第3話 意味のないゴールに向かって

「あ、あれじゃない?」

「ほんとだ……あ、もう通り過ぎちゃった」

「あのトーチ、ほんとに点いてるのか? 消えてるみたいだったが」


 交差点の隅で待っていた老人夫婦の、愚痴の一部が耳の中を流れる。ちょうど木陰になっているところだ。最終日というのもあるだろう、沿道には埋め尽くさんばかりの観衆が敷き詰められている。

 先ほどアナウンスされた周知を耳に留め、マスクを着用している……と思えば、そうではなかった。群衆の人いきれと炎天下の息吹が作用して、口元はがら空きだ。

 ランナーはマスクしなくていいよなぁ――という声が、あごに装着されたマスクから聞こえてきそうだ。


 水樹の前方には、オリンピック仕様のマイクロバスがのろのろと走行している。後部ドアをがばっと開けて、幾人かが大型カメラを構えている――そうだ、生中継されているんだっけ。

 水樹は笑顔の仮面を貼りつけて、時折カメラ目線で手を振った。しかし、これに意味はあるんだろうか? たしか、公式動画の画質は悪かったことが頭をよぎる。横に目を流した。

 水樹を守るようにして、青い服が並走している。縦六列横四列。まるでラジオ体操でもするかのような間隔を空けて、スタッフが追走するのだ。

 滑稽だなぁ、水樹は笑みをこぼしてしまった。


 この後行われる記者会見――聖火ランナーたちは有名人問わず行われるらしい――を想起して、考えてみよう。

「聖火リレー中、笑みをこぼしてしまったのはなぜでしょうか?」

 それは、こんな学生がアンカーを務めていいものかと思ったからです。

「聖火、持ってみてどうでしたか?」

 意外と軽かったです。

「聖火リレーについてなんですが……」


 シミュレーションの最中、ふと葛西が話していたことが心に湧いた。リレー前に忠告された内容だ。

「先ほど、JOCの勧告を受けて東京都知事がオリンピック中止を決断したと速報がありましたが、それについてどう思いますでしょうか?

 聖火リレーというのは、オリンピック開催以前に行われる、いわばセレモニーのようなものです。

 しかし、オリンピック自体中止となりますと、聖火リレーは〝意味がない〟のではと考えていますが、どうお考えでしょうか? ぜひアンカーとしての立場で……」

 

 こんな質問、ほんとうにされるんだろうか。

 踏みにじることが好きだ――とは言っていたので、備えあればうれいなし、か。

 ねぇ、どう言えばいいと思う? 水樹は右手をみた。日本全国を回ってきた黄金のトーチ。強すぎる陽射しで見えづらいが、確かに燃えている。小さくても熱気が伝わってくるようだ。ギリシャから採火された、聖火の灯火が。

 

 ややもすると、マイクロバスが左に折れた。もうすぐだ、水樹は走る速度をやや緩めた。疲れたからではない。

 東京都庁ゴール地点に着く前に、これについて考えてみよう。

 聖火まがいと言われ、大人たちが忌避した灯火とともに、代わりに答えを探してやろう。


 意味のない聖火リレーは、ゴールを迎えるようだ。

 


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意味のないゴールへ ライ月 @laiduki_13475

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