第8話 麗しき佳人

 小川のほぼ真北と、東側に位置する村と森の境の二ヵ所に、火元と思われる場所があった。一際酷い焼け跡は、土すらも真っ黒に焼け焦げて、なんとも言えない臭いが鼻に付く。

 その一角に、不自然に土の抉れた、やたらと黒い穴があった。


「これ、なんだ?」


 とても嫌な感じがして、睦樹は後ろに下がった。

 何故だかその場所に近づきたくない。

 手を繋いでいる六は、そんな睦樹を不思議そうに見上げている。

 一葉と双実は近づいて周囲まで観察しているが、睦樹ほどの嫌悪感はないようだ。

 無暗に触れないよう気を付けながら覗き込む。


妖鬼ようきが嫌う何かを一緒に燃やしたのね、きっと。燃えちゃってるから何かはわからないけど」


 眉間に皺を寄せて言う双実の隣で、一葉があからさまに鼻を摘まむ。


「こんな臭いが充満していたら、とても森の中になんかいられないね」

「その穴はねぇ、鯖を腐らせたものに蓼の実やら異国の草やらを擂ったものを混ぜた跡ね。混ぜたものをせっせと固めて、燃えた森に放り込んだんじゃないかしらぁ」


 知らない声がして睦樹が顔を上げると、目の前に大人の女が立っていた。

 見目麗しいその女人は風変わりで綺麗な着物を纏い、艶を帯びた笑みで睦樹を見下ろす。


「何でそんなもの、作ったんだろ」


 いつの間に現れたその女人と一葉が自然に会話を続ける。


「鯖は天狗が嫌う、というからねぇ。それ以外にも物怪が嫌いそうなまじないを、何でも良いから混ぜ込んで、火事の渦中に放り込んだのでしょうねぇ」


 女は焦げた木に張り付いた紙の残りカスをふわりと手に取った。


「この札も物怪避けだろうけれど、随分とお粗末な代物ねぇ」


 くすくすと品良く笑う女人に、双実が心底嫌そうな声を出した。


「なんであんたがここに居んのよ、紫苑」

「え! この人が、紫苑?」


 驚いて見上げると、紫苑は艶を帯びた瞳を細めて微笑んだ。


「人、ではないけどねぇ。物怪でも、ないのだけれど」


 意味がわからず言葉に詰まる睦樹を尻目に、双実が突っ込む。


「だからなんで、あんたがここに居るわけ?」


 紫苑しおんは、ふふっと小さな笑みを零して双実の頭を撫でると、一葉に向き合った。


「物怪避けの呪いも札も、付火をした奴がここにいる神様を追い出したかった証拠、なのかもしれないわねぇ」


 一葉が、いつもの笑顔を仕舞って紫苑を見詰める。


「色々叩いたら、たぁくさん埃が出てきちゃったものだから、帰ってくるのがすっかり遅くなっちゃったわぁ。詳しい話は隠れ家に帰ってからにしましょうねぇ」


 紫苑がぽん、と軽く一葉の肩に手をやる。

 一葉は、すぐにいつもの顔に戻って、こくりと頷いた。

 それとは逆に、双実は頭に置かれた華奢な指を邪魔そうに払う。


「頭撫でるの、やめなさいよね! それに紫苑が隠れ家にいないのはいつものことじゃない。あと、物怪とか、呼び方が古すぎて年増全開なんだけど」


 べーっ、と舌を出す双実の頬を、紫苑はねっとりした指付きで撫で上げる。

 ひぃっと顔を引き攣らせて、双実は仰け反った。


「最近は、妖鬼とか言うのよねぇ? 呼び方なんて人が勝手に決めること、あたし達には、どうでもいい事だけれどねぇ」


 揶揄うように、くすりと一つ笑みを零して紫苑が歩き出す。

 ただそれだけの仕草にも大人の色香が漂っていた。


「俺たちも帰ろう!」


 一葉に促され、皆が歩き出す。と、睦樹は握ったままの小さな手を思い出し振り返った。

 六はじっと睦樹を見返すばかりで、何も言わない。


「面倒見るって言ったんだから、あんたが責任持って連れ帰んなさいよ。その子の母親、どこにいるか、わからないんだから」


 双実に吐き捨てられて、睦樹は小さな手を強く握り直した。


「一葉、妖鬼って、なんだ?」


 帰り道を歩きながら、睦樹が問う。

 そういえば零や参太もその言い回しを使っていた。

 睦樹はその言葉を聞いたことがない。

 物怪、という言葉の方がまだ馴染みがあった。


「ああ、それね。人が俺たちを纏めるときの総称、かな?」

「物怪、妖、妖怪、神隠し。人間は色んな総称で私たちを呼んでいるけど、最近はそういう定義が多いのよ」


 双実が補足すると、更に紫苑が続ける。


「人以外の不思議な生き物や現象は、ぜぇんぶ妖鬼ってことにしちゃうわけ。妖鬼は人を食う、なんて思っているのも居るのよ。というか、偉い人がそんな風に勝手に決めているのねぇ。余程に怖いのかしらねぇ」


 ふふっ、と口元を隠して笑う紫苑の美しさに、思わず見惚れる。


「実際に人を食う妖鬼なんて、ほとんどいないけどね」


 不機嫌そうな顔で、双実はぷいとそっぽを向いた。

 困った顔で眺めながら、紫苑は睦樹を振り向いた。


「人って、そういうのを作りたがる生き物なのよ。なんだか可愛いし可哀相よねぇ」


 目が合うと、どきりとして思わず俯く。


「あやし亭は人と関わることも多いから何となく使っている言葉なんだけど、俺たちにとっては、どうでもいいことだよ。便利だから使うだけ」


 からっと笑う一葉に、何故だか、じんわりとした薄ら怖さを感じた。


「あやし亭の後ろ盾は人だもの。零に関しては、多少の気遣いくらいあるんじゃないの」


 突然とんでもない言葉が双実から飛び出して、睦樹はまた驚く。


「あやし亭は、人が動かしているか?」

「動かしているのは零よぉ。後ろ盾だからって云いなりになれるほど器用じゃないのよねぇ、あの坊やは」

「また出た、年増発言」


 双実の嫌味に、紫苑は面白そうに、ふふっと笑う。

 あの零を坊やと呼び双実に年増扱いされる紫苑は、一体何者なのだろう。

 一見しては、しとやかで品のある美しい女人でしかないというのに。

 そんな睦樹の疑問を見透かすような瞳が、こちらをしっとりと流し見る。


「新入りの睦樹、って貴方ね。まぁだ、知らないことが沢山あるみたいだし、知りたい事はいつでも誰にでも聞くといいわぁ。みぃんな、ちゃぁんと答えてくれるからねぇ」


 艶っぽい流し目にどきどきと鼓動が早まって、睦樹は真っ赤な顔で頷くことしかできなかった。

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