収納魔法がとにかく凄い

 RPGとかやってるとアイテムの数が物凄いことになったりしませんか?

 ボス戦やラスボス戦の前ともなると、回復アイテムなんかは持てるだけ持って行ったりしますし、生産系のレベル上げとかだと素材アイテムを集められるだけ集めたりしますよね。ゲームによってはアイテムごとに重量が設定されていて、一定以上のアイテムを持つと動きが遅くなるなどのペナルティが課せられる場合もあったりしますが、大概のゲームでは重量や大きさに関係なく一品目あたり99個までとか、一つのスペースに同一品目を99個までとかいうような個数制限しかなかったりします。あるいはデータ処理上の都合で上限の数値が65535(16進数のFFFF)の場合も稀にあったりしますね。

 ともあれ、一部の例外を除きそれだけ膨大なアイテムを持ちながらも、主人公キャラは自由に動けるし見た目は全く普通でとてもそんなにたくさんの品物を持っているようには見えません。しかも、収納したアイテムは腐ったり経年劣化したりしなかったりするんですよ。凄いですねぇ~、冷蔵庫や冷凍庫なんかよりよっぽど凄くないですか?


 これは創作世界における、いわゆる「四次元ポケット」とか「収納魔法」とか「アイテムボックス」とか呼ばれているシステムですね。以後、ここでは「収納魔法」と統一表記します。


 もちろん、こういったシステムは現実にはあり得ず、昨今の異世界ファンタジー作品を始め様々な創作作品の中でこれを揶揄やゆするように扱われる例も増えて来ました。同時に、自作品の中でどれだけこのシステムを合理化するかに注意を払う作者さんも増えてきていて、たとえば「このマジック・バッグ一つで六畳間くらいの容量」とかいうような設定がなされた作品も出てきています。

 ですが、まだどの作家さんもこの収納魔法の存在が世界にどれだけ物凄い影響を与えることになるのかまでは、きちんと考えることができていないような気がします。まあ、実際にそれを追求しはじめるととんでもないことになるんですよ。


 歴史上に興った数々の帝国、その膨張と発展の限界は経済活動の限界によってもたらされました。戦争もそうです。軍隊の活動は兵站力へいたんりょく(補給物資を供給する力)に依存し、兵站へいたんの都合によって制約を受け、兵站の破綻によって崩壊しました。でも収納魔法があれば、そうした経済活動の限界、兵站の限界…すなわち物流の限界という足枷あしかせから解放される可能性があるからです。


 では、まずは人間一人で膨大な貨物を容積や重量を無視して運ぶことができるという収納魔法があれば、いったいどれだけ物凄いことになるのか考えてみましょう。


 現代のような自動車などの機械的な移動・運搬手段の無い世界で貨物を運ぶ手段はといえば、まずは船でしょう。次いで馬車や手押し車、貨物を駄獣に背負わせるに荷駄、そして人力といったところです。基本は人力でしょうかね?


 では人間一人でどれだけの荷物を運ぶことができるでしょうか?


 明治~昭和初期ぐらいの記録をあさってみると女性が米俵を5つ背負って運んでいる写真を見つけることができます。米俵1俵が約60㎏ですから5つで300㎏にはなります。凄いですね。ですが、もちろんこれは倉庫から隣接する倉庫へ、あるいは荷車へ、船へと運び込む作業の様子であって、運ぶ距離は短いし歩く場所もキレイに整地されています。間違っても300㎏もの荷物を背負って起伏の激しい山道や未舗装の道路を延々と運び歩くわけではありません。

 険しい地形だからこそ車両等が入れず、徒歩で貨物を運ばねばならない山岳地帯などでは歩荷ぼっか剛力ごうりきと呼ばれる人たちが現代でも荷物を背負って運んだりしています。ヒマラヤのシェルパなんかもそうですね。現在の日本ではごく一部の地域でのみ残っていますが、山小屋に飲料水や食料等必要な物資を供給する重要な役割を果たしています。彼らの場合は100㎏を超える荷物を背負って運びます。一回の輸送業務で運ぶ距離は数㎞から十数㎞といったところでしょうか。もちろん、誰にでも務まるような仕事ではなく、それなりに優れた身体能力が求められます。


 意外なくらい凄い輸送力ですが、これらの人々は荷物を運ぶことに専念できるからこそ、これだけの荷物を背負って運ぶことができるのだという点には注意を払う必要があるでしょう。決まったルートを一日で往復するだけなので、たとえば途中で宿泊する用意などはしていません。衣類も薄着だったりして、持ち歩いたとしても貨物以外ではせいぜい雨具と水筒と弁当ぐらいだったりすることもあります。

 異なる国へ、あるいは異なる街へ、数日がかりでとなるとそう言うわけにもいかなくなります。途中で寝る必要もあるし、食事を摂る必要もある。治安の悪い場所なら防具や武器などをたずさえる必要もあるかもしれません。


 実際、江戸時代の史料によれば、軍役ぐんえきの際の小荷駄こにだ(現代で言う輸送部隊のこと)の人夫にんぷ(ここでは荷物を担いで運ぶ人員のこと)一人当たりの貨物量は約15㎏と定められていました。本人が鎧や刀などで武装して、自分の着替えなどの私物も運ばねばならない以上、その程度の荷物しか運べないわけです。

 そして、その貨物の中には自分たちで食べる食料も含まれます。


 現在の軍隊では兵士一人を生かすために必要な物資は一日約4㎏と考えられているのだそうです。もちろん、武器弾薬の重量は別で、あくまでも戦闘とか関係なしにの量です。

 その内訳についてはあいにくと存じませんが、人間が一日2ℓの水を必要とすることを考えると、必要とされる物資4㎏の内の半分は水になりそうです。更にその半分チョイが食料といったところでしょうか?先述の江戸時代の史料でも、兵士一人の1日分の食料は約1㎏(米6合、塩0.1合、味噌0.2合)と定められていましたから、それほど見当違いな予想でもないと思います。


 もしも小荷駄の人夫に10㎏の荷物を運ばせようと思ったら、そして途中で補給を受けられないのであれば、その小荷駄の人夫は5日間しか活動できないということになります。15㎏の運搬能力のうち10㎏を貨物に割いたら、空いてる余裕分で運べる自分用の食料は5日分しかないからです。


 歩荷や剛力の例を考えると人間でも結構運べそうなのに、意外と大したことありませんね。まあ、自分が実際に荷物を担いで運ぶことを考えると15㎏は結構な重荷ですから当たり前と言えば当たり前なのでしょう。

 でもこれだとあまりにもショボすぎます。これで仮に100人の兵士を前線で10日間働かせようと思ったら、前線兵士の分だけで合計で1トンの食糧を用意する必要があります。これを小荷駄の人夫だけで運ばせようと思ったら、小荷駄自身が消費する食料が1人10㎏なので人夫一人5㎏分しか運ぶことができないということになり、1トン運ぶためには200人が必要と言う事になってしまいます。


 100人の前線兵士を支えるために200人の小荷駄…えらく効率が悪いですね。実際は小荷駄を往復させるなどしてもう少しマシな割合にはなるのですが、仮に途中で補給を得る当てがなく、すべてを手弁当でやろうとするとそうなってしまいかねません。所詮は人間一人の輸送力なんてその程度と言う事です。

 ではそのショボい輸送力を補うためにどうするかというと、馬などを使う事になります。荷駄にだっていう奴ですね。


 馬に駄載ださい(馬等動物の背中に背負わせること)できる貨物量はというと、先述の江戸時代の史料によると約94㎏と定められていました。人間(歩荷)より少ないですが、日本の在来種の馬は現在“ポニー”と呼ばれている小柄な馬と同じくらいの体格なので、それくらいが限界なのでしょう。もっと古い時代の史料によると馬一頭に約120㎏の荷物を載せることを標準としていたようですが、馬の負担軽減のために後に94㎏にまで減らされたようです。

 でも、その程度の能力じゃ甲冑かっちゅうを着込んだ騎士とか乗せられないんじゃないの?と思われた方もおられるかもしれません。海外で…特に西洋でフルプレートの甲冑を着こんだ重装騎兵が乗る馬は全然違います。あれはペルシュロン種などの重種の馬で、体格が全く異なるのです。ペルシュロンを在来種にかけ合わせることで生まれた北海道の馬道産子どさんこなんかだと、駄載能力は100㎏~250㎏にまで達します。


 日本では道路事情が悪かったために馬による輸送はもっぱら駄載が行われ、馬車はほとんど普及しませんでしたが、仮に馬車での輸送となると馬一頭でだいたい1トンくらいの物資が輸送可能になります。人間でも現在のリヤカーの標準的な積載量がだいたい350㎏で軽トラックと同じくらい。現在日本の法律で許容されるリヤカーの最大積載量が750㎏ですから、人間でも台車を使えば軽トラック一台分くらいは運べそうです。もっとも、それは今の鉄パイプとゴムタイヤを組み合わせたリヤカーの話であって、大八車だいはちぐるまなどのような木製の荷車をとなると積載量はもっと少なくならざるを得ないでしょう。車自体が重くなるからです。


 人間が担ぐ場合に比べるとだいぶマシになりましたね。ただ、馬の場合問題なのは人間よりも食べるということと、馬を世話をするための人間が別途必要になることです。

 馬なんてそこらに生えてる草でも食べさせとけばいいじゃないかとお思いになる方もいらっしゃるかもしれません。実際、野生馬は草を食べて生きているわけですしね。ところが、野生馬は荷物も背負わず、人も載せず、車もそりも曳かずに身軽な状態で走り回るだけです。荷物を背負わせ、あるいは人を乗せ、車や橇を曳かせて働かせると草だけでは足らなくなってしまいます。同じ馬でもさせた仕事によって消費するエネルギー量が全く違ってくるからです。


 馬の消化器は牛や羊のように複数の胃袋で反芻はんすうを繰り返す機能が無いので、草を効率よく消化できません。エネルギー効率の悪い草だけを食べさせて必要エネルギーをまかなおうとしても消化が間に合わず、体そのものを消耗してドンドン痩せ細っていき、最後は死んでしまうのです。

 牛の場合は車も曳けるし荷物も背負えますし、馬と違って反芻動物なので草だけでも必要エネルギー量を賄う事が出来ます。が、反芻動物が草を消化吸収するためには長い時間が必要で、仮に牛で荷物を運ぼうとする場合、牛には一日当たり6時間もの時間を食事のために確保してやる必要が出てきます。だから牛は輸送用駄獣だじゅうとしてはほとんど使われないんですね。


 とまれ、働かせる馬には草ではなく、栄養価の高い穀物などの飼料を与える必要があるのです。そして、その量は仕事量にもよりますが、人間の6~8倍に達します。実際、前述の江戸時代の史料によれば、荷駄用の馬には大豆や米糠こめぬかなど一日あたり6㎏の飼料を用意することが定められていたりします。


 前述の江戸時代の基準に従い、人夫一人の積載量を15㎏、馬一頭の積載量を96㎏と定めたとして馬一頭で運べる貨物量は人夫の6.4倍…馬一頭につきくつわをとって曳いてやる人夫が一人必要になりますから、その人夫にも荷物を背負わせたとして、人夫と馬で会わせて人夫一人よりも7.4倍の輸送力です。だけど馬は餌として穀物を人間の6倍必要とし、さらに轡をとって運ぶ人夫も一人分を消費しますから、必要となる食料は小荷駄人夫の7倍。

 7倍のコストで7.4倍の荷物を運ぶ計算になります。こう考えると、荷駄の輸送コストパフォーマンスは意外と低いですね。せいぜい、人夫の頭数を圧縮できると程度の効果しかないようです(それだけでも雇う側にとっては大きい意味がありますが)。


 海外だと前述したようにペルシュロン種などの大型の重馬も存在しますし、道路事情が優れている地域になれば荷馬車での輸送が可能になるのでだいぶマシになります。馬一頭御者一人で荷馬車を曳けば、小荷駄人夫の9倍の穀物コストで60倍もの貨物量を輸送可能になるのですから、コストパフォーマンスは7倍を超える高効率を期待できるわけです。

 そのためには事前に「ローマ街道」のような舗装道路を整備しておく必要がありますし、馬車が壊れてもすぐ治せるような施設も要所要所に点在させておく必要も出てきます。


 この、道路を整備しておく必要があるっていうのがまた大きな足枷あしかせになりますよね。


 仮に戦争をすることを考えた場合、侵攻するための道路を造らせてくれって敵国に頼んだところで認めてくれるわけはありません。日本なんて戦国時代が終わって平和な江戸時代になっても、領国の防衛のために道路整備をあえて行わなかった大名家がたくさんあったわけですからね。道路を整備できるのはあくまでも自国の領内だけです。そして、道路を整備している地域への補給は効率よく行えても、道路から離れたら途端に輸送効率が低下するという状況が発生します。


 実際、第二次世界大戦時の陸軍なんかは鉄道から400㎞以上離れると補給計画が成立しなくなって行動不能になるという話もあったりしましたね。鉄道は陸上輸送でもっとも効率の良い輸送手段ですが、そこから自動車や荷馬車に物資を積み替えて輸送することを考えると、400㎞が限界だったようです。なので、鉄道が発明された近代以降は軍事作戦のために鉄道を敷くというようなこともやっていたりします。


 仮に同じくらい文明が発達した隣り合う国同士で行き来することを考えた場合、今度はわだちの問題も出てきます。

 馬車の車輪幅が違うと、道路にできる轍の幅も違ってきます。ある程度深い轍が出来てしまった道路で轍の幅と車輪の幅が違う車が走ると、まずまっすぐ走ることが難しくなる上に、車も壊れやすくなります。

 積雪地帯にお住みの方なら、雪道で普通自動車が轍を作った道路を軽自動車で走るとどうなるか、よく経験なさっておいででしょう。右の車輪が轍にはまると左の車輪が轍からはみ出し、ちょっとハンドルを動かすと左の車輪が轍にズドンと嵌り込んで右の車輪が轍の外へ飛び出してしまう。それを左右で始終繰り返さねばならない。

 雪でさえそういう事が起こるのに、石畳で舗装された道路にできた轍でそれが起こったら…しかも鉄の車にゴムの車輪を履かせた現代の自動車ではなく、木の車に木の車輪を組み合わせた馬車なんかでそれが起こったら、馬車なんて簡単に壊れてしまいます。


 馬車での輸送を円滑に行おうと思ったら、舗装された平坦な道路を整備せねばならず、しかも轍が出来ないように数年おきに舗装しなおしたり、あるいは馬車の大きさ(特に車輪の幅)について規格を定めて統一したりしなきゃいけないわけです。

 しん始皇帝しこうていも多分、この問題に頭を悩ませたのでしょうね。彼は中華を統一すると文字や貨幣など様々な物の統一化を図っていますが、全国の馬車の車輪の幅も統一化させています。中華世界がその後西洋では中々見られないような大規模な軍事作戦を頻繁に行っているのは、もしかしたら秦の始皇帝による道路と馬車の整備が効いているのかもしれません。実際、中国って秦の始皇帝の版図はんとの外では、ほとんどろくに戦えていないんですよね。始皇帝による中華統一以前は、大規模な軍事作戦はおおむね黄河こうが等の水路を中心に起こっているようですし、陸上での輸送にはやはり問題があったのであろうとは思います。日本の戦も大きなものはほとんどが水運が使える場所の近くで起こってますしね。


 補給が成立しなければ軍事作戦は成立せず、しかも補給計画にこれだけ面倒が多い以上、やはりどうにか端折はしょれないかと考えたくなります。補給の問題こそがあらゆる軍事作戦、あらゆる経済活動にとっての最大の制約なのですから。


 広大な版図を築いた古代ローマ帝国は「ローマは兵站で勝つ」と言われるくらい兵站を重視しており、そのために欧州中にローマ街道を建設し、そのうちのいくつかは今でも当時のままに使われていたりします。しかし、そんなローマであっても前線で戦う兵士の生活に必要なすべての物資を補給できていたわけではありません。

 金を持って行って商人に現地まで運ばせ、そこで金を払って必要な物資を受け取る……そういう遠征のスタイルは古代ローマの時代には既にできていたようです。実際、古代ローマ軍が築いた要塞の前には必ず、要塞建造と同時にカナバエと呼ばれる城下町が築かれています。ローマ兵は自分たちでも日々の食事を自分たちで料理していましたが、同時にカナバエで何かを購入して料理の手間を省いたり食卓を豊かにしたりと工夫していたようです。時にそれが行き過ぎることもあったようで、スキピオ・アフリカヌスなんかは出店で売ってる食べ物の購入を禁じる布告を出したりしていました。


 こういう文化はその後も長く続いており、中世も終わりごろという時代になっても欧州では遠征に出かける際には特定の商人に兵站隊長とかいう肩書を与え、遠征部隊相手の商売を独占させる代わりに必要な物を供給するようにしていたりします。


 非常に合理的なやり方に思えるでしょう?


 でもそういうシステムはあまり成功しませんでした。何故なら商人がやろうが軍隊が自分たちでやろうが、物を運ばねばならないという点では同じだからです。自国から遠く離れた地域まで必要な物資を運ぶコストは商人がやっても軍人がやっても変わりません。人間は一日に1㎏の食料を、馬は6~8㎏の飼料を必要としますし、それ以外にも手当てやら何やら金がかかります。領国から遠く離れれば離れるほど、補給物資は補給部隊によって食いつぶされるようになり、前線に届かなくなっていきます。

 にもかかわらず遠隔地でそれを成立させていたローマ帝国がどれだけ物凄かったのか…その偉大さは疑いようがありません。


 商人なら現地で買いつけられるんじゃないの?と思うアナタ!甘いですよ?


 たとえば人口千人に満たないような町に一万人の軍隊がやって来て「金を払うから食料を売れ」なんて言ったところで対応できるわけ無いんですよ。金があろうが商人が居ようが、無いところからは買えないし、無ければあるところから運んでくるしかないのです。

 しかし、運ぼうにもコストがかかり、予想外の費用の増大によって金も足らなくなる。その結果、傭兵たちが金払いの悪い雇用主に賃金を踏み倒されることが日常茶飯事になってしまいました。


 そこで行われるのが略奪りゃくだつです。


 中世欧州での軍隊の活動はほぼ略奪なしには成立しません。中世欧州の戦争の歴史はそのまま略奪の歴史だったと言ってもいいかもしれません。

 戦争の計画は本当に膨大なデータと綿密な計算によってはじめて成立します。どの地域で何がどれだけ収穫できるか?それらのうち現地で消費される分はどれくらいで、どれくらいの量を調達可能なのか?それらの地域からどのように交通網が繋がっていて、必要な場所に運び込むのに時間と労力と費用はどれくらいかかるのか?そんな膨大な調査と計算が出来る貴族なんて中世欧州にはほとんどいなかったのです。だいたい、文字の読み書きすらできないのが当たり前だった世界でそんな計画策定なんて出来るわけ無いんですよ。

 だから手っ取り早く略奪で済ませようということになる。中世末期の欧州で勇名を馳せたドイツ傭兵ランツクネヒトなんて、略奪する権利が報酬の一部として契約書に明記されていたくらいですからね。


 で、遠征軍は町々を略奪しながら進むしかなくなる。略奪された地域は荒廃し、住民は離散するわけですが、逃げ出す住民の中にはそのまま遠征軍について行く者も数多くいました。他所の地域に行ってそこでも略奪に遭ったらたまったものではないからです。遠征軍に加わった難民はそのまま遠征軍の兵站部隊の一部になってしまうわけですが、これがまた遠征軍の足を引っ張ります。


 古代ローマ軍は一日に25㎞の距離を移動できました。しかも、一日移動するたびにわざわざ野戦築城によって要塞同然の陣地を築き、敵の奇襲を無効化していました。ところが、中世欧州の傭兵中心の遠征軍の移動距離は一日あたりたったの8㎞です。難民が多数混ざった兵站部隊をぞろぞろと引き連れて略奪をしながら進むので、それくらいゆっくりとしか移動できなかったのです。

 しかも、略奪行による悪影響は地域の荒廃と行軍速度の低下ばかりではありません。行軍ルートが自ら限定されてしまうのです。


 略奪軍は立ち寄る地域で一々略奪して必要な物資を巻き上げながら前進します。そしてどこかで敵と戦ったとします。勝って目的を達したにしろ、負けて敗走するにしろ、戦場から再び自国へ戻らねばなりません。ではその時、来た道を通りますか?

 通れないんです……何故なら、来た道は途中の地域すべてで略奪を働いてきたので何も残ってないからです。もし来た道を戻れば、間違いなく兵士は飢えて餓死者や逃亡兵が続出して軍団が崩壊することになります。だから勝っても負けても帰る時、あるいは別の戦場へ向かう時も、必ずこれまで敵も味方も通ったことのない地域を選んで進まねばならなくなるのです。

 実際、中世欧州の軍隊の移動ルートを調べてごらんなさい。来た道をそのまま戻ってる軍隊なんてほとんどいません。


 さて、ここまで長々と話をさせていただきましたが、物を運ぶことの大変さと、その大変さがもたらしてきた影響の大きさについては十分にご理解いただけたかと思います。

 理解したうえで考えてみましょう。「収納魔法」がどれだけ物凄い影響を齎すでしょうか?


 「収納魔法」のある世界では我々の知る現実世界と比べ、物を運ぶためのコストが事実上キャンセルされてしまうんですよ。そもそもの話、馬車だの荷車だのといった「車」が一切合切いっさいがっさい必要なくなります。馬車は民間用としては乗合馬車だけになるでしょうし、軍事用としてはチャリオットやフス戦争で使われたワゴンブルク(移動可能な簡易トーチカのようなもの)が使われるにとどまるのではないでしょうか?

 ペルシャ帝国の「王の道」やローマ帝国のローマ街道なんかは建造されないかもしれませんね。


 軍隊の遠征は制約が大幅に軽減されることになります。必要なすべてを簡単に運搬でき、しかも輸送途中で腐ったり消費されたりする心配がありません。史実よりも略奪は大きく減るのではないでしょうか?

 純粋に敵の領土を荒廃させる目的以外では略奪を行う理由は無くなってしまうかもしれません。そして補給の問題で失敗してきた歴史上の数々の遠征の大部分が、失敗要因の解消によって成功してしまう可能性が出てきます。

 ペルシャ戦争は間違いなくペルシャが勝ちますね。ハンニバル戦争でもハンニバル勝利の可能性が見えて来そうな気がします。三国志では曹操は袁尚の軍門に降ったことでしょう。ナポレオンはロシア遠征であそこまで酷い敗退をしなくて済んだでしょうし、もしかしたらロシア側が降伏を余儀なくされたかもしれません。第二次大戦でもドイツの進撃は史実以上のものになったでしょう。もしかしたらドイツ軍の英本土上陸作戦は実施され、対ソ開戦は必要性そのものがなくなったかもしれません。日中戦争、太平洋戦争で日本軍は数十万とも百万人以上とも言われる餓死者を出していますが、その被害は大幅に軽減されるでしょう。潜水艦だけでも必要な物資を運べてしまうわけですから。


 遠征軍の正面戦力は現実より大幅に増強されるでしょう。戦国時代の日本の合戦でもだいたい動員兵力の三割くらいが兵站要員でしたが、「収納魔法」があれば補給部隊だの輸送部隊だのと言ったものに人員を割く必要が無くなりますから、それらのほとんどを戦力として投入可能になります。


 大軍で攻めて来た敵の補給路を攻撃して逆転するなんて作戦は成立しなくなりますね。歴代ロシアが得意としてきた焦土作戦しょうどさくせん(敵が攻めてきたら自分の領地の一切合切を焼き払いながら撤退し、敵に略奪による物資調達を行わせずに飢えさせる作戦)なんかは全く意味をなさなくなってしまうでしょう。

 第一次世界大戦以降に盛んに行われるようになった潜水艦による通商破壊戦つうしょうはかいせん(輸送船を沈めることで必要とする物資を輸入できなくして国そのものを窒息させる作戦)も効果が大幅に減るでしょうね。なんといっても大きな商船が無くても大量の物資を運べるわけですから、潜水艦にとって天敵とも言える駆逐艦くちくかんでも直接大量の物資を運ぶことが可能になってしまいます。


 では正面戦力を整えた方が勝ちってことになるのか?っていうと微妙ですね。「収納魔法」はゲリラ戦をより容易にするからです。敵の目を盗んで兵器や物資を敵の後背地へ運び込み、破壊活動を繰り返す……ゲリラ戦の理想ですね。

 ベトナム戦争ではアメリカ軍はゲリラ戦を展開するベトコン(南ベトナム解放民族戦線)の兵站路であるホーチミン・ルートの破壊に躍起になり、中立国であるはずのラオスやカンボジアへの攻撃にまで踏み切りました。でも、もしもこの時「収納魔法」があったとしたら、破壊すべきホーチミン・ルートは攻撃しようにも見つけ出すことすらできなかったでしょう。何故なら物資の輸送にはトラックも馬車も必要なく、人が人混みに紛れて人知れず普通に運ぶことも可能になってしまうからです。


 もしかしたら戦車と呼ばれる兵器は登場しなかったかもしれませんね。鋼鉄のトーチカを「収納魔法」で必要な場所に即座に設置できるわけですから、移動式トーチカたる戦車など必要なくなります。

 となると、いわゆる電撃戦は行われないでしょうね。電撃戦よりもより機動力のある空挺作戦が主流になるでしょう。現実の空挺作戦では飛行機で運べないような戦車や重火器が使えず、しかも補給が受けられないので味方陸上部隊による応援が駆け付けることが前提になりますが、「収納魔法」があればそうした制約が一切なくなります。突然、後背地に重武装の敵部隊が現れ、しかも重火器や可搬式トーチカで防御を固めてしまうんだから、防御側としては悪夢でしょう。


 戦略爆撃という戦術は残るでしょうけど、それを実行するための戦略爆撃機なんていうものは全く異なる物になるかもしれません。爆撃機はたくさんの爆弾を遠くに運ぶための飛行機ですが、その爆弾を「収納魔法」で運ぶわけですから爆弾搭載量なんてものを計算する必要が無くなります。開発のハードルはずっと低いものになるでしょうね。同じことが輸送機にも言えるかもしれません。

 大型飛行機なんてほとんど作られないかもしれませんね。


 爆撃機が爆弾を「収納魔法」で収納できるなら軍艦や戦車も弾薬庫が無くなるでしょうね。砲弾だろうが爆弾だろうが必要になったら直接砲塔の中で一発分ずつ出して装填して撃てばいいんですから、弾庫爆発で一発轟沈ごうちんなんて起こり得ないでしょう。


 鉄道はもしかしたら発明されたとしても発達はしなかったかもしれません。機械力で膨大な荷物を運ぶ必要が無いからです。人間を運ぶための手段としては、鉄道は初期投資のコストがあまりにもかかりすぎます。

 同じ理由で、大型客船は建造されても大型輸送船なんてものは建造されないかもしれません。頑丈でありさえすれば小さい船でも世界中を行き来できるでしょうね。


 軍事から離れた分野でも大きな影響はあるでしょう。何せ、密輸っていうものを防ぐことが非常に困難になります。関税や輸出入制限は意味をなさなくなるかもしれません。貿易摩擦なんてどうなるんでしょう?

 地域の経済格差は小さいモノになるかもしれません。輸送コストが高くて物流が滞りがちな山間部でも、必要な物を安価に大量に運べるようになるからです。しかも「収納魔法」では物が腐敗したり腐食したり経年劣化したりしないんですから、獲れたばかり海の魚を片道一か月はかかる山奥の村にも新鮮なまま送り届けることが可能になってしまいます。


 そもそも、「食品ロス」が無くなってしまうでしょうね。


 現代日本は食品ロスが多いことで知られていますが、実は発展途上国の方が食品ロスは多かったりします。その理由は、冷蔵庫や冷凍庫が普及しておらず、食品が消費者に届く前の流通段階で腐敗等によって消耗してしまうからです。でも「収納魔法」があればその問題を解決できてしまいます。

 ということは、「収納魔法」がある世界では冷蔵庫や冷凍庫なんて発明されないかもしれませんね。すべての食品が新鮮なまま保存されるとしたら、食中毒も大幅に減るかもしれません。


 あ、燻製とか漬物とかの保存食は発明されないかもしれませんね。あと缶詰とか、瓶詰とかも発明されないかも。ワイン等の酒をガラス瓶の中で長期熟成させるという飲み方も発明されないでしょうね。一応保存食の一種であるコンフィとかも発明されないかな?発酵食品も発明されにくくなる可能性がありますね。

 ……それはちょっとイヤですねぇ。


 大航海時代は実に多くの船乗りが壊血病かいけつびょうなどの栄養失調で命を落としていますが、その心配も無くなることでしょう。大航海時代の発展は史実よりもずっと早く進むかもしれません。日露戦争で日本陸軍が出した3万人もの脚気かっけによる病死者も、発生を防げたかもしれませんね。

 でも、そうした食糧事情が改善する代わりに、栄養学はむしろ発展しなくなるかもしれません。ひょっとしたら人権問題や労働環境の問題に関する思想も、我々の現実世界ほど発展しないかもしれませんね。


 地政学は根本的に変わってしまう可能性が出てきます。アルフレッド・セイヤー・マハンの海上権力史論が通用しなくなるほどではないにしても、彼が唱えたシーパワーとランドパワーのバランスが大きく崩れるのは必定です。


 いや~、考え出したら妄想が止まらなくなってしまいました。気づけば一万字を超えてしまいました。申し訳ありません。

 ここまで長々とお付き合いいただき大変ありがとうございます。

 でも、やっぱり「収納魔法」は凄すぎます。世界を根底から覆す可能性を持っています。異世界ファンタジーにおける最大最強最高のチート能力、それは「収納魔法」だったと言えるかもしれません。

 もしも超能力とかチート能力を貰えるとしたら、瞬間移動か収納魔法だな。あって困らないし便利すぎますもん。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

異世界考察 乙枯 @NURU_osan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画