山の子 第二章(1-11)

 朝曳庄あさびき内の百姓みょう――上山本名の名主実量さねかず老人は、白髭を捻りながら口を開いた。


「そう仰られましてもなぁ…」

「国衙からの命令で妖追討に出張ったのは、他でもない我等両人なるぞ!それを承知しておきながら人狗を雇うとは、如何なる料簡か!」


 なまず髭を震わせながら、実量翁に喰い掛からんばかりの剣幕で詰め寄るのは、日出国御家人で、今は国衙こくがからの命によって妖討使の役を務めている小要兵衛尉ひょうえのじょう基助だ。政綱が心配した通り、顔に泥を塗られた形の妖討使が怒鳴り込んで来たのである。


 上山本名と六台山の帰属を巡って争う本所と<山門>の軍勢を牽制していた小要兵衛は、郎党の増田小六から人狗が現れたという報せを受けた。その時点で、出し抜かれたのではと疑い始めていたが、探させてみると案じた如く人狗が見当たらないという。そこで実量に尋ねると、特に悪びれた様子もなく、

「仰せの通りです」

 と答えるではないか。人ならぬ人狗に先を越された小要兵衛は、未だかつてこのような恥辱を味わったことはないと吠えたてた。黙って見ている同役の前澤四郎左衛門尉さえもんのじょう勝時も、髭に覆われた顔を紅潮させ、実量を睨んでいる。


 だが、実量は怖がるわけでも、詫びるわけでもない。

「料簡と仰せですが、そもそも何が誤りに当たるのですか?」

「とぼけるな!我等を呼んでおきながら――」

「それは事実と異なりますな。国府に願い出たのは、我等ではございませぬ。それは村境で頑張っておる、ここの代官殿ではございませぬか」

「代官はそなたの主人にも等しかろう!」

「ははは、これは可笑しなことを仰せじゃ。あなた方も西洲せいしゅうにお住まいなればよくご存じでしょう。西洲に立てられた庄園の下司げしと申しますのは、多くはその役目を請け負っておるに過ぎませぬ。何で我等の主人と言えましょうや?」

「屁理屈を申すな!」

「あの方々は、年貢さえ取れればそれで良いのです。むしろ我等が養っておる側。それどころか、今度に限って申せば、勝手に国府に頼んで妖討使発向を願い出て、我等にその歓待を任せきりにしておられる。何故、頼んでもおらぬことで我等が困らねばならぬのです?」


 小馬鹿にすらしていそうな老人の態度に、小要兵衛は太刀に手をかけそうになった。


「つまりは何か?村に居られては迷惑だと申すのか?」

「心当たりがございませぬか?郎党の方々の様子を見ても、分からぬと仰せになりますか?村の娘に言い寄り、中には無理矢理手籠めにされた者もございます。男はつまらぬことで因縁をつけられて殴られ、蹴られ、これでも足りませぬか?博打ばくちに精を出しておられる方も目にしておりますが、賭け事は将軍府の法度に触れる行いではございませんでしたかな?このみょうの者だけではなく、隣の名の者も皆知っております。いやそれどころか、既に近郷にまで聞こえておりましょう。じきにこの朝曳庄一帯に噂が広まります」


 痛い所を突かれた妖討使は、一段声を落した。

「脅すつもりか?」

「そうではございませぬ。そうではなく、お願い申し上げたいのでございます」

「何をだ?出て行けと申すか?」

「いいえ――」

 ――我ながら心にもないことを言うものだ…。

 正直なところ、すぐにでも出て行けと言いたいくらいだったが、言えば丸くは収まらないだろう。それだけの自制心があるとは思えない連中だ。


「あなた方は、栄えある将軍家の御家人。なれば、どうぞ撫民ぶみんのお志をもって、我等をお救い下さいませ。代々の将軍家も執権殿も、撫民を心掛けよと仰られました。まことにありがたいお言葉です。あなた方御家人は、撫民の政道を体現するありがたい使いなのです。どうか、その旨を思い起こされて、我等をお救い下さいませ」


 武士はただの荒くれ者ではならぬ。東夷のままではならぬ。卓越した武芸者であると共に為政者たれ、とは実量の言った通りで、代々の将軍と執権が繰り返してきた言葉だ。実際に、その評判を得た御家人が、将軍家直筆の感状かんじょうと共に恩賞を下されることがあった。これは非常に名誉なことだ。

 とりわけ今の征東大将軍利仁としひと親王は、若いながら廉直れんちょくの士を愛する棟梁とうりょうとして名声を得ている。小要兵衛は、まだ一度も見参に及んだことのない宮将軍の姿を思い浮かべた。おそらくろくに弓も引けぬであろう将軍が、不健康そうな白い手に筆を執り、恩賞の下文くだしぶみに綺麗な字で「小要兵衛尉基助」と我が名を記す姿を。


「救えとは、妖を退治しろということか?」

「他に何を望みましょう。それこそが我等の望みでございます」

 名利共にくすぐられた小要兵衛は、鯰髭を撫でながら、任せろとばかりに頷いた。


「待たれよ」

 実量が、上手くいったと喜ぶのに水を差したのは、ここまで黙っていたいま一人の妖討使だ。

「小要殿、お忘れになられたか?本所と<山門>は如何なされる?双方共に自力で山を押さえようとしておるのだ。我等が先に片付けてしまえば面白くはないはず。彼奴等は、合戦を起こした汚点を補う機会を、永遠に逸するわけですからな。相手は東洲申次もうしつぎと、<山門>ですぞ?きっと後難がありましょう」

「おぉ、流石は前澤殿。良いことを申された。それよ、実量。我等が案じておったのは。考えてもみよ、東洲申次は朝廷と将軍府を仲立ちされるお方。対する<山門>は、何かあればすぐ傲訴ごうそに及ぶ。その所為で地頭しきを失った御家人も多くおるのだ。どちらに睨まれるのも我等にとっては痛手になりかねん」


 ――余計なことを言いおる。こちらは少し知恵が回るらしいわい…。


「さてさて。なにもそこまで心配なさることは…」

「いいや翁、思わぬところで没落する御家人は多いのだぞ。慎重になって悪いことはない。いざ権門に睨まれた時に、岩動いするぎや探題が守ってくれるかどうかは分からん」


 そう言う前澤四郎左衛門尉の顔にも声音にも、もはや怒りの色は浮かんではいないが、代わりに宥めるような風が感じ取れた。物を知らぬ老百姓に、御家人の世界を教えてやらねばならぬとでも思っているのだろう。だが、二十年、三十年の人生ではない。御家人の暮らしぶりがどういうものなのかは、むしろこの二人より実量翁の方が詳しいに違いない。それよりも何よりも、妖討使達は百姓の図太い戦い方を知らな過ぎたのだ。


「それほど権門勢家のことをご案じなのであれば、こうしてみるのは如何でしょうや?」

「何ぞ良い手でもあるのか?」

 前澤左衛門の言葉で、恩賞への欲求を抑えようとしていた小要兵衛は、何か策があるらしい実量の口ぶりに、思わず食指を動かした。老人は相好を崩して、二人が驚くような提案をした。


「お二人にとってより面倒なのは、<山門>の方でしょうな。神仏の名を借りた傲訴は、非を理としてしまうものですからなぁ。ですから、わしがこの名を<山門>に身売りすれば良いのです。そうすれば山僧も――」

「ちょ、ちょ、ちょっと待て実量。待つのだ。そなた、己が何を申しておるか分かっておるのか?ここの領主は大寧寺殿であろうが。それを裏切ると申すつもりか…!」


 思わぬ献策というか、謀議を受けて、小要兵衛は好奇心をくすぐられた。だがそれは一面で、やはり大それた考えには驚き、呆れているのだ。

 しかし実量の方は顔色一つ変えない。穏かな笑顔のままだ。


「裏切るとの仰せはちと、如何なものでございましょう?」

「したがそなた、現に裏切ろうと申しておるではないか」

「裏切ろうと言うのではございませぬ。選ぶのですよ。どちらにつくのかを、自分で選ぶのです。ただそれだけのこと。ははは…」

「恐ろしい爺よ。何か憑いておるのではあるまいな?」


 それも、時も時だ。妖討使達は半ば本気で疑っているらしい。前澤勝時はちらっと目を遣って老人の尻の辺りを見てみたが、尻尾は生えていなかった。


「驚き給うな。何を驚くことがありましょう。世の百姓と申すは、皆こうして戦っておるのです。相論をきっかけに、何とか課役免除を認めさせ、少しでも多くを手元に残そうという戦いなのでございます。それに、何の力添えも与えぬ領主に、何故いつまでも従ってなどおられましょう。だから、選ぶのです。そうではございませぬか?――」

 御家人の二人は、支配者に対する老翁の冷徹な眼差しに、何とも言えぬ魅力を覚えた。


「お二人の御遠祖は如何?これまでに数度、都と岩動とが争い、合戦になりましたな。その時は、お二人の御遠祖はお選びになられたはずです。朝廷か、将軍府か。そうではございませぬか?」


 征東将軍府が、反乱鎮圧を目的として東洲に置かれたのは、今から百三十年程昔のことだ。それ以来、その時々の政情に影響され、大きな物では二度の東西内戦が行われた。比較的小さな物は、主に将軍府内部の政争という形で、何度となく顕在化している。

 東西の内戦において、将軍府の支配下にある東洲では、当然のように多くの武士が将軍府に味方した。しかし、東西の境である狭い<の海>を渡った西洲では、朝廷に味方する武士もまた数多く現れた。


 二人の妖討使が受け継いだ血筋は、将軍府設置前から代々西洲に暮らしてきた武士の血筋だ。周囲の武士が続々と朝廷への味方を表明する中で、彼等の父祖は将軍府に懸けて戦ったのであった。

 その戦いの時代は、彼等武士には古典時代というべきものだ。憧れの時代でもある。


「口達者な翁だ。面白いことを申す。弓取りと百姓が同じように戦って参ったと申すか」

 前澤勝時は、髭の中に隠れがちな口の端を上げ、実量の目を覗き込んだ。

「つまり、我等が首尾良く妖退治を終えた後、権門から睨まれた時には、味方すると言うのだな?」

「はい、その通りでございます。仮に、身売りするまでもなかったにせよ、お二人のご尽力は証人としてしかるべく言上仕りまする」

「殊勝なことよ。良いか、くれぐれも忘れてくれるな。我等が動くのは、あくまでそなたの頼みを聞いたがためだ。我等の自由で決めたことではない。そなたの身売りよりも何よりも、それこそが最も肝心なこと。良いな?」


 勝時の言葉に合わせ、小要兵衛も念を押すように一歩前に出た。

「心得ておりますとも。お任せくだされ」

 二人の妖討使は顔を見合わせると、頷き交わして実量の家を後にした。名主の身を案じて集まっていた村人達に、機嫌良く声をかけながら。

 妖討使はそれから大慌てで、名内に野営する郎党等を呼び集め、勢揃えを行った。たった二人の御家人にしては、率いている員数は総勢三百人程と多い。これには実量も驚いた。


 ――おう、こんなに連れてきておったのか。これはどうも、兵粮は自弁ではないな。国衙から下されておったと見える。がめつい連中じゃ。腹の心配は要らぬくせに、わし等に酒肴の用意をさせておったとはよ……。


 苦々しげに見守る実量の前を、二人に率いられた軍勢が通り過ぎて行く。全員ではない。一部は、後備えとして残して行くという。

 特に評判の悪い郎党の一団が、誇らしげに胸を反らして歩いて行った。村人にとってはそれ等と変わらぬ程迷惑な小要も前澤も、兜には金色に輝く鍬形くわがたが打たれていた。中天から幾分傾いた陽の光を受け、まばゆく照り輝いている。それがまた実量を苛立たせるのだった。


「見てみろ、全く素晴らしい景色ではないか。お前の主人も、戦う時にはあんな風になるのか?あれを見ておると、見た目と中身とは、必ずしも一致せぬと良く分かるな」

 行列が過ぎ去った後、実量は人狗の政綱から預けられた栗毛の雄馬に声をかけて言った。馬――柳丸やなぎまるは答えたが、残念なことに実量には伝わらなかった。


「太刀などいておる者は、誰も彼も似たようなもんじゃろう。ま、お前の主人は、さっさと行ってくれただけ、まだマシな方かもしれんな」

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