第8話 新型コロナに奪われた哀悼
2021年、初秋。
ある平日の夜、自宅でごろごろしていたら、上司からLINEが来ました。
「今から社長がゴオルドさんに電話をかけるので、出てください」とのこと。
社長からじきじきにお電話とは。
私また何かやっちゃいました? と震えながら正座して待機していたら、1分もせずに電話が鳴りました。
「こんばんは。あの、社長ですけども、ゴオルドさん?」
社長って社長ですって名乗るんですね、何だろうちょっと笑える。
ちなみに社長は60代ぐらいの男性です。うちは少人数のアットホームな職場だから社長とすれ違ったりとかはするけれど、会話をした記憶はありません。挨拶ぐらいしかしてないです。ちゃんと話をするって多分これが初めて。緊張しちゃう!
「ははい、ゴオルドです。なななななな何かございましたでしょうか?」
「夏の終わりからゴオルドさんは仕事量が増えたけど、どう? 慣れましたか?」
「は、はい……おかげさまですっかり慣れました」
「じゃあ、もっと増やしてもいい?」
「はい?」
何ですと?
「夏の終わりにゴオルドさんの仕事量が増えた理由は知っていますよね?」
「はい……。新型コロナで亡くなった方たちの仕事が回ってきているんですよね」
うちの業種名は伏せさせていただくけれども、新型コロナにより数名の従業員の命が奪われたため、生き残っている従業員1人当たりの仕事量が増加しておりました。私も約1.5倍の仕事量になりました。お給料も増やしてもらいましたから文句はないのですが。
そこにさらに増やすと? 時間的に厳しくないですかね?
「感染して入院している社員の退院の見込みがつかなくてね……」
職場の先輩は夏から入院していらっしゃるのです。冬前には復帰するだろうと、そうすれば仕事量が減るだろうと希望を持っていたのですが、社長から聞かされたのは期待していたのとは真逆の話でした。
「先日奧さんから聞いたんだけど、かなり重体だったようで。まあ、命が助かっただけでも良かったんだけど、働ける体になるまでまだかかりそうなんだ。それで仕事をどうしたもんかと弱ってしまってね」
「そういうことでしたか……」
「ゴオルドさんがやってくれるならお給料をアップしてあげるよ!」
うーん。それは大変ありがたいのだけれども。体力的に頑張れるだろうか?
「ここだけの話なんだけどさ……」
社長は声をひそめました。あ、わざわざ電話で話すのって、そういう内緒のやつがあるからですね?
「ほかの社員には内緒なんだけど、もし仕事を引き受けてくれるのなら、作業着に何でも好きな刺繍をしていいよ。もちろん作業着は新品を用意するし、刺繍代は会社が出す」
「し、刺繍ですか!」
作業着に刺繍。それは本来なら自腹でやるやつ。それを会社もちで!
「やります」
「え、やってくれる? 助かるー!」
社長はほっとしたような声を出されておりました。これぞウィン・ウィンってやつですね!
会社にとっても今は踏ん張りどころです。しばらくはしんどい時期が続きますが、きっと来年には楽になると信じて、私も今は頑張ろうと思いました。あと刺繍が単純にうれしい。
「刺繍、何でもいいんですよね? じゃあ、パンでもいいですか? 背中にパンを縫ってみたいです!」
この機会にどーんと好きにやっちゃおうと思いました。社長公認ですからね! どんな図柄でも文句は言わせません。
「パンは却下」
えっ。
「パン屋と間違われるおそれがあるのは良くないなあ」
なんてこった。確かに社長のおっしゃるとおりだ。
「ほかの業種と間違われそうな刺繍は却下でお願いします」
と言われましても。
食べ物関係は飲食業と間違われるから駄目、犬や猫もペットショップと間違われるかもだし、あれも駄目、これも駄目……。
「じゃあもうドラゴンとか虎とか弁財天とかしかないじゃないですか!?」
それは刺繍を入れるというより、スミを入れるっていうやつでは!?
「いやいや、そんなのを無理して選ばなくてもいいんですよ、好きな刺繍でいいんですよ? そうだなあ、薔薇とかどうですか?」
おぅ、ローズ。バイクで暴走する昭和のレディースって感じかも。
結局、刺繍の図案はよく考えてからお願いするということにして、まずは仕事を増やす話だけが確定しました。が、頑張る……!
社長からの電話を切り、どんな刺繍にしようかなあ、エサを口いっぱいに頬張ったハムスターのイラストとかどうだろうかと考えていたら、再び電話が鳴りました。
「あ、ゴオルドさん? お久しぶりです」
以前、清掃の仕事をしていたときの上司でした。
「急で悪いんだけど、また清掃の仕事をやってみませんか?」
「えっ。本当に急ですね。もしかして清掃のほうも人手不足ですか?」
「そうなんですよ。コロナで2人亡くなってね。〇〇さんと〇〇さんなんだけど、覚えてる? それで求人出しても来るのはやる気のない人ばかりだし、仕事が溜まってるんです」
唐突に知らされるかつての同僚の訃報に、私はとっさに反応を返せませんでした。
「そういうわけで清掃のほうに戻ってきません? 副業って形でもいいですよ。ホテルの清掃とかどうです?」
「えっと……」
今は仕事の話について返事しないと。感情のことはあとで整理しよう。
「あいにくホテルは未経験なんですが。ラブホとかそういうやつですか?」
「いやいや、一般のホテルです。週1からでもいいんで」
一般の……。客室の数が多くて、時間に追われるやつかな? 経験としてやってみるのもアリか? でも本業があるからなあ。
「ホテルは気が進まないですか? じゃあ、一般のご家庭の掃除はどうですか。マンションタイプなら1日2件で1万6000円。どう?」
「ハウスクリーニングってやつですね。残念ですが、本業があるから時間をとるような清掃にはとても行けないですよ」
「それもそうか。困ったなあ、ホント人手が足りなくてさあ」
元上司からの依頼は、どれも面白そうなものばかりで、正直やりたい気持ちにはなりました。でも今の仕事を放り出すわけにもいかないのでお断りしました。
電話を切って、私は考え込んでしまいました。
どこも人手不足でかなり大変なことになっているようです。特に清掃とか屋外の肉体労働とか、そういう職種で人が足りないみたい。もともと人手不足のところに、コロナが従業員の命を奪いにきたのですから、その影響はとても大きいのでしょう。
今回の新型コロナで、私の知っている人は、いつの間にか消えました。そう、言葉どおり消えたんです。ある日ふっと現場に来なくなり、陽性だとだけ伝えられ、その後亡くなっても葬儀の知らせもなく、しばらく経ってから「あの人、駄目だったみたい……」とささやかれて。その死を悼む場も持たれないままに。誰もお別れの言葉を伝えられないまま。
かつての知り合いも、電話で「実は亡くなっていた」と知らされるだけ。
だからでしょうか、あの人やあの人が亡くなったという実感がまだないのです。だって突然消えて、それっきりなんですから。
さて、私はあしたも仕事です。いなくなったあの人の分も頑張らないといけないなと思います。それでいて、あの人がそのうち現場にひょっこり顔を出すんじゃないかなって、そういう気もするんですよ。おかしいですね。
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