優しさのエンディング

さかたいった

運命は残酷に

 世界は変わらずにそこにあるはずなのに、

 私が見る世界は一瞬にして色褪せてしまった。

 なぜ? なぜ? なぜ? どうして?

 どうか嘘だと言ってほしい。

 色も、匂いも、音も。

 遠ざかっていく。

 世界を正常に認識できない。

 まるで世界から自分が消え失せたような。

 病院から帰宅してからも、まるで抜け殻になったかのように過ごした。

 私の異変に気づいたらしい小学生の息子。だけど私を気遣ってか、無理に尋ねてこない。私は息子の思いやりに、胸が苦しくなった。

 夜、帰ってきた夫に事実を告げた。

 私の体を抱きしめる夫は、震えていた。



 私は入院した。いくつかの選択肢があったが、私はできるかぎり家族と多くの時間を過ごせる道を選択した。

 怖い。

 怖い。

 怖い。

 自分が消えることが怖いのか? 愛する人たちとの別れが怖いのか?

 今まで考えてこなかった。だけど運命が否応なしに私に意識させる。

 みんなが優しい。家族はもちろん、お医者さんや看護師さんも。

 みんなが私に気を遣っている。笑顔で取り繕っている。それは同情の裏返し。哀しみの裏返し。私も人と会う時は平気なふりをした。


 本当は平気なんかじゃない。

 もうやめて!


 せめてありのままの自分でいさせてほしい。

 嬉しい時は笑い、

 悲しい時は泣いて、

 苦しい時は苦しいと言わせてほしい。


 私は自分が正直でいられる場を探した。

 そして私は、ブログを書き始めた。



 私は自分の今の状況、心情をありのままにブログに綴るようになった。

 体の調子が良い時は外を歩き回れるし、一日鬱屈した気分でベッドに横たわっている日もある。良い時は良い、悪い時は悪いと、私は自分の気持ちそのままに文章を書き綴っていった。



 ブログにコメントが届くようになった。

 自分と同じような境遇にある人たちからの共感の声。

 名前も知らなければ会ったこともない人たちからの、多くの励ましの声。

 初めは驚き。

 そしてそれは嬉しさとなることもあった。

 私は自分の行為、自分の命に、意味があることを知った。

 きっとどんな人生にも、大きな意味があるのだ。

 まったく、そんなことに今ごろ気づくなんて。

 だけどそのことに気づかせてくれた多くの人たちに、私は感謝した。



 息子が病室に顔を見せなくなった。

 電話をしても、ほとんど喋ってくれない。

 私は悲しくて何度も泣いた。

 息子に嫌われてしまったからではない。

 息子の悲しみを知ったからだ。

 私が今どういう状況にあるのか、子供ながらに理解しつつある。

 私はその悲しみを消してあげられない。それが悔しくて仕方なかった。

 夜、私は一人で何度も泣いた。



 ある日、私が書いているブログに息子から短いコメントが届いた。

「がんばって」

 どうして直接言わないのよ、と思いながら、私はまた泣いた。息子を思い切り抱きしめてやりたかった。

 力強く抱きしめる力すら今の私にはもうないのだけど。

 夫は時間の許すかぎり私の傍にいてくれた。

 あなたを愛することができてよかったと、心から思った。

 ありがとう。

 そして、ごめんなさい。



 迎えが近づいてきていた。

 私の体のことは、私が一番わかっている。

 このごろはブログを更新することもできなくなっていた。

 私は鏡を見ることが怖い。そこにいるのは以前の私ではない。

 髪の毛は全て抜けてしまったし、頬がこけやつれた顔は見るに堪えない。

 だけど最近再び病室に来てくれるようになった息子が、夫と協力して私の顔に化粧を施してくれた。カツラもつけて、どうにか人前にも出られる顔だ。

 ありがとう。最後まで女の子でいさせてくれて。

 夫が私に教えてくれた。更新の滞った私のブログに、たくさんのコメントが届いていることを。


「あなたがどれだけ辛い思いをしているか、私には想像もできません。でも、最後まで諦めないで」

「いつだって俺たちは応援してる。あんたが何を言おうと、絶対に」

「あなたは鑑です。あなたの言葉にどれだけ多くの人が励まされたか。負けないで」

「みんなあなたを見守ってる。安心して闘って」

「あなたはずっと頑張ってきたし、今も頑張っているでしょう。それでもこう言わせてください。頑張って」

「忘れないで。多くの人があなたの傍に寄り添っています」

「大丈夫だ。きっと大丈夫」

「あなたの笑顔を待っています。ずっと」

「まだまだこれからだ。そうだろ?」

「あなたの無事を祈っています」


 私は涙が止まらなかった。こんなに多くの人が応援してくれているなんて。

 コメントは海外の人たちからも届いていた。

 私は人の繋がりというものを知った。



 そして……。

 その日がきた。



 体はもう動かない。

 夫と息子の顔が見える。

 少しずつ、視界が薄れていく。

 もやを払うように手を伸ばそうとしても、体はもう私の意識から離れた。

 視界が閉じていくのと同時に、私の意識も消えていって……。



 暗闇。

 何も見えない。

 そう思っていた。

 だけど、この光はなんだろう?

 蛍の光のような。

 夜空の星々のような。

 たくさんの光に包まれて。

 温かい。

 そうか。

 私は去るのではない。

 帰るのだ。

 この光たちと一緒に。

 みんながいる、あの場所へ。

 それなら俯かなくてもいい。

 顔を上げて。

 前を向いて。

 手を繋いで。

 さあ。

 やっと帰ってきたよ。



 ただいま。

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優しさのエンディング さかたいった @chocoblack

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