第27話
何が起きたのか、和樹には理解できない。
体も心も硬直し、目前に落下した二人を張り詰めた瞳で眺める。
笙慶さんは両目を開けたまま、俯せに固まっている。
父の裕樹はその下で、仰向けに倒れていた。
チロが二度吠え、一戸は『
「
大きく震える声で訊ね、和樹は重い体を押し出す。
首筋に刺さった
顔から落ちたメガネが、ジュッと音を立てて消滅した。
「父さん……どうして……」
和樹は『
崩れ落ちるように
父の魂が尽き、逝こうとしている。
なのに、何も出来ない。
「……
父は、目を閉じたまま微笑んだ。
「……山の事故で死んだ時は、独りで最期の一夜を明かした……。今度は……息子に見守られて逝ける……悪くない……」
「……父さん……」
「いいか……憎んではいけない……誰も悪くない……母さんを頼む……」
「……………」
父の体から温もりが抜けて行く。
父は口を閉じた。
父の重さが消え、腕の中で一瞬で黒い塵と化す。
和樹は、塵を捕えようと手を握った。
しかし、塵は手を擦り抜けて風に同化する。
「……消えないで……いやだよ……いかないで……!」
和樹は叫んだ。
こんな形で、父と永遠に別れるなど、在り得ない。
まだまだ、伝えなくてはならないことがある。
高校の制服姿も見せていない。
なのに、こんな所で父の魂が消滅するなど、ある筈がない。
「応えてよ、父さん……戻って来て……戻って来てよ…!!!」
すると……周囲が、まばゆい光に包まれた。
目を開けられないほどの強い光だけれど、それは柔らかく体に染み入る。
芳香があふれ、せせらぎの音に混じって鳥のさえずりが響く。
碧い空の色が、瞳の奥を流れる。
果て無い緑色の草原の向こうに、人影が在る。
その人は、長い黒髪を風に揺らし、
いつか見た光景が、奥から
「……あれは……!」
上野が叫んだ。
呆然としていた和樹と一戸は、そちらに顔を向ける。
静止していた地蔵さまたちが、ずり下がりながら左右に分かれる。
開いた道の向こうから、人が近付いて来る。
それは、蓬莱さんだった。
濃い桜色の着物を頭から被り、胸の辺り真紅の帯で結んでいる。
下には、若草色と黄色の着物を重ね、白足袋に赤い鼻緒の草履を履いている。
蓬莱さんは地蔵さまの間を静々と歩き、近付いて来る。
その
「お姫さま…!」
フランチェスカが叫び、走り寄る。
蓬莱さんは立ち止まり、フランチェスカは手前に座り込んだ。
「お姫さま……お姫さまだ……! あたし、気付かなかった……初めて、ご主人様のお家に来た時……家に居たのに、判らなかった……!」
フランチェスカは蓬莱さんの桜色の着物の裾に触れ、大泣きに泣き出した。
「『
「ふぁい……そうれぢゅ……お姫さまの飼いにぇこだったみなじゅきでじゅ……」
「
今度は上野が叫ぶ。
チロを抱いたまま、蓬莱さんの手前に走り寄り、片膝を付く。
「……姫さま……思い出しました! 我々は……」
「どうか立ち上がってください、
蓬莱さんは膝を少し折り、少し微笑んだ。
「二人とも、なかなか個性的な装束を
「いや、これは……父の買って来た絵が」
「あ、あ、あの、テレビの影響でぇ……」
「そのままで良いと思いますよ。……私は、皆さまの仲間として、ここに参上いたしました。私をここに導いたのは、中将さま……あなたのお父上です……」
「え……」
「その……私の家の浴室に……『息子たちを救って欲しい』と
「父さんが……でも……」
「心配は要りません。あなたのお父上の魂は、もうひとりの私が保護しました。この『
蓬莱さんは胸元の帯を外し、桜色の着物を倒れている笙慶さんに掛ける。上の着物を脱いだので、彼女が長い髪を束ねていたのが見えた。
「この方も、命に別状はありません。けれど長居は危険です。
「は、はい……姫君…!」
蓬莱さんは笙慶さんの頭を膝に乗せ、一戸は言われるままに立ち上がった。
放置していた『白峯丸』を取り、勢い良く先端の刃を叩きつける。
すると、目前の『
錆にまみれていた体は、古い塗装が剥がれ落ちるように、見る見る金色に変化し、
憑いていた『悪霊』が滅したのだろう。
地蔵さま方も、何事も無かったかのように整列して並んでいる。
「よもや、そなた
「……ひょっとすると、あちらの世界でも、再会できるやも知れぬな……」
「御老体……あなたさまは……」
蓬莱さんは不思議そうに老人を見たが、老人は首を振った。
「この老いぼれのことは、お忘れとお見受けいたします……だが、それで良い……。さあ、皆と一緒にお帰りなされ…」
「はい……。みなさま、私のことは『
そして、まだ呆然と座り込んでいる和樹を見る。
蓬莱さんは、『白鳥の弓』に触れた。
弓は元の太刀に戻り、和樹の手を太刀に触れさせる。
「帰りましょう、中将さま。みなさまの御家族や友人の待つ場所へ……」
和樹は、彼女の手の温もりに誘われ、その名を呼ぶ。
「……
「はい……中将さま…」
蓬莱さんは、少し首を傾けた。
前髪が白い額にハラリと掛かり、和樹の目は
「父さんの魂は……無事なんですね…?」
それだけを聞くと、力が抜けて背中を地面に打った。
だが、痛みは無く……何かに引き上げられて、上昇して行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます