第6話 朝帰りするカエルと、デート相手が逮捕された話

朝、自室のカーテンを開けると、ベランダに置いた植木鉢、そのイワヒバの葉の根元にアマガエルがちょこんと座っているのが見える。目を細めてうずくまっている姿はどこか眠たげだ。

私はパジャマ姿でベランダに出て、ジョウロでイワヒバに水やりをする。すると、水しぶきがアマガエルにかかってしまう。少し迷惑そうな顔でこちらを見返してくる。


「少しくらい濡れてもいいじゃないの、カエルなんだから」と声をかける。


今朝はよく晴れていた。どこからか蝉の鳴き声もしている。夏の晴れた日だ、わずかな水しぶきを浴びても悪いことはないだろう。


何日も晴天が続くときは、わざとカエルに水をかけてやったこともあった。体が乾燥してしまって気の毒だと思ったのだ。しかし、当のカエルは「本当にやめてくれ」と言いたげな顔をする。全然喜んでない。なぜ。ネットでアマガエルについて調べてみたところ、あえて濡らす必要はないと書いてあった。どうやら余計なお世話だったようだ。


それ以来、あまりカエルに水がかからないよう気をつけて水やりをするよう心がけた。それでも今朝のようにたまにしぶきはかかってしまうこともあった。

濡れるのは嫌がるが、朝日の中、鉢植えに水がまかれてキラキラと光るさまを眺めているカエルはどことなく満足げであった。



夜、仕事から帰ると、ベランダを確認するのが私の日課だ。タイミングが合えば、これからどこかへ出かけるカエルを見送ることができる。


あたりが暗くなると、カエルはイワヒバの鉢からよたよたと這うように出て、ベランダから外へ向かってびょーんとダイブする。蹴り出した足が真っすぐ伸びた状態で宙に浮いたかと思った次の瞬間、カエルは闇に消える。私の部屋は5階だ。真っすぐ地面に降りたのなら死んでしまうはずだ。最初は投身自殺かと思ったが、毎朝きちんと戻ってくるところを見ると、無鉄砲に飛び降りているわけではないらしい。近くに足場でもあるのだろう。



カエルは日が暮れるとどこかへ出かけ、夜明けごろには戻ってくる。


規則正しく朝帰りをするアマガエルがうちに居着いてそろそろ半年になる。





――


その日、仕事帰りに、同僚から飲み会に誘われた。いつもの集まりだ。とくに気兼ねなく飲み食いできる会だから、予定がなければなるべく私は参加するようにしていた。あまり友人のいない私は、行ったことのない店に行ける機会が少ないので、こういう会を楽しみにしていた。


その日は参加者が20人ぐらいで、店は貸切となっていた。

参加者は知っている顔ばかりだ。年齢は20代から60代までと幅広いが、基本的に同業者なので、話の内容は大体決まっている。仕事のこととお金のこと。要するにあまり気を遣わずにすむ話ばかりだから、飲み食いに集中できる。


私は適当に会話しながら、真剣にメニュー表を睨んでいたら、ある男性が私に話しかけてきた。何度もこの会で見たことのある人だ。


「今度、食事でも行きませんか」

この人にそう誘われたのは、これで何回目だろうか。もう私も覚えていないが、おそらく本人も覚えていないに違いない。

「いいですね~。ぜひ!」

私がこう答えるのも何度目だろうか?

酔いが回ると「今度食事でも」と声を掛け、翌日になると綺麗に忘れる。そんな男性が、この会には何人もいた。とりあえずメスを見たら声をかけておく習性があるオス、そんな感じなのだろう。


ふと自宅のアマガエルのことを思い出す。あの子はメスだろうか、オスだろうか。夜な夜な出かけていくが、どこで何をしているのやら。



別の男性は、いつも店名を出して誘ってきた。

「今度食事……」

「行きましょう! ぜひとも行きましょう!」と食い気味に答える私。もちろんふざけているのだ。

「おすすめの店があるん……」

「海鮮丼のお店ですよね。店名は「みより」でしたね!」相手に最後まで言わせずたたみかける私。

「え、なんで知ってるんですか……」

「みよりの海鮮丼って言葉、もう耳にタコができるくらいあなたから聞かされているんですよ~。ははは!」


そして、この会話もまた翌日には男性の脳内から消去され、2週間後の飲み会で「今度海鮮丼でも……」と声を掛けてくるのであった。


しかし酔うたびに女性に声を掛け、そして酔いが醒めたら記憶も消える人間というのは、根っからの浮気性なのではないだろうか。彼女がいるのかどうかも知らないが、アルコールでたがが外れるという性質からいって、いてもいなくても同じことだろう。こういう男性が複数いるというのは、女性からしたら頭の痛いことである。

どうかこういう男性は一生彼女ナシ、一生独身でありますようにと神様に祈ってしまう。でないと付き合う女性が不幸になる。


だから、ある日、この会のメンバーの男性から「食事の件で」連絡があったときは、ひどく驚いたし、誰に対しても「いいですね行きましょう!」と適当に返事をしていた私は、電話をしてきた相手が誰なのかもわからなかった。




――


なんだかよくわからない男性と食事に行くことになった。

断ってもよかったんだけど、なんか面白いことが起りそうな予感がして、私は食事に行くことにした。もちろん交際する気はさらさらない。しかしお互い大の大人だ、たとえその気だったとしても、相性が悪くて食事だけで終わってしまうこともままあるだろう。今回もそれと同じパターンになるだけだ。

酔うと性にだらしなくなる男とは、シラフの真昼はどういう人格なのだ? 私の興味はそこにあった。


また、食事だけで済ませれば怖い思いはしないだろうという安易な気持ちもあった。まあ、顔見知りだし何とかなるやろ!


相手は最初サイゼリヤを指定してきたが、サイゼは高確率で知り合いがいるので(みんなサイゼ好きすぎるよね~)、鉢合わせたら気恥ずかしいからガストに変更してもらった。ムードのある個室居酒屋とかイタリアンとかに行く気はお互いにナシ。そこも好都合であった。



私はガストで1時間待った。

しかし、男はあらわれなかった。

なんだよすっぽかされちゃったのか。


このまま帰るのもつまらないと思い、ついでに買い物をして、そのあと一人でカフェでのんびりしてから帰宅し、家のテレビをつけたら、児童買春で男が逮捕されたニュースをやっていた。



犯人の顔と名前が画面に映し出された。

私は思わず変な声が出た。

そこには今日会うはずだった男が映っていた。


そらガストに来られないはずだわ、逮捕されてるんだもの。何コレ。



しかし児童買春か。ロリコンなのに、なぜ私とサイゼにいこうと思ったのか。デートのお誘いじゃなくて相談でもしたかったのかな。そもそもサイゼを指定してきたあたり、相手はデートのつもりはなかったのかも。


今となっては彼の真意を知るすべはない。





――



私の祖母は、退職後は畑仕事に精を出していたのだが、畑仕事では情け容赦のない人であった。どういうことかというと、モグラやネズミ、虫やヘビなどの野菜に悪影響を及ぼすものは、ナタで真っ二つにたたっ切って肥だめに投げ入れる人なのであった。


幼い私は、祖母の畑を歩いていたら小石のようなものを見つけ、何気なく拾い上げたらモグラの首だったことがあった。胴体はすっぱりと切り落とされていた。私は声もなく震えた。

ショックではあったが、しかし自然とともに生きるというのは、こういう側面もあるのだと子供の私はすんなり受けとめた。しかたがない。ここは祖母の畑で、祖母こそがルールなのだ。


生き物の命を奪うことに躊躇いのない祖母であったが、カエルだけは殺さなかった。カエルは虫を食べるから、畑にとって益があると見做していたのだろう。


野菜の葉のかげに動くものが見えると、私はどきっとした。それがカエルだったとき、私はほっとしたものだった。モグラじゃなくて良かった。祖母より先回りしてモグラを捕獲し、なおかつよそに逃がすのは簡単ではない。というか成功したためしがない。


カエルで良かった。

いくら害があるとはいえ、首を切り落とされるのは見たくない。




私には祖母の血が流れている。自分に害のある存在をたたっ切るぐらい、本当は簡単にやれるのかもしれない。

ふとそんなことを思う。


――




夜になり、ベランダに出てみたが、カエルは既に出かけた後だった。薄暗い中、イワヒバの深緑の葉っぱが風に吹かれて揺れていた。

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