第7話 清掃のお仕事

私、清掃の仕事もやっておりました。


夏は熱中症でぶっ倒れそうになりながら、冬は指先がかじかんで震えながら、雨にも負けず雪にも負けず、いろんな建物をお掃除しておりました。


体力的にはしんどいんですけど、大きい建物を内部から掃除するのってわくわくするんですよ。大きなくじらのお腹のなかに入って、腸内環境を整えてあげる妖精、あるいはビフィズス菌になった気分がするのです。楽しい!


個人的には新幹線とかバスとかの「動くもの」の清掃はあんまり興味なくて、大地にどっしりと根を下ろしたビルが好きだなあ。しっかりと地面とつながっているのがいい。でも学校はあまり好きじゃない。窓が多くて風通しが良すぎるから。もっと気密性の高い、閉鎖的で高さのある建物がいい。窓が開閉できないタイプの高層ビルなんかがぐっと来ますね!



まあ、そんなアホなこと考えながら掃除してた時代、友人たちは、私のことを「歌手デビュー目指して、清掃の仕事をしながら頑張ってる」と思ってたらしいんですよ。


噂っていいかげんですね。

私は歌手になりたいなんて思ったことは一度もないんですよ。

でも、なぜか清掃の仕事をしているから、何かワケがあるに違いないと友人たちは思ったのでしょう。

歌手でも目指しているのでもなければ、おかしいだろうと。

それが世間の常識ってもんなのかもね。悲しいですね。清掃をやりたくてやってる人間なんていないって思ってる人たちがいる。




清掃の仕事中、ビルからビルへと移動するとき、私は自転車で動くことが多かったんですが、モップの柄って、自転車のかごにはうまく入らないんですよね。モップのふさふわ部分は取り外せるから、かごに入れられるんですけども。

だから、左手でモップの柄を持って、右手で自転車のハンドルを握るわけなんですが、これがまた楽しい。

槍を掲げて突撃する騎兵の気分なのです。

まあ、危ないんでね、人の多い道ではなるべくモップの柄を低く垂直に持って、人にぶつからないように、万が一ぶつかったとしても怪我させないように持つんですが、人のいなりところでは、モップを高く掲げて、やー! って走るわけです。腰から下げたビルの鍵の束がガチャガチャ鳴って、それもまた甲冑が鳴っているかのようで。



で、そうやって騎兵気分で次のビルに到着すると、隣のビルの清掃に来た人と鉢合わせたりなんかしてね。


おっ、そっちはどんなぐあいですか?

今日はワックスがけですか、大変ですねーなんて言ってね。


たまにビジュアル系と思われる風貌の若者が清掃人として隣のビルに来ているのを見かけて、「ああいう人が歌手を目指して清掃の仕事を頑張る人なのかもね」って思ったり。で、意外とって言ったら失礼だけど、こういう方って優しくしてくれたりするんですよ。ぴっかぴかに磨き上げた窓ガラスに激突して倒れている私に駈け寄ってきてくれて心配してくれたりとか。

見るからに普通そうな外見の人のほうが、そういうのはスルーしますね。まあ、自分で磨いたガラスにぶつかって悶絶しているわけだから、間抜けすぎてスルーしたくなるのもわかるけれども。でも、あえてそこを心配してくれるのが、「普通じゃない」人なのです。気持ちが優しい。



セキュリティーの厳しいビルの掃除をしているときは、ビルに入るための暗証番号が分からず立ち往生している人から、中に入れてくれと頼まれることもありました。だけど私がセキュリティーを解除するわけにもいかないんで、わからないふりしたり。そういう人って大体怪しいし。だって何者なのか名乗らない人ばっかりなんですよ。それってただ単に清掃人に名乗る名前はないってだけなのかもしれませんが、そんな人に親切にしてあげる義理もないですから。上着の裾を引っ張って伸ばして、腰の鍵の束を隠したりしたなあ。


ビル内の人から「来訪者にドアを開けてやってくれ」って言われて、私が管理用のパスコードを入力していたら認証画面を覗き込んでくるオジサンも多くて、だから手元を隠して入力するわけですけども、それでもしつこく覗こうとするから注意したら、オジサンはかーっと頭に血が上って、怒鳴り散らしたりするんですよね。

そんなオジサンたちの言い分を要約すると「泥棒扱いされた! 俺を疑うなんてひどい! どうして俺を信じてくれないんだ! 心が傷ついた! 許せない!」って感じ。オジサンたら初対面の相手から信用してもらえなくて傷つくとかナイーブすぎます。初対面の相手を信用しないのは当たり前のことですよ……。


まったくの赤の他人から疑われることに対して、過剰にショックを受けるオジサンって世の中多すぎません? 私がたまたまそういうオジサンとのエンカウント率が高いだけかなあ。



ビル以外では、たまにコインパーキングの清掃を頼まれることがありました。あそこってタバコの吸い殻が本当に多いんですよ。一度、何本落ちているのか数えながら拾ってみたら、約10台駐車できる規模のコインパーキングに130本以上も落ちていました。大量すぎ。こちらは1カ月前に清掃が入ったところだったから、一月で130本、いや、130人の輩がポイ捨てしていったということです。監視カメラがあるのに皆さん平気で捨てていく。びっくり。

私がコインパーキングでごみを拾っていると、やっぱり人の心理として? 私の目の前でゴミを捨てるのは気が引けるんでしょうね、わざわざ敷地外に吸い殻を投げ捨てる人もいました。違う、そうじゃない感。それも私が拾わないといけないのよ~、っていうかゴミを外に捨てないで欲しい。

日本は道路にゴミが落ちていないからスゴイなんて海外から来た旅行者なんかに賞賛されたりしますけど、あれってただ単に清掃員がまじめに頑張っているだけなのではないでしょうか。私も担当敷地に面する道路のごみも拾ってましたもの。私たち、めっちゃ日本の美化に貢献しているよね! 頑張ってる! えらい! 自分たちを誇っていい!



あと、事情があって2年ぐらい清掃されていないアパートを任されたこともありました。こちらはもう正直すごい荒れようで、廃墟かな? というぐらい汚れがこびりついていた。住人の皆さん、よく我慢しましたね。あまりに気の毒だったので、私は全力でお掃除しました。通路も壁も天井も窓も階段もピッカピカにして、見違えるように綺麗になりました。自画自賛ですけど。それだけ掃除前の状態が酷すぎたんですね。その結果、どうなったと思います? なんと住民の方たちが2極化しました。


「掃除をしてくれているから、自分も汚さないようにしよう」という方たちのフロアはゴミが落ちおりません。以前は結構落ちていたゴミが今は見当たりません。一方「掃除をしてくれているから、汚してもいいんだ」という方たちのフロアは、アパートが放置されていたとき以上にゴミが散乱する結果となりました。コンビニ弁当の空き容器とかタバコの空き箱とか空のペットボトルとかが通路にぽんと置かれるようになったのです。あと通路で飲み食いしている人もいるようで、食べこぼしも目立ちます。

ちなみに住民は同じです。入れ替わりはありません。



私、正直なところ面白いなって思ったんです。なるほど、人間は一筋縄ではいかない、こういうふうに反対の行動に出るケースもあるのだなと。大変勉強になりました。

この結果を受けて、私は光の住民がお住まいのフロアはより丁寧に掃除して、闇の住民がお住まいのフロアは手を抜くようになりました。おかげで光フロアは綺麗なままで、闇フロアはまあまあ汚い状態をキープすることになりました。



以上、清掃のお仕事についてお話しさせていただきました。

こうやって、いろんな建物の清掃の仕事をしているうちに、夜の街の不動産屋さんで働く話に繫がるのですが……。



また機会があれば清掃の仕事をしたいなって思います。


できれば大きい建物がいいな。大きければ大きいほどいい。巨大な建物の中で、ちまちまと雑巾でシミを拭き取る充足感は、まだうまく言語化できないけれど結構幸せだったなと思うんですよ。

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