元凶

「痛いわね!」

シルク・ゴーヴィッシュは不機嫌に、髪を梳くメイドの手をはらった。

「もっと丁寧に扱いなさい!私を誰だと思っているの!」


ゴーヴィッシュ公爵家夫人。

女性としては王妃に継ぐ権力だといっても過言ではないのに。


「はい、申し訳ありませんでしたー。」

軽く馬鹿にしたような笑みを浮かべて、メイドは言葉だけの謝罪を述べた。

「貴方ね…!」

「奥様、あまり怒られると、美容に悪いですよ。皺ができちゃいますよ。」

もう一人のメイドが、からかうように声を上げる。

「そうですよ、あんまりピリピリされないほうがいいのでは?栄養が足りてないんじゃないですか?」

「最近の奥様、やせすぎですもの。」

多数の若いメイドのうち、誰一人シルクを敬う態度の者はいない。


一体いつまで、自分はメイドごときにこのような態度をとられなければならないのか。

「もういいわ、全員出ていきなさい!」

「はぁーい。」

クスクス、と笑いながら部屋を去るメイドを強くにらみつける。


(私がこの家の主導権をとったら、全員クビにしてやるんだから)


シルク・ゴーヴィッシュ。

公爵夫人は通常、屋敷の切り盛りを任されることが多く、人事権や給料などを決めるのも、本来公爵夫人の仕事。

しかし、ゴーヴィッシュ家は違った。


ゴーヴィッシュ公爵の母、つまりシルクにとっての姑がいまだにその仕事をシルクに譲らずにいるせいである。


それでいてゴーヴィッシュ公爵母は、結婚当初よりシルクを嫌い、疎んじていた。

それゆえ、この家に嫁いで17年。

シルクはこの家で、メイドや執事たちにすら軽んじられてきたのだ。


(あのばばぁ、さっさとくたばらないかしら)

死なないのなら、いっそ…。


いや、とシルクは小さく首を振る。


今あの切り札を、姑に使っている場合ではない。

少なくとも、あと数年は大人しくしておいたほうがいいだろう。


(それにしても…、マリベルはどうなっているのかしら)

孤児院の子供を使い、開花病を引き起こす、ハクランの蜜を使ったパンを毎日届けているというのに。

未だに発症の噂すらない。


(パンを食べていないのかしら…)

姉であり、マリベルの母であるトルカの好物であるレーズンパン。

きっとマリベルの好物であるに違いないと思ったが…食は遺伝しないのかもしれない。


(あぁ、本当イライラする!)

こんな時は、街に出かけて発散するに限る。

最近は町にお気に入りのサロンがあり、お気に入りの従業員…まぁいわゆる売春夫がいる。

売春夫がお金目的で、自分に優しく甘い愛の言葉をささやいていることはわかっているが、それでも唯一、現実から目を背けることができる、シルクにとっての癒しの時間である。


その売春夫から最近もらった、赤い口紅をひいて、街へ出かけようとしたとき、ちょうどドアの外で、シャルルと出くわした。

「お母様!ちょうどよかった!」


シャルル。外見は自分とうり二つなのに、この子を見ているとどうもイライラする。

(姑に甘やかされて育ったせいで、中身空っぽの馬鹿な子に育ってしまったわ…)


「今ね、王子がきてるの!お母様にもあいさつしたいっていってるのだけど、少しお時間いいかしら?」

「王子が?」


何故急に王子が訊ねてきたのか。自分に挨拶したいなど、今まで一度も聞いたことのない言葉だ。

(まさか…婚約破棄の申し出じゃないでしょうね…)


少し嫌な予感がしながらも、無視するわけにはいかず、シルクはそのまま、王子の待つ温室へと向かった。


(婚約破棄の話が少しでも出たら、夫の名前を出して脅してやればいい。第一王子派に、宰相家の後押しが必要なことくらい、私でもわかっているのだから。)




そんな気合を入れて向かった温室。

そこには思いがけない人物がいた。


「お久しぶりです、おばさま。」

この世で一番嫌いな顔。姉トルカと同じ顔をした、姪マリベルが、王子の横でにこりと笑顔を向けてきた。

「…おひさし、ぶりね。」

そして、そのマリベルの後ろに構える少年の姿に、思わず顔を引きつらせる。


パンを運ばせていた少年。マーシュだ。


「私、最近パン作りにはまってまして、おばさまにも食べていただきたくて持ってきたんです。」

ほら、とマリベルが後ろの少年に合図をし、少年がテーブルに、パン…レーズンパンを置いた。

「とてもおいしく作れたんです。どうぞ、召し上がってください。」


マリベルの挑発的な瞳を見ながら、シルクはゆっくりと深呼吸をした。


(何か…勘づいてかまをかけているのね…)

ゆっくりとパンへと手を差し出す。

(でも大丈夫、問題なんてないわ。ハクランの蜜は一日に大量に摂取しても、体に影響はない。)

スラム街の住人で、何度も実験をしたのだ。

大人なら、最低7日間は連続で摂取しなければ、開花病を発症させることはない。


「おいしそうね、いただくわ。」

そういいほほ笑むと、マリベルはおや、と眉を上げた。


おそらく開花病の発症条件を知らないのだろう。

毒か何かが入っているのかと思い、レーズンパンを出してきたというところだろうか。


(こんなことで私に自白させようだなんて無駄よ)


シルクがゆっくりとその赤い唇を開いたとき、再びマリベルが発した。

「その口紅、とてもお似合いですね。お送りしてよかったですわ。」

その言葉に、レーズンパンを口に運ぶ手が止まる。

「…え?」

「口紅、街のサロンの従業員からもらったものでしょう?実は私が彼に、おばさまに渡すようにって頼んだんです。私の手作りの口紅ですよ。」


そういって。

トン、とテーブルに口紅を出した。


「昔おばさまが、お母様にプレゼントしてくださったものと、同じ成分で作ったんです。プレゼントしたのは10日前だったかしら?そろそろですね、おばさま。」

「人殺し!」

シルクはパンをマリベルに投げつけると、慌てて口紅を拭いた。


「あぁ、もったいない。」

投げつけられたパンを、ゆっくりと拾いながらマリベルは言う。

「どうして、おばさまが母に渡したものと同じもので口紅を作ったら、人殺しになるんですか?どうしておばさまが、私たちに毎日プレゼントしてくれたレーズンパンを渡したら、人殺しになるんですか?」

にっこりと笑って、とどめの一言。


「おばさまがしたことと、同じことをしただけですよ?」

「義母様、」

いつの間にか背後に立っていたラキオスが、上から見下ろしながらシルクに言う。


「首の裏、黒い痣ができてますよ。」

「いやぁあああああ!」

シルクは首筋を抑え座り込む。

「いや、いやぁ、死にたくない…!」

「お母様…?」


何もわかっていないシャルルだけが、ぽけっと首をかしげた。


「おばさま、これ、見えますか?」

マリベルが穏やかに笑みを浮かべながら、何やら小瓶をポケットから出した。

「開花病の解毒剤です。私が作ったんですよ。」

「それ、それ早く!」

「おばさま、その前にこたえてください。」


いつの間にか、マリベルの顔から笑みは消えていて。

圧倒的強者。強い瞳でシルクを見下していた。


「どうして、母を、殺したんですか?」

「いいから、早く渡しなさいよ!」

「答えたら、渡します。」


やたらと、のどが渇く。めまいがひどくなっているような気もする。

これが開花病の影響だろうか。

シルクは髪をかきむしり、怒りに震えながらマリベルに向かった。


「憎かったからよ!善人ぶって、人を見下してきたあんたの母親が!」


大嫌いだった。あのうさん臭い笑顔が。昔から。子供のころから大嫌いだったのだ。


「婚約者も奪われて、かわいそうな人間のくせに!いつでも『幸せです』っていわんばかりに笑ってるあの顔が憎かったのよ!だから殺したの!わかったらさっさとその解毒剤を渡しなさいよ!」

「…渡すわけないでしょう。」


マリベルはその小瓶を思いっきり地面にたたきつけた。

小瓶は割れ、液体が散らばる。


「あんたのその身勝手な感情で、一体何人の人が死んだと思ってるの!」

「あ、あぁ、」

シルクはその小瓶の割れた地面を見つめ、呆然とした。


「憎かったから殺した、ですって?なら私もあなたが憎いわ!救う義務なんてない!勝手に死ね!!」

到底『聖人』とは思えない発言が、マリベルの口から飛び出て、シルクは乞うようにマリベルにすがった。


「お願い、お願いよ、反省してるから…。お願い、たすけてよ…。」

「触らないで、汚らわしい。」


マリベルがその手を振りほどいた衝撃で、シルクはばたりとその場に倒れる。


「お母様になんてことを!」

シャルルが駆け寄り、シルクに手を差し出しながら、ふと、気づく。

「…え…?首元に痣なんて、ないけど…?」

「え…?」


しばしの沈黙の後、マリベルはゆっくりと深呼吸をしながらつぶやいた。


「貴方と同じ人間に、成り下がってたまるもんですか…。口紅にもパンにも、何も入れてないわ。」






シルク・ゴーヴィッシュ。

殺人と、殺人未遂の件で、逮捕。

『開花病』を引き起こす、恐ろしい毒薬をふりまき、おおよそ20人以上の殺害を行ったと考えられる。

通常なら斬首刑であるが、立証された罪が、一件の殺人と殺人未遂のみであったために、投獄の上、島流しとなる。

極悪人のみを集めた島に流された、シルクのその後はとてもみじめなもので、享年45歳。怪我が元の病気で、この世を去ったと記録されている。





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悪役令嬢を断罪させていただきま…すん! ロキ屋 @pinokana

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