそんな無意味なことをした。お前も死ぬ気か?」


 しばしの沈黙。風の当たる音と、ラードーンの口内の粘着質な音がうるさく聞こえる。


「ぼ、僕だって!」


 急にペイルが声を張り上げる。


「僕だって、あの二人を助けたいんだよ! この命を賭けてでも! 作戦が失敗しそうなのに、見てるだけなんて耐えられなかった!」


 命を賭ける。ローザも同じようなことを言っていた。


「あと、冥霧に詳しい君は貴重だ! この作戦だって、冥獣が生前の習性を受け継いでるっていう、君の知識なしには成り立たなかった! 君のことは嫌いだけど、今はそんなこと関係ない!」

 

 きっぱりと言われてしまった。

 ペイルは何度か空咳を挟む。


「なんか長ったらしくなったけど、結局考えはないよ、ごめん! 今から考えよう!」


 そうだ。今はペイルが近くまで来てくれたことを前向きに捉えるべきだ。作戦の幅も広がる。


「そ、それで。口の中から攻撃できないの?」

「無理だ。牙が食い込んでて、右手が動かせない。それに、口の中も一部結晶化している。せめてこいつが俺のことを飲み込んでくれればーー」


 アドニスは不意に話を中断させられる。


「ぐっ」

「何? どうしたの?」

「舌が上がって来て…… こいつ、押し潰す気か……」


 言っている間にも、ぬめりのある地面がどんどん圧力を増していく。さしものアドニスの体も、悲鳴の如き軋みを上げる。ペイルはあたふたしているだけだ。

 ふと、アドニスは思い至った。


「そうだ。おい、俺の下半身を切断してくれ」

「は? え? どういうこと?」

「牙を挟んで片方が切断されれば、もう片方は口の中に入るはず」

「そんなことしてーー って、そうか。君の体、またくっつくのかの」


 はて、今までに、ペイルはそのことを知る機会があっただろうか。まあ、話が早いのは助かる。


「ああ。できるか?」

「やるよ。絶対」


 声の感じからして、ペイルが今いるのはラードーンの首辺りか。外はかなりの風圧。加えて、間欠的に伝わる障害物にぶつかる衝撃。無事に口元までたどり着けるだろうか。

 その時、ラードーンの体に何かが高速でぶつかり、弾かれる音がした。ラードーンはその音の方を避けるように向きを変える。


「こっちで攻撃を当てて、ラードーンの動きをコントロールしてあげるよ」

「こちらの使える灯晶術の回数はもう限られています! 何か策があるのであれば、急いでください!」


 オレスとサラだ。

 声の方向からして、だいぶ下にいるようだ。彼らのおかげで、ラードーンの動きはかなり単純になってきた。


「ペイル、まだか……」

「も、もう少し!」

「急いでくれ…… 」


 頭部が乾いた音を出して凹んでいく。もう時間はない。

 

「よし、着いた! 待ってて! 今切り落とす!」


 不安定な足場に悪戦苦闘している様子だったが、やがて「おりゃっ!」とペイルが叫んだ。

 スパンと小気味良い音。しかし、体に変化はない。


「おい、どこを切ってる?」

「揺れで狙いが定まらなくて! 大丈夫! 次は当てるから!」


 再び勇ましい声が聞こえる。


「切れた!」


 ペイルが叫ぶ。同時に、体のつかが外れた。

 アドニスは右腕に意識を集中させると、柔らかな舌を掻き切る。口内に溢れ出す大量の真っ黒い血液。これまでにない、ラードーンのけたたましい声が轟く。


「よくやった」


 アドニスはそのまま口の中を進んでいく。ラードーンはなす術なく、自ら進んでくる異物を飲み込んだ。

 狭い食道を通り、開けた胃袋に出る。消化中の物体をかき分けながら胃液の中を泳ぎ、ある所で胃の壁を引き裂く。種々の液体に塗れながら、骨を砕き、肉を剥がし、内部へと侵攻していく。

 そして、ようやく見つけた。


「これだ……」


 肉の間に埋め込まれていたのは、ラードーンの核。体の大きさだけあって、核もアドニスの頭程はある。そこからは、細い血管のような糸が周囲の肉に伸びていた。

 彼はそれを左手で掴むと、右手で肉の層をぐんぐん掘り進める。そして、次の一掻きで、一気に視界が開けた。ぐちゃぐちゃになった内容物と一緒に、アドニスはついにラードーンの腹を破ったのだ。


「うわっ!? 何!? 何が起こってるの!?」


 前の方でペイルの驚嘆。


「核を取った!」

「え、嘘、本当に!? ていうか、どこから出てるの!?」

「そんなことはどうでもいい! この後、俺はどうすればいい!」

「あ、えっと、まずは…… 二人とも! 耳の灯晶術を解いて!」


 ペイルが下に向かって呼びかける。これでラードーンの耳を塞いでいた結晶がなくなる。


「後は、あ、アドニス! ラードーンを脅して!」

「どうやってやるんだ?」

「さっき説明したでしょ! 竜を手懐ける方法! 主従関係を即座に築くためには、こっちが抗いようのない絶対的強者だと知らしめる必要があるって!」

「俺には脅しの何たるかがわからない。感情がないからな」

「ああっ! もう、わかったよ!」


 わかってくれたらしい。


「いいか! よく聞け、この…… く、クソッタレラードーン野郎! お前の核とやらは、僕たちが握ってる! 命が惜しければ、さっさと地面に降りろ! さもないと…… ひどいぞ!」


 迫力のない語気と言葉選びで、ペイルはラードーンに命令する。それに合わせて、アドニスは核を持つ手に力を入れた。

 これで本当に手懐けることができるのか。

 ラードーンは鼻息荒く、しばらくだんまりを決め込んでいた。が、急に上昇を止めると、空中で停止する。

 

「言うことを聞こうとしてる…… ? 二人とも! 目の灯晶術も解いて!」


 慌てた様子のペイル。


「目も自由にしてやったぞ! 早く地面に降りろ!」


 ペイルが再び命令する。さっきより自信のある声で。

 すると、ラードーンはゆっくりと下降を始めた。下を見ると、随分高い所まで来たのだとわかる。それから、ものの数十秒で地面に到達した。


「ほ、本当にできたーー うわっ」


 バランスを崩したらしく、ペイルがすぐ横に転がり落ちてくる。彼は仰向けのまま、放心したように天を見つめていた。

 が、突然大きく息を吸い込むと。


「やっ…… やったぁぁぁ! 冥獣を手懐けたぞぉぉぉ!」


 ペイルの声は冥霧の奥の奥へと響き渡る。その時の彼の横顔には、余計な不純物など全くない、晴々とした純真な子どもの喜びが表出していた。

 と、そこへ上からサラが大慌てで降りてくる。


「二人とも大丈夫ですか!? 怪我は!?」

「俺は大丈夫だ」

「全身真っ黒で、下半身がなくなっても大丈夫なんて。面白い上にインパクトもある。僕もこれを機にオートマタになろうかな」


 少し遅れてやってきたオレスが、アドニスの上半身を立たせながら言う。彼の肩からはリゼが覗いている。


「親父がいないから無理だな。それより、早く俺の半身を見つけてくれ」

「それは残念。はい、先にお嬢さんを返すよ」


 オレスの肩から降りたリゼは、こちらに駆け寄って来る。が、なぜか途中で足を止め、険しい表情になる。


「どうした?」

「ママ、臭い……」

「ああ。動物の臓物は堪え難い臭いらしいな。俺にはわからんが」


 鼻は付いているが、全く機能していないのだ。

 リゼは強い向かい風に抗うような、重い足取りでアドニスの前までやってくる。そして、プルプルと震える手を彼の頭に乗せた。


「なんだ?」

「い、いい子いい子……」


 なんだか聞いたことのあるフレーズと一緒に、リゼが頭を撫で始めた。ネチャネチャと気色の悪い音を立てて、頭に乗ったどす黒い液体が垂れていく。


「どお?」

「ん? 何がだ?」

「えっと、だから…… う、嬉し、うっ……」


 リゼはそのまま後ろに倒れていった。


「おい、リゼ。どうした? サラ、リゼが頭を触ったら倒れた」

「臭いがキツすぎたようですね。早く洗い流した方がいいと思います」


 鼻を摘みながら、サラがリゼを運んでいく。


「それにしても、本当にこんな大型の冥獣を従えることができるなんて。アドニスさんのおかげです」


 サラはラードーンの体を見回しながら、感慨深そうに言う。

 それは地面に横たわったまま、今のところ大人しくしている様子。ズタズタになった内部が、段々と繋ぎ合わさっていくのが、ここからでも確認できる。


「違う。ペイルのおかげだ」

「え、ペイルが?」

「あいつが危険を冒して来てくれたから、作戦は成功した。あいつがいなければ、俺は今頃死んでいた」


 そう言って、アドニスは顔を横に傾ける。


「ありがとう」

「べ、別に僕は何も……」


 天を仰いでいたペイルは、ゆっくりとした動作で向こう側に転がっていった。


「だが、さっきみたいに叫ぶのはやめてくれ。冥獣が集まって来る」

「ちょ、ちょっと嬉しくなっちゃったんだよ! ごめんって!」


 今度は飛び起きてこちらを向くペイル。

 自然目が合うと、彼は燃料切れでも起こしたように固まる。ただその口だけは、中で重大な言葉が彷徨っているかのように、ピクピクと小さく開閉を繰り返していた。


「とりあえず、ここに長居するのは危険だ。俺の下半身を回収したら、急いで西に向かおう」


 結局、ペイルの言葉を聞かずに終わった。

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