第30話

 岸松おじさんの言葉に、一同は静まり返った。

 『大きな使命がある』と言われるのは、『君たちは特別だ』と同義であろう。

 だが、その代償は計り知れないものだった。

 一戸いちのへの親類の笙慶しょうけいさんの持ち物に『悪霊』が憑依ひょういし、現実世界の本人が大怪我をしたのだ。

 『魔窟まくつ』に潜って闘うのは、とてつもないリスクがあると、前夜の闘いで痛感した。


 和樹自身、自分にヒーロー気分が全く無かったとは否定できない。

 『運命の恋人』と指摘された蓬莱さんを護ることに、使命感も在る。

 しかし、周囲の人間にここまでの危害が加えられるとは、考えていなかった。

 父の霊体も『蓬莱の比丘尼びくにさま』に護られなければ、消滅していた。

 自分たちの身の危険は覚悟していたつもりだったが、リスクは想像以上に高い。


「『魔窟』で闘っていると……時々、自分とは違う『意識』が浮かんで来るんです」

 和樹は、漠然ばくぜんと呟いた。

「昨夜も、『ここで倒されても、またやり直せば良い』と自分では無い者の考えが、頭に浮かびました。『神名月かみなづきの中将』の意識かも知れないです……」


「はあ? やっぱ……オレたちは何度も生まれ変わって、『魔窟まくつ』で闘ってる?」

 上野は、首を傾げて訊き返す。

「分からない……」

 和樹は、うつむいた。

 たぶん、自分の考えは正解に近いのだろう。

 が、ここで断定するような発言は避けたい。

 まだ、事の全容は分かっていない。

 不用意に、蓬莱さんや久住さんを惑わせたくは無い。

 

 ……ふと蓬莱さんを見ると、唇を固く結んで膝の上のミゾレを眺めている。

 彼女が『運命の恋人』であると、格別に意識はしていない。

 けれど今は、何故か不思議と優しい気持ちがく。

 父の魂を救ってくれたことへの、感謝から来る気持ちに違いない……。



 一同の会話が途切れ、間の悪い沈黙が流れる。

 場つなぎの為か……おじさんは、またスマホを操作し、漢字を画面に出した。

「君たち……気に留めて置いて欲しい。これは『えいしゅう』と読む」

 画面には『瀛洲』なる漢字が表示されている。

「中国の神話に、仙人が住む三つの山が在る。『蓬莱ほうらい』『方丈ほうじょう』『瀛洲えいしゅう』だ」

「『方丈』以外は、書けねえ……」

 上野は、しげしげとディスプレイを見つめる。

「『蓬莱』と『方丈』が居るのだから、『瀛洲』も現れるかも知れない。参考までに覚えて置いた方が良い」


「分かりました」

 一戸はスッと背を伸ばし、かしこまって答える。

 彼は闘いを続ける覚悟らしい。

 生真面目な彼のことだ。

 叔父があんな目に遭ったのだから、尚更に決意を固めたのだろう。

 和樹も姿勢を正す。

 『蓬莱の比丘尼びくに』と父の居る『宝蓮宮ほうれんのみや』に辿り着かねばならない。

 今の自分に出来うるのは、それだけだ。


「それと……久住千佳さん。君を呼び出し、驚かせて申し訳ない」

 おじさんは、久住さんに向かって深々と頭を下げる。

「君にこんな話を聞かせるのは不本意だったけれど、一戸くんの叔父さんが巻き込まれて大怪我をした。それに君はミゾレの飼い主だ。君と御家族の安全の為に、黙っている方が危険だと私が判断した」

「はい……」

「隣に和樹と沙々子が住んでいるし、ミゾレも居るから、君の御家族に異変があればすぐに気付くと思うが、念の為に持っていて欲しい」

 おじさんは、テーブルの下から醤油さしが十数個入ったカゴを取り出した。

「俗に言う『三途の川』の水が混じったものだ。常に、ポケットにでも入れて置くと良いだろう。多少の魔除けにはなる」

「はい……」

 久住さんはノロノロと手を伸ばし、醤油さしを二つ手に取る。

 深い溜め息を吐くが、誰も何も言えない。


「和樹、今後のことだが……」

 おじさんはお茶をすすり、喉を潤してから続ける。

「父親の裕樹くんが来れなくなったが、蓬莱さんの力で『魔窟』に潜れるんだね?」

「はい」

 和樹は大きく首を振る。

「蓬莱さんが入浴した時……『三途の川』の水を導けるそうです」


「……出来ると思います」

 蓬莱さんは顔を上げた。

 昨夜に出会った『月窮げっきゅう』と名乗った彼女のように、凛とした気品が垣間見える。

「和樹くんのお父さまにも言われました。『僕に何かあったら、後は君に任せる』と。昨夜、『魔窟』に降りて……怖かったけれど、不思議と動揺はしませんでした。私の分身が、居ることも知りました。私は、自分自身がどういう存在なのかは、まだ分かりません。でも、みんなを助ける力があるのは分かります。きっと『三途の川』の水を呼べます…!」


「方法は、僕と蓬莱さんが……」

 和樹は、ちょっと気まずそうに顔を背けた。

「同じ時間に湯に浸かって……蓬莱さんが、自分と僕の浴槽に同時に『三途の水』を引き込むそうです。父さんが、そうアドバイスしたとかで……。そうすれば、一戸と上野、ミゾレも今まで通りに『魔窟』に来れるそうです」


「そうか……。これからは、何でも相談して欲しい。沙々子も、子供たちを見守ってくれ」

「はい。伯父さま」

 沙々子は頷き、正座して久住さんを見上げた。

「千佳ちゃん。あなたを巻き込んで本当にごめんなさいね。でも、あなたと御家族を護るために、全力を尽くします」


「おばさま……あの、バームクーヘン、食べていいですか?」

「もちろん」

「ね。蓬莱さんも、みんなも食べようよ。あたし、ホワイトチョコ味にする」

 久住さんは三色の中から白いバームクーヘンを選び、蓬莱さんにも勧めた。

「何が良い? まずイチゴ味にする?」

「じゃあ、それ……いただきます」

「うん。美味しいから、他の味も食べてね」


「じゃ、オレっちはチョコ味で。ナシロと一戸はかな?」

 上野は、二人の前にを置いた。

「一戸、元気出せよ。笙慶さんがお前に何を言ったか知らないが、家族以外の面会が許可されたら、すぐに見舞いに行くからな。そうだろ、ナシロ」

「うん」

 和樹は同意したが、内心は複雑だ。

 『悪霊』に憑依されて『幽体離脱』した自分が何をしたか、覚えているだろう。

 自分がお経をあげていた人物を襲い、その魂を消失させかけたのだ。

 あの優しい人が、どんなに傷付いたか察するに余りある。

 慰めるのは、母の役目かも知れない。


「待ってて。ミゾレにはミルクとキャットフードを持って来るわね」

 息子の視線を察してか、沙々子はいそいそと立ち上がり、キッチンに向かう。


 『魔窟』の話は、ここで終了した。

 お菓子とお茶をいただきながら、明日の卒業式と中学の思い出話で盛り上がった。

 闘いの厳しさに、一時だけでも背を向けたい。

 そんな無言の願いを秘めながら、和樹たちは笑った。

 お腹いっぱいのミゾレも、ストーブの傍で寝転がっている。

 大人たちは温かな眼差しで、彼らを眺めていた。

 

 


 空が暗くなり始めた頃に、一同は散会した。

 上野と一戸は、おじさんの車で家まで送って貰った。

 そして沙々子は、蓬莱さんを家まで送って行った。

 夜半になってから、和樹にメッセージが届いた。

 

 【明後日から、お祖母ちゃんは仕事に復帰します。卒業式にも来てくれるって】





 

 翌朝は、旅立ちに相応ふさわしい快晴だった。

 和樹は久住さんとマンションを出て、蓬莱さんのマンションに向かう。

 正面玄関に行くと、蓬莱さんと祖母が待っていてくれた。

 「おはようございます」

 二人は、初めて会う祖母に頭を下げる。

 祖母は無言で、けれどニッコリと微笑んで会釈してくれた。

 昨日、蓬莱さんを送り届けた沙々子は、しばらく祖母と話をしたらしい。

 話の内容は知らないが、喜ばしい結果になったのは明らかだ。


「お祖母ちゃん、先に行ってるね」

 蓬莱さんが言うと、祖母は頷いた。

「後で、神無代かみなしろさんと一緒に行くから。待っててね」

「はい、行って来ます」


 三人は手を振り、マンションを後にする。

 少し遠回りになるが、大沢さんの家に寄り、合流する。

「今日で、大沢さんと学校で過ごすのは最後だね」

 久住さんは言った。

「でも大沢さん、しっかりしてるから寮生活も大丈夫だね、きっと」

「うん。夏に会えるしね。みんなで動物園に行こうか」

 和樹は、少し暖かさを増した風を吸い、答える。

 

 そうして曲がり角まで来ると、向こうから上野と一戸が歩いて来るのが見えた。

「まーた、一戸くんが代表で答辞を読むんだよね。当然だけど」

「答辞なんて、メンドーなだけじゃん」

「まあね。高校のクラス分け、どうなるかなー」

「あそこ、入試の点数が高い人は『1組』に振り分けられるって噂だよ」

「じゃ、僕は『3組』あたりだな~」

「私は『2組』かな」

 蓬莱さんが微笑み、二人も笑顔で応じた。

 歩道の雪も溶け始め、溜まった泥水を避けながら歩く。

 

 和樹たちに気付いた上野が手を大きく振った。

 春は、手の届くところまで近付いて来た。






黄泉月よみづきの物語 ―― 悪霊まみれの彼女Ⅱ ―― 』に続きます。

 https://kakuyomu.jp/works/16816700428178248114


 次ページの外伝も、合わせてお読みください。

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