第26話

「うえぇ、悪趣味ぃ~」

 上野は思わず尻を押さえたが、和樹と一戸は目を見開いて笙慶しょうけいさんを見上げた。

「ひょっとして、取り憑かれていたのは学校関係者ではなく、君の叔父さんか?」

 和樹は一戸に語り掛け、一戸は唖然と答える。

「……今日、叔父上は君の家に行ったよな?」

「そうだけど……傍に居ても、全く気付かなかった……」


 和樹は信じられない。

 蓬莱さんのマンションの異変に気付いた母ですら、何も感じなかったとは。


「だから、お主らの頭はカステラのようだと言うたのじゃ」

 方丈ほうじょう老人は言った。

「奴らが『道具』にも憑依ひょういできるのを忘れたか? そこの僧兵が、敵さんの羽織を着て、お主を襲ったじゃろうが」

「その道具を見つけて壊そう! 霊の状態でも、その道具を身に付けている筈だ!」

 和樹は、仲間たちを見回す。

 現実世界の笙慶さんの持つ道具に、『悪霊』が憑いたのは間違いなさそうだ。

 また、霊界での破壊や使用の影響が、現実の世界にも及ぶことも分かっている。

 霊界の縁日で食べ物を買った時、現実世界での自分のお金も減っていた。

 闘いで一戸の背を打った時は、一戸は翌日は体調不良で学校を休んだ。

 笙慶さんの霊体が持つ道具を壊せば、現実世界の道具も壊れ、憑依は解除できるだろう。


「おい、周りのお地蔵さまが来た!」

 一戸が叫び、振り返ると地蔵さまが跳ね寄って来る。

 石の地蔵さまたちは赤いよだれ掛けを付け、ドスドスと跳ねながら四方から迫る。

 ザッと見ても、数百体は居るだろう。

「フランチェスカ、壊してはいけない! 相手はお地蔵さまだ!」

「はぁ!?」

 構えていたフランチェスカは呆れ、一戸をにらむ。

「あいつらにドロップキックされたら、頭にタンコブじゃ済まないわよ!?」

「い、いや、それは…」

「……全く、坊主ってのは、敵に塩を送るクソしか居ないの!?」


「ふん。クソさでは、そやつらに負けぬ自信があるわい」

 方丈老人は白炎の手綱を握ると、ゆっくりと10歩ほど前進させ、停止させた。

 そして杖を掲げ、低い声でおきょうを唱え始める。

 すると、跳ねて迫って来る地蔵さま方は、一斉に立ち止まった。

 大きな声でお経を唱えた訳では無いのに、周囲を囲む地蔵さま全てにお経が届いたようだ。

 

「方丈さま、これは……」

「坊主のさがでのう。地蔵さまを壊させる訳には行かぬわ。それより、バカ笑いしてる坊主を何とかせい。耳障みみざわりじゃ」

「……はい!」


 和樹は『白鳥しろとりの太刀』を、一戸は『白峯丸しらみねまる』を抜く。

 フランチェスカも構え直し、上野はチロを抱いて白炎の傍まで下がった。

 周囲を見回し、敵との距離を目視する。

(巨大ロボットと、地蔵さん祭りの間隔は50メートルってとこか。ロボットが一歩でも動いたら、踏み潰される危険が高い。地蔵さん祭りに踏み込んだら、足を捕られて、立ち回りが難しい。ナシロなら、ジャンプでロボットの左手に乘れるけど……)


 また、身構える三人も同じことを考えてはいた。

「中将。あんた、『羅刹女らせつおんな』の左手にジャンプして、坊主を叩き落しなさいよ! あたしが受け止めるから!」

「それが一番、手っ取り早そうだが……『悪霊』は、彼の所持しているに憑いている。注意しよう!」


 しかし、取り憑かれた笙慶さんは、口角を大きく上げて叫ぶ。

「ヒヒジジイめ! 坊主のくせに、お地蔵さまをイジメるとは許せんなああああ~。羅刹女らせつにょさまに逆らおうとは、生かして置けんなああああ~! だがなあああ~」

 

 笙慶さんは、着物の衿を掴んではだける。

「まずは、この気弱なクソ坊主から始末してくれるわあああああ!」

 そして僧衣の下から、何やら両端がとがった短い金属棒を出した。


独鈷杵とっこしょか!」

 一戸は舌打ちする。

「僧の持つ道具だが、まずい! 並みの人間の霊体がここで負傷したら、肉体も無事では済まない!」


「そうだああああああああ~。確実に死ぬぜえええええええ。ここで死んだら、魂は消えちまうしなあああああああ」

 笙慶さんに憑いた『悪霊』が歪んた声で笑う。

「それになああああああ~! お前らと違って、虫ケラ人間は、ここに5分も居れば亡者になって、永遠に這いずり回るんだよおおおお。でも魂が消えるよりマシだよなあああああああ」


 見ると、笙慶さんの足元が黒く変色し始めている。

 和樹は、ここの『入り口の村』で、意思を失って寝転がる人々を思い出す。

 一戸は、うつむいて呟いた。

「……叔父上……」


「どうした、若坊主うううううう。こやつの魂を消すか、亡者にするか選びやがれええええええ!」

 『悪霊』は歓喜して笑う。

 一歩でも動けば、間違いなく『独鈷杵とっこしょ』を笙慶さんの首筋に突き立てるだろう。

 しかも、地面が揺れ始めた。

「巨大ロボットを動かす気だ! チロが言ってる! 独鈷杵とっこしょの臭いがきつくなってるって!」

 上野の言う通り、『羅刹女らせつにょ』は左右に揺れている。

 半開きのまぶたがカッと開き、め込まれた黒い石の瞳が、無気味に輝き始めた。

 


独鈷杵とっこしょに『悪霊』が憑いてるのは確かだ……雨月うげつ!」

 和樹は一戸を見やり、『白鳥しろとりの太刀』を鞘に戻した。

 太刀は白い光を放って、弓型に変形する。

「君の叔父さんの……独鈷杵とっこしょを持つ右手を狙う」

「……分かった……」

 

 一戸はうなずいた。

 独鈷杵とっこしょごと右手のひらを、矢で射る作戦だと理解する。

 だが、笙慶さんの肉体も、確実に右手を失うだろう。

 生命力次第では、心臓が止まるかも知れない。

 けれど、『魂』だけは救わなければならない。

 

 彼らのいさぎよすぎる決断に、上野は唾を呑み込む。

 何か方法は無いかと、うかがいを立てるように、方丈老人を振り返った。

 『羅刹女らせつにょ』を制御するすべが無いか訊きたかったが、しかし老人は気付かぬ素振りで、お経を唱え続けている。

 地蔵さまを足止めするのが、精一杯なのかも知れないが……

 

 


「構えてみややがれえええええ! こいつの首を一突きにしてやるうううううう! このクソガキがああああ! お前を殺して、お前の母親と結婚してやるうううう!」

 『悪霊』は和樹の決断を察して絶叫し、一戸は無言で和樹を見つめる。

 和樹は覚悟を決め、上を見た。

 『羅刹女らせつにょ』の剣を持つ右手が少しずつ上がる。

 大きな袖が動き、塵が舞い上がり、重い風が吹き付ける。

 だが、突風などで『白鳥しろとりの矢』はブレたりしない。

 霊力に満ちた矢は、主の意志のままに正確に標的に向かう。

 だが、矢を射た直後は『羅刹女らせつにょ』の剣の一撃を避けられないかも知れない。

 真っ二つにされたら、さすがに本体の心臓も停まるだろうが……。

 

(また、やり直せば良い……)

 『神名月かみなづきの中将』は、自分に言い聞かせる。

(我々は……『月窮げっきゅうの姫君』の加護のもと、何度でもよみがえる!)


「……フランチェスカ、雨月。ふたりとも左右に避けてくれ。後は頼む」

 和樹は沈着な声でささやいた。

 和樹は目にも止まらぬ速さで弓を構え、『羅刹女らせつにょ』の右腕が動く。

『悪霊』は、独鈷杵とっこしょを持つ手を振り上げる。


 空気がぶつかった。

 地面が軋み、粉塵が頭上まで舞い上がる。

 その粉塵の向こうに、信じられない光景が在った。


 和樹の腕は硬直し、フランチェスカは叫ぶ。

「なに!? 誰よ、あれ!?」

 


「てめええええええええ! どこから来やがったああああああああ!」

 『悪霊』に憑かれた笙慶さんの瞳が、憎悪に揺れる。

 笙慶さんの背後に現れ、脇を左手で押さえ、独鈷杵とっこしょを持つ右腕を押さえているのは、和樹の父の裕樹だった。

 黒いスーツ姿で、口を一文字に結んで、笙慶さんを押さえ付けている。


「父さん…!?」

 和樹は、混乱する。

 何故、父がこの場に居るのか理解できない。

 父は、『魔窟』には来れない筈だ。

 並の霊体では、ここの『霊気』には耐えるのは極めて難しい。

 だが……


「子供たちに、人をあやめさせる訳にはいかないんだ!」

 裕樹は叫んだ。

「このお坊さまには生きていて欲しい……!」

 

「このヘナチョコ野郎があああああああ! せろおおおおおおお!」

 『悪霊』は悪鬼の形相で、笙慶さんの右手首を半回転させた。

 嫌な音が響き、裕樹の手が振り解かれる。


「消えろおおおおおおおおおおおおお!」

 『悪霊』の右腕は、関節が外れたように捻じ曲がった。

 握り締めた独鈷杵とっこしょを、目にも止まらぬ速さで振り落とす。


 和樹は言葉を失った。

 槍のように尖った独鈷杵とっこしょの先端が、父の首筋を深々とえぐった。

 しかし、伸ばした父の手は『悪霊』の左手首を掴む。

 二人は、『羅刹女らせつにょ』の足元に落下した。

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