第6話 ルナ、叫ぶ


「お兄ちゃん、大丈夫?」


 10歳くらいの女の子が心配そうに言ってくる。

 周りを見渡すとそこは噴水池のある大きなレンガ畳の広場で、僕の周りには10人ほどの人たちが集まり一様に心配そうな表情を浮かべていた。

 僕は噴水池から這い上がる。全身ずぶ濡れだ。


「ここ、どこだろ」


 この広場は、まったく見覚えがない。

 宿屋『黄金の鱗亭』から会社までレジスタと歩いた道のりにはなかった場所。どうやって会社に帰ったらいいのかわからなかった。

 全身から落ちる水滴が足元の地面を濡らしていく。

 僕は天を仰ぐ。

 暖かい日差し、青空の上を滑るように真っ白い雲が流れていく。遥か上空には、相変わらず大図書館『EXA(エグザ)』が浮かんでいた。


 噴水池への落下──これはルナの魔法だろう。

 危険な魔法じゃなくて良かった。仮に僕が助けられなかったとしても、天狐の二人はこうなるだけだったし。

 それにしても。

 何であの二人はボロボロで、ルナはあんなに取り乱したのだろうか。


「お兄ちゃん、大丈夫?」


 もう一度、少女が聞いてくる。

 返事をするのを忘れていた。


「大丈夫だよ、ありがとう。僕の名前はセクター」


 話しかけてくれた少女は、白いブラウスに襟だけが赤い黒ローブを着ている。ルナの服装にとても似ていた。その細い右手には、先端に僕のこぶし大の宝石のついた長尺の杖を持っている。


「あたしはサーファ。ちょっとしゃがんでもらってもいいかな」


 意図がつかめなかったけど素直に片膝をつく。サーファと名乗った少女は、僕の頭の上に杖の先端を向けた。

 すると、僕の周囲を風が覆う。


「……え」


 あっという間に濡れていた服が乾燥していく。小さな風の塊が全身の表面を這っているような、そういう感覚がして少しくすぐったかった。

 僕たちの様子を見ていたギャラリーが湧く。


「よし、こんなものかな」


「ありがとう、サーファ」


「困ったときはお互い様。ここはそういう街だから」


 うんうんと何人かの人たちが頷いている。本当にいい所だ。感動して涙が出そうになる。


「本当にありがとう。助かったよ」


「ちょっと待って」


 呼び止められる。

 ……もしかして謝礼が必要なのか。


「ごめんね、いまお金は持ってなくて」


「そんなものはいらないよ。あたしが欲しいのは、お兄ちゃんのすべて」


「どういうこと?」


 意味がわからない。

 何を言っているのだろうか。


獄滅ごくめつ災厄やくさいよりいでし 神渡かみわたしのかご

 往昔おうじゃく御力みちからを くるまど黒染くろぞめ宵闇よいやみ

 たなごころ宿やどせ──」


 まるで小さい頃、アニメで見たような魔法の詠唱。それがサーファの小さな口から静かに紡がれていき、間もなく結ばれる。


しん九重月ここのえづき


「逃げてー! セクター!」


 ルナの叫び声が広間に響いた。

 次の瞬間──僕は横っ腹から人型のツキミにタックルされていた。吹っ飛ばれながらサーファの方を見ると、僕が立っていた場所には直径5メートルほどの黒い炎の球体が浮かんでいた。球体の表面を絶え間なく漆黒の炎が流れ、一部では太陽フレアのように炎がアーチ状にのたうち回っている。それを見た街の人たちは一目散に逃げ出していく。


──あんなのを食らったら。


 その時、カスミの飛び蹴りがサーファの右腕あたりに直撃した。


「大丈夫?」


 カスミは蹴った反動を利用して僕の隣に着地する。長い銀髪が大きく波打つ。

 しかしサーファは微動だにしていなかった。以前、ツキミが数十メートル吹き飛ばされた威力のはずなのに、まるで何事もなかったかのようだ。


「嘘でしょ」


「さようなら、お兄ちゃんたち」


 黒い炎の塊は大きさを増し、少しずつ上昇していく。普通の家ならすっぽりとその中に収まってしまうほどの大きさだ。


「ひぃぃぃぃぃぃ! やばいやばいっ!」


 ツキミが腰を抜かし、地べたでじたばたしている。

 僕も呆然と立ち尽くすことしかできなかった。視界のすべてを影が、暗黒の炎塊が覆っていく。熱風が僕の呼吸を拒絶し、じりじりと皮膚が焼ける臭いが鼻につく。

 どうしてこんなことになったのかはわからないけれど、もしこの原因が僕の存在にあるのなら。せめて。


「やめてくれ! 僕は抵抗しない! だから、他のみんなは傷つけるな!!」


 死にたくない。

 怖い。熱さで体中が痛い。

 でも、ここは。ここだけは譲れない。


「ぼ、僕を殺したいんだろ? ツキミやカスミ、ルナは関係ない!」


 両手を広げて、サーファと向き合う。


「ダメーーーーっ! セクターーーっ!」


 ルナが大声を上げる。

 ああ。さっきもそうだったけど、ルナってこんな大きな声が出せるんだ。もっと話したかったし、仲良くなりたかったな。あとレジスタ……僕は入社初日に殉職します。本当にすみません。


「最初からそうすればいいんだよ、お兄ちゃん」


 その言葉と同時に中空の黒い炎球が消えていく。

 サーファは、どこからか短剣を取り出し、それを構えて近づいてくる。


「最後に、いいかな」


「なに?」


「僕、殉職したくないんで、先に退職届を会社に出したいんですけど」


 レジスタに会えれば、何とかしてくれるかもしれない。


「それ、私が許すと思う?」


「うーん。どうかな。でもほら、サーファは僕の服を乾かしてくれたし」


 精一杯、強がって見せる。でも短剣の切っ先から目を離すことができない。

 毒グモに殺された時は、痛みも苦しみもなかった。眠って起きたら冥府の門の前で巨獣に踏みつけられていた。

 今度は違う。死がすぐそこにある。

 怖い。痛いのも、苦しいのも嫌だ。


「残念。それはね、単にあたしが濡れたくなかったから。あと、スキル鑑定の隙を作るための小芝居」


 芝居だったのか……もうだめか。

 レジスタ、ルナ、ツキミにカスミ。みんなのためにも、仕事、頑張りたかったな。


 僕は観念して目を閉じる。

 転生・転移した僕は、次はどこにいくのだろうか。また冥府の門にたどり着くのだろうか。

 サーファの足音が近づく。

 身長は僕の方がだいぶ高いから、下から心臓を一突きだろうか。


 完全に諦めたその時──僕とサーファを中心に、いきなり直径20メートルほど地面が陥没した。

 ずどぉぉぉん、と、轟音が鳴り響く。


「ええええええーーーーーっ!!」


 サーファの悲鳴。

 僕らは全員、突然空いた大穴の中に落ちていった。噴水も、地面に敷き詰められたレンガの舗装も、全部ごちゃごちゃになって落下する。

 陥没音の次は、様々なものが同時にぶつかり合う衝撃音が轟き、大量の土煙が舞い広がった。


「あら、セクターじゃない」


 目の前に作業服を着たレジスタがいた。

 使い古されたツルハシを肩にかついで、ヘルメットをかぶっている。


「レジスタ、よかった」


 涙目でルナが駆け寄ってくる。

 死を──回避したのか? 僕は急に力が抜けて、その場に座り込んでしまう。このまま大の字で眠りたい。


「こんなに地盤が弱いなんて。調査結果と矛盾してるじゃない」


 何やらレジスタが少し怒っている。

 そういえば、


「ツキミ! カスミ!」


 僕を命がけで守ってくれた二人を探す。


「……あ」


 いつかの夜のように、今度は三本、頭から腰あたりまで地面に突き刺さっていた。ツキミとカスミ、それとサーファだ。


 僕とルナはレジスタに簡単に事情を説明し、三本のうち一本だけ置いて帰ることにした。ついでに『全部私がやりました』と体に張り紙をするのも忘れなかった。






■■■■■ あとがき&用語解説 ■■■■■


こんにちは白河マナです。

このたびは『異世界の《IT企業》に転職したら社員僕だけでした。~ ゼロから学べるITスキル ~』(以後異世界IT)を読んで下さりありがとうございます。


さて第6話です。

間違えて今回のあとがきを一度全部上書きしてしまいました。二度目ですこれ。

戦闘シーンを書くのは数年ぶりで、魔法の詠唱を考えたのは初ですね。自己満足してますが、どうなのかなぁ。


アニメは詳しくないのですが、そんな私ですら知っている詠唱と言えば、

『黄昏よりも昏きもの 血の流れより紅きもの──』というアレくらいです。カッコいいですよね。でも昨今の小説の魔法は無詠唱が多いのでしょうか。


あともうひとつ知ってるのがありました。


「エクスプローーーージョン!!」


ちゅどーん、というヤツです。でもこれは詠唱じゃなくて爆裂魔法名ですね。すみません。一度、叫んでみたかったので。


さてさて。第6話の話に戻ります。


 ・なぜツキミとカスミ──金髪銀髪少女は、ボロボロだったのか

 ・ルナが取り乱して池ドボンの魔法を使った理由は

 ・サーファは何者?

 ・セクターは、どうしてサーファに殺されそうになったのか

 ・ツルハシを抱えて地下にいたレジスタは、そこで何をしていたのか


このあたりのことが次話以降の話題になっていきます。

少し世界が狭くなってきたので、もっと話が広がるようなアイデアを盛り込んでいきます。あとセクターくんが会社の仕事をしていないので働いてもらいます。



□□□□□ 用語解説 □□□□□

【EXA(エグザ)】

この世界の上空、雲の上くらい上空にプカプカと浮かんでいる巨大建造物。見た目は円柱状の360度回転式本棚。大きさは直径約1キロ、高さ約500メートル。一般の人々は『バベル』と呼び、レジスタやら魔法の専門家は『エグザ』と呼んでいます。


「魔法やスキルの根源、それらを格納する大図書館──私はあれをEXA(エグザ)と呼んでる。この世界の住人はたいてい『バベル』と呼ぶけれど」 by レジスタ


レジスタさんの言葉を引用しますが、魔法やスキルの根源──と表現されているように、この世界の魔法はすべてこのエグザの中に格納されています。魔導師はモジュレータという機器(ルナの場合は左胸のブリーチ、サーファは杖)を操作して、エグザにアクセスし、魔法をモジュレータ内にダウンロード、再びモジュレータを操作して発動します。


現実世界のスマホで例えるなら、

 ・魔法=アプリ

 ・モジュレータ=スマホ

簡単ですね。スマホを操作してアプリをダウンロード・インストール!

作中では、モジュレータを操作して魔法をダウンロード! 発動! です。


とはいえ、現実世界と同じで、誰もがすべてのアプリをインストールできるわけではありません。一般的な魔法は公開されているのですが、それ以外はアドミニストレータ(管理者)によって厳格に管理・運用されています。


……長くなるのでこのあたりで止めます。きっと本編でレジスタやルナが私よりも分かりやすく教えてくれますヨ

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異世界の《IT企業》に再就職したら社員僕だけでした。仕方がないので死なない程度に頑張ります。 白河マナ @n_tana

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