第6話 本当の仕事

 その後も、参太と五浦があやし亭の説明をしてくれた。

 店の一席に座り、より詳しい話を聞く。


 咄家である志念以外の面子は飯屋の方を担当し、厨房と給仕に分かれて持ち回りで店を廻すのだという。

 噺の人気もさることながら、飯屋としてもあやし亭は人気があるらしい。『何でも食える店』というのがウケているようだが、睦樹にはやはり疑問があった。


「いつどこに店を出すかわからないのに、どうして客が見つけられるんだ?」


 至極当然の疑問をぶつけると、参太はあっさり答えた。


「行きたいと思う人には、見つけられるんです」


 当たり前のようにそう答えられて、睦樹はまた難しい顔になる。すると隣に居た五浦が店の品書きを開いた。

 ずらりと並ぶ品書きは蕎麦やうどんの麺類から丼ものの飯類、寿司、甘味まで、江戸にあるほとんどの料理を網羅しているらしい。

 人の食事に疎い睦樹にはよくわからなかったが、その数には圧倒された。


「それで、ここからが本題なのですが」


 言いながら、参太が品書きを閉じて裏面を見せる。

 真っ白で何も書かれていない。


「この品書きにはない、裏料理、というのがありましてね」


 真っ白な裏面を、参太が指でぽんと弾く。すると文字が浮かび上がった。


まぐろの漬け丼(猫またぎ増々)』


 それを指さしながら参太が説明を続ける。


「鮪は人にとっては下魚で、店で出すことがあまりません。猫またぎというのは、鮪の脂身の部分で、醤油を弾いてしまい漬けにできないので捨ててしまうんです。猫すらも食わずにまたいで通るから、猫またぎと呼びます」

「どうしてそんなもの、裏料理にするんだ?」


 怪訝な顔の睦樹に、参太がにっこりと言う。


「この注文が入ったら、それは依頼です」

「依頼?」

「はい。そもそもこの店自体、見つけようと思わなければ人も妖も見つけることが出来ません。必要とする者だけが来店できる、そんな店です。その中でもこの品書きが見える客が居たら、それは飯を食いにやってきた客ではなく依頼をしに来た客、なのです」

「依頼って……。一体、何を?」


 参太はすっと人差し指を顔の前に上げた。


「公儀では解決できない奇怪難解厄介な類の事件依頼。勿論、人も妖も含めて、です」

「えっ……」


 驚く睦樹に、参太は続ける。


「表向きは飯屋。ですが本当の仕事は、表沙汰にできない事件をこっそりと闇に葬る仕事屋。私たち妖鬼の力を使って、ね」


 押し黙ってしまった睦樹に、参太が告げる。


「ここの本当の名称は、萬事処あやし亭、なんですよ」

「萬事処?」

「そう。つまりは、何でもする便利屋さん、ということです」


 微笑む参太とは裏腹に、睦樹は依然、複雑な顔をしていた。


「何でも屋って、つまり、僕たちが人を助けたり。……退治、したりもするってことか?」

「場合によっては、そういうこともありますね」


 きっぱりと言われてしまい、複雑な心境は一層増した。

 神域に侵入してきた人間のことを思い出したからだ。


(ああいうのと、対峙したりするのか…)


 と思った瞬間、また視界がぐらりと揺れた。

 頭がぐらぐらして吐き気がする。


「睦樹君?」

「睦樹! 大丈夫か?」


 すぐ傍に居るはずの参太と五浦の声がとても遠くに聞こえて、視界が白く霞んだ。意識を手放しかけた時、大きな力がぐいっと睦樹の頭を掴んだ。


「!」


 落ちかけた意識が急浮上して、眩暈と吐き気がすっと引く。

 乱れている呼吸を整えていたら、いつの間にか目の前に零が立っていた。

 睦樹の頭を掴んでいたのは零だった。


「全くお前ぇは。気丈なくせに、直ぐに自分を手放そうとしやがる」


 ぺちん、と軽く睦樹の頭を叩いて、零が隣の席に腰を下ろした。


「大丈夫か?」


 目の前に座る五浦が差し出してくれた茶を一口飲んだら、すっと、気分が軽くなった。


「うん、ありがとう」


 落ち着きを取り戻した睦樹にほっとする二人の前で、零が話を引き戻した。


「参太から話は聞いただろうが、ここの稼業はそんな感じだ。務まるか?」


 温い湯呑をぐっと握って、揺れる茶を眺める。


「まだ、よくわからないけど、やる」


 明確な何かがあったわけではないが、ここでの仕事に関われば、何かわかる気がした。

 何より自分は本当の名を早く取り戻さねばならない。その為の足掛かりは、今の所ここしかない。選択肢はないのだ。

 下唇を強く噛んで肩を強張らせる睦樹に、零はふんと軽く鼻を鳴らす。


「まぁ、今のお前ぇはそうするしかねぇしな。だが、こういうのは手前ぇで決めなきゃ意味がねぇ。やると決めた以上は、しっかり働いてもらうぜ」


 真っ直ぐに零を見詰めて力強く頷く睦樹に、零は口端を上げる。


「よぉし、だったら今日は、もう休みな。明日から、じゃんじゃん仕事入れてやるからよ」


 ばん、と背中を叩かれて、睦樹は前のめりに仰け反った。


「いったっっ!」


 まだ治りきっていない羽に痛みが響いて思わず立ち上がる。

 恨みがましい目で零をじっとねめつけるが、当の本人は悪びれる様子もない。

 むっとしながらも、睦樹は参太と五浦にぺこりと頭を下げて、とぼとぼと自分の部屋に戻って行った。


 その礼に笑顔で答えながら茶を啜る参太が、くすりと笑う。


「睦樹君は、良い子ですね。如何にも、零が好きそうです」


 零は「はぁ?」と、大きくぼやきながら参太を振り返った。


「良い子かぁ? ありゃクソ生意気で世間知らずの、とんだ箱入り息子だぜぇ」

「そういうところも含めて、放っておけないんでしょう?」


 にこにこと言い当てる参太に、零はむっと顔を顰める。


「だって本当なら、あそこに置いてきても良かった訳じゃないですか。それを、わざわざ連れ帰ってきたんだから、それなりの意味があるのでしょう?」


 零を覗く参太の目から笑みが消える。零は表情を戻して目を逸らした。


「……役に立つかもしれねぇからな」


 ぼそりといった言葉に、参太は堪らず笑いを零した。


「零は相変わらず、誤魔化すのが下手ですね」

「うるせぇ」


 ぼやく零を眺めて、参太は笑みを収めた。


「でも確かに、今回の件に彼は必要かもしれません」


 参太の声音が低くなったのを感じて、五浦が表情を落とす。


「睦樹が、あまり傷つかないと、いい」


 ぽそりと聞こえたその声に、二人は表情を止めた。


「五浦がそういうことを言う時は、ちょっと危ないですね」


 困り顔で零す参太の隣で、零がのっそりと立ち上がる。


「それも件の為に必要なら、仕方がねぇだろうよ」


 怠そうに吐き捨てながら、とぼとぼと零が店を出ていく。

 大きな猫背を眺めて、参太が呟いた。


「本当に、素直じゃないですね、零は」


 参太の言葉に五浦がうんうんと頷く。

 何となく微笑みながら二人は温い茶を啜った。

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