第11章 誓い Ⅱ

第28話

 和樹たちの中学校卒業式の前日。

 早朝から粉雪が舞っていた。

 家を出る前に見た朝のローカルニュースで、昨夜の事故の現場映像が映った。

 コート姿の男性リポーターが、電柱に激突した自家用車を背景に立つ。

「昨夜、市外国道を走行中の自動車が、電柱に激突して大破しました。運転していた男性は、打撲と右腕を骨折する重傷を負いましたが、命に別状は無いとのことです。原因は、凍った路面でタイヤがスリップしたものと思われますが、ブレーキ痕が無いことから……」


 電柱の周りには、パトカーと数人の警官も映っている。

 和樹は鬱々うつうつたる顔でダッフルコートに袖を通し、見送る母の沙々子に言う。母も昨晩は寝ておらず、目元が腫れている。

「……じゃあ、病院に行って来る」

「気を付けてね。千佳ちゃんたちが来るまで、帰って来てね」

「うん……久住さんにも説明するよ」

 和樹は玄関ドアを閉め、エレベーターを降りる。

 

 

 マンション正面玄関前の道路には、岸松おじさんの軽自動車が停まっていた。

 これから、昨夜の事故で大怪我をした笙慶さんの見舞いに行く。

 面会できないかも知れないが、帰りには一戸も連れて来る。

 昨夜、事故の一報を一戸から受け取り、すぐに岸松おじさんに電話をした。

「全てを説明した方が良い。これ以上の犠牲を出さないために」との岸松おじさんの提案で、和樹の家に全員が集まり、今後の対応も検討することにしたのだ。




 そして1時間半以上後に、和樹は病院から戻った。

 一戸と岸松おじさんも一緒だ。

 予定よりも少し遅い帰宅になり。狭い玄関には訪問者たちの靴が並んでいる。

 上野のショートブーツと久住さんのローファー、蓬莱さんのブーツが在る。

 母は、笑顔で三人を迎え、岸松おじさんと一戸のコートを預かる。

 リビングでは、上野たちが待っていた。

 蓬莱さんと久住さんはソファーに座り、久住さんの膝には猫のミゾレが寝ている。

 上野は座布団の上に座っており、テーブルの上には、人数分の紅茶のカップと書道に使う半紙が在る。

 半紙には、ひらがな46文字と、「が」のような濁点文字、「ぱ」のような半濁点文字が墨で書かれ、横には10円玉が1枚だけ置いてある。


「みんな、集まったな……」

 スーツ姿の岸松おじさんは、上野たちを見回す。

「千佳ちゃんとは、前に会ったことがあったね。上野くんと蓬莱さんは、初めましてだね」

「はい。和樹くんのお母さんから、話は聞きました。上野昌也です」

「初めまして……蓬莱天音と申します」

 二人は頭を下げ、おじさんは頷いた。

「『つぼみ屋』さんのを買って来たよ。君たちの口に合うかな?」

「はい、せっかくなので頂きます」

 

 上野は立ち上がり、傍らに積んであった座布団を敷く。上野の隣には一戸が、その隣には和樹、そしておじさんが座る。

 男子は三人とも制服姿で、久住さんはセーターにデニムパンツ、蓬莱さんは厚手のシャツにタイトスカートだ。

 母の沙々子はカップを下げ、人数分のお茶を煎れて持って来た。

 おじさんが持参したお菓子は箱ごとテーブル中央に置き、半紙を少しズラす。

 そして沙々子は久住さんの隣に腰かけ、久住さんを覗く面々は、緊張した面持ちで視線を交差させる。


「あの……一戸くんの叔父さまは、大丈夫だったんですか?」

 久住さんは、和樹に訊いた。

 一戸の沈んだ顔を見ると、本人には訊くのは躊躇ためらわれたのだろう。


「退院まで一ヶ月。リハビリ含めて三ヶ月だって聞いた」

「……早く治ると良いね」

 久住さんは一戸に言い、一戸はコクリと頷く。

 

 今朝、突然に「午後の13時半ごろに、僕の家に来て欲しい。ミゾレも一緒に」と、和樹が直々に訪れたのである。

「一戸の叔父さんが、交通事故で大怪我をした。上野たちと、お見舞いの相談をしたいから、来て欲しいんだ。蓬莱さんも来る」とも言われ、すぐに承諾した。

 お見舞いの相談に、どうしてミゾレが必要なのか分からなかったが、ミゾレを和樹の家に連れて行くのは初めてでは無い。

 両親は仕事で留守だし、久住さんは和樹の言葉に従った。


 そうして来てみれば、上野は何故か制服を着ており、沙々子の目の下には黒いクマがある。

 テーブルの上の半紙と10円玉は、ホラー漫画で見た『コックリさん』のようだ。

 沙々子の職業柄、決して無縁なアイテムでは無いが、実際に見たのは初めてだ。


「ちょっと待ってね、千佳ちゃん」

 沙々子は再び立ち上がり、壁際に立て掛けていた折り畳みミニテーブルの足を開き、ソファーの端に置いた。

 そして半紙と10円玉を、そこに移動させる。

「ミゾレちゃん……あなたの名前を教えて」

 沙々子が言うと、ミゾレはピョンとミニテーブルに飛び乗り、10円玉の上に右手を置いた。

「千佳ちゃん、良く見てて。これは、トリックでは無いの」

「はい……?」


 久住さんは訳も分からずに、ミゾレを見降ろす。

 すると、ミゾレ半紙の上の10円玉を移動させ始めた。

 ひらがな一文字の上に移動すると、10円玉を止めて前足を軽く叩き、次の文字に移動させる。


「あ・た・し・の・な・ま・え・は・ふ・ら・ん・ち・え・す・か・で・す……」


 読み上げる久住さんの声は、次第に震えを増す。


「げ・つ・き・ゆ・う・の……お・ひ・め・さ・ま・の・か・い・ね・こ・で・し・た……」


「『げっきゅう』は、こう書くのだよ……おそらく」

 おじさんはスマホを取り出し、手早く操作して、変換した文字を見せる。

「『月窮』……『げっきゅう』とは『師走しわす』、すなわち『12月』の古い言い回しのひとつだ。久住さん、君は『フランチェスカ』と名前に覚えがあるね?」

「はい……テレビ番組で観た……昔の絵に描かれた女性の名前です」

「ミゾレも、その番組を観ていたね?」

「はい……抱っこして、観ていました……」


 久住さんは、口を半開きにして、ミゾレを見る。

 トリックで無いことは明らかだ。

 ミゾレは、ここ数ヶ月は自宅の外に出て居ない。

 家族の誰もが、『文字をなぞる芸』など仕込んでいない。

「これ、どういうことですか…!?」

 

「久住さん……不審に思うのは当然のことだ。だが君の身の安全のために、この場に来て貰った。順番に説明しよう」

 おじさんは座布団から降りて後退あとずさり、後ろのカーペットの上に正座する。

「みんな、本当に済まない。全ては、私の責任だ!」

 おじさんは声を絞り出し、額を床に着けて土下座した。


「大人のくせに……和樹、上野くん、一戸くん……蓬莱さん。君たちの力になろうとしなかった! 君たちを助けようとしなかった! 知っていた事実を、すぐに伝えようとしなかった! まるで実験体を見る研究者のように、君たちを観察していた! その結果が、一戸くんの叔父さんの事故だ! 一戸くんの叔父さんとも、話し合って置くべきだった! 本当に情けない!」


「……岸松さん……」

 沈黙していた一戸が力なく呟き、おじさんは額を床に擦り付ける。


「和樹のお父さんが言ったそうだね……『子供たちに、人をあやめさせる訳にはいかない』と。全くだ……何と私は愚かだったのか……どうして、そんな簡単なことに気付かなかったのか……」

「……ヒロちゃん……」

 沙々子は夫の名を呟き、顔を押さえて涙を流す。


「和樹くんのお父さまって……どういうことなんですか…?」

 久住さんは、泣き崩れる沙々子を慰めるように、肩を抱く。

 すると、和樹が弱々しく答えた。

「母さん……父さんの魂は無事だから、泣かないで。蓬莱さんが護ってくれてる」

「え……?」

 久住さんは、左隣に座る蓬莱さんを見た。

 蓬莱さんは両手を握り締め、首を小さく振る。

「でも……私にも分からないんです……『月窮』と名乗った私は、本当の私なのか」



「みんな……時系列を追って、説明していく……」

 おじさんは顔を上げ、全員を見渡して話し始める。

 沙々子を覗いた全員が、固唾を呑んで聞き耳を立てる。

「一昨年の夏のことだ。関東地方の山道で、自動車事故が起きた……。地方新聞社のニュースサイトを調べて、該当の記事を見つけたよ……」

 

 おじさんは、またスマホの画面を操作する。

 そして、みんなに向けたディスプレイには、記事が表示されていた。

「写真は表示できなくなっているが、この記事だ。一家三人が乘った乗用車が崖下に転落……。五日後に乗用車は発見されたが、乗っていたと思われる一家三人は見つからなかった。着衣の断片は発見されたが、ご遺体も血痕も見つからなかった……」


「三人……?」

 蓬莱さんは、不思議そうに訊ねる。

「そう、三人だ。事故車に乗っていた家族は『村崎祐一・香織』夫妻と、中学生の娘さん……13歳と表記されている」


「『村崎』さん、って……」

 和樹は身を乗り出す。

 蓬莱さんの、お祖母さんの名字だ。

「それ、どういうことですか!?」

 和樹は、おじさんに詰め寄る。

 蓬莱さんから聞いた話と、おじさんの話は異なっている。

「事故で行方不明になったのは、蓬莱さんのご両親だけじゃないんですか!?」


 しかし、おじさんは和樹を無言で制し、柔和な表情で蓬莱を見つめた。

「『蓬莱天音』さん……私は先月に、あなたの祖母の『村崎七枝』さんに会ったのですよ。知人が村崎さんの知り合いだったそうで、村崎さんの悩みを聞いてあげて欲しい、と言われました。これでも、人生相談など請け負ってる身でして」


「祖母の……悩みって……」


「去年……行方不明の孫とそっくりのお嬢さんが、『お祖母ちゃん』と言って訊ねて来たと。孫の名は『村崎綾音』だけれど……そのお嬢さんは『蓬莱天音』と名乗ったとね」

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