第7話 不思議な童女

 有言実行というやつか、睦樹の仕事は次の日から始まった。

「火事の焼け跡の確認」という、睦樹にはあまり気乗りしない内容だ。

 自分の故郷の焼け跡など、見たくない。

 しかしやると言ってしまった以上、そんな個人的な事情で仕事を放棄することもできない。

 先を歩く一葉と双実の後を重い足取りで、とぼとぼ付いていく。

 双実が後ろをちらりと覗いて、わざとらしく大声を出した。


「行くっていうから連れてきてやったのに、やる気あるのかしらぁ」


 どきりと心臓が鳴って、ムッとする気持ちが湧いてくる。

 一葉は二人の様子を気にすることなく「大丈夫」と言った。


「睦樹は大丈夫だよ。現場に着けば、ちゃんと働くよ」


 同意を求めるように振り向く一葉に、一度だけ頷く。

 そんな睦樹を一瞥して、双実はぷいと前を向いてしまった。

 気持ちが後ろ向きでも、足を前に出して歩けば目的地には辿り着く。

 三人はすっかり焼け焦げた村と禿山と化した里山の跡地の入り口に立っていた。


「私が里山の方を見てくるから、一葉はその僕ちゃんと村の方を見てきて」


 僕ちゃん、という呼び方にカチンときている内に、双実は猫の姿になって颯爽と禿山に向かい走っていく。


「俺達も行こう」


 一葉に促され、睦樹はもやもやする胸を抱えたまま歩き出した。


「鳥天狗の里の焼け跡を睦樹に見せるのは気の毒だと思ったから、双実があっちに行ったんだよ」


 ぱっと顔を上げると、一葉がにっこりと笑って前を指さした。


「あの辺が、人が住んでいた村だよね? 焼け跡、よく見て回ろう」


 その言葉に返事はせず、睦樹はぼそりと思っていたことを言った。


「……一葉は、双実……さんのこと、よくわかるんだな」


 きょとん、とした顔で振り返った一葉は、


「だって随分と一緒に暮らしているもの」


 至極当然のように答える。


「双実はあんな感じだから誤解されやすいけど、本当は凄く思いやりのある優しい子なんだよ」


 睦樹は即座に首を振った。


「僕には、そう見えない。一葉の方が、ずっとずっと親切だ」


 双実の言葉や行動を一葉が度々説明してくれるから、実は優しいのかもと思ったりもするが、それがなければ只の嫌味だ。

 一葉の一言が、そう思わせているに過ぎない。睦樹にはその行動がとても親切に感じた。


「親切と優しいは、違うものだよ」


 思いも寄らない返事に驚いて言葉に詰まってしまった睦樹に、一葉はやはり親切そうに笑った。


「睦樹も、そのうちにわかるよ。それよりあの辺、焼け方が酷いから、よく見てみよう」


 鼻をクンクンさせて、一葉が走る。

 次の問いを言い出せぬまま、睦樹はその後に付いて行った。

 それからも睦樹は何となくその話題を切り出せぬまま、一葉と共に村中を隈なく確認して回った。


「付火の後はなさそうだし、自然の火事かもしれないね」


 村だった場所は見渡す限り真っ黒な瓦礫の山で、家も田畑も残らず総て焼けてしまっていた。たとえ綺麗に片付けても、またここに人が住むというのは難しそうだ。

 睦樹は村人たちのことを想った。

 ここに住んでいた彼らは、今頃どうしているのだろう。自分と同じように故郷を失った村人のことを考えると胸が痛い。


「ねぇ、あれ、人かな?」


 顔を上げると、離れたところに一つ、小さな背中が見える。

 人の子供のように見えた。

 睦樹は自然とその影に向かい歩き出す。一葉は何も言わすに睦樹に付いて行った。

 真後ろまで近づいて、人の子であるとわかった。童は、泣くでも喚くでもなく、只々その場に立っている。


「お前、ここで何をしているんだ?」


 睦樹が声を掛けると、童はふいと振り返った。


「森の、神様?」


 歳の頃四、五歳に見える童女は、驚く様子もなく睦樹を眺める。


「あれ? 睦樹の羽、見えるんだね」


 一葉が問うと、童女はこくりと頷いた。

 今日、二人は本来の姿を隠し、人に擬態している。と言っても、あやし亭の面々は何故か日頃から人の姿をしていることが多いので、一葉は通常通りと言えなくもない。

 擬態などしたことのない睦樹は方法を習って、本日生れて初めての擬態をしているわけである。にもかかわらず、こんな小さな童にこんなにもあっさりと見抜かれてしまうと、少し自信を無くす。


むつ、母ちゃんと森塚に御神酒あげに行ったの。その時、見たの。母ちゃんはそんなの見えないから気のせいって言ったけど、六は見たの」


 六と名乗った童女は、ととっと睦樹に近づくと、その手を握った。


「神様もおうち無くなっちゃったの? 六と一緒。可哀相だね」


 見上げる顔に、睦樹の視界が歪んだ。泣きそうな顔を隠して懸命に繕う。


「六、は、今、どこに住んでる? 母様と一緒か?」


 六は小さく首を横に振った。


「母ちゃん、どこにいるか、わからない」

「え?」


 言葉を失くしてしまった睦樹の代わりに、一葉が問いかける。


「六は、火事の後から、ずっとここに居たの?」


 こくりと頷くと、六は禿山の方を指さした。


「あっちの沢にいた」


 六の指さした先は、里山の南を流れる小川の方だ。

 確かに、そこには沢があって綺麗な水が流れていた。

 しかし、火事になってしまった今は、無事であるかわからない。


「ねぇ六、お兄ちゃんたちを、そこに連れて行ってくれる?」


 一葉にそう言われて、六は睦樹を見上げた。


「神様も、一緒に行く?」


 こくりと頷くと、六はにこっと小さく笑った。


「じゃあ、行く」


 小さな手が睦樹の手を握って歩き出す。

 その温もりに、涙が込み上げそうになった。

 六に先導されて、二人は里山のあった場所に向かった。


 六に手を引かれて着いた場所には、本当に沢が残っていた。

 しかもそれは相当に不自然だ。


「まるでこの場所だけ、守られたみたいだね」


 周りの総ての木々が焼け焦げて倒壊し無残にも真っ黒な炭と化し、水の濁った小川は黒く焼けた土砂が流れを堰き止めている。

 それなのに、その沢だけはまるで底から湧いているように澄んだ水が溜まっており、周囲の草も青々と茂っていた。


「ここでお水を飲んで、草を食べてたの」


 あの火事から優に五日以上は経っている。この沢があったから、六は死なずに済んだのだ。それには胸を撫で下ろした。 

 だが、ここまで全焼した火事で何故この場所だけがこんなにも綺麗に残っているのか。

 黙って周囲の匂いを確認している一葉の隣で、睦樹は胸の奥からじんわりと込み上がってくる何とも言えない嫌な感覚に抗えず、足元が震え始めていた。


「ちょっと! あんたたち、なんでここに居るのよ!」


 大声が響いて、睦樹がはっと顔を上げる。

 目の前には里山の焼け跡を確認しに行った双実が仁王立ちしていた。


「村を見に行けって言ったじゃない。あんたが、この焼け跡なんて見たら傷つくかもしれないし……」


 そこまで言って、ぐっと口を閉じる。ばつが悪そうに言葉を繕った。


「……そうなったら慰めるのも面倒だから、見せたくなかったのよ」


 目を逸らして頬を少しだけ赤くする双実は、睦樹が初めて見た可愛い顔だった。


「あ、双実……さん、ごめん。ありがと、う」


 双実に圧倒されて、うまく言葉が出てこない。


「別にいいわよ。あと、さん付けもそろそろやめてくれない? むず痒いから」


 言いながら、双実は睦樹たちの傍までやってくる。


「むず痒い……」


 一葉の言っていたことが少しわかった気がして、ほっこり心が温まる。さっきまで感じていた嫌な感覚が、いつの間にか消えていた。

 双実が睦樹の手元を見て、じっとりと尋ねる。


「で? 人の子を拾ってきたわけ?」

「この子、村の焼け跡に一人で居たんだ。火事の後は、この沢で何とか生きていたみたい」


 一葉の説明に、双実はふうと溜息を吐いた。


「この童をどうするかはまた後ね。全く、仕事が増えたじゃない」


 じとっ、と睨みつけられて、睦樹は慌てた。


「そんな言い方……。だったら、僕が責任持ってこの子の親を探す」

「責任持つのは当然よ。けど、今は……」


 しれっと睦樹の言葉を流して、双実が六を見下ろす。

 じっと見返す六からそっと目を逸らすと、森の奥を指さした。


「こっちは何も残ってないくらい全焼、焼け方は村の比じゃないから、恐らく火元は里山の方ね。北側に二ヵ所くらい、それらしい所を見つけた」


 そう言って、じっと睦樹を見詰める。

 どきりとして肩を上げる睦樹に、双実にしては気遣うような目線を投げた。


「この沢のちょっと向こうに、あんたが倒れていたって零が言ってた。何か、思い出す?」

「僕が……?」


 ドキン、と一際大きく胸が鳴って、心ノ臓が下がった。

 先程の嫌な感覚が自分の内側から戻ってくる。びりっとした痺れと共に、頭の中に残像が浮かんだ。自分が数人の人間ともめている場面だ。


(そうだ、僕はあの時、止めたんだ……)


 数名の知らない男たちが神域を犯して砂金を搾取しているところを発見した。だから妖力で追い返そうとした、いつものように。

 けれどあの時は何かがいつもと違っていた。男たちが手にしていた松明は、夜の森を照らすにしてはあまりにも大きかったのだ。そしてそのうちの一人がそれを森の奥へ放り込んだ。


(だから……羽の神風で消そうとしたのに……)


 そこで睦樹の記憶は途絶えた。次に思い出したのは、傷だらけの体で、燃える森を何もできずに只々眺めている光景だ。


「僕だ、僕が……森を焼いたんだ……」


 呟いて、がたがたと震え出した睦樹の両肩を一葉がしっかりと掴む。


「睦樹、落ち着いて。何を思い出したの?」


 いつもと同じ声音で問う一葉の言葉は、今の睦樹の耳には入らない。


「人が火を森に放り込んで……。だから消そうとして……、僕が羽の風で、火を大きくしたんだ……」


 頭を抱えて震える睦樹から、双実が一葉を引き剥がす。白い頬を思い切り張り倒した。

 びたん! と大きな音がして、睦樹はその場に倒れ込んだ。

 真っ赤な手の跡が付いた頬を抑えて双実を見上げると、双実は冷めた目で睦樹を見下ろしていた。


「何を思い出したか知らないけど、馬鹿な事言わないでくれる? 曲がりなりにも火を操る天狗の神風が火を拡大するわけないでしょ。あんたが本当に羽で神風を起こしたのなら、逆に火は消えているわよ」


 双実の圧にすっかり押されて、睦樹は少しだけ冷静さを取り戻した。


「でも……」


 混乱する頭の中に、あの時の光景が断片的に浮かんでくる。それがとても苦しい。息を荒くして自分の胸をぎゅっと掴む睦樹の手に、小さな手がそっと触れた。


「神様、大丈夫?」


 心配そうに覗き込む六の瞳の色に既視感を覚えた。


「六、僕に、会った?」


 六は素直に、こくりと頷いた。


「六を助けてくれたの、森の神様だもの」


 ぐらり、と一際大きく頭の中か揺らいだ。


(僕が人の前に出て行った理由は……)


 放り込まれた火を消すためでも、砂金が取られたからでもなかった。

 侵入者たちが人の子を見つけ、殺そうとしていたからだ。森に火を放り込み、その中に童を投げ入れようとした。だから神風を起こし、童を助けるために咄嗟に飛び出した。

 だが睦樹は体の小さな鳥天狗の、しかも子供だ。

 薄闇に紛れた睦樹を人の子と勘違いした男たちに逆に袋叩きにあい、重傷を負って気を失った。


「六が、あの時の……」


 あまりにも情けない事実に、思い出した記憶を後悔した。いっそ、あのまま忘れていたかった。

 しょんぼりと肩を落とす睦樹に、六が懐から一枚の青黒い羽を出して見せた。


「神様がね、この羽根をくれたの」

「それ、僕の羽根……」


 六から羽根を受け取ると、確かに自分の気を感じた。

 ぼんやりと思い出した。

 意識を失う前、後ろに庇った童に自分の羽を一枚、引き抜いて差し出した。必死に伸ばした手が届いたか確認する前に、意識は途絶えてしまったが。


「届いていたんだ、この羽根」


 六は、ぺこりと頭を下げた。


「六のこと、守ってくれて、ありがとう」


 小さなお礼に目頭が熱くなり、涙が止まらなくなった。

 六を守れた安堵や人に重傷を負わされた情けなさ。双実はああ言ったが、もしかしたら火事を拡大させたかもしれない己の軽率な行動。

 情けないやら後悔やら怒りやら、色んな感情が混ざり合って涙が止まらない。

 そのやり取りを見ていた双実は二人の間に入ると、睦樹の胸座を掴み上げた。


「ゔっ……」


 ずいっ、と顔を近付けて、双実が容赦なく迫る。


「いつまでも泣いてないで、何を思い出したのか、一つずつ話しなさい」

「は、はいっ」


 双実の迫力に負けた睦樹は、今思い出したことをぽつりぽつりと話した。

 躊躇いながら話す睦樹を一葉も双実も急かすことなく静かに聞いていた。


「そっかぁ。だから、この沢だけ残ったんだね」


 一通り話を聞いた一葉が納得した顔をする。


「え?」


 不思議そうな顔をする睦樹に、双実が呆れた声で言った。


「鳥天狗の羽には護りの力があるんでしょ。人の子を守る為に渡したその羽根がこの場所に結界を張ったのよ」

「そうか……」


 言われて初めて気が付いた睦樹に、双実は更に呆れた顔をした。


「どうして自分の力なのに、わからないのよ。本当に鳥天狗の長の息子なの?」


 前に同じことを言われた時はカチンときたが、今はそんな感情も湧かなかった。

 それどころか、言い返す言葉もない。


「でもまぁ、長の息子なのは確かかもね」


 双実が残っている沢を指さす。


「あんたみたいなチビガキの、たった一枚の羽根で、これだけの範囲が綺麗に残っているんだもの。それなりに力は、あるんじゃない」


 双実の言葉に釈然としないながらも、ほっとする。

 少しだけ自信を取り戻せた気がしたのだ。


『……っ』


 一瞬、声が聞こえた気がした。誰かが、自分の名を呼ぶ声が。

 しかし、はっきりとは聞き取れなかった。


「だけど不思議だよね。鳥天狗の羽の力があれば、里山はこんなに焼けなかった筈なのに」


 確かに一葉の言う通りだ。鳥天狗の仲間たちは自分のような子供ばかりではない。 大人の鳥天狗や両親がその力を振るえば、里山や村全体に結界を張ることも出来た筈である。


「それは火元を見に行けば、わかるわよ」


 双実の声に一葉と睦樹が振り向く。

 すっと立ち上がった双実に先導されて、三人はその後を付いて歩き出した。


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