第5話 スキル鑑定、そして池に落ちる
僕が入社したIT企業『@』(アット)での初仕事。それはデバイスと呼ばれる黒い直方体のセットアップだ。マニュアルは手元にある。
*****
『誰でも簡単! デバイス初期セットアップ手順 ─オペラ─』
① デバイス(四角い石)に指で触れ、5秒ほど待ちます。
② デバイスが緑色に光ればペアリング完了です。指を放してください。
※デバイスが赤く光った場合は『@』の社員に連絡してください。
※ペアリング=利用者と端末を結びつけるための必須処理です。
③ デバイスの表面に複数のアイコンが表示されます。
各アイコンを指で押すと、それに応じた魔法が発動します。
※操作者は微量の魔力を消費しますのでご注意ください。
④ デバイスを終了する際は、『×』のアイコンを押してください。
確認メッセージが表示されますのでご自身のコンソール上で可否を選択します。
デバイスを終了すると全てのアイコンが消えます。
次回起動時は、①と同じ操作をしてください。
*****
本当にパソコンみたいだ。いや、スマートフォンに近いか。
マニュアルの②が完了すると、書いてある通りデバイスの上表面に複数のアイコンが表示される。
適当にひとつ押してみる。
「うわあ!」
何事かとルナがこちらを見ている。
「すみません。急に冷たい風が……」
「それ、風魔法のアイコンを押したから。暑いときに使う」
「どうやって止めればいいのかな」
「あと三回、同じアイコンを押す」
まずは一回押してみると、風が強くなる。もう一回押すとさらに風が強く……要するに扇風機と同じ仕組みだった。三回目で吹いていた風が止まる。
「ありがとう、ルナ。助かったよ」
感謝の言葉を伝えると、レジスタのときと同じように少し笑みを返してくる。
褒められるのが嬉しいみたいだ。
「ルナ、もしよかったら、他のアイコンの機能を説明してくれないかな」
どんな魔法が発動するのかわからないので闇雲に操作するのは怖い。
「わかった」
ルナは三つ編みを揺らしながらこちらに来て、僕の横に座る。
説明しながら、ひとつひとつのアイコンを指さしていく。
「右から順に、画面出力、文字入力、温かい風、冷たい風、設定、デバイスオフ。六つだけ。簡単」
僕は一番右の画面出力のアイコンを押してみる。
目の前にプロジェクターで投影したような四角い画面が現れ、その真ん中にRainbowsという虹色のロゴが表示されている。
画面はそのまま動かない。
「……あれ止まっちゃった?」
「これが基本ソフトの最初の画面。アプリを入れてないとロゴで止まる。デバイスはハードウェア。ハードウェアとアプリの中間に基本ソフトがある。基本ソフトはオペレーティングシステム、OS(オーエス)と呼ぶこともある。ちなみにアプリはアプリケーションの略」
「……難しい」
「少しずつ覚えればいい」
「ありがとう。ルナは優しいね」
「普通」
僕の前の職場ではこんなに丁寧に教えてくれる人はいなかった。
もっと言い方もきつくて、説明もわかりにくくて、みんな忙しそうで気軽に質問できる雰囲気じゃなかった。
僕は続けてデバイス表面の文字入力のアイコンを押してみる。
すると、目の前にパソコンと同じようなキーボードが出現する。ルナがノートパソコンを使っているように見えたのは、画面出力とこのアイコンを押していたからだろう。
ただの四角い石がこんな風になるなんて。
「凄い。凄すぎる!」
「そう?」
ルナは意外そうに言ってくる。
僕にとっては、まるでスマートフォンの未来の姿のようだった。僕のいた世界よりも進んでいるように思える。
「アプリってどんなものがあるの?」
「まだ二つしかない。文字を入力して記憶させるアプリと、印刷アプリ」
たった二つ。
やっぱりこっちの世界の方が遅れてる。
「アプリは作るの大変。全部を考える必要ある。スクロールもたくさんいる。複製もできないから、同じものを作るのにも時間と魔力たくさん使う」
「スクロールって?」
「スペルスクロール。魔法を使えない人でも魔法を使うことができる便利な巻物。でも作るの大変」
「そうなんだ。僕も役に立てればいいんだけど……」
「セクターのスキルは?」
「そういえば、レジスタもそんなことを言ってたような。僕、まだ自分のスキルを知らないんだ」
「そんなことある?」
「……そう言われても」
異世界から転移したばかり、と話していいのわからないので今は黙っておく。
「わたし、鑑定していい?」
「もちろん。お願いできるかな」
ルナは僕のデバイスの『×』アイコンを押して終了させる。キーボードも画面も同時に消失する。
「立って。私のモジュレータで鑑定する」
モジュレータって何だろう?
ひとまず質問は後にして、言われた通りに僕は立ち上がる。
ルナは左胸のブローチを右手で触れた。そして左手の人差し指でスマホのフリック入力のような仕草を見せる。
「ステータスは人並み。少し魔力多め。スキルは……なにこれ」
ルナはそれだけ言うと黙ってしまう。
「な、なにかおかしいの?」
「セクター、あなた何者?」
「何者って言われても……『@(アット)』の新入社員です」
「スキルが6つ。ひとつは一般的な魔法操作のスキル、もう1つは私と同じスキル──イグジットを持ってる。あとの4つは見たことない」
「いぐじっと? それって凄いの?」
「あらゆる魔法を展開中に強制終了させるスキル。希少」
「やった」
「喜んでいられない。そういうレベルじゃない。セクター、このままだと処刑される。レジスタに相談必要」
「え?」
ルナは淡々とした口調でそう言った。
宮廷魔導師のルナでも見たことがない4つのスキル─希少なスキルと持っていると殺される? 入社初日から僕の前途は多難だった。
「ひとまず私から離れないで。一緒にいれば何とかなる」
「う、うん」
正直、このことがどれだけマズイことなのか全くわからない。
「誰か来る」
ルナは僕をデスクの下に隠す。
「魔法かける。喋っても声が音にならなくなる魔法」
そう言ってまたルナがブローチを触りながら何やら左手で操作をし、僕に触る。少しだけ体がピリっとした。これで魔法にかかったのだろうか。
会社入口の扉が大きな音を立てて開かれる。
デスクの下にいるから見えないけれど、誰かが部屋に入ってきた──と思ったら、床に倒れたような音がした。それも二つ。
「……ムラカ……ミリョウタ」
むらか……みりょうた?
村上良太?
転生・転移前の僕の名前だ。この名前を知っているのはレジスタと……あの二人。天狐のカスミとツキミだけだ。
「きゃあぁぁぁぁっ!!」
ルナが顔を真っ赤にして悲鳴を上げる。
僕はデスクから出て音のした方を見る。やはりカスミとツキミだった。二人は全身ボロボロで酷いありさまだ。ルナに何かをされたのではなく、その前に誰かに襲われたように見える。
『一体どうしたんですか?』
二人に聞くが、声にならない。これがルナの魔法の効果か。僕はどれだけ声を出しても金魚のように口をぱくぱくさせるだけだった。
ルナの方を見ると、二人に対して何か攻撃的な魔法を使おうとしているように見えた。僕は咄嗟にその間に割って入る。何かが飛んでくる──気がした。
視界が突如暗転する。間髪入れずに、
ざっぱーん、と、僕は豪快に水しぶきを上げ、広場の噴水池に落下していた。
■■■■■ あとがき&用語解説 ■■■■■
こんにちは白河マナです。
このたびは『異世界の《IT企業》に転職したら社員僕だけでした。~ ゼロから学べるITスキル ~』(以後異世界IT)を読んで下さりありがとうございます。
さて第5話です。
ようやく初仕事が始まりましたね。現実世界では、PCを仕事に使う企業に入社すると、たいていPCのパスワードの設定やセットアップが最初の仕事だったりします。PCは言わば相棒ですから、適当に設定してしまうと後で困ることになります。無駄にサポートデスク(ヘルプデスク)担当者の手を煩わせることになったり。長時間仕事ができない状況に陥ったり。またサポートの人たちの時間=会社の人件費なので気をつけましょう。
PCとともにスマホを貸与される場合もあるので、その初期設定も必要作業になりますね。iPhoneならパスコードを設定したり、Apple IDを登録したり、会社のMDMと連携させたり、メールの初期設定をしたり、必要なアプリを入れたり設定したり。
PCもスマホも、手渡されてすぐ何でも使える、という設定をしてあげている会社はごく僅かのはず。
本作のデバイスは、私の中では未来のスマホの姿を書いています。
スマホのアイコンをタップすると、仮想モニターと仮想キーボードが現れる。これがスマホで実現できればPCは不要になります。私は昔、PCはどんどん小型化して携帯に近づいていくのかなと予想していましたが、予想に反して携帯側が進化してPCを追い抜こうとしています。タブレットPCとか、2 in 1のPCもありますけど、いつか仮想モニタ・仮想キーボード機能搭載のスマホが出る日を夢見てます。
話は異世界ITに戻りますが、この世界にはマウスはありません。仮想モニタをタブレットのように指でスワイプしたりタップすることで操作できる仕組みとなっています。デバイスの表面のアイコンで画面とキーボードをONにして画面操作は指、文字入力は仮想キーボードですね。勿論、キー入力での画面操作ショートカット機能もあります。
仮想キーボードは既にありますし、ほぼ垂直に投影するプロジェクターやらVRゴーグルもありますから、お金さえあれば作中に近い環境を作ることもできそうですね。ここ何年もPC界隈では革新的な進歩を感じないですから、あと数年以内に物欲センサーが振り切るものが出て欲しい、と思う今日この頃。
□□□□□ 用語解説 □□□□□
【アイコン】
解説不要ですね。作中ではデバイスの表面に現れます。スマホのアイコンと同じ役割と思ってください。タップすればそのアイコンに応じた魔法が発動します。
【アプリ(アプリケーション)】
現実世界のスマホは、iPhoneならAppStoreを経由してインストールしますが、本作では、『スペルスクロール』がアプリのインストーラーになります。(詳細は第4話の用語解説をご参照ください)
本作ではまだアプリと呼べるものは2種類しかありません。
ただ、厳密に言うと、ゼロから『魔留石(まりゅうせき)』を成形してデバイスを造るときにも、スペルスクロールを使います。
『右から順に、画面出力、文字入力、温かい風、冷たい風、設定、デバイスオフ。六つだけ。簡単』
今回、ルナがこのように語ってますが、この6アイコンの機能もアプリとなります。これらをインストールして製品としてデバイスとなります。
現実世界で、Windows OS にメモ帳や画像編集など様々なアプリケーションが入っているイメージですね。本作の場合は画面出力時にOSのロゴが表示されますので、仮想マシンが入っているのに似ているのかもしれませんが。
【プロジェクター】
いまはホームプロジェクターも普及してますし、説明不要ですね。有線または無線で、PCやスマホの画面をスクリーンに投影できる機器のことです。
【ハードウェア】
ゲーム機と同じですね。本体のことです。IT的には、PCやプリンタやプロジェクター、ネットワーク機器などを物理的な意味合いで用いる時にハードウェアと言いますね。ハードウェア故障とか。
本話でもルナがデバイスを物理的にハードウェアと呼んでます。
【モジュレータ】
異世界ITオリジナルのハードウェアです。もう少し話が進んだら詳細を書きますが、魔力を魔法に変換するための入出力装置──コンソールと思っていてください。
コンソール=入出力装置です。現実世界では、たとえばサーバールームに設置されているサーバーを操作するための専用端末をコンソールと言いますね。単に何かを操作するための端末をコンソールと呼ぶこともあるので後者の意味合いで本作では使用しています。
【スキル】
本作では神さまが個人に与えた魔法技能という位置づけです。
異世界ITには魔法スキルしか存在しません。この世界では、人間だけでなく生物は魔法スキルを必ずひとつは持っています。そういう理由で、レジスタもルナも、自然に「スキルは?」と主人公に聞いてくる訳です。
ただ、多くの人々は、魔法操作のスキルのみです。それ以外のスキルを持つ人たちの中で、さらに価値のあるスキルを持つ人だけが魔導師などの魔法職に就いたりします。
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