外伝7 信夫百合帆先生、男子ドールに『狩衣』を着せる

「たっだいま~♪」

 

 桜南高等学校の家庭科教師、信夫しのぶ百合帆(25歳)は、ウキウキ気分で帰宅した。

 1・2年生が対象の学力テストも終わり、校内の緊張も若干ゆるんでいる。

 しかし、3年生はこれからが忙しい。

 大学入試説明会は来週からだ。

 今日は『服飾系の専門学校に進学したい』と云う男子生徒が相談に訪れた。

 出来るだけ情報を集め、生徒にエールを送りたい。


 が、退勤後は――ひとりの人間。

 家には、ささやかな幸せが待っている。

 住んでいるアパートは、1DK・家賃3万2千円(+駐車場8千円)・築18年。

 駅から遠いので、お安めだ。

 信夫先生はスーパーで買った豚丼(15%引き)・野菜サラダ(10%引き)・蜜柑ジュースパック(果汁100%)を入れたエコバッグとトートバッグを持って車を降り、外灯に照らされた外階段を昇る。

 2階は4室あり、左端の玄関ドアを解錠する。


 荷物を玄関の小上がりに置き、リビングの照明を点灯♪

 炊飯器に電子レンジにトースター。

 キャビネットに書棚、ダイニング用と仕事机を兼ねたテーブルに椅子。

 折り畳みテーブルと、その上のミシン。

 テレビにノートPCにビーズクッション、クマの特大縫いぐるみ。

 目に付くのは、こんなところだ。


 先生はアコーディオンカーテンを開け、寝室に入る。

 ベッドに腰かけて、バーカーとハーフパンツに着替える。

 備え付けのクローゼットの横には、人形を飾ったキャビネットがある。

 子供にも人気の『リーナちゃん(22cm)』、通販限定の『ルリカちゃん(27cm)』、外国製のコレクタードール『トリーシア(30cm)』。

 それらがキャビネットの中に60体。

 すし詰め状態で立たせてある。


「さって、今日きょうは♪ ユリアンくんの出番だよ♪」

 キャビネットの2段目の右隅に立つ30cmサイズの男子ドールを取り出す。

 

 大学生の頃、札幌の催事でセミオーダーした特製ドールだ。

 ルリカちゃんのボーイフレンド設定で、当時の催事ではドールのヘッド、リップの色、髪色に髪型を指定してオーダー出来た。

 

 『ユリアンくん』は、腰まであるアッシュブロンド(ブロンド系2色メッシユ)の髪に、リップは薄いピンクだ(1万2千円也)。

 しかし、購入した当時の白トップスにハーフパンツ姿で、着替えのお洋服は無い。

 女子ドールのドレスは自作していたが、彼までは手が回らなかったのだ。

 しかし、手作りドール服通販サイトで、お気に入りの服を見つけて即買いした。

 コンビニ受け取りを指定し、それが届いたのである。


 スタンドに立たせた『ユリアンくん』をリビングの折り畳みテーブルに置き、彼を横目に買って来た夕食をチンして食べる。

 

 これからが本番だ。

 届いた大型封筒を封を切ると、ビニールに包まれた厚紙の台紙の上に、注文した『狩衣かりぎぬ』が見える。

 

 ビニールをハサミで切り、『狩衣かりぎぬ』を出す。

 『狩衣かりぎぬ』は更にビニールに包まれており、それも切る。

 

「ああぁん……♪」

 取り出した衣装の繊細な美しさに嘆息し、一式を手にする。

 くすんだ紫地に、ピンク色の桜模様の浮き出た狩衣かりぎぬだ。

 白い小袖の下に付ける見せ襟は赤。

 薄緑色の袴には、紋様が浮き出ている。


 これで五千円だが、決して高くは無い!

 オプションで烏帽子えぼしも販売していたが、ティアラを被せる予定だったので止めた(節約)。


「ユリアンくん、脱ぎまちょーね~♪」

 声を掛け、ユリアンくんを脱衣させる。

 ありがたいことに、ハーフパンツの下に、おぱんつは履いていた。

 まずは、赤い見せ襟を付けて先端の腰ひもで固定し、白小袖を付ける。

 手足の関節が曲がらないタイプの人形なので、着せ替えには苦労する。

 それに、襟の合わせを整えるのが難しい。

 15分ほど苦闘し、どうにか形にする。


 次は袴だ。

 袴の裾には、裾を絞るための紐が通されている。

 実際の平安貴族は、足先まで袴で包む着用例もあるらしい。

 さすがにそれは無理っぽいので、足首で紐を括ることにする。

 しかし、袴を膨らんだ形を整えるのは、やはり難しい。

 ユリアンくんを上に下に傾けていると、また襟元が乱れてしまう。


「くうぅっ……!」

 先生は、額に汗を浮かべる。

 足首で紐を結ぶだけなのに、上手くいかない。

 ユリアンくんを逆さまにする訳にもいかない。


「きょえぇーーーーっ!!」

 奇声を発しつつ、蝶結びに挑む。

 生徒にも、舟曳ふなびき先生にも見せられない姿だ。

 



「やった……!」

 20分を費やし、袴の着装を終えた。

 着せてみると、足先もすっぽり隠れる。

 人間の着用写真などを見ると、袴は提灯型に綺麗に膨らんでいる感じだが、下側にポテッと膨らんでいるのは、着せ方が下手なのか、重力のせいなのか……。

 

 しかし、残るは狩衣かりぎぬだけだ。

 これは、袴ほど難しくないと見る。

 

   ・

   ・

   ・

   ・


「で、で、出来た!」

 先生は、着装させたユリアンくんをウットリと眺めた。

 合皮製の銀のティアラを頭に載せて完成である。

 アッシュブロンドの長髪に、紫色の狩衣かりぎぬが映える。

 何とも優美な姿だ。

 

 背景ボードの前にユリアンくんを立たせ、おまけの小物を添えて撮影する。

 袴の重さで、スタンドが無くても自立するのが嬉しい。

 撮影時間を含めると、1時間半余り。

 今夜は、美味しく缶チューハイ(アルコール分3%)が飲めそうだ。






 翌日。

 4時間目が終わり、信夫しのぶ先生はお弁当を持って教室に向かう。

 御飯、しば漬け、タマゴ焼き、タコさんウィンナー、キャベツ炒め、きんぴらごぼう(解凍)だ。


「おはようございます、信夫しのぶ先生」

 柔らかなバリトンに振り向くと――舟曳ふなびき先生である。

 今日は、灰白色の着物に灰色の羽織姿だ。

 いつも美しく着物を着こなしており、物腰穏やかだ。


「おはようございますっ(歓喜)」

 信夫しのぶ先生は元気よく答える。

「今日は、茶道部の部活日でしたね(歓喜歓喜)」


「はい。それで……お訊ねしたいのですが……」

 舟曳ふなびき先生は、彼女の弁当箱とボトルを収めたミニトートに気付く。

「あ……これから、教室で昼食でしたね」

「いえ、構いませんけれど(何何何?)」


「来月の学園祭ですが……部員たちに和服を着せて、お点前を披露したいのです。それで、女生徒たちの着付けを頼める方を探しているのですが」

「では、私が(是非是非)。着付けなら出来ます」


「良かった。お願いします、信夫しのぶ先生」

「はい。喜んで♪」


 かくして、去り行く舟曳ふなびき先生の後ろ姿を堪能し、教室に向かう。

(確か、駅前に着付け教室があったわね。食べてから、申し込もっ♪)


 出費は痛いが、止む無しだ。

 学園祭まで、あと20日余り。

 充分、間に合う筈だ。

 

 信夫しのぶ先生は、期待に胸を弾ませた。

 初夏も終わりの、何気ない出来事である。





 『外伝7・完』



 ◆◆◆◆◆


 後書きです。

 人形の着せ付けシーンは、ほぼ実録です。

 人形の写真も近況ノートに載せたかったのですが、利用規約に抵触したらマズイかな、と思って止めました。


 このエピソードの翌日の出来事が、これから執筆する『黄泉月の物語・第11章』で描かれます。

 

 リンク先↓

『黄泉月の物語・第11章 双媛の牙城』

https://kakuyomu.jp/works/16816700428178248114/episodes/16816927861446849478

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