第4話 Hello World !
僕が入社した会社@(アット)は、日本の四国のような形をしたユーラメリア大陸の南西に位置するメタ王国の王都ウィグナーにある。
レジスタ社長が周辺諸国のことや各国の文化や特徴などの詳細を説明してくれたけれど、次々と知らない名称がでてきてあまり頭に入らなかった。ひとまず、自分のいる国と王都の名前だけは覚えた。
王都ウィグナーは城郭都市だ。人口は……まだ聞けていない。
城を含めて市街地まで高く堅牢な外壁で囲まれている。
僕は社長の案内で宿屋『黄金の鱗亭』に泊まった。
看板は問題なく読むことができた。これも神さまからのギフトなのかもしれないけれど、僕はレジスタ社長とも普通に会話ができたように、この国の文字も言葉も理解できた。そして少しばかりのお金も持っていた。
言葉と文字が理解できてお金もあるなら、異世界の宿屋に泊まるのは外国で宿泊することよりも簡単なことだった。
一晩明けて、レジスタ社長が宿屋に迎えに来てくれた。
そして今、二人で街を歩いている。
行き交う人。
老人に大人に駆け回る子ども。
学校に行くような制服を着て同じ方向に歩いていく少年少女もいる。そのほとんどが僕と同じ人間だ。
昨晩レジスタは人間以外の種族がいると言っていたけれど、そうした人とはすれ違わなかった。
西洋の古風な街並みと同じ。
日本っぽい建物はないけど元いた世界に似ているな──と思っていると、
「ようこそ、こちらの世界へ」
レジスタがにっこりと笑う。
空を見ると、飛行機……じゃない。一匹の赤銅色の竜が飛んでいた。両翼を大きく広げ、長い尻尾をゆったりと振り、雲の下を滑空している。
「……ドラゴン」
ゲームや小説やアニメでしか見たことがない、男なら誰もが憧れる伝説上の生物。
涙が、出た。
これは僕の元いた世界との別離を惜しむ涙なのだろうか。村上良太が死んで、本当に非現実的な世界にやってきたことへの感動の涙なのか。わからない。
「すみません、感動してしまって……」
服の袖で涙を拭い、僕は空を回りながら飛んでいる竜をもう一度眺める。子どもの頃、ゲームや漫画や小説で散々見てきた竜。その姿は雄大で、圧倒的で、神々しい。
「あれはこの世界で唯一のドラゴンナイトよ」
ナイトと聞いて、竜……ドラゴンの首あたりに手綱があり、人が乗っていることに初めて気がつく。あれに人が……。
「ツーゼ=アーデルベルト様。この国を守る騎士の頂点。とても気さくな方よ。たまに一人で街を散歩していることもあるし」
「え、散歩?」
「ええ。この国は、そういう国。身分の差はもちろんあるけれど、命はひとつだから互いの尊厳を尊重し合い、力あるものは金や権力を民の幸福に惜しみなく還元し、民は仕事に精を出す──そうした循環社会がここにはあるわ」
そんな社会がありえるのか。
僕がいた国ではたびた政治家は嘘をつき、犯罪に手を汚し、ニュースを見ればネガティブな内容であふれていた。
せっかくドラゴンを見て感動していたのに急に現実に戻され……ていなかった。ここが新しい現実なんだ。
「レジスタ」
「なに?」
「僕は、頑張ります」
「ふふ、そんなに気負わなくてもいいのに。まだ2日目。ゆっくりこの世界に馴染んでいきましょう」
それ以上は何も言わず、レジスタは歩き出す。
ドラゴンは王城の東側の尖塔あたりで見えなくなってしまった。あのあたりにドラゴンが降りることのできる場所があるのかもしれない。
「さあ到着。ここが私の会社。ようこそ@(アット)へ!」
「……会社」
ただの二階建ての一軒家に見えた。
一応入口に立て看板があり、『@』のマークが描かれている。この世界にもアットマークが存在しているのだろうか。
「ちょっと散らかってるけど気にしないでね」
立ち尽くす僕の背中を押し、中へと促す。
中に入ると──そこは元の世界で見慣れた会社のオフィスだった。こういう場合、たいていは無茶苦茶に散らかっていて僕が片づけをさせられる展開なんだけど──期待に反して整頓されている。大きめのデスクに座り心地のよさそうな椅子、それにパソコン……?
「この世界って、パソコンあるんですか!?」
「ぱそこん? なにそれ?」
「そちらの女の子が使ってる……」
僕は指を差す。
部屋の隅に座ってノートパソコンのようなもので作業をしている女の子がこちらを向く。黒髪で三つ編みの女の子──左胸につけている紫色のブローチが印象的だった。でも女の子はすぐにまた画面に向かってしまう。
「ああそれのこと? それはデバイスよ。文字を入出力したり、そこにあるMFPから紙に印刷したり……そういうアーティファクト。中にはオペレーティングシステムとしてレインボーズという基本ソフトが入ってるわ」
「……言ってる意味が、まったくわかりません」
「自分で触って覚えることね。あなたの今日の仕事は、自分のデバイスをセットアップすることだし。ルナ、準備できてる?」
三つ編みの女の子がこちらを見て、頷く。言葉での返事はない。
この子の名前はルナか。
「じゃあ、そのデスクに置いてあるのが彼のデバイス? オペラとのペアリングは解除済みよね。それとスペルスクロールの準備も」
再び頷くルナ。
「ありがとう。初期セットアップのマニュアルは……一緒に置いてあるわね。さすがルナ」
社長に褒められてルナは少し嬉しそうだ。
──あれ? そういえば、社員は居ないって言ってなかったっけ?
「レジスタ社長」
「『社長』は削って頂戴」
「レジスタは、社員は僕だけって言ってませんでした?」
「ええそうよ。オペラって子がいたんだけど、つい最近やめてしまって。ルナは宮廷魔導師でここの社員ではないの。いま抱えている案件のことで特別にここに来てもらってる」
僕の前に前任者がいたんだ。
やめてしまったってことは、何か問題があったのだろうか。パワハラとか残業が多いとか給与が低いとか……でも本人の素行不良という可能性もある。
「よろしくお願いします、ルナ。僕は村……じゃなくて、セクターと言います」
「……セクター。よろしく」
ルナが喋った。
「申し訳ないんだけど、私はこれからネットワーク敷設作業の続きがあるから。セクターは、そこのマニュアルを見ながらデバイスのセットアップをして頂戴。わからないことがあったらルナに聞いて。彼女、何でも知ってるから。私が一から教えるって昨日大見得きったばかりなのにごめんなさい」
「いえ問題ないです。わかりました」
レジスタは急ぎ足で出て行ってしまう。
僕はルナとともに取り残される。ルナはデバイスとレジスタが言っていたものに向かって、画面を指でなぞったり、何やらよくわからない作業を続けている。
僕は言われた通りに指示された席につく。
黒曜石のようにツヤツヤした手のひらサイズの直方体の塊と、数枚の紙──マニュアルを手に取る。
『誰でも簡単! デバイス初期セットアップ手順 ─オペラ─』
オペラ?
辞めてしまった前任者が作ってくれたマニュアルのようだ。僕は1枚目を読みはじめる。ついに初仕事がはじまった。
■■■■■ あとがき&用語解説 ■■■■■
こんにちは白河マナです。
このたびは『異世界の《IT企業》に転職したら社員僕だけでした。~ ゼロから学べるITスキル ~』(以後異世界IT)を読んで下さりありがとうございます。
4話以降は技術的な解説や補足が必要になってくると思いましたので話末にスペースを作らせていただきました。
剣と魔法・ドラゴン・亜人・魔物・冒険者ギルド・魔法学校・王国。青い空に白い雲、空気も川の水も澄んでいて。夜は満点の星空。(作中の世界では巨大な月がありますが) 私が小さな頃に憧れたファンタジー世界……それを余すことなく書いてみたい。そう考えています。
主人公の村上良太くんは、ありふれた社会人。少し何かが違うとすれば、勤めていた会社が2年で倒産してしまい就活中のことくらい。幼い頃は一人称『俺』で元気で活発な少年、小→中→高→大学と、学生時代が終わりに近づくにつれ自分を社会のカタチに合わせる必要に迫られ、『僕』や『私』を使い分けるようになる。
次第に、どの自分が本当の自分なのか、わからなくなってくる。
再就職もうまくいかず、自分の履歴書を見てこれまでやってきたことを回想しても、特別な何かはない。でも自分だけが特別不幸な訳でもない。
そういうモヤモヤした気持ちでいた主人公の前に現れる謎の金髪少女──。
第1話の自販機のエピソードは、私がリアルでやりまして……買ったばかりのペットボトルを落としてつま先にあたって自販機の下に潜り込んでいきました。結局取れずに何も飲まずに帰宅……そんなことってあります?
といった裏話も交えつつ。
□□□□□ 用語解説 □□□□□
【Hello World !】
第4話のタイトルです。
これはプログラムの入門書で最初に実行するソースコードの出力結果ですね。私の場合はC言語でしたが、画面に『Hello World』と表示されたときは、感動しました。
「ようこそ、こちらの世界へ」レジスタの台詞を書いた時に、これをタイトルにしようと考えました。
【パソコン、ノートパソコン】
解説不要ですね。ちなみに会社内、特にグローバル企業では確実にPC(ピーシー)と呼びます。あと、コンピュータと呼ぶこともありますね。
ノートパソコンも日本特有の言葉です。企業内ではラップトップPCとか単にラップトップと呼びます。ラップトップ=膝の上ですね。膝の上に置けるくらい小さなという意味合いです。デスクトップは日本もグローバル企業も同じですが、Windowsを起動した直後のゴミ箱アイコンやスタートボタンが表示される画面もデスクトップとかデスクトップ画面と呼びます。
【デバイス】
端末です。デバイスは一般的には主に情報端末(PCやスマホ)と周辺機器(プリンタ等)のことを指します。この異世界ITでは、情報端末のみを指してます。4話に出てくる黒い直方体の石ですね。私のイメージは、アイコンをタップすると液晶モニターとキーボードが具現化されるスマホです。詳細は第5話にて。
【MFP】
Multi Function Printerの略。複合機のことです。
現実世界では本当に様々なことができますが、異世界ITでは『デバイスからの印刷』『用紙のコピー』のみ可能です。 ※他の機能については研究中です。
【アーティファクト】
人工物。IT用語では私は聞いたことが無いですね。
本作に出てくる『デバイス』を表すのによい言葉だと思ったので抜擢。
【オペレーティングシステム(OS)】
Microsoft 社の『Windows』 や Apple 社の『iOS』 や Google 社の『Android』などがメジャー所ですかね。『Chrome OS』や『Linux』などなど、世の中にはたくさんのOSがあります。
大雑把に書きます。OSは、PCやスマホを使用するための基本ソフト(プログラム)です。PCやスマホは、OSがないと何もできません。インターネットもメールも、ファイル操作も、OSに搭載されているアプリも使えません。
たとえば、Windows PC の OS を削除して電源を入れると『Operating System Not Found』といったメッセージが黒画面に表示されて停止します。
※PCにOSが入っていなくてもできることもありますが長くなるので割愛。
【セットアップ】
ソフトウェアに限らずハードウェアにも使いますね。第4話では、デバイスの初期設定の意味で使用しています。
一般的には、プリンタのセットアップと言えば、PC(スマホ)とプリンタを有線または無線で接続をして印刷ができる状態にすること。企業内でPCセットアップと言えば、新入社員・中途社員・PCが故障した人に新しいPCを準備して利用できるように設定することを言います。ただ、会社によって、どこまでセットアップしてあげるかは、セキュリティ等にも依存するので基準はバラバラです。利用者のパスワードを一旦リセットして代わりにログオンして全部設定してあげる会社もあれば、プリンタやメールなどの設定はマニュアルを渡して各人にやらせるところもありますね。
【ペアリング】
主にBletooth機器とデバイス(PCやスマホ)を紐づけるときに使う言葉ですね。
本作では、デバイスと利用者を紐づけるという意味合いで使用しています。ユーザー登録は本来『user registration』ですが、なんか長くて。あと、異世界ITのデバイスとの関係は、Bluetoothのペアリングにイメージが近いのでこちらを採用。
【Bluetooth】
近距離無線通信規格の1つです。もう一般的な言葉として世間に認知されていますね。ワイヤレスイヤホン、キーボード、マウス、プリンタなどなど。
【マニュアル】
解説不要ですね。企業内では手順書とも呼びますかね。「そのドキュメント読んでおいて~」とか、「PDF読んでおいて~」とかとか。
【レインボーズ(Rainbows)】
異世界ITのOSです。テストには出ないので覚えなくていいです。
OSっぽい名前で、作品にあったものを考えていた所、Rainbowという単語が浮かびました。それにsをつけてRainbows。虹をかけるようにデバイスで世界を繋いでいく──そんな製作者の未来への願いが込められているはず。
【スペルスクロール】
異世界ITのアプリです。
この世界のデバイスは、魔力を動力源に魔法で動いている魔導具の一種です。
ですからスクロール(巻物)にアプリの仕様を魔力を込めた文字で書いて作り、それをデバイスに対して発動することでインストールできます。
スペルスクロールの作成はとても時間のかかる作業で、高位の魔導師でなければできません。また、ひとつひとつ手作りで、通常複製もできません。
※細かい話をするとデバイス自体も最初はただの魔法をため込めることができるだけの鉱石(魔留石)です。
【魔留石(まりゅうせき)】
魔法を留まらせることができる不思議な鉱石。異世界ITのデバイスの原石です。これを加工して、何本ものスペルスクロールを作成し、手間暇をかけてひとつのデバイスを造っています。
【魔導具】
魔力を帯びている道具の総称。
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