第13話 芽吹村の事情

 武蔵野国江戸郷芽吹村。

 江戸開府以前から荘園として存在し、開府後は幕府の御天領として年貢を納めている。

 文書などの公式記録に村が登場するのは室町期以降だが、ここの村人たちは平安期、或いはもっともっと遠い昔からこの場所に住んでいた。


 幾度統治政権が変わってもこの村が存続できた理由はいくつかあるが、最たるは『護りの森』と村人が呼ぶ里山の存在だ。

 里山の神と共に暮らしてきた村人たちは『神様の御加護』を信じて疑わない。

 里山の中心部には村人たちが『森塚』と呼ぶ小さな石碑と祠がある。

 風化がすすみ掘られた文字は読み解きようがない。

『ここより奥は神の住む神域である』との伝承を守り続けてきた村人たちは、そこより奥に踏み入ることなかった。

 恩恵に感謝して祠に御神酒と供物を供え、四季折々の山の恵みをもらって生きてきたのである。


「だけど、ここ何年か、森が荒らされることが増えたんだ」


 滅多に余所者が入ることのない里山の中に侵入するものが現れた。

 恵みを受けつつ森の中を普請していた村人たちは、直ぐに気が付いたという。


「奴らの狙いは小川の砂金だった」


 里山の南西側、裾野に沿うように細く流れる小川は陽の光を受けてきらきらと金色の光を帯びる。そのことから村人は『金色川』と呼んでいた。

 金色の正体は砂金である。

 川底に落ちる数多の金の粒が陽に照らされ渓流で乱反射するのだ。

 西から南に下り東の方に緩やかに流れる金色川は、陽の傾く夕暮れ時、特に美しくきらきらと輝いた。


「村人が砂金をとることは、無かったのか?」


 零の問いに、甚八は首を横に振った。


「必要以上に砂金をとっちゃなんねぇと、村の掟で決まってた。破るようなもんも、勿論いねぇ」

「だから余所者が入ってきた、ってことか」


 神妙な面持ちで、甚八は深く頷いた。


「それに、村を護ってくれる大事な森を踏み潰してまで砂金取するような村人は、いねぇからな。掟を破れば村八分どころじゃ済まねぇ。村に住んでいられなくなる」

「そりゃ随分と手厳しいな。何か理由があるのかい?」


 甚八は首を傾け、曖昧な表情になった。


「そいつぁ、わからねぇ。けど、大昔からの掟に書かれていることだ。庄屋の与右衛門さんも、これだけは破っちゃいかんと厳しく言っていたよ」


 眉間に深い皺を刻んで、甚八はまた難しい表情に戻ってしまった。

 ちらりと睦樹を眺めた零が、また甚八に向き直る。


「そんで?砂金泥棒は、どうなった?」


 零が先を促すと、甚八の顔は更に険しくなった。


「どんどん酷くなった」


 小川に大量の砂金が沈んでいることを知った余所者の侵入頻度が増すのに、そう時は要さなかった。 

 村は砂金泥棒捕縛の為に動き出した。男衆が徒党を組み、持ち回りで森の中の巡回を始めたのである。

 しかしそれは、件の解決ではなく、事態の悪化を誘発する要因となった。

 砂金泥棒は腕自慢の強者ばかりで、村の男では到底太刀打ちできない。

 村は怪我人が増えるばかりで、巡回に行くのを躊躇う者が増えた。


「権兵衛っていう、村でも怪力の大男が泥棒を取っ捕まえかけたことがあったんだけどよ、大勢に袋叩きにされて死にかけた。それからは、もう誰も泥棒を捕まえようとは言わなくなったよ」


 無法地帯となった森は侵入者の好きなように荒らされた。

 水の底まではっきり見える程に澄んでいた川は濁り、魚も姿を消した。

 金色川が夕刻に輝くことはなくなった。

 更に砂金を求めた泥棒連中は上流を目指して進み、神域までを犯した。

 村人にはもう、どうすることも出来なかった。恐れをなした村人たちは森に入ることが出来ず、森塚に供物を捧げることも出来ない。

 普請されない森は侵入者に荒らされる以上に荒れ果てて、実りは無くなった。


 甚八の話を黙って聞いていた睦樹は疼く拳を握り締めていた。

 甚八の悔しさが睦樹には痛い程わかる。

 だが今は、煮えくり返る腸に、耐えるしかない。

 睦樹の様子を横目で眺める零に向かい、甚八がぐっと身を乗り出した。


「そんな頃なんだ、あの火事があったのは!」

「おぅ」


 甚八の勢いに押されて、零は椅子にもたれて仰け反った。

 参太に肩をいなされて、甚八がまた椅子に座り直す。


「すまねぇ」


 構わねぇよ、と前置きして、零が甚八に向き直る。


「結局、お前ぇさんの探してほしい相手ってのは、その砂金泥棒かぃ?」

「いや、違う」


 沈痛な面持ちで首を横に振る甚八に、零は小さく口端を上げる。


「ほぅ」

「実は火事になる少し前、庄屋さんを訪ねてきた奴がいた。そん時は俺たち長百姓も呼ばれたんだが…」


 内々の話だと言って長百姓の中でも人数が絞られた。他の村人に悟られぬようにと、星の光も届かないような夜半に、その会合は開かれた。

 庄屋の屋敷、こそこそと案内された離れの間には既に庄屋の与右衛門と長百姓の伊作、そして一人の見知らぬ男が座っていた。


「これで全員、揃いました」


 与右衛門が男に声をかけて、甚八と伊作に向き直ると、その男を紹介した。


「この方は私の友人でね。芽吹村が大変な事態になっていると知り、手助けを申し出てくださったのだ」


 与右衛門の話を遮るように、男が口を開く。


「もう夜も更けている。早速本題から始めましょう」


 穏やかながら急くような口調に、与右衛門は口を噤んで男に仕切りを預ける。男は伊作と甚八に向かって話を始めた。


「芽吹村は今、隣の里山を荒らされて随分と生活が貧窮していると聞きました。村内に田畑の実りはあれど、森の恵みに頼れないことはさぞかし不便でございましょう。心中お察し致します」


 深々と頭を下げるので、甚八と伊作もつられて頭を下げる。

 男はすっと姿勢を正すと二人の視線が戻る前にまた話始めた。


「無法者が神聖な森を荒らすなど言語道断。捕えて奉行所に差し出したいところではありますが、私如き一介の町人風情ではお役に立てる程の力がない。それに上申しても無法者は捕えるのが難しいといいます。ですがね、友人の窮地を見過ごすことはできないと、私に何かできまいかと考えまして、それをご提案すべくお集まりいただいたのでございます」


 やけに腰が低く丁寧に語る男の話に、隣に居る伊作は既に吸い込まれているようだ。

 甚八は何処かきな臭い目の前の男を不信感露わな目で眺めていた。


「昼間、村の中を見せていただきましたところ、家屋も随分と年季が入っているようにお見受けしました。歴史の長い村だ、それは当然の事。そこでね、私が指揮を執ってこの村を綺麗に整備しようと思うのですよ」

「はぁ?」


 堪らず甚八の口から大きな声が出た。

 与右衛門が「しっ、声が大きい」と叱るので、甚八は声を落として男に向かい吐き捨てた。


「今、俺達が困ってんのは村じゃねぇ。森が荒らされていることだ。村を綺麗にしても仕方がねぇ」

「しかし無法者がいつ森から村に下りてくるかもわからない。そうでしょう?」

 被せて言う男に、甚八は言葉に詰まった。

「そりゃそうだが……」

「ですから、森の一部分を含めて綺麗に整備しようというのです。そうすれば無法者はもう森に入らない。この村も安泰です」


 うんうんと頷きながら男の話を聞いている与右衛門を尻目に、静かに話を聞いていた伊作が口を開いた。


「森の一部分を整備というのは、どんな風に?」


 男がくいと口端を上げる、が瞬時にそれを隠してこう言った。


「森の一部を切り開き村と併合します。聞けば森の中は荒れ放題で普請は追いつかない状態だという。ならば開墾して村と繋げ敷地を広くすればいい。森の恵みは得られなくとも、田畑を拡大できれば村全体の収益は見込めます」


 甚八は、いきり立ち上がった。


「ふざけるんじゃねぇ!森を失くすなんてことが出来るか!」

「甚八、落ち着きなさい」


 腕を引く与右衛門を振り払い、甚八は怒鳴った。


「あの森はこの村の護り神様だ。それを、普請を諦めて切っちまうなんて、あんた余所者だからそんなことが言えるんだ!」


 懸命に宥めようとする与右衛門に変わり、伊作がすっと立ち上がった。


「甚八、とりあえず座れ」


 肩に手を置かれ、伊作を振り返る。

 伊作の落ち着いた瞳に、上がった熱が少し下がった。

 甚八はきりきりしながらも、どかりとその場に腰を下ろした。

 伊作も隣に座り直すと、男に向かいあった。


「俺も甚八と同じ意見だ。森全体の開墾には賛成できない。だが、あそこまで荒れてしまった森を普請して元に戻すのは時が掛かる。手助けと言うなら普請の手伝いをしてほしい」


 伊作の冷静な意見に、甚八の湧いた頭が少し冷えた。


「確かに伊作さんのご意見は御尤も。流石、与右衛門さんの右腕だ。でしたら、こうしては如何でしょう?森全体、などと大それたことは申しません。神域の手前、村人が踏み入っていたところまでを開拓させていただく。それならば、神様の森を守ることも出来ましょう」


 男に見つめられて、伊作はじっと黙った。


「……森塚の手前まで、ということか?」


 伊作の言葉ににっこりと笑みを見せて、「はい」と頷く。

「おい!」と怒鳴った甚八の声は同時だった。


「手前までならいいとか、そういう事じゃねぇだろ!」


 掴みかかる甚八の腕を、伊作が宥め抑える。


「賛成するとは言ってない。あくまで確認だ」

「お前ぇは森が無くなっちまって平気なのか?俺たちが生れる前からあるあの森が、消えて平気なのか?」


 怒りが収まらない甚八に煽られて、伊作も声を荒げた。


「そんなこと、言っていないだろ!第一、あそこまで荒れ果てた森をどうやって元に戻す?濁った小川は?打開できる法を知っている者がいるなら、そこに頼るのも一つの案だ。俺たちはこれからもこの村で生きていかなきゃならないんだぞ!」

「だからって……」

「二人とも、よさんか!」


 言い合いに発展しそうなところを、与右衛門が間に入り無理に止めた。

 二人を何とか座り直させる。

 すると、その一部始終を黙って見ていた男が、ふっと笑った。


「何が可笑しい」


 低い声で睨む甚八に、男は笑いを仕舞って頭を下げた。


「失礼致しました。それにしても、甚八さんも伊作さんもこの村と森を愛しているのですなぁ。なんとも羨ましい限りです」

「羨ましい?」


 伊作の怪訝な問いに、男は小さく頷く。


「ええ、羨ましいですとも。私にはそこまで愛せる郷土がない。自分の生まれ育った場所を大切に愛せるというのは、良いものですなぁ。実に羨ましいことです」


 どこか軽薄に聞こえる空々しい言葉に甚八が眉を顰める。

 男は納得したような顔で頭を下げた。


「私の御提案は些か不躾であったようです。友人の為と思い無い知恵を絞った結果であると、何卒非礼をお許しください」


 深々と頭を下げると、男はその部屋を出て行った。


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