雨上がりの空

 画面がコマーシャルに切り替わった後も、僕は茫然自失ぼうぜんじしつとしてテレビの画面を見つめていた。山田さんの言葉一つ一つが、枯渇こかつした湖に水が満ちるように僕の心に広がっていく。

 僕は自分のこれまでの生活を追想してみた。山田さんほどではないにしても、僕が社会人として経験してきたのも、冷たい雨の降りしきる荒涼とした世界だった。そこで傷ついた心を家の中で癒やすうちに、僕の心はなぎを取り戻していった。

 でも、ひとたび外の世界に出れば、抑鬱は再び驟雨しゅううとなって襲いかかってくるかもしれない。たとえ太陽が顔を出し、世界が優しさを見せたとしてもそれは仮初かりそめの姿でしかない。太陽はすぐに雲に覆い隠され、僕は再び冷雨の中で濡れそぼることになるだろう。そんな怯えともいえる予感が、僕に外の世界に戻ることを躊躇ためらわせていた。

 でも――そこで再び山田さんの言葉が蘇った。この小さな城に留まっている限り、外の世界で思いがけず出会う欣幸きんこう――蒼天そうてんに輝く太陽の暖かさや、吹き抜ける薫風くんぷうの囁きや、夜道を照らす月光の優しさを感じることもない。篠突く雨の中を走り続け、雨粒と涙で濡れそぼった僕の頭上に、そっと傘を掲げてくれる人の温もりを感じることもない。誰かを想うことも想われることもないまま、窓ガラス越しに変わり映えのしない世界の断片を目にするだけだ。僕は本当にそんな生き方を望んでいるんだろうか?

 僕はしばらく考え込んでいたが、やがてリモコンを取り上げてテレビを消した。椅子から立ち上がり、窓辺に向かって歩いていく。窓ガラスの前に立ち、その冷たい壁にそっと手を触れる。僕と外界とを分かつ堅い壁。そのガラス越しに見える、抜けるような蒼穹そうきゅうを見上げる。

 僕は視線を落とすと、窓の鍵に手をかけた。レバーを下ろし、引き戸に手をかけて勢いをつけて引っ張る。途端に清風せいふうが頬を撫で、浅緑色のカーテンを巻き上げる。

 僕はサンダルを履いて庭へ降りていった。蒼天そうてんに輝く金色の女神が、僕に優しく、暖かな光を投げかけてくる。

 降り注ぐ金色の光を浴びているうちに、僕は自分を覆っていた鎧が、鱗のようにぽろぽろと剥がれ落ちていくのを感じた。

 それは、この4か月間にわたって抑鬱という雨から僕を護り、そして今もなお僕を閉じ込めている鎧だった。僕はその鎧で雨をしのぎながら、雨が降る心配はないとわかった時点でそれを脱ぎ捨てようと思っていた。

 でも僕はここに来て、そんな機会は永遠に訪れないことに気づいた。なぜなら人生という空に、雨が降らないことなどないからだ。

 生きていれば様々なことがある。晴天のように心が澄み渡る時もあれば、曇天どんてんのように沈むことも、何日にもわたって陰鬱な雨が続くこともある。目まぐるしく移ろう天気の中で生きていくことは容易ではない。時に嵐に打たれ、地面にへたり込み、二度と立ち直れないと感じることもあるかもしれない。

 でも、どんなに激しい雨でも永遠に降り続くことはない。厚い黒雲の向こうには必ず太陽が待っている。その太陽の存在を信じていれば、僕は先の見えない雨の中を少しずつでも進んでいくことができる。誰かが言っていたではないか。この世界に明けない夜はない。たとえ再び抑鬱に沈むことがあっても、いつまでも止まない雨はない。

 僕はしばらく頭上に広がる蒼天を見つめていたが、やがて表情を緩めて視線を落とした。大きく伸びをし、雑草の伸びた庭を歩いていく。水溜まりを踏み、跳ね返る水が足首を濡らす。

 鏡のような水面に映っていたのは、鎧を脱ぎ捨て、日だまりの世界へと歩き出そうとする、晴れやかな微笑みを浮かべた僕の姿だった。

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雨の切れ間に 瑞樹(小原瑞樹) @MizukiOhara

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