第29話

「それって……」

 上野は、唖然と蓬莱さんを見つめた。

 蓬莱さん自身も、呼吸を忘れたように硬直している。

 ミゾレは折り畳みテーブルからジャンプし、蓬莱さんの膝に乘った。

 おじさんは咳払いし、お茶をひと口飲んで、話を続ける。


「村崎七枝さんによると……去年の12月初旬に、行方不明の孫娘の『綾音』さんにそっくりな『蓬莱天音』さんが訊ねて来たそうだ。『東京の伯母さんの家に居づらいから、お祖母ばあちゃんの家に住みたい』と。当然、村崎さんは驚いた。それに、本人が名乗った名前は、お孫さんとは違う。しかし、取り敢えずは家に入れた。お孫さんを名乗る少女が持って来た荷物は、少しの着替えと転入に必要な書類。そして、クマのおひな様の縫いぐるみだけだった……」


「あ……」

 和樹は、小さな声を上げる。

 蓬莱さんのお祖母さん宅にのリビングに飾ってあったのを、思い出したからだ。

「それ、見たことある。縫いぐるみの衣装が、とても豪華だった」


「村崎さんは戸惑いつつも『天音』さんと夕食を摂り、お風呂に入れた。その間に、『天音』さんが持って来た縫いぐるみを調べた。『綾音』さんのご両親が、似た物を贈ったのを知っていたからだ。有名メーカーの限定品で、シリアルナンバーが付いている。縫いぐるみのタグのシリアルナンバーは『11』……。『綾音』さんは『私のとしと同じだ』と喜んでいたらしい」


 おじさんはスマホを操作し、写真を表示して見せた。

 そこには、今よりも幼い蓬莱さんと、縫いぐるみのひな人形が写っている。

「僕が見たのと同じ縫いぐるみだ……」

 和樹は嘆く。

 写っている少女も、蓬莱さんにしか見えない。

 蓬莱さんも真っ青な顔で、ディスプレイを食い入るように見つめている。

 

 おじさんはスマホをテーブルに置き、トーンの落ちた声で話す。

「村崎さんは非常に悩んだ。孫そっくりの少女は、本物の孫なのか。ひょっとしたら事故のショックで、記憶の一部を失っているのかも知れないと考えた。けれど、東京に住むお父さんの親類に確かめるのは、怖くて出来なかったらしい」


「あの……村崎さんの娘さんが、綾音さんのお母さんってことですか?」

 上野がコソッと訊ね、おじさんはうなずいた。

「村崎七枝さんは旦那さんの暴力が原因で離婚し、一人娘の香織さんを育て上げた。香織さんは東京で就職し、そこで祐一さんと出会って結婚し、綾音さんが生まれた。祐一さんの名字が『蓬莱』だった。実は『村崎』は珍しい名字で、香織さんの意向で、結婚後の祐一さんは奥さんの名字を名乗ったそうだ」


「私……この写真、覚えてない……」

 蓬莱さんは消え入る声でささやき、目頭を押さえる。

「こんな写真、知らない……シリアルナンバーのことも……」


「天音ちゃん……」

 和樹は、久住さんが彼女を名前で呼ぶのを初めて聞く。

「心配いらないよ……友達だよ、あたしたち……」


「蓬莱天音さん……君に悪意が無いのは分かっていますよ…」

 おじさんは優しく慰めたが、蓬莱さんは顔を伏せた。

 髪が顔に掛かり、その表情を覆い隠す。

「岸松さん……私は、いったい何者なんですか…?」


「村崎七枝さんは、私に言った。行方不明の綾音とそっくりな子を、どうしても追い出せなかった。『お祖母ちゃん』と慕ってくれる天音ちゃんを、追及することも出来なかった。世間にバレなければ、ずっと……とね」

 おじさんはスマホを蓬莱さんの前に移動させ、慈愛に満ちた声で言った。

「君は、村崎七枝さんのお孫さんですよ……」


「お祖母ちゃん……!」

 蓬莱さんは、崩れ落ちるように号泣した。

 沙々子は立ち上がり、蓬莱さんの横に屈んで、肩を抱き締める。

 久住さんも泣き出し、ミゾレはニャアニャアと鳴く。

 上野も目尻を指で拭った。




「そして蓬莱さんは……二学期の終業式の日に、僕たちの学校に転校して来た…?」

 蓬莱さんの嗚咽おえつが収まった頃、和樹は呟き、おじさんが続けた。


「そう。その前夜、和樹の身に怪異が起きた。亡き父親の裕樹くんの幽霊が、浴室に現れたのだ」

「へ?」

 上野は甲高い声を上げる。一戸も眉を寄せ、おじさんに訊ねる。

「すみません。浴室に現れたのは、和樹くんのお祖父じいさんじゃないんですか?」


 無理もない。

 上野に「笙慶さんは、和樹の母親を好きなんじゃ?」と指摘された手前、現れた幽霊は祖父だ、と嘘を付いていたのである。

 

 おじさんは少し考え込み、嘆息した。

「それは……嘘だ。和樹が嘘を付いたのは……お母さんを、驚かせまいとしたんじゃないかな?」

「……薄々、気付いてました」

 沙々子はソファーの横に正座し、折り畳みテーブルの上の半紙を眺めた。

「浴室に残る気配は……亡き夫のものでした。けれど……私も、和樹を追及できませんでした。和樹が必死に、真実を隠そうとしている……何か、大変な事態だとは察しましたが……真実を知るのが怖かったのです。村崎七枝さんのように……」


「お前は、子供のころから勘が鋭かった。建て替え前の私の実家の、仏間を怖がっていたな。とにかく、父親の幽霊と、お前は話をしたんだな?」

 おじさんに聞かれ、和樹は答える。

「はい。明日、転校してくる『蓬莱天音』さんを護れ。彼女は、『悪霊』に取り憑かれている、と」


「そして?」

「翌日、本当に蓬莱さんが転校して来ました。その肩に、『悪霊』らしき手が乘っていました。その夜も父が来て……浴槽の湯の中に『三途の川』の水を混ぜるから、『幽体離脱』して底に潜れ。底の『魔窟まくつ』に到達したら、そこで『悪霊』を倒せ、と言われました」


 和樹も自分のスマホを出し、ササッと操作してメモ画面を表示すして見せる。

「『幽体離脱』した僕の霊体は、『神名月かみなづきの中将』……この字を当てます。白い小袖に袴、着物を二枚羽織って、烏帽子えぼしを被って、刀を持ってます」


「『魔窟』には『悪霊』しか居ないのかね?」

「最初の外れの村には、『方丈ほうじょう』と名乗る老人がいました。現代のゲームとかの知識もある、影のように黒い姿をした不思議な人です。蓬莱さんのことを知ってるようでした」

 

「上野くんと一戸くんも、一緒に闘うようになった訳だね?」

「あ~、僕の場合は、諸事情で『顔面』を盗られまして」

 上野はブレザーのポケットから醤油さしを取り出し、テーブルに置いた。

 ブワッと顔面が消え、久住さんは悲鳴を上げ、沙々子と蓬莱さんは息を呑む。

 再び醤油さしをポケットに入れると顔面は戻ったが、久住さんはワナワナと震えたままだ。

 沙々子は湯呑みを取って差し出し、久住さんは温かさの残るお茶をすする。

 彼女が落ち着いた頃合いを計り、おじさんは説明を再開した。


「この醤油さしは『三途さんずの川』の水が混じった物を入れている。持っていれば、その効力で彼の顔は、普通に見えるようだ」

 おじさんも、ジャケットのポケットから醤油さしを出す。

「一戸くんも、持っているね?」


「はい……この家を訪ねた時に、上野くんに『御守りだ』と言われて、百円で買いました。その後に僕も『悪霊』に取り憑かれたらしく、『魔窟』に引き込まれました。彼らに助けられたのがきっかけで、一緒に闘うようになりました」


「ミゾレは、僕が醤油さしを久住さんの家に落として、それを噛んで中身を舐めたらしいです。『魔窟』に来ると、少女の姿になって闘ってくれます」

 和樹が言うと、久住さんは目を丸くする。

 『コックリさん』を見せられた時は、怪しい勧誘でも受けるのかと思ったが、事態はそんな生易なまやさしくは無いらしい。

 

「そして昨日の闘いで、『悪霊』に取り憑かれた宇野笙慶しょうけいくんの霊体が君たちを攻撃し、現れた裕樹くんの霊体が君たちを救った。裕樹くんは消滅したかに思われたが、蓬莱さんの霊体『月窮げっきゅう』が現れて……」

「はい。父さんの霊体は、『魔窟』の中心に居る『蓬莱の比丘尼びくにさま』が保護していると教えてくれました。『比丘尼さま』は、もうひとりの『私』だと……」


「君たちにも、あちらの世界での名前があるのだろう?」

 おじさんは上野と一戸に訊ね、一戸が答えた。

「僕は、『雨降り』の『雨』に『月』と書いて『雨月うげつ』。上野くんは、二月の古い呼び名の『如月きさらぎ』。そして猫のミゾレが『美しい名前の月』の『美名月みなづき』です」


「和樹を含め、それは君たち自身で考えて付けた『名』かね?」

 おじさんは訊き、和樹は首を振った。

「いえ……以前、三人で話し合ったんですが、三人とも……自分の名がだと思ったんです」



「やはり、君たちは『この世ならぬ世界』に深く関わりを持つ者なのだよ」

 おじさんは断言する。

「私も醤油さしの中身を触ってみたが、何も起きなかった。君たちは、私とは違う。何らかの、大きな使命がある」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る