第12話 萬事処の客

 森と村が消えたあの更地に愈々新しい村が完成しようという頃、参太の予言通り、あやし亭の元に一件の依頼が飛び込んできたのであった。


 昼に幕を下ろすように瞑色が空の上から垂れ込める黄昏時。

 逢魔が時と呼ばれる薄闇の刻限は、陽の光が届かないのに月の灯は弱くて、人とそれ以外のものの区別が付きにくい。

 あやし亭はそんな刻に開店する。


『さぁさ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい。落語と飯が一度に楽しめるあやし亭、本日もゆるゆると開店営業中でございやす』


 志念の小気味よく抑揚のついた声が客を引く。

 聞こえる者にしか聞こえないその声に誘われた人や妖が暖簾をくぐる。本日も店は沢山の客で溢れていた。


「どうしていつも、こんなに混むんだろう」


 給仕の仕事を廻しながら、睦樹が愚痴とも疑問ともいえない言葉を零す。

 一席終わって高座から下りてきた志念が、ぷっと吹き出した。

 背中にそれを聞いた睦樹が振り返る。


「その格好、板に付いてきたねぇ」


 三角巾と割烹着を身に付けた睦樹を見て、志念は堪えきれずにまたぷぷっと噴き出した。


「志念さん、もう何回も見ているだろ! いい加減、慣れないのか⁉」


 睦樹があやし亭で本格的に仕事を始めてからもう数日経っている。

 厨房と給仕は基本、持ち回りだが、料理などまともにしたこともなく人の食べ物に疎い睦樹は「まずは接客から」ということになった。

 なので毎日、注文を取り食事を運ぶ作業に四苦八苦しているわけである。

 当然料理をひっくり返すことや皿を落とすことも常だから、他の皆のような前掛けのみでなく、このような重装備をさせられているのだ。

 自分でも恥ずかしいと思っているのに、志念は毎日同じことを言って同じように笑う。


「だって、可愛いから……」


 肩を震わせて笑いを噛み殺す志念に力が抜けて、怒る気が失せた。


「志念さん、寄席、お疲れ様です」


 ぺこりとすると、志念はようやく笑いを仕舞って、同じようにぺこりとお辞儀をした。


「ご丁寧に、どうも。君も、そろそろ休憩やろ。適当に息抜いてやってな」


 ひらひらと手を振って奥に下がる志念を見送る。

 ぴくっと肩が上がった後ろ姿で志念がまた笑っているとわかり、瞬間的にムッとした。


 からからから……。


 ゆっくりと戸の開く音が耳に付いて、睦樹が店の入り口に目を向ける。

 そこには一人の町人らしき男が立っていた。


「いらっしゃいませ、お一人ですか?」


 男が戸惑いながらこくりと頷く。


「なら、こちらへ」


 店の一番奥の席へと案内した。

 席に着いた男に、いつも通り品書きを手渡す。

 一通り目を通すと男は一番後ろの、何も書かれていない真っ白な項で目を留めた。


「本当に、あった……」


 ぼそりと呟いた言葉が聞き取れず、睦樹が客に耳を寄せる。すると。


「これ、『鮪の漬け丼、猫またぎ増々』を頼みてぇ」


 どきん、と胸が鳴って、最初の参太の説明を思い出した。


『この注文が入ったら、それは依頼です』


(依頼が、きた……!)


 初めての依頼に慌てながら他の面子を呼びに行こうと振り返る。


「ちょっと、待って。……あ!」


 睦樹の真後ろには既に、参太が立っていた。


「ではお客様、別の席へご案内しますね」


 参太は客を誘導し、店の奥の個室へと案内する。

 目の合図に気が付いて、睦樹は参太と客の後を追った。


 店の奥、誰の目にも付かないようなひっそりとした場所に、その個室の戸がある。

 参太が戸を開き、客を部屋の中へ案内すると、卓と二却しかない椅子の一つに零が座っていた。


「久方振りの客人だ」


 相変わらずの低い声で怠そうに呟きながら、呆然と立ち尽くす男を椅子へと促す。


「それで? あんたは俺たちに、何を頼みにきなすった?」


 そう問いかける零の目には、何かを察したような確信の色が浮かぶ。

 促された客人は緊張の面持ちで椅子に掛けると、俯いた顔から目だけを上げて言った。


「男を一人、探してもらいてぇ」


 思い詰めたように強い瞳で見詰める男に、零がふと笑みを零す。


「人探しか、悪くねぇな。もう少し詳しく聞かせてくれねぇかぃ」


 男は表情を変えて、前のめりになった。


「それじゃ、引き受けてくれるのか?」


 零は依然怠そうな顔のまま、頭を捻る。


「そうさなぁ。面白そうだったら引き受けるかもしれねぇが、あんたの話が詰まらなかったら、わからねぇな」


 男の顔が引き攣り、声が大きくなった。


「ここは、頼めば何でも引き受けてくれる萬事処じゃねぇのか? 本当にあるかも知れねぇ店を、ようやく探し当てたってぇのにっ」


 必死に訴える男の肩を、後ろに立つ参太がぽんと叩く。


「まぁまぁ、落ち着きましょう」


 立ち上がりかけた体を椅子に戻すと、熱い茶を差し出した。


「一息入れれば、頭の中も整理できますよ」


 興奮気味の男だったが、参太に促され仕方なく茶を啜ると、表情が変わった。

 怒る肩から力が抜けて、脱力したように椅子にもたれ掛かる。


「……すまねぇ。気が焦っちまって」


 ぽつりと零して男は俯いた。


「構わねぇよ。この店に入れた時点であんたの望みは半分叶ったようなもんだ。あとは詳しい話を聞かせてくれりゃいい」


 落ち着いた零の声が先程よりも柔らかくて、目の前の男ばかりを眺めていた睦樹が視線を向ける。零は睦樹に少しだけ笑むと、また男に向き直った。


「で? あんたの名は?」

「俺は、甚八ってもんだ。芽吹村で百姓をしていた」


 睦樹の肩がびくりと震える。零の目に宿る確信が色を増した。


「芽吹村っていやぁ、護りの森って呼ばれていた里山と一緒に焼けちまったあの村だろ。あすこは確か、どこぞの長者が作り直してすっかり綺麗になったよなぁ。敷地も前より広くなったし村人は戻ってまた百姓ができることになったって聞いているが?」


 甚八は暗い表情のまま頷く。


「あんたの言う通りだ。元の村人は新しい村に戻って、また百姓をする筈だ」


 含んだ言い方に、零が口を噤む。

 少しの沈黙を破って、甚八が絞り出すような声で言った。


「村は前より良くなった。けど、あすこにはもう、護りの森はねぇ」


 膝に置いた手を強く握る甚八の姿を、睦樹はじっと見詰めた。


「森と村と、一緒にあったから今まで暮らしてこれた。森は村を守ってくれてたんだ。なのにそれが無くなっちまって……。森が無くなって村だけある場所には、戻れねぇ」


 とくとくとく、と、睦樹の鼓動が早くなる。

 人の中にも、こう考えてくれる者があるのだと知れたことが嬉しくて、じわじわと胸が温かく、そして苦しくなった。


「それに、俺には、新しくなった村に戻る資格もねぇ」


 思いつめた表情で甚八は肩を強張らせた。

 零がふぅんと鼻を鳴らす。


「その辺りが、あんたの依頼事と絡んでいそうだな。そいつぁ、どういう事情だね」


 甚八は頷き、俯いていた顔を上げた。


「少し長くなるが、聞いてくれるかぃ」


 と前置きして、甚八は事情を話し始めた。

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